孤独な博士の記憶

孤独な博士の記憶ー1


  俺は生まれた時から身体が弱く暗殺一家である御影の家では厄介者扱いだった。

 本邸の屋敷から少し離れた別邸で隔離され他人の手で育ち、両親と顔を合わせる事など年に一度あるかないかだ。

 それだけで自分は両親には愛されておらず、この家に必要の無い人間なのだと理解するには充分だった。


  3歳までは若い乳母と執事に交代で育てられたが、感情をほとんど出さない俺を気味悪がり、とうとう俺の世話をするのは年老いた執事ただ一人となった。

 別邸から外には一歩も出ることを許されていない俺に執事が気を利かせて持って来る子供騙しの玩具や絵本を面白げも無く少し見るがすぐに厭き、次第に目もくれず、ベッドに横になりながら窓の外ばかりを眺めていた。

  俺は何故生きているのだろうか。外に出ればその答えが見つかるだろうか。

 子供ながらにそんな疑問を永延と考えていた。


  ある日、愛想の無い俺にめげず、何なら喜んでくれるだろうと試行錯誤した執事は文字の読み書きを学べる書物を持ってきた。

 どうやら執事は3歳になっても一度も見せない俺の笑顔が見たかったらしく、楽しくなるような極めて子供らしい物しか与えなかった。

 苦肉の策で出したのが将来為になるであろう勉強道具だったそうだ。

 しかし俺は己の力で黙々と進められる勉強に興味を惹かれ、蓄えられていく知識に魅了される。

 与えられた書物を一日で全て終わらせた俺に執事は驚きつつも毎日数冊、様々な分野の書物を持ってきてくれるようになる。

 自ら執事に「もっとたくさん。それに難しい物が欲しい」と強請った。

 俺自身から話しかけた最初の一言がそれだったと執事は嬉しそうによく言ってきたものだ。


  日が経つにつれて部屋には問題集だけではなく辞典や専門書が溢れた。

 とうとう執事は大きな本棚まで用意し、すっかり部屋は小さな図書館のようになった。

 その頃には俺は6歳の誕生日を迎え、高校卒業レベルの問題を理解し解けるとこまで達していた。

「坊ちゃま、お誕生日プレゼントでございます」

  執事がそっと机に置いた大きめの包装を解くとそこには見慣れない機械が入っていた。

 畳まれている上部を開くと正面には画面、下部には多くの文字や数字のボタンが並んでいる。

「…パソコン?」

「はい。これで好きなだけ勉強ができます」

  当時のパソコンは高価な物だが貴族が手にするには苦ではない代物であった。

 しかし両親が俺に何かを買い与えた事など今まで一度たりともない。

 今まで俺に与えた物全てが執事の自腹であると考えるならば、そこにパソコンは相当な出費だったに違いない。

  どうして御影家としての価値の無い俺に尽くしてくれるのか。

 不思議にも思ったが、この時は自分の未知の世界が開け、より多くの知識を得られる喜びに夢中だった。

 正直誕生日になど興味を持った事は一度もなかったのだが、この時だけは誕生日に感謝した。

「松山、ありがとう」

  執事の細められた穏やかな目にうっすらと涙が浮かんでいた。

 次々と問題を解いていく俺に何度執事が褒めようとも俺は貪欲に問題ばかりを求めた。

 これが勉強以外に一向に欲を見せない俺が初めて笑い、感謝を告げた瞬間だった。


  文明の利器を手にした俺の勉学はより一層捗り、別邸の外に広がる世界についてもある程度理解した。

 とうとう俺は知った物を直に触れてみたい。屋敷の外に出てみたい。その欲求が生まれた。

 しかしまともに動かしたことの無い身体ではすぐに限界が生じるだろう。それに両親の許しが下りるとも思えない。

 ならば自分達が見捨てた子供に価値があることを知らしめるしかない。



  俺は8歳の時にひとつの作戦を立て実行した。

 作戦を実行してから4時間後、予想よりも早く父親は俺の部屋へと足を踏み入れた。

 数年ぶりに見る父親は少し顔に皺ができ老けたように見えたが、肉体の方は全く衰えていないようで御影家の名に恥じない筋肉質な物のままだ。

  父親の逞しい体躯と自身の小柄で薄い体を対比する程、本当に自分の親かと疑いたくなるが、目つきの悪さはどうやら父親譲りのようだ。


「お前がやったのか」

  父親の声に懐かしさなど感じず、むしろこんな声だったかと違和感すら覚えた。

 怒りとも嘆きとも取れない、無感動な声音に一瞬どう対応すればいいか迷う。

 唯一顔を合わせる執事とすらあまり会話をしない。けれどここで尻込みしてしまえば弱者としてみなされる。

 この家で弱者は不要な者扱いだ。決して弱味は見せられない。

 力がある事を誇示しなくてはならない。

「何のことだ」

  俺は親に向ける態度ではないな、と内心思いながらも生意気な態度で受け答えた。

 一度たりとも親らしい行動を取らない相手に敬いもないか。

 そう割り切ろうとした時、父親は俺の胸倉を掴み上げ容赦なく壁に打ち付けた。

 初めて味わう激痛で一瞬意識が飛ぶかと思ったが寸での所で保つ。

「とぼけるな。御影のネットワークに入り込みロックを掛けただろう」

  御影には表立ってできない妨害工作や暗殺の依頼が舞い込んでくる。

 父親は国防軍に在籍しながらも影でお偉いさんや貴族からの依頼を高額で請け負う。それが代々続く御影の名を持つ者達の仕事だ。

 依頼内容のデータ管理や依頼の窓口になっている御影独自のネットワークが存在する。

 御影の跡取りとして期待もされず、教育も施されていない俺が知り得ない筈の代物だが、俺はハックの技術も身に着けその存在へ行き着いた。

  そして今日、入念に掛けられていた暗号を解錠、システム管理者権限を駆使しプログラムに少しの細工と新たな鍵を掛けた。

  現実で対等に立ち向かう。それには武器が必要だ。

 俺には肉体的な力は持てない。ならば頭脳で彼らを上回るしかない。


「言え。誰から聞いた」

「誰からも聞いていない。俺一人で解いた」

「お前の様な子供に出来る筈がないだろうが。松山を使ったのか」

「言っただろう。俺が暗号を解いて、脆弱なシステムを強化してやったんだ。感謝してほしいくらいだ」

  殺される。そう錯覚してしまう程に首を締め上げられた。

 苦しい上に呼吸ができず、ここで自分は死んでしまうと思えた。

「殺さないでくださいね、その子にはシステムの解錠をしてもらわなくては」

  新たに部屋に訪れた女性の声で俺は解放され地べたに蹲って咳込んだ。

 薄い意識の中で久方ぶりに見る母は随分と冷たい目で俺を見下ろしていた。

「解錠できないのか」

「ええ、松山も知らないの一点ばり。信じ難いけど、本当にこの子一人でやり遂げたなら命を取り上げるより利用すべきよ」

「目的は何だ」

 再び俺に目を向けた父親は物でも扱うように俺を摘み上げた。

「…ここから俺を出せ。自由にさせろ」

「交渉になっているつもりか?お前の命ひとつ簡単に消せる」

「なら一生システムのロックが解錠できないうえに情報漏えいで信頼を損なえ」

  俺はあと半日以内に操作が行われなければ、顧客や暗殺対象の個人情報を全て流失するようプログラムを組んだ。

 鍵は何重にも掛けてやった、解錠には相当な時間を要する。

 仮に解錠できようとも流失プログラムを止める手立ては俺にしか分からない。

 俺を殺すことは暗殺稼業の死を意味する。

「…いいだろう。お前を本邸に戻し出歩く許可をやる。ただし少しでも反抗してみろ、すぐに殺す」

「充分だ。ネットワークの強化と新しい暗号も用意してやるよ」

  元々家に危害を加えようなどと思っていない。

 跡取りとしての地位が欲しい訳でもなく、俺はただ自由が欲しかっただけだ。




  本邸に戻す。そう言われたものの俺は居住を別邸のまま、気が向いた時に外を出歩き徐々に力を蓄えていった。

 学校に通わずとも小中高の卒業資格を獲得し、俺は10歳で周囲の大人と大差ない権利を得た。

 御影という名は少々うっとおしい物だったが、それでも損害を出さない俺を両親は放置した。

 両親と顔を合わすこともなければ、さして生活パターンも変わらずに過ごしていた。


  ところが12歳になったある日、父親が俺を国防軍最高司令官、鳥羽悠一に紹介した。

 その日から俺の学ぶばかりの日々が変わり始めた。

「軍の管理システムを見て欲しい」最初はそんな軽いお願いだった。

  ただ見るだけでいいなら難しい事など何もない。

 しかし驚いた事にシステム保護が以前の御影のネットワークより劣る出来の悪さだった。

 これでは技術ある者ならば充分にハック可能だろう。

 だが、これが工藤博士という人物がシステムを作り上げたばかりの最新だと言う。

  確かに情報量が膨大ながらも扱いやすく、誰もが使えるよう簡易的にまとめあげたと言えるが、処理に無駄が多く、いつ他国からハックされようと不思議ではない。

 

  俺は思い当たる改善点を簡潔に述べると「ならば君が考える最善のシステムに組み替えてはくれないかい?」と頼まれた。

 耳を疑った。こんな子供に軍の重要な機能を依頼するのも信じ難かったが、何より俺の言葉を一切疑わず信じている所だ。

  信じてもらうのは結構だが、にこやかな笑みを浮かべる大人を不信に感じずにはいられなかった。

 それでも最新鋭のハイスペックな機械を好きにいじれる機会はそうそうない。

  依頼された通りシステムを少しいじってやると、途端に周囲から「天才」だと騒がれた。

 そこで俺は自身の境遇どころか頭脳も人とはかけ離れている事にようやく気がついた。

 俺にとっては当たり前が世間では凄いに分類されるのか。おかしな話だ。


  世界はもっと自分より秀でた人々で溢れていると思っていた。

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