満たされない心ー4

「昌弥君、あのね――」

  旭が言葉を紡いでいる途中に入口の扉が開け放たれる。

 反射的に彼女は僕の傍から距離を取った。

 邪魔をされて苛立ちながらも階段の上にある入口を見ると知った顔が立っていた。

「おや、お取込み中だったかな」

「連絡もノックも無しにやって来るなんて随分と無礼ですね、榊さん」

「そんなに怒らないでくれよ。大体、連絡はしたよ?事前にメールを送ったんだけど、その様子じゃ見てすらいないな。あと、お楽しみをするなら鍵は掛ける事をお勧めするよ」


  悪びれもせずに来訪したのはアルフィード学園の理事長、榊総さかきすべる

 彼は理事長と言う肩書を持ってはいるが、催事の挨拶でしかほとんど目にしない。

 あまり生徒の前に姿を現さず、学園にあまり干渉しない放任主義な人だ。

  生徒の自主性を重んじる校風とはいえ今のアルフィードが保てているのは優秀な軍人講師と生徒達の賜物である。この男の手腕では断じてない。

  特別秀でた能力がある訳でもないのだが、貴族の家督に守られ弁が立つのだ。

 亡き父親から学園を引き継ぎ、その後は地位に胡坐をかいて女遊びを楽しみ自由気ままに生きているような男。

 そんな男が有益な情報など皆無のここに何の用があるというのだろうか。


「何の御用件ですか?」

「つれないな。せっかくの久々の再会なのに」

「用件は?」

 僕が語気を強めて言うと榊は肩をすくめてから、階段の上から辺りを見回した。

「いやー工藤君。君、最近開発サボってるでしょ?せっかくの鎧ちゃんが埃被ってるじゃない。こりゃ引き継ぐのはデータだけでいいかな」

「…どういう意味ですか?」

 最後の引き継ぐという言葉が引っかかり眉を顰めた。

「そのままの意味さ。君はおしまい」

「開発中止という事ですか?」

  成果が出せていないどころか開発の手が止まってすらいる。当然の流れではある。

 しかし、一度は志したのだ。絶対不可能だという結論に至らない限り、開発は続けたい。

  だが、私財で開発をしていない以上、気持ちだけではどうにもならない。受け入れるしかない。


「残念、開発は続行さ。ただ、続けるのは君じゃない」

  すると榊の後ろから現れた人物は階段を機械的に降りてくる。

 彼の階段を下りる足音ひとつひとつが死へのカウントダウンにも聞こえた。

  よりにもよって一番見たくない、あの黒い瞳が僕を捉えた。

 初めて会ったあの日の屈辱が鮮明に蘇って来る。

「飛行鎧の開発を引き継ぐ。データのバックアップを取りたい」

  御影千彰は半年前と変わらぬ無表情で挨拶も無しにいきなりデータを要求してきた。

 そもそも開発とはその人の時間と技術、努力にアイディア、情熱だって詰まっている。そんな大切な物を簡単に渡せるか。

 開発途中とはいえ僕のここまでの過程や気持ちなどどうでもいいのか。

「誰がお前に渡すか。この開発は最高司令官に許可も頂いている、僕の意向を無視して引き継げる訳ないだろう」

「こっちもその最高司令官殿に許可を得ているし、今後君に対する支援は一切打ち止め、この場所も立ち退きが決まってるよ」

  すると榊は取り出した一枚の紙切れを落としてきた。

 紙を掴んだ旭は僕に手渡した。

 落とされた指令書には間違いなく榊の言った通りの内容が記されており、最高司令官直筆のサインもある。

「こんなのあんまりです!工藤君が何をしたって言うんですか!?」

 横で指令書を一緒に読んだ旭が声を張り上げて抗議した。

「怒りたい気持ちも分かるけど、生憎決めたのは私じゃなくて最高司令官だ。私は命令に従っているだけ。それと強いて言うなら工藤君は何もしなかったからこうなっちゃったんじゃないのかな?」


  結果を出せなかったのは確かだ。僕の責任である。

 しかし開発から外され今後国から一切の支援が貰えないという事は、もう飛行鎧の開発に携われないどころか新たな開発や研究はほぼ不可能になったという事だ。

  国防軍という巨大な機関があってこそ大規模な計画は立てられるし、実行に移せる。

 一個人の財力などたかが知れているし、国に見放されたとなれば協力してくれる貴族や資産家など居ない。

  僕の開発者としての生命は絶たれたのだ。己の頭脳だけで生きてきた僕にとって絶望に等しい通告だった。これからなど想像が出来やしない。


 頭が真っ白になっていると横で紙の破れる音がした。

「最高司令官に抗議して来る」

 旭は指令書を躊躇いなく破り捨てた。

「駄目だ!そんな事したら君まで立場が危うくなる」

  直ぐにでも飛び出しそうな旭を必死に止める。

 抗議などすれば彼女も僕と同様、軍内での居場所が無くなる。

「そうそう、大人しくしてるのが利口さ。それに旭ちゃんはこの開発を続けるんだから」

「冗談は止してください。私は飛行鎧の開発に関して詳しくないですし、力になれる点はありません」

「謙遜しないでよ。君には多少なりとも飛行鎧を浮かす経験があったはずだ、それを頼りにしている。それに先日の身体能力検査の結果には驚いたねー。反射神経のチェック、常人の枠を飛び越えた数値叩き出したんだって?まるで光そのものだって!最高司令官殿は君の個体に興味あるってさ」

「辞退させていただきます。私は昌弥君が考え、取り組んでいる開発だから協力したんです。彼が居ないのなら協力する意味がありません」

  そうはっきりと言い切った旭に僕は心底救われた気がした。

 やはり彼女はどこまでも僕の味方で居てくれるのだ。


「転勤先アルフィードだろう?新しい開発室もアルフィードにあるんだ、それも特注!なんたって飛行鎧は一部の人間しか知り得ない極秘プロジェクトになった!」

  極秘プロジェクト?公にしないで開発を進めるなど嫌な予感しかしない。

 僕の飛行鎧によからぬ手を加えるに違いない。

「でしたら、私は軍を除隊します」

  迷いなく即答する旭に耳を疑った。

 国防軍は特例を除いて入隊するにはアルフィード学園の卒業資格が必要となる。

 学園に入学する試験すら難しく、無事入隊を果たして2年足らず、それを簡単に手放すなど信じ難い行為だ。

 発言の撤回を促そうとしたのだが、畳みかけるように榊は口を開いた。

「私は止めないけど、知らないよ?旭ちゃんと仲いい子、月舘君だっけ?彼も来月からアルフィードで保険医になるんだってね。協力しなかったり口外しようものなら…分かるよね?もう戻れない所まで来ちゃったんだよ」

  榊の笑みは益々活き活きとなり不気味さが増す。

 笑ってはいるものの圧を掛けて来る。

 貴族間ではよく目にする光景だが、榊のそれは愉快さが滲み出ていて物事を強引に押し切る気は無さそうだ。

 一応は自分が優勢になるよう働きかけてはいるが、最悪どちらに転んでも良いと思っているのだろうか。

 少なくても性格の悪さが良く分かる。普段の旭からは想像が出来ない激怒の視線が榊を射貫く。 

「…それが人のする事ですか」

「こっちもお仕事だからさ。悪く思わないでよ」

 成す術も無く立ち尽くしていると御影千彰は僕のパソコンへと向かい、データ移行をするべく操作を始めた。

「止めてくれ!これは僕がここまで作り上げた大切な開発データなんだ!取り上げないでくれ!」


  僕は幼い頃からどうにも運動が苦手だった。

 学校での人気者や権力を持つ者はどう頑張っても運動が出来る者に偏る。

 運動が出来る。それだけで英雄の様に称えられ、信頼を得る。

  気に食わなかったのはその先だ。

 何を勘違いするのか、そいつらは支配者気取りにでもなり弱者を虐げる。

 貴族の子供達は家を盾に身を護り、弱者は強者に取り入る。

 この風潮が僕には許せなかった。

  だからひたすらに勉強をし頭脳という武器を手に入れた。

 大人に近づくにつれ支配者気取りの暴力に僕は自分の頭脳で太刀打ちし対抗してきた。

  能力ある者達が集まる世界ほど、僕の嫌いな風潮は色濃かった。

 けれど泣き寝入りなど御免だし、偽りの英雄になど負けたくなかった。

  アルフィード学園でも常に上位の成績を維持したし結果も残した。

 僕はこの汚い世界でも立派に戦える。そう思ったのだ。


  だからこそ僕は夢を叶えたかった。

 例え運動が出来なくても力を得られ、金持ちばかりが飛び回る空すらも誰もが自由に飛べる。それこそが僕の飛行鎧の始まりだ。

  地位も名声も財も。上手く周り始めている。そう感じたからこそ開発に取り組み始めた。

 何がいけなかったというんだ。理論上は可能な筈だったのに。どこを間違えた。


  僕の訴えなど聞く耳も持たずに御影千彰はデータ移行の進行状態を無言で見つめていた。

 そして画面上の数値が100%を示し、短い電子音が移行完了を告げた。

 データを保存したメモリーを抜き取り僕に目もくれず立ち去ろうとする御影の腕を強引に掴んだ。


「お前は僕から全てを奪う気か!?」


  そもそもこいつが現れてからだ。僕の不運が始まったのは。

 僕の開発を盗み我が物顔で手を加え、今ではコイツが天才博士だ。

 僕の地位と統制プログラムを奪っておいて更には飛行鎧も旭も奪おうと言うのか。

 ―――こいつさえ居なければ全て上手く行った!!

 ありったけの力を込めて御影の腕を握ると初めて表情を歪めた。どうやらこいつにも痛いという感情はあるようだ。

 ならばどうして優しさや情けという感情を持ち合わせていないのか。

 少しでもあるならば、開発者の気持ちが多少なりとも分かるだろうに。


「勘違いするな。あなたに力が無かっただけの話だ」


  真意だった。権力、武力、知力。ありとあらゆる力が物を言う社会。

 僕は分かっていてこの世界で生きていくと決めた。

 自身が望まぬ展開になるのはそれは無力であるに他ならない。

 御影千彰と言う子供にすら僕は力が劣ったのだ。



  全てを奪われた喪失感。圧倒的な敗北。

 耐えがたい屈辱。抗う術を思い描けない絶望。

 人は力無しでは生きられない。僕の理解が甘かったのだ。

 もっと徹底的に。自分以外を敵と見なして掛かれ。

  僕は御影千彰にこの世の真理を教わった。

 ならばその真理に抗う事無く僕は奴を越えてみせる。

 どんな汚い手を使おうが、どれだけの人を踏みにじろうが。

 欲しいものは全て手にしてやる。

 

 ―――世界は力ある者だけが笑う。


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