未熟な少年の記憶-4
研究物資だと言い張り、大きな箱にレイチェルを詰めアルフィードの検問を通過し、人間のふりをさせてここまで連れて来た。
それは良いのだが、問題はここからだ。誰がレイチェルを匿うかだ。
地下研究室は隠すにはうってつけだが、何しろ今は有翼人計画などという物騒な研究をしている。
そんな所にエルフを連れて行けば格好の実験体だ。絶対に駄目だ。
美奈子も父である榊から隠し通す自信はないと言って真っ先に拒否した。
学生で寮生活を送る晃司や旺史郎達にレイチェルを匿う場所の余裕はない。
問題ごとに発展しかねない事案に2年生二人は俺達の行動に見て見ぬふりをすることに決め込んだようだ。
「私は一人でも平気よ」
そんな俺達の様子に一人で生きて行けると言い張る彼女だが、人間の生活に関する知恵が皆無なレイチェルは子供よりも厄介で、既に素っ頓狂な行動を道中に何回もしてきた。
彼女には悪いが、一人にしておけば必ず悪用する大人に利用されるかエルフだとすぐに素性がバレるだろう。
残念だが、今の人間社会の中にエルフが生きていく環境は整っていない。
エルフだと知られれば稀有な目で見られる。人間として過ごすのが一番だろう。
困った俺達は頼れる大人にレイチェルを託そうという話になった。
話し合った結果、辿り着いた人物は目の前で眉間に皺を寄せ、椅子に腰かけた状態で俺達を見下ろす月舘樹だ。
「生活していく知恵がつくまででいい、レイチェルを住まわせてやってくれないか」
事情を包み隠さず話し、晃司、レイチェルと並んで床に膝をつけて樹に頼み込む。
ため息をつくと腕組をしていた樹は机にあったマグカップを手に取り口をつけた。
突然来訪し厄介事を頼んでいる。不機嫌になるのは最もだ。
「いきなり家に来たかと思えば…無理だ、他を当たれ」
「何でだよ!お前を信用して全部話したのに」
「こいつの素性を言いふらしたりはしない、安心しろ」
「そうじゃなくてだな!ちょっと助けてくれてもいいだろ!」
「俺にも仕事がある。ずっとこいつの面倒は見れないし、勝手な行動を取られても責任を負えない」
「いいよ、晃司。あまりこの人を困らせてはいけないわ」
「心が狭え奴だな。姉貴が優しいとか言ってたのは別人か?」
「他者の評価を真に受けるな。少しは考えろ、こいつはおもちゃやペットじゃない。それに初対面の女の面倒を見てやるほど俺はお人好しじゃない」
「あ?女だと何が問題なんだよ。お前奥さんも彼女も居ないだろ。げ、まさか女より男が趣味なのか?」
間髪入れず樹は晃司の頭を重量のある資料ファイルで攻撃した。
さすが樹、親友の弟だろうが容赦はしない。
「相手を配慮しろと言ってるんだ。見知らぬ男の家に押し付けられる彼女の気持ちを考えろ」
「私は大丈夫ですよ」
レイチェルは迷いもせずに言いのけた。
「お前は人の話を聞いていたか?」
「だってあなたは優しいですから」
「はあ?どこがだよ、こんな暴力野郎止めとけ」
最初は晃司も樹で納得したくせに、失言をして殴られただけで意見を簡単に変えるな。
「きちんと考えたうえで私を住まわせないと言ってくれましたし、私の身を案じてくれました。この人は優しいです」
「誤解だ。そもそも俺は女が嫌いだ」
「やっぱり男…」と茶々を入れ出した晃司を黙らせるべく樹はすかさず二度目のファイル攻撃をお見舞いした。
懲りないのか、頭が回っていないのか。晃司の頭が頑丈なのがせめてもの救いか。
「女が嫌いな理由は騒々しいからだ。男だろうが騒がしければ嫌いだが、どうにも女にはお喋りな奴が多い傾向にある、だから嫌なんだ。仮にお前がここに住もうが決して客人としては迎え入れない。自分の世話は自分でしろ。すぐ泣き言を言う奴は鬱陶しいし、甘やかす気もない。お前は相当な世間知らずと見た、しばらくは一人での外出は禁止だ。必ず誰かに同行してもらって外に出ろ。これらが守れないなら無理だ。諦めて他を探せ」
樹は畳みかけるように厳しい条件を突きつけた。
大抵の女性なら引くか怒るだろう。初対面の人間にそこまで言われなくてはならない筋合いはない。
ところがレイチェルは気を引き締めて深々と頭を下げた。
「よろしくお願いします」
晃司は驚いていたが、俺としては安堵した。
樹にならば安心してレイチェルを任せられるし、レイチェルの明るい性格ならば樹とでも上手く生活していけると思えたからだ。
それからの二人の生活というものは、とにかく大変だったと樹は言っていた。
樹はまず様々な場面で魔法に頼ろうとするレイチェルに日常生活における魔法を禁じた。魔法を使い歌いながら家事をする彼女はとても楽しそうだったそうだが、それがどこでも通じるかとなると話は別だからだ。
ところが魔法を禁じた途端、彼女の不器用さが際立った。
慣れない道具や手順に何をするにも失敗を繰り返し、地道な作業の多さに「人間って大変ね」と零した。しかしそんな愚痴もすぐに「人間はすごいわ!魔法が使えない分、便利に効率的になるよう考え工夫して生活しているのね!」と尊敬の念に変わるあたりがレイチェルの良さである。
人間の常識を教える。ではなく、樹による調教に近い猛特訓をレイチェルは持ち前の明るさで乗り越えていく。
言葉が厳しい樹にへこたれるのではないかと心配もしたがレイチェルはいつ会っても笑顔で「樹との生活はいっぱい勉強ができて楽しい」と答えた。
ひと月も経てばレイチェルは魔法を使わずとも自分で身の回りの世話は勿論、樹の役に立てるようにと立ち回れるまでになったそうだ。
そんな二人の微笑ましい共同生活の様子を聞いたり、学園生活を謳歌する旺史郎達の話を聞けることが楽しいと思える。こんな時間がずっと続いていけばいいのにと。
けれど有翼人計画もまた進んで行く。
寒さが身に沁みる冬。俺はひとつの理論に辿り着いてしまった。
人間が魔法を使う方法。
あくまでただの推論だ。実際に試してみなければ実現できるかは分からない。
エルフのように自由自在に使えるとまでは言えない。
けれど一回でも、もしも使えてしまえたら。
飛行鎧と合わせた研究を重ねれば―――人工的な有翼人は本当に産まれてしまう。
いっそ気づかなければよかった。
それでも試さずにはいられないのが研究者の性なのか。
粉雪が舞う夜空の下、俺は人目を盗んで地下研究施設を出る。
誰にも見つからないように魔石の欠片を手にし、自分が考えた論に基いて魔法を唱えてみる。
魔法は自然のエネルギーを借りるもの、決して無からは生まれない。
自然の
その為、魔法を使う際は周囲の自然エネルギーもだが詠唱者の
頭では明確な
だけど現実は俺の願望よりも積み上げてきた理論が上回った。
凍える空気の中、木材も電気もガスも使わずに。
掌の上で生まれた炎は熱を持って揺らめいた。
人間の俺にも魔法が使えてしまった。
自分の推論が間違っていなかった研究者としての喜びと脅威の兵器を生み出せる確かな可能性を見出してしまった恐ろしさで手が震えていた。己の頭脳を呪ったのは今日が初めてだった。
いつか工藤博士も気づいてしまうだろう。それを遠ざけていくしかない。
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