ふたつの軌跡ー2
もしいつか記憶を取り戻せたとしたら。
どこか私は私ではなくなる気がしていた。
だって今の私は私であって"千沙"ではない。
"千沙"が戻れば、過去に知り合ったことのある人に対する感情は今と変わってしまう。
私は素直に"千沙"を受け入れられるだろうか。
ちゃんと"千沙"に戻れるのだろうか。
これだけ慕われている"千沙"だ。私より素敵な人物だったに違いない。
そうしたら、"千沙"が戻れば皆との関係は変わり私は不要になるのだろうか。
だったら、過去なんていらない…そう狡い考えを持つことが何度もあった。
駄目だ。目を背けず自分の過去に責任を持つ。そう決めたんだ。
"千沙"を取り戻すのが昔から"千沙"を支えてくれた人たちにとって一番の恩返しになる。
今の私でも家族だと言ってくれた晃司さんの言葉は本当に嬉しかった。
あなたを忘れ離れて生きていた私でも受け入れてくれた。
『離れても一人じゃない』
そう。いつだって傍で私の挫けそうな心を支えてくれたのはこの魔石のついたペンダントだ。
あの言葉と共に私を励ましてくれた。
ペンダントをくれたのは、"千沙"の初めての友達――。
身体を少しでも休めようと皆が静まり返ってしばらく経つと麻子さんの元に一報が入る。
それは鴻君と三人のエルフの生存報告だった。
ティオールの里ではぐれてしまった鴻君と月舘先輩のお祖母さんの無事は喜ばしく安心した。
しかし飛山君や風祭先輩、ティオールの里のエルフ達に加え他にも多くのエルフがカルツソッドに居ることが分かった。
アルセア大陸西部を破壊した昨夜の赤い光は魔力を源動力にした攻撃。
エルフ達の魔力を利用した魔導兵器なるもので第二撃を撃つべく準備が進んでいるに違いないそうだ。
魔導兵器の使用を防ぐ意味でもエルフ達の救出は不可欠といえる。
帰還したばかりの鴻君が助けを求めているので私達は彼と合流するべく南へと移動した。
待ち合わせ場所には鴻君とエルフの人が既に待っていた。
再会を喜ぶ間もなく、鴻君は頭を下げてきた。
「カルツソッドに残っている人達の救出を手伝ってほしい」
鴻君が得た情報は自身で軍に伝えたと聞いていた。
そうなれば何かしら対策が練られる筈だと思っていたのに、鴻君の言葉は予想外だった。
私達は顔を見合わせて同様に疑問に思った。
「僕は救援を要請したが…全く取り合ってもらえなかったんだ」
「そんな…!」
「国は夜明けとともにカルツソッドに攻め込む。可能であれば捕らわれている人達も救出するが優先順位は低い。脅威である魔導砲の破壊が最優先。人質を取られても構わず切り捨てるそうだ」
信じたくないが、それが軍の下した決定だった。
無理矢理囚われた人達の命は、大勢のアルセア国民の安全の代償とする。
昨晩の砲撃で多くの被害が出た。
これ以上の被害を出さない為とはいえ、生きている人達の命を見放すなんて。私にはとても出来ない。
「僕は約束した、必ず助けに戻ると。このまま彼らを見捨てたりはできない」
鴻君の真剣な表情を初めて見た。彼は本気だ。
心の底から助けたいと思っている。もう入学当初の彼じゃない。
まるで人が変わったかのように同じ立場で向き合ってくれている。
「でしたら私と鈴音が雅貴さんと共にカルツソッドに向かいましょう。千沙さんと月舘先輩は工藤博士の阻止を頼みます」
麻子さんは即座に提案した。
「駄目だよ、敵地に行くなんて危険すぎる!私も一緒に…」
「そうしている間にも旭さんは戦場に駆り出されてしまうでしょう。止めるならこのタイミングが最後です。ふたつ同時には無理でしょう?救出は私達に任せてください」
「だけど!」
「工藤博士の野望を止めるのも大切ですが、旭さんを助け出すのが千沙さんにとって何よりも大切な筈です。あなたのたった一人のお母様なのでしょう…大丈夫です、私達を信じてください」
"千沙"がずっと探し続けていた母親である旭さんが工藤博士の元に居たと言うのは正直驚いているけど、月舘先輩や晃司さんの口ぶりからするに事実なのだろう。
だとするならば研究の阻止も大事だけど、母親の救出も"千沙"にとっては悲願とも言えるだろう。
けれど、それはあくまで私個人の問題で我儘だ。
力を貸して欲しいと言ったのは自分だけど、大切な友人に危険な敵地へ行かせるだけなんて身勝手だ。
それなのに二人は頼もしく笑っている。仲間の有難味はこういう事なのだろう。
心の中で何度も御礼と謝罪をして言葉を絞り出す。
「……分かった。お願いします」
「はい。それでは参りましょうか」
「ああ」
鴻君が目配せすると傍らに立っていた三人のエルフ達は詠唱を始めた。
すると翳した手の先には水面の様な空間が生まれ白い部屋が映っていた。
この先がカルツソッドへと続く、転移魔法だ。
もう空は白んできている。間もなく戦争は始まってしまうんだ。
夜明けが来てほしくないなどと願ってしまう。
「皆さん気を付けて」
私の言葉に頷くと三人は水面の中へと進んで行き、後を追うようにエルフ達の姿も光の粒子となって消えて行った。
本当にこれでよかったんだろうか。
せめて月舘先輩に三人に付いて行ってもらうようお願いするべきだったか。
三人を信頼していない訳ではない。だけど安全を優先するならば人数が多い方がいいに決まっている。
どうしても自分の決断に自信が持てない。
心の弱さは私の欠点だ。分かってはいても悩んでしまう。
「…工藤博士の所に行くのは止めるか」
皆を送り出すと考えもしなかった選択肢を月舘先輩から提示され頭が大きく揺さぶられる。
そんなことは信じてくれた皆に対する裏切りだ。絶対にしてはいけない。
だけどその言葉に心のどこかで安堵している自分が居る。
「本当は怖いんだろ。無理に戦う必要なんてない。博士は俺が止めるし、旭さんも助けてくる。だからお前は遠く安全な場所に避難したって構わない。誰もお前を責めたりしない」
反論するべく力を込めようとして、初めて自分が震えていることに気づく。
戦争や工藤博士のことを聞けば嫌でも2年前の防衛戦での過去が蘇る。
あの時の苦しみや痛みは今でも夢に見る。
私は気づかぬふりをして多くの命を奪ってしまった。
強い力は使い方を誤れば沢山の憎しみや苦しみを生む。
知識が無いことは罪だ。知らなかったでは済まされない。
もう同じ過ちは繰り返さないと決めた。それでも怖い。
私は正しい判断が出来るのか。また罪を犯してしまうのではないか。
意気地なしな自分は博士に会って怯まずに居られるのか。
自信なんてない。私は情けないくらいに未熟だ。
こんな臆病な自分は戦いに向いていない。そんなの悔しいが分かっている。
だけど今ここで逃げ出してしまえば私は永遠に後悔するし自分を許せなくなる。
私は自分を落ち着かせようと大きく息を吐く。
「…大丈夫です。私にも戦わせてください」
海面の遠くに太陽の姿が見えた。
常に輝き続ける太陽のように私はなれない。
誰かを照らせるような力は持ち合わせていない。
だけど、諦めずに立ち向かい続ける勇気が欲しい。
私にも太陽の光みたいな真っすぐさがあればいいのに。
ほんの少しでもいい、どうか力を分けてください。
「分かった。お前は一人じゃない、それだけ忘れるな」
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