満たされない心ー3

  御影千彰との初対面から半年。

 外に出れば嫌でも奴が関与した開発物が目に付く。

 統制プログラムの開発者に僕の名など無かった事のように思える程、軍内での僕の存在は薄くなり、研究室に閉じこもる日々は続いた。

 アルフィード学園を卒業し、鳴り物入りで国防軍に入隊した僕は軍内ではかなりの有名人だった。

 それもすっかり過去の遺物となった。人の心など移ろい易い物だ。

 またすぐに御影千彰から別の人物を祭り上げるに違いない。


  今日も変わらず薄暗い研究室に閉じこもって居ると久々に来訪者が現れた。

「わあ、暗いなー。まだお昼だよ」

  突然やって来た彼女は断り無しにカーテンと窓を開いた。

 たちまち新鮮な空気が入り込み、自分が随分と淀んだ空間に居た事を実感する。

 太陽の光を浴びるのも久しぶりだ。眩しくて数秒目が開けられなかった。

「ほら、一生懸命なのもいいけど、気分転換はしなくちゃね」

  日光に照らされる彼女が神々しく映り、絵画のような笑顔を浮かべる天使にすら見えた。

 いっそこのまま天に召されても良い。そう思えてしまう程には自分の精神は疲弊していた。

「どうにも頭のいい人は一度没頭すると周りが見えなくなるんだよね」

「それは旭にも言えると思うよ」

「ええ!?そう?」

「カッとなると周囲を気にしないよ」

「そ、それは…あるけど。でも私は短い時間だもの。昌弥君やいっちゃんは集中しだすと数時間単位でのめり込むもん」

「僕みたいな開発や研究に従事してる人は大抵そうだよ。月舘がそうとは知らなかったけど」

「いっちゃんは集中モードになるとね、周りを無視するの。一回いたずらしてやろうと思って背後に忍び寄ったんだけど、手を出そうとした瞬間に気づかれて手を掴まれたんだよ!「背中に目でもあるの?」って聞いたら作業の手を止めずに「お前の考えそうなことくらい分かる、邪魔するな」ってクールに言うんだよ。もう、一回くらいあの能面の表情崩したいよね」

「ふふ、そうだね」


  僕は国営科で旭がいっちゃんと呼ぶ、月舘樹は国防科の同級生だ。

 接点があまりないが、彼と同じ国防科である旭は親しくしていたので彼女を通じて何回か顔を合わせた事がある程度だ。

 それでも彼は学園内で成績が良く、整った顔立ちで有名だったのでよく覚えている。

 切れ長の瞳で冷静、キツい言動が目立っていたが女性には大層人気だった。

 男、特に国営科では面白く思わない者も多かったが、彼は口が悪いだけで嫌な奴ではないと僕は思っている。

 旭が心を許している所も大きいが、彼は現実的で見栄を張らない。

 実力を盲信せず、口にすることは必ず実行できる賢い人物だと思うからだ。

 彼女曰く「目つき悪くておっかないし意地悪。でも結構優しいところもあるんだよ」と評価していた。

 女性を一切傍に寄せ付けない月舘だったが、きっと天真爛漫な彼女の性格が彼も気に入っていたのだろう。学生時代は二人が行動を共にしている事が多かった。

 旭の言う通り月舘の表情はいつも同じだ。確かに一度違う表情の彼を見てみたい気持ちは分かる。


  笑い方など忘れてしまった気がしていたのに、自然と笑みが零れた。

 声色を似せようとしたりして面白く話す彼女の変わらぬ対応が僕には堪らなく嬉しかったのだ。

 なんてことのない日常会話。この時が終わらずに続けばいい。

 けれど、それすらも束の間の幸せだった。

 僕の不幸への転落はまだ終わらない。


「あのね。私、転勤が決まったの」

  唐突な旭の報告に僕は言葉が出なかった。

 考えもしなかった。彼女が首都から、僕の近くから居なくなる事など。

  しかし少し冷静に考えれば予測がつく。

 アルフィード卒業後の1、2年は特例以外の新軍人はどの課に配属されても研修期間として大半が首都勤務になる。

 研修期間を終えれば地方に飛ばされる可能性は充分にある。

 勤務地を希望する事も可能だが、それが許されるのは国防軍に在籍して5年以上か余程地位が上の者だ。

 若い者は経験を積まさせる為に転勤はよくある話だ。

  1年前の僕ならば開発の協力者として彼女を首都勤務に留められる発言力があったかもしれない。

 けれど、今の僕が何と説得しようが個人の我儘にしか捉えてもらえないだろう。


  旭が首都から居なくなる。

 頻繁に会っていた訳ではない。それでも心のどこかに彼女が会える距離に居る安心感があった。

 もう彼女が訪れてくれる事も無くなるのかと想像しただけで頭が真っ白になった。

「転勤先アルフィードなんだよね。出戻りみたいで恥ずかしいけど」

  彼女が冗談めかして言うが僕は何一つ反応を返せなかった。

 アルフィードなど、ここエアセリタから片道で半日はかかるではないか。

 働く彼女に気軽に手伝いに来て欲しいと頼める距離ではない。

「ごめん…最後まで昌弥君の開発のお手伝いできなくて」

 嫌だ。彼女が居なくなってしまう事など耐えられない。

「でも、私ずっと応援してるから」

  駄目だ。君無しじゃ完成など不可能だ。

 君が居なければもっと早くにこの計画は終わっていた。

 いや、始まってすらいなかったかもしれない。

「健康にだけは気をつけなきゃ駄目だよ。昌弥君、食べる量少ないからね。ちゃんと睡眠もとるんだよ」

 そうだ。僕を気に掛けてくれる人など君しかいないんだ…もう僕は君無しでは生きられない。


「昌弥君?」

  思わず伸びた手が彼女の手首を掴んでいた。彼女は心配そうに僕の顔を覘き込んできた。

 彼女の瞳に映る僕は痩せこけていて、血の気の失せた顔色をしていた。

 なんて醜い姿なのだろう。これが落ちぶれた男の末路なのか。

  それでも構わない。純粋な彼女の瞳に僕が映っている。

 今は僕だけが彼女の視線を独占している。

 彼女の手首を引き寄せ抱き締める。まるで縋る様だ。

 情けないと思いつつも、形振りを構っている余裕などなかった。

「…でくれ」

「え?」

「どこにも行かないで、僕の傍に居て欲しい」

  格好などつけられなかったが正直な気持ちだ。

 願いに近い僕の告白に彼女は固まったように動かなくなった。

 不摂生な生活を送り続けた上に決して力の強くない僕に対して彼女は男性にも勝る力の持ち主だ。振り払おうと思えば簡単な筈。

  身動きを取らない彼女に期待を抱いてしまう。

 少なからず旭も僕と同じ気持ちを持っているのではないかと。


  沈黙が永遠を刻んでいるかのように長く感じた。

 やがて旭はゆっくりと僕から身体を少し離す。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る