再会の約束ー6
天沢家の道場に戻ると道着に着替えることもせず、すぐさま試合を始めるようだった。
もう本当に止められないのだろうか。
こんな形で大事な選択を決めてよいものなのか。
俺には分からなかった。
「構えろ」
竹刀を千沙へと放り投げると晃司さんは既に臨戦態勢だ。
ひとまず竹刀を受け止めたものの千沙は未だに勝負することに戸惑いを隠せないようだった。
「んだよ、竹刀じゃ満足できねえのか?真剣でやるか?」
「し、竹刀でいい!」
真剣でやる。それではいつもの単純な力比べでは済まされない話になる。
大怪我はもちろんだが、二人が本気で闘うとなれば死を伴う可能性がある。
千沙は慌てて竹刀を構えた。
「始め!」
開始直後から晃司さんの強烈な攻撃に千沙は受ける一方で、明らかに本調子の出せない千沙が劣勢になった。
いつもの試合中ですら活き活きと笑う晃司さんの顔からは一切の表情が消え去っていた。
怒りとも違う、強いてあげるなら威圧だ。完膚無きまでに千沙を負かすつもりだ。
晃司さんが攻撃の手を休めると、反動で千沙は尻餅を着く。
「やる気あんのか?それで俺に勝つ気なのかよ!?」
「なんで…なんで晃ちゃんと喧嘩しなきゃいけないの?」
大きな瞳が潤み始める。
彼女が悔しさから涙ぐむ姿を何度か目にした。
その度に涙を零さぬよう懸命に耐えていた。
千沙は感情が高ぶると涙が浮かぶ傾向にある。純粋な彼女は感情に左右されやすい。
納得のいかない試合に泣き出してしまうだろうか。
「お前が今から行こうとしている場所は理不尽が息するみたいに蔓延るような所だ。
これぐらいで泣くようなら諦めろ。肝に銘じな、頼れるのは自分だけだ――誰もお前を守ってやれない。それでも母親に会いたいってんなら俺ぐらい倒せないとお前なんか母親にも会えず泣いて終わりだ!」
晃司さんの言っていることは真実なのかもしれない。
それだけ旭さんの居所が過酷であることを知っているから晃司さんは今まで母親の話を千沙に一切しなかったのだろう。
"誰もお前を守ってやれない"。この一言に晃司さんの気持ちが全て詰まっているように思えた。
けれど今の千沙には晃司さんの言葉は全て辛辣に聞こえてしまうだろう。
「お前言ってたよな。自分が泣き虫だからお母さんは愛想尽かしちゃったんじゃないかって。だからお母さんに頼らなくても平気な位強くなる。もう泣かないって。あれは嘘だったのか?」
「嘘じゃない!!」
「だったら証明してみせろ!お前は母親が居なくなった6年間でどれだけ強くなった!?本当は泣き虫のままなんだろ!?」
晃司さんの挑発に千沙の顔つきが変わる。
勝敗よりも強さの証明に焦点が変わったことで千沙の闘志に火が付いた。
互いの剣撃の激しさが一層増し、俺は本当の意味での真剣な戦いを目にすることになった。
言葉はもういらないのか、二人は無言で剣を交わしていた。
俺が息をするのを忘れていた時、事態が動いた。
千沙の剣撃を竹刀で受け止めた瞬間、晃司さんがよろめいた。
特別強い剣撃でもなく急所に入った訳でもなかった。
不審に思ったのか千沙は思わず攻撃の手を止める。
「どうして…とどめを入れなかった」
「だって、おかしかったから」
「今のは最大の隙だった。そこで動きを止めるなんて俺も嘗められたもんだな」
「違う。晃ちゃん変だよ!今のは晃ちゃんらしくなかった!」
そう、らしくない。その言葉で俺は晃司さんの異変にようやく気付いた。
俺がここに世話になるようになってから二週間が経った頃だろうか、晃司さんは試合中に時々顔をしかめたり、日常で必要以上の力で物を扱い、時には物を掴み損ねたり。
人間誰しも失敗はするものだとあまり気にかけてはいなかったが、良く考えれば晃司さんほど力の扱いに長けた人がする失敗ではなかった。
晃司さんは言葉遣いや振る舞いが粗々しく見えるが、力の使い方に無駄がなく強弱の反動の付け方が上手い人だ。
動きの無駄が少ないから体力は持つし、強弱の付け方次第で戦略性があると俺は尊敬していた。
試合中はもちろんだが、実は料理をしている時にもそれは現れている。
包丁の音は規則正しく、常に音量が一定なのだ。簡単に見えて難しいことである。
崖から俺を引き上げてくれた時も、晃司さんは何故か驚いた顔をしてすぐに取り繕った。
あれも本当は自分の力を上手くコントロールができなかったことに対して驚いたのではないだろうか。
もしかして、晃司さんは――
「…千沙に心配されるほどかよ…今ので決めなかったこと、後悔すんなよ!」
晃司さんの猛攻に千沙は慌てて神経を集中させ受けていく。
剣速の鋭さは増していくが、命中精度が落ちていっているのが俺でも分かった。
そして、今度は僅かな隙を見逃さなかった。
千沙は一際強い一撃を竹刀で受け流すとそのまま自分の竹刀を放り出した。
その不意な行動に一瞬だが晃司さんは動揺した、千沙はその隙に渾身の殴打を晃司さんの腹部に打ち込んだ。
晃司さんなら防御をしつつ受けそうなものだったが、素早い反撃に間に合わなかったのかもろに食らっていた。
静寂の中、千沙の泣きそうな息遣いだけが勝敗を語っていた。
倒れている晃司さんに千沙はゆっくりと近づくが目の前に来ても晃司さんが立ち上がる様子はない。
「…晃ちゃん?」
「……初勝利じゃねぇか。もっと喜べよ」
覇気のない晃司さんの声に千沙の瞳からは涙が滲み出ていた。
「だって、こんなの勝ったって言えないよ…晃ちゃん調子悪いでしょう…?」
「戦いは必ず絶好調の時に出来るとは限らない。それにこれは俺がお前に挑んだ勝負。自分から挑んだ勝負で負けたんだ。調子が悪いで言い逃れする気はねぇよ」
「私、具合が悪い晃ちゃんを置いて行けない」
「泣くな!お前が自分で決めたことだろ。決断したなら迷うな!堂々としろ!」
「…でも」
「いつまでもピーピーうるせえんだよ。泣き虫は卒業したんだろ」
晃司さんに頭を優しく撫でられた千沙は赤ん坊のように泣き始めた。
その姿を見た晃司さんはまるで父親のように柔らかく笑っていた。
二人の勝負を俺の隣でずっと静かに見守っていた美奈子さんが立ち上がった。
「…本当にいいのね?」
「人を麻痺状態にさせといてまで千沙を連れてくつもりだった奴が聞くのかよ」
「そうだけど…」
「俺が姉貴と約束したのは"千沙を幸せにすること"だ。あいつらに利用されるのは俺も姉貴も望まねぇけど…千沙自身がそれを望むなら俺には止められない。勝負にも負けたしな。こいつのことは充分鍛えた、もう大人にもひけを取らない。いや、俺の一番弟子なんだから戦闘技術だけなら軍でもトップクラスだろうよ。ただ子供で戦略が拙ねぇし、おまけに泣き虫だから実戦には向かねぇからな」
「千沙ちゃんを戦場になんて出さないわ…約束する」
「どうだかな、軍人のお偉いさんは当てにならねぇからな」
「ならあなたの同期の友人として約束するわ」
「はっ、お前俺のこと友人と思ってたのかよ」
「そうね、表現が間違っていたわ。憧れていたわよ、ずっとね。…私もあなたのように生きられたらよかった…」
遠くを見つめる美奈子さんの背中は随分と小さく見えた。
どうにもこの人が悪者に見えなかった。けれど正義の味方ではないのだろう。
「―――早く連れてけ。こいつ、いつまでも泣き続けるぞ」
「嫌だ、行かない!晃ちゃんの傍に居る!」
泣き喚く千沙は先ほどの戦いぶりからは想像できない、まさに子供だった。
「ここにきて駄々こねる気か!?」
「だって!私が居なくなったら晃ちゃん一人になっちゃうんだよ!?」
「お前に心配されなくたって俺一人でも平気だ。むしろお守りから解放されて清々するっての!」
「意地悪!」
「いいから行けよ。お前の母親に会ってこい」
「……わかった。けど絶対帰ってくるからね、お母さんと一緒に!」
「…おう、行って来い」
「行って来ます」
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