孤独な少年のアイした記憶-1


  季節はまた巡り、アルフィードで新しい春を迎えた。

 旺史郎達は2年生になり、上級生ということもあり活躍が目覚ましくなる。

 ネットなどの情報越しに彼らの名前を見る機会が増えた。

  旺史郎は開発している武具で、武家の南条の名に新たな力添えをしていた。

 理事長の愛娘である美奈子は医学の研究論文や生徒会長として模範生たる姿を示した。

 晃司にいたっては生徒でありながら普及したてのW3Aの飛行技術が軍人を含めトップクラスと聞く。

 己の得意分野で彼らは大人顔負けの実力を示していた。

 三人とも早くも卒業後の活躍に期待を寄せられることになる。

 自由が制限された生活を強いられている旭も弟達の話を聞くのが随分と嬉しそうだった。

  旭は地下研究室での軟禁生活が始まってから欲求を口にしなくなった。

 それどころか笑うことも減った。旭は自分の幸せを求めなくなってしまったのか。

 こんな生活で感情が擦り減るのは理解が出来る。しかし旭が笑っていないのは何だか落ち着かない。


  旭を使った人体実験を一通り終えると工藤博士はブツブツと呟きながら自室兼個人の研究室へと入っていた。工藤博士は持論を整理する際の独り言が増え、自室に入るとしばらく一人で籠りきりになる。

  肉体への負担も以前に比べて増した旭は疲れた様子で実験スペースの壁にもたれ掛かるように座り込んだ。

 昔は実験後は脳を酷使するからとよく甘い物を強請る声を上げていたが、今では空元気の言葉すら出ない。精一杯口角を上げて力ない笑みを作る。

  機体が完成する未来と旭の身体が壊れる未来。どちらが先に来るかと言われれば後者だろう。

 有翼人計画という終わりが見えず、希望のない研究。俺は励ましの言葉など見つけられなかった。

  旭と同じように隣に座り込む。

 今はただこうして傍にいてやることしかできない。実に無力なものだ。


「何か欲しい物とかないのか?」

 我ながら脈絡のない切り出し方に旭は露骨に不審がっている。

「急にどうしたの?」

「べつに…」

「言ってくれなきゃわかんないー!」

  俺の両頬を餅を伸ばすみたいに引っ張る旭を乱暴に振り払う。

 まったく、こいつはすぐ力で物言おうとする。

「お前が笑わないから!…調子が狂うんだよ」

「心配してくれるんだ。嬉しい」

「していない」

  ヘラヘラ笑う旭に、少しでも気を掛けた自分が恥ずかしくなる。

 なんだ、笑えるんじゃないか…。

「大丈夫だよ。千彰君が居るもの」

「俺が居ても仕方ないだろ」

  事実。俺が居た事によって旭が幸福だった例はないだろう。不幸は随分ともたらしたように思う。

 悔しいが工藤博士や最高司令官から旭を完全に守れる力は俺にはない。

 ならば少しでも気が紛れるように何か与えてやれば笑うかと思ったが、浅はかな考えだったな。

 どんな機械の構造よりも人間の感情の仕組みのほうが途方もなく難しく思えた。


「…あ!欲しい物、あるよ!」

  考え込んだ旭が手を叩き名案だと言わんばかりに笑顔を見せた。どうせ食べ物だろう。

 こいつの体内には科学では解明できないほどに食物を入れる空間が存在する。

 成人男性の食事二日分はゆうに超える量を全て美味しそうに1食として完食するのだから食べられる料理も本望か。

「指輪」

「そうか」

 食いしん坊から珍しく女らしい物を要求されて、俺はこいつが女であることを忘れていたことに気づく。

「…私の欲しい物は食べ物だと思ってたでしょ…?」

「否定はしない」

「もう!」

  それなりの時間を共に過ごしているが、頬を膨らませる彼女はやはり年上のそれも大人には見えない。女として認識していなかったなど言えば余計に怒りを買いそうだったので心に留めておく。

「それにしても何で指輪なんだ?」

  身なりを着飾りたいならば、もっと目に見て分かりやすい装飾品、または化粧品や洋服を欲しがればいいものを。指輪なんてちっぽけな物が欲しいのだろうか。

「やっぱり千彰君は頭いいけどお馬鹿だよね」

  何故問いかけただけで馬鹿にされなくてはならない。

 時々旭は俺に呆れてそう言うが毎度不服だ。俺は間違った発言をしていないのに。

「どこがどう馬鹿か説明しろ」

「子供なところ」

「明確な言葉を使って解説しろ」 

「簡潔だよ。千彰君が子供だから何とも思わないんだ」

  自分よりも幼稚だと思っている相手から子供扱いされることほど心外なことはない。

 旭の態度が無性に腹が立つが子供なことは事実だ。俺はまだ成人していない、それはどうやっても覆ることはない。けれどそれより気に食わないのは旭の言葉の真意を理解できない自分の知能が許せなかった。

  旭の態度、言葉、欲している物を組み合わせれば答えは導き出せるはずなんだ。

 何を見落としている。子供だから理解できないなんて理由で片づけたくない。

 俺は旭の不満を僅かでも減らしてやりたかっただけなのに。

 その俺自身が相手を不快にさせてどうする。


「ごめん、私が悪かったよ。今のは忘れて」

  旭は困った笑みで誤魔化し、今のやり取りを無かった事のように違う話題を始めようとする。俺はまったく納得していないというのに。

「嫌だ」

  口が動くより先に俺は旭を押し倒した。

 散々否定してきた旭の力技手法を自分が使う側になるとは。

 それだけ意地になっているなんて、まだまだ自分が子供であることの証明だ。

 もうそれでも構わなかった。恰好が悪くても、力で強引に他者を捻じ伏せるやり方でも。俺は正しく旭を理解したかった。

「何故指輪が欲しかった。俺が分かるように説明しろ」

  いくら疲弊しているとはいえ、旭は武闘の実力がある軍人だ。

 本当に嫌ならば俺の拘束など簡単に抜け出し、いつもみたいに頬を抓るなり頭を小突くなり出来る。けれど旭は頬を赤らめてそっぽを向いた。

  俺はまた旭を女だという事を失念していた。

 どうにもこいつと相対すると性別の違いや年齢差の概念がなくなる。

 俺の中で年上としての敬意もなければ性別の違いから生じる違和感もない。

 旭は旭だ。それ以上でも以下でもなく、たった一人の大切な存在でしかない。

「私の失言だったから忘れて、ごめん」

「謝るくらいなら言わなければよかっただろ」

「そうだけど…許してくれませんか?」

「目の前に答えがあるのに俺が引き下がると思うか?」

 敬語を使われようが今更俺の気持ちは揺るがない。言葉の真意を聞けるまでは退けない。


「…指輪はどこにするもの?」

「指だろ」

  まさかこの期に及んで問答攻めするのか。

 けれど逃げもだんまりもしないのならば多少は答えを言う気にはなったか。

「じゃあ着ける指の位置で意味があるのは知ってる?」

「男の俺には装飾品の理解がないとでも思ったのか。知識として覚えている」

「なのに、分からない?」

  もごもごと質問を続けていた旭が不満と呆れを含んだ目で俺を見た。

 物理的立ち位置としても優位に居るのは自分だ。

 それなのにこの屈辱的な気分はなんだ。知識の上で馬鹿にされている。

「…俺はお前に指輪の装着位置における意味を言えと言ったか?」

  もはや俺は旭の真意を理解する為ではなく、己が自尊心の為にこの問答を制したくなる。堪らず感情任せに腕力でものを訴えたくなったがぐっと止める。それは俺が嫌いなやり方だ。なんとしても口でこいつに答えを言わす。

 どのような手段を使うか考えていたところで旭は左手を見せつけるように俺に向ける。

「薬指にする指輪を千彰君から贈って欲しかったの!」

  観念したかのように旭は一息で言い切った。回りくどい言い方に思考が遅れる。

 もちろん指輪を左手の薬指に着ける意味は理解している。それを贈る意味も。

 けれどそれを旭が俺に望むとは露とも思っていなかった。


「……だから言ったでしょ、忘れてって。そうだ!私ね、久しぶりにフィードレ食べた――」

「勝手に話題を変えるな」

「だって、千彰君困ってる」

 いつも真っすぐに相手を見る旭が両手で表情を覆い隠す。

「困っていない」

「嘘つき」

 受け答えが早口なのに俺を見はしない。余裕が無い証拠だ。

「嘘などついていない」

「いいよ、無理しなくて」

「無理してるのは旭だろ」

「だって!千彰君が私は笑ってるほうがいいって言った!」

 まさかそれを律儀に守る為に無理してでも笑っているのか。だとしたら馬鹿はどちらだ。

「たしかに言ったが…自分の感情を無視してまで笑ってほしいとは思わない」

  表情を隠す手を強引に退かすと耳まで真っ赤に染まった顔に、今にも溢れ出しそうな涙を含んだ潤む瞳、理性を保とうと堪えて唇を噛む旭が見えた。

 掴んだ手を出来るだけ優しく引き、抱き寄せる。

「笑いたければ笑えばいいし、怒りたければ怒ればいい。泣きたければ泣いていいんだ。俺の前でまで無理するな」

  頭をそっと撫でてやると旭は俺の肩に顔を埋めて声を我慢しつつもようやく涙を流した。 

 どんな苦しい実験も耐え抜き、秘密を隠し通すべく友に弱音を吐けない。

 満足な自由もなければ、人としての希望ある未来も目指せない。

 そんな中でも常に笑い続けた旭。本当は現状に憤り、嘆いていただろうに。

 もっと早くに吐き出させてやるべきだった。笑い続ける彼女の強さと優しさに甘えてしまった。

  無力な俺が傍に居ることを望んでくれる旭に俺は応えたい。

 旭が心から笑っていられるように。


「本当に、俺でいいのか?…その、子供相手だぞ」 

「千彰君がいいんだよ。幸せも辛さも傍に居てあなたと分かち合っていきたい」

  涙を零しながら笑う旭を初めて綺麗だと思った。

 俺もどんな状況だろうと共にするなら旭がいい。

 答える代わりに抱き締める腕に少し力を込める。

「千彰君こそいいの?」

「なにがだ?」

「私9歳も上だよ?おばさんだよ?」

「その差を感じたことはないから気にならない」

「うっ、複雑ぅ」

「そういうところが幼稚っぽいんだよ、旭は」

「すみませんねー、大人らしくなくて」

「構わない。俺は嫌いじゃない」

「私も、千彰君の背伸びして頑張って大人ぶってるところ嫌いじゃないよ」

  俺達は初めて同じ距離感で笑い合えた気がした。

 違う。いつだって旭は俺と同じ高さに居てくれた。

 子供だからと見下さず、嫌悪の対象である筈の俺すらもきちんと理解しようと寄り添ってくれた。

  ずっと隣に居てくれたのに。

 俺は誰一人自分を分かってくれる人など居ないと決めつけて生きていた。

 人は上辺でしか感情を理解できない。真に気持ちを分かち合えるなど不可能だと。

 けれどそんなことはない。

 きちんと互いが歩み寄れれば心は通い合える。

 こんなにも満たされた気持ちを分かち合えると知ってしまったから。

「…ちゃんと贈るから。待っててくれ」

「うん…楽しみにしてるね」

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