孤独な少年のアイした記憶-2
地下での生活が長くなるとどうにも季節感が鈍ってくる。
久しぶりに日が昇る時間に外へ出ると眩しい位の日差しが目に刺さる。
一般的には心地良いとされる昼下がりの陽光の下、アルフィードの地を歩く。
授業終わりなのか道中には笑顔の学生の姿が目立つ。
こんな一見平和そうな学園の近くで破滅をもたらそうとする兵器の開発を行っているなど生徒達は思いもしないだろうな。
アルフィード学園を有するこの島は国防軍の所有地だが、学園も商業地区も理事長の指揮、管理下で運営されている。理事長である榊は学園の長でありアルフィードの島全体の領主でもあるという体だ。
立派な理念に優秀な人材で成り立つ学園だが、理事長である榊の印象は薄い。
生徒の自主性に頼る学園の運営、最高司令官のもつ抜群のカリスマ性。
そんな輝かしいものに隠れて彼は上手く部下を使っているだけだ。
表舞台には必要以上に姿を現さず、上手く立ち回っている。
榊は貴族の出だがその中でも特殊で、出世に固執にしておらずのらりくらりと生きている。
お高い自尊心や野心を感じさせない。かといって教育熱心でもない。
有翼人計画も鳥羽最高司令官の命令だからと動いているが、決して嫌々でもなく積極性も感じない。彼は何を求めて生きているか、よく掴めない人間だ。
アルフィードという彼の小さな国で民の信頼を裏切るようなことを平然とやってのける。それでも彼は清潔で爽やかな印象を持つアルフィードを5年維持している。
表面上問題がなければ裏で何をしていようが住民や生徒は何も気づけない。
もし有翼人計画が成功したとして、最高司令官は何がしたいんだろうか。
榊を介して指示や要求をしてくるだけで彼自身が地下研究室にやってきたことは一度もない。執務が忙しいのか、他国との会合の報道や国内のあらゆる領地を視察に訪れている話は頻繁に聞く。
それだけ国を大切にしているような様子を見せるのに何故破壊を望んでいるのだろうか。
有翼人計画は遊びの一つにすぎないのか。だから失敗しようが成功しようが大したことではないのか。そんなギャンブルをするような人間には見えないが。
…やはり他者の思考や思想は理解に苦しむ。
数式のようなシンプルさが心落ち着く。どんな難問だろうと答えはひとつなのだから。
「千彰!来てくれたのね!」
定期船が行き来する発船場の待合室に到着すると元気そうなレイチェルが俺を出迎えた。
わざわざ外へ出た目的は俺の数少ない幸せを願う者達の見送りをする為だ。
「遅ぇから迷子かと思った」
横に居た晃司がわざとらしく笑う。
さすがにアルフィードの主要施設の道順は暗記した。もう迷わない。
「姉貴はどうしたんだよ」
「仕事で手が離せないそうだ」
正確には旭は高熱を出して寝込んでいる。
人体に負荷の掛かる実験が増え、最近は数日単位で体調を崩すことが増えた。
もはや睡眠だけでは回復が追いつかない。一度長期の療養が必要だ。しかしそれを許してはもらえない。
工藤は病的に旭に固執している。
彼は自分の理論を"旭"で試さないと気が済まなくなっていた。
実験ができない苛立ちを抱えつつも、彼女の前では「今に苦しみを感じない身体になるよ。もう少し待っててくれ」と優しい紳士ぶった仮面を被る。
ヒステリックに喚く工藤博士の姿を何度も目撃した俺は穏やかであろうと叫び散らそうと狂気を孕んだ彼の心にもう迷いはないのだと空しくなる。
どんな言葉も俺が口にすればたちまち彼の神経を逆撫でにする。
俺には工藤博士は救えない。彼は俺にとって生きる罪の象徴なのかもしれない。
「脳筋のくせに研究室に配属されてる時点で完全に選定ミスだよな」
軍の武具開発チームの研究員として働いていることになっている旭。
慣れない分野に苦戦を強いられていると皆は把握している。
そして俺は彼女の同僚の生意気な博士くらいの認識だろう。
「残念だけどお仕事なら仕方ないわね。旭にはお手紙を書くことにするわ!」
前向きなレイチェルの笑顔を見ると不思議とほっとする。
ティオールの里を出て人間との生活を約1年過ごそうと彼女の良さは変わらない。
長い時間を生きてきたのだから今更根本的な性質は変わらないのかもしれないが、
共に暮らした樹のおかげかもしれない。
「身体を大切にしてね」
「元気なお子さんに会えるの楽しみにしてます」
先に居た旺史郎と美奈子もレイチェルに別れの挨拶を交わす。
レイチェルは赤ん坊を身籠った。彼女と子供の安全を優先した樹は国防軍を除隊し、なるべく軍人が居ない地方へ居住を移す。今日はその引っ越しの日だ。
授業を終えてすぐ駆けつけたであろう三人は制服姿のままレイチェルと親しげに話し込んだ。
レイチェルの望んだ通り、種族など関係なく彼女達は友達になれた。
エルフの特徴的な耳を隠すべく大きい帽子を被るレイチェルだったが傍から見て四人に差はない。種族の差など些細な問題にすら思えてしまう。
間もなくレイチェル達が乗る船の乗船締め切るアナウンスが流れる。
ずっと黙って見守っていた樹が俺に歩み寄ってきた。
「本当にどうしようもなく困ったら信用に足る人物に頼れ。絶対に二人で抱え込むな」
有翼人計画について樹は知らない筈だ。
計画に巻き込まない為にレイチェルの存在に気づかれぬよう最善の注意を払った。
だから樹にも知られるわけにはいかなかった。
これを機に二人がアルフィードの地を離れてくれるのはむしろ好都合かもしれない。そんな考えすらあったのに、まるで樹の鋭い眼には全て見透かされているような気がしてしまう。
賢い樹ならばこの場に旭が居合わせないことを不審に思っただろう。
「…分かった」
変に緊張してしまい、息を飲んでから答えると樹は一度だけ俺の頭にそっと手を置いた。成人男性の手は大きいな、とぼんやり思いつつも自身の強張りが解けていくのも感じた。
手が離れ、改めて樹の顔を見れば随分と柔らかく微笑んでいた。
普段あまり表情を変えない樹も笑ってくれるのか。それも俺に対して。
正直、俺は樹から良い印象を持たれていると思っていなかった。こんな俺でも彼なりに気を掛けてくれていたのかと思うと嬉しいながらも胸が痛んだ。
俺はそんな相手を裏切るような行為をしている。樹からだって一生恨まれても仕方ないのに。
レイチェルと樹を乗せた船はゆっくりと海原へ出発して行った。
二人と。いや、三人の家族に幸福な未来が訪れますよう。柄にもなくそんなことを祈った。
「悪い、起こしたか?」
なるべく音を立てないよう旭の休む部屋に入ったつもりだったが、彼女は静かに目を開けた。
「ううん、もともと横になってただけだから」
「…そうか」
ベッド脇にある椅子へと腰かける。すっかりそこが最近の俺の定位置となりつつある。
「二人とも無事に発った」
「そっか…よかった」
呼吸が辛そうだったが旭はふっと微笑む。
旭にとっては大切な友人が二人も遠くへ行くのは寂しいだろう。
短い時間ながらもレイチェルとも随分親しくなったようだった。
寂しい反面羨ましいはずだ。彼女は逃げ出すことを許されていないのだから。
以前、樹に初めて隠し事をしたと力なく笑っていた旭の顔が忘れられない。
「…逃げ出すか?」
俺の提案に旭は目を丸く見開いて驚いたが、首を横に振る。
「全部投げ出して、自由になったっていいんだ」
「できないよ」
俺に旭を守り切るだけの力もないのに口にしてしまった。旭にはもっと心から笑っていてほしい。
何者にも縛られず自由に生きる。最も自分が欲していた未来を初めて他者に歩んでもらいたいと思ったんだ。
傍に居てくれなど贅沢は言わない。こんな暗い地下ではなく、俺には目が眩むような青空の下で太陽みたいに笑っていてくれればそれでいい。
現実味の無い、これはただの理想だ。無力な自分に腹が立つ。
「…ごめん」
「どうして千彰君が謝るの?」
W3Aなど完成させなければよかったのか。
最高司令官の依頼など受けなければよかったのか。
御影の屋敷を出たいと行動に移さなければよかったのか。
己の虚弱に身を任せ息絶えればよかったのか。
そうすれば、彼女は今も笑えていたのだろうか。
たらればの話など意味がなく答えのない思考だというのに。
俺は"もしも"を考えずにはいられなかった。
俯き、旭の顔を見れずにいると俺の頬に細い指が触れてきた。
「今まで大変なこといっぱいあったけど、嫌な気持ちだけじゃなかったよ。千彰君に会えたもん」
どうして笑えるんだよ。
旭の手を震える手で掴んだ。手も身長だって俺のほうが大きくなったのに。旭は俺よりもずっと強い。
俺は何度旭の笑顔に救われただろうか。何も救えない自分は惨めで堪らなかった。
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