孤独な少年のアイした記憶-3

  外に居るだけで汗が滴り落ちる茹だるように暑苦しい夏。

 とうとう旭でも俺達の開発した機具と魔石の力を借りれば無から小さな火の玉が呼び起こせた。人間でも魔法が使えると立証できてしまった。

 機具は魔石よりも強度が格段に劣り壊れやすい。魔法の威力もエルフから言わせれば子供騙しに等しいもの。

 それに魔法を自由自在に操る為のコントロール技術、さらに飛行鎧といかに組み合わせるのが最善か。実用化するには問題がまだまだ多い。

 しかし人間でも魔法が使える事実は有翼人計画にとって大きな足掛かりとなるだろう。


  工藤は続けざまに飛行鎧に搭乗した状態で魔法を使う実験も行ったが飛行と魔法は両立できず、そちらは見事に失敗。

 試さずとも予測できた結果だけに俺はいつもながら頭を抱えた。

 彼は成果を求めすぎている。焦っても仕方のない計画だというのに。

  それでも実験の躍進に興奮した工藤博士は有翼人計画の成功の見通しを組み立てるべくまた自室へと籠った。きっとすぐにでも結果の報告をしたいのだろう。しかしただ一段階の実験が成功しただけでは大人は納得しない。

 彼もそれは理解しているからか飛び跳ねてすぐ電話とまではいかない。

  しかし彼にはもう目の前の大切なものが見えていない。

 自己承認欲求の塊となった彼には疲弊しきる旭など目に入っていないようだ。

 負荷の掛かる実験にフルフェイスを取り外したものの抱える力もないのか地べたに落としてしまっている。呼吸は整わず、立つ事も辛いのか膝から崩れ落ちた。

「旭、大丈夫か!?」

 急いで駆け寄り声を掛けると予想外の言葉が投げかけられる。

「あなた、誰?」

 呆けた顔をして俺を見つめていた旭は数秒後、意識を取り戻したかのように目を見開く。

「ごめん、私何言ってるんだろうね。疲れてるのかな」

  乾いた声で笑う旭。先ほどの問いは嘘にも冗談にも聞こえなかった。

 何事もなかったように伸びをして誤魔化している。

 実験室を後にしようとする旭の腕を掴む。


「お前、記憶障害が出てるんじゃないのか」

 俺の言葉に旭はピタリと固まった、図星か。それにあのとぼけ方。初めてではないな。

「何で今まで言わなかった」

  背を向けたまま黙り込んでいた旭だったが、俺も観念するつもりはないと察したのか振り返らずに話し始めた。

「…たまにだよ。たまに物忘れみたいにちょっと前のことが思い出せなくなるの。いやだなー私も歳かなーなんて気にしないようにしてた。でもね、気づいちゃった。それは決まって実験をした後だって。それでもきっかけや話したりさえすれば思い出せた。だから私さえちゃんとしてれば大丈夫だって」

  またそうやって一人で強がる。どうして旭は辛さを話そうとしないんだ。

 そんなに俺は頼りないか。掴んでいた腕を放してしまう。

「前回の実験の後。二人で晃ちゃんや旺史郎くん達の話をしたでしょう?あの時にね、弟と友達の話だー元気にしてるかなーってそういう気持ちは自然と芽生えるのにね…顔が思い出せないの。私の弟はどんな姿だった?私より大きくなったのはいつ?どんな声をしていた?髪の毛は何色?思い出そうとしても靄みたいにぼやけるの。私の家族、たった一人の弟なのに。気が付いたら旺史郎くんも美奈子ちゃんもレイチェルも…いっちゃんの姿すら分からなかった。大切な人だって認識はたしかにあるのに、どうやっても姿を思い出せないの」

  震えて悲しむ背中はか細く小さい。触れたら壊れてしまいそうだ。

 有翼人計画はとうとう肉体だけではなく彼女の心すら脆くさせた。

 工藤博士でも榊でも最高司令官でもない。俺のせいだ、俺に力がないからだ。


「その時に初めて怖くなった。もしかしてこのまま実験を続けたら何も分からなくなってしまうのかなって。ううん、もしかしたらじゃない。だって今…愛してる人が誰かさえ忘れていた」

 目の前の一人さえ満足に幸せにできない非力な男を未だに愛してると言うのか。 

「嫌だ。どんなに苦しくても辛くても私は忘れたくない。私は私でありたいよ!」

  くしゃくしゃの顔で泣く旭の姿に彼女の笑顔が思い出になりつつある事実が突き刺さる。

  俺がしてやれることなど多くはない。どうしてもっと早くに決断できなかったのだろうか。本当に俺という人間はどうしようもないやつだ。


「旭、逃げよう」


  耐えられない、もう限界だ。身体よりも先に精神が崩されてしまう。

 彼女だけではなく、先に俺が狂いそうだった。

  己ではなく他者のことで千切れそうなほどに胸が痛む。

 辛さを代われてやれればいい。そんな自己犠牲の念に駆られる。

 知識を貪る以外に関心がなかった過去の自分が嘘のようだ。

 何故人はこんなにも辛さを抱えられてしまうのだろう。 


  感情とは重く残酷だ。

 旭が与えてくれた感情は甘美で罪深い。

 人は知ってしまった想いを忘れられやしない。

 俺はもう以前のように機械みたいに生きられない。

 深い愛情は、どんな辛苦に襲われようとも決して手放せない。

 簡単に自分よりも相手を優先できてしまう。

 尊く、推し量れない。少なくても俺はそう結論づけてしまえた。

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