再会の約束ー5


  次に目を開いた時には青空が広がっていた。

 ぼんやりとする意識の中、昨晩の出来事が頭を殴りつけるように甦る。

  起き上がると隣では穏やかな寝息を立てている千沙が居た。

 千沙が無事なことに一先ず安堵すると鼻をくすぐる匂いにお腹が音を立てて反応した。

「おはよう。よく眠れた?」

 正面の焚火を使って調理をしていたのは俺達を救ってくれた女性だった。

「はい…おはようございます」

 正直寝たという感覚があまりなかったが、どうやら俺はあのまま寝てしまったようだ。

「もう少しでご飯できるから。顔でも洗ってくるといいわ」

  この人はずっと俺達を見ていてくれたのだろうか。

 あなたは誰で、何でこんな場所に居たのか。

 聞きたいことは沢山あったが言われた通り、顔を洗うべく滝へと向かう。

 顔を洗うと次第に意識がはっきりとしてくる。

  そういえば狼に傷つけられたはずなのに痛みをあまり感じない。

 改めて自身を見回せば手当が充分に施されていた。

 動くたびに僅かに痛みを感じるものの、負った怪我には全く見合わない痛みだ。

 いい薬以上にしっかりテーピングされているのだろう。

  女性なのに銃の技術に長けていて、医療の知識も持ち合わせているのだろうか。

 益々あの人は謎だ。


  水面に映る自分はまだまだ貧弱な子供だった。

 見るからにひ弱そうな自分の顔があまり好きではない。

 もっと凛々しく雄々しい顔に憧れる。いっそのことなら厳つい顔でも構わない。

  いやいや。生まれ持った顔に文句をつけるなど両親に対して失礼だ。

 大事なのは中身だ、俺自身が強くなればいいだけの話。

 決意を込めて頬を両手で叩く。

  すると突然、背後から誰かに抱きしめられる。

 物思いに耽っていて人が近づいてきているのに気付かなかった。

「千沙?」

  俺の背中に顔を埋めていて表情は窺えなかったが、間違いなく千沙だった。

 急に抱きつくなんてどうしたというのだ。

「何かあったのか?」

「…起きたら佳祐君が居なかったから」

「顔を洗いに来ただけだ」

「うん…そうだね」

  なんとなく歯切れの悪い千沙の物言いに違和感を感じる。

 寝ぼけて居るわけではなさそうだが。

 未だに離れる気配がないので、この千沙らしからぬ行動をとる要因を必死に考える。

 そして、ひとつだけ思い当たり頭を撫でてやる。

「千沙を一人にしないよ」

「…ありがとう」

  少し恥ずかしかったのか頬を赤らめていたが、嬉しそうに笑うとようやく離れた。

 千沙は自分より年下なんだと初めて思えた。


  二人で元の場所に戻ると食事の準備は済んでいて、女性が通話を切った所だった。

 会話の内容があまりよくなかったのか、ため息をつくと俺達を迎え入れた。

 女性はすぐさま食事をするよう促してきた。

『いただきます』

「二人は食事の時に"いただきます"ってどうして言う?」

  唐突な質問に咄嗟に返答できず、俺達は食べる態勢が急ブレーキを掛けたみたいに止まってしまう。

 幼い頃、食事の前には"いただきます"と言うのが礼儀だと教わった程度で意味など深く考えたことなどなかった。

  それは"いただきます"に限らず挨拶全般に関して言えるだろう。

 そうするものだと思い込んでいるだけで、言葉を使う意味まで常に意識して発言してはいない。

「料理を作ってくれたり、食事を用意してくれた人に感謝を込めて言うのが一般的な解釈かもしれない。でも私は他の意味も考えるの。自分の命は己ひとつで成り立っているわけではない、沢山の命から成り立っているんだと、他の命を戴いていることを忘れないように言葉にするの」

  普段何気なくしていた挨拶が、まるで重要な儀式のように思えてしまう。

 当たり前の事が当たり前では感じなくなる。考え方ひとつで印象は随分と変わる。

「例えば今から食べるこのスープ。スープの中には昨日あなた達を襲った狼の肉が入ってる。狼も同じ一つの命、その命を自分が戴く。その事実から目を逸らさない為に食事の前に挨拶する。そう考えると食事ひとつでも命を尊く感じるでしょう?」

  手に持っていたお椀の中で揺れるスープの意味がガラッと変わり、ずっしりと重みを感じる。スープを見つめ息を飲む。

  命の正確な重さなど分からない。

 でも、今手から伝わる重さは確かだ。決して軽んじてはならない尊いものだ。

 食事とは誰かの明日を戴いて、自らの明日に繋げる行為だ。

『いただきます』

  俺達はもう一度挨拶をする。

 知識で言えばこれは食物連鎖なのだろう。

 けれど気持ちひとつで命の尊さが、有難みがこれほど身に沁みることになるとは。

 当たり前と思えたものが一変した。


『ご馳走様でした』

「二人とも綺麗に食べてくれるのね。作り甲斐があるってこういうことを言うのかな」

 俺達の食事を見守り穏やかだった女性は顔つきを変え、空気が張りつめたものとなる。

「本当はもう少しお互いを知ってから本題に移りたかったのだけど、ごめんなさい。時間がないから私がここに来た用件を手短に話すわね。千沙ちゃん、あなたを迎えに来たの」

「私ですか?」

「ええ。単刀直入に聞くわ、お母さんに会いたくはない?」

「お母さん、お母さんはどこに居るんですか!?」 

 思いもよらない問いに千沙は驚いて立ち上がる。

「ごめんなさい。これは軍事機密で正確な場所は話せないの」

「軍事機密?お母さんは軍にいるの?」

「…本当に何も知らないのね。あなたが私に協力してくれるならお母さんの居場所も教えられるし、会うこともできるわ。ただ話せる保証はないけれど…」

「お母さんに会える…!」

  女性が言い淀んだことに引っ掛かりは感じたが、千沙の念願である母親に会える。

 これはいい話な筈だ。それなのにどこか不安を拭えない。

  なんでこんな大事な話を晃司さんに通さないんだ。

 それに軍事機密って。この人も軍人なのか。   

  俺は咄嗟に千沙と女性の間に割って入っていた。

「嬉しいお話ですが、信憑性に欠けます。命の恩人であるあなたを悪い人には思いたくありませんが、名前も知らない人の話を簡単には信用できません」

「君は賢い子ね。さすがは樹さんの息子と言ったところかしら」

「どうして父さんの名前を」

「佳祐君の父親、月舘樹さん。千沙ちゃんの母親、天沢旭さんは軍人養成学校での私の先輩だからよ」

「学校の先輩ってだけで、子供のことまで知っているのは不自然です」

  それだけで俺達子供まで把握しているのは怪しい。

 父さんが今も軍に在籍していればあり得るかもしれないが、俺が産まれる前には除籍している。

 地元の人間としか会わない父さんの口から後輩の話を聞いたことはない。

  昔はともかく、近年で交流があったとは思えない。

 わざわざ俺達二人のことまで調べ上げたことになる。

「調べるのは大変だったわ。樹さんは若くして軍を離れていたし、旭さんは音もなく居なくなるし。驚いたことに千沙ちゃんに至っては出生届が出されていない」

「出生届って…?」

「戸籍が無い。千沙ちゃん、あなたは国に存在しない人間。ということね」

  アルセア国ではほぼ全ての国民の情報がデータ化して管理されている。

 仮に女性の言う通り千沙の出生届が出されていないとしても出生届や戸籍の情報などはごく限られた人間しか閲覧可能ではない。

 例え軍人であろうと簡単に得られるものではない。

 

  俺達が知らない情報に衝撃を隠せないが、ここで丸め込まれてしまえば相手の思う壺だ。

「あなたの言うことが事実だったとしても、あなたを信用するには足りません」

「そうね…。"WingAutomaticAssistArmar"はこの国の、世界の未来を変えた発明。今、私はその次世代機の開発をしているの。それに旭さんも協力してくれている。だから旭さんと同じ血を引く千沙ちゃんの力も貸して欲しい。その為に私は千沙ちゃんに会いに来たの」

  何か大切な部分が伏せられているのが明らかだ。

 ふたつ返事で答えてはならない、せめて晃司さんの意見が聞きたい。

  晃司さんが千沙の母親、旭さんについて全く何も知らないということはないだろう。

 旭さんに関する情報を意味もなく隠し通してきたとは思えない。

  千沙は明らかに動揺している。彼女一人の判断で決めかねるはずだ。

 けれど震えた唇から発せられたのは意外なものだった。

「全部教えてくれますか?」

「全部?」

「お母さんのこと。お母さんがどうして軍に居るのか。お母さんがどうして家に帰れないのか。私の知りたいこと、全部です」  

 まさか付いて行く気なのか?

「千沙ちゃんが協力してくれるなら話すわ。私が知る限りのことは全て」

  そんなの嘘に決まっている。都合の悪いことは隠すはずだ。

 それでも千沙の母親に会いたい気持ちは強いのか恐る恐る口は次の言葉を紡ごうとする。


「千沙から離れろ!!」

  威勢のいい大きな声が千沙の言葉をかき消す。

 発声源の晃司さんは辛そうに歩を進めていた。 

「相変わらず麻酔の効きが悪い身体ね」

 ため息まじりに女性は呟いた。

「ほざけ!8時間も全身痺れて動けなかったぞ」

「常人なら半日動けなくなる私特製の麻酔よ」

  二人は知り合いだったのか。

 しかし晃司さんは怒りを全面に剥き出している。あまり親しい間柄ではなさそうだ。 

「千沙、大丈夫か?何かされなかったか?」

「私何もされてないよ。そんなことよりお母さんに会えるって!」

「美奈子!てめえ千沙に何吹き込んだ!?」

「吹き込んでないわ。ただ母親に会わせてあげる、そう言っただけよ」

「余計なことしやがって!」

「千沙ちゃんは旭さんの娘なのよ!?母親に会いたくて何が悪いっていうのよ!子供の当然の権利よ!」

「うるせえ!なら姉貴をこっちに帰せよ!」

「…それはできないわ」

 強気だった美奈子さんは途端にばつの悪い顔をした。

「千沙まで道具にする気か」

「道具だなんて。旭さんは進んで協力してくださってるわ」

「相変わらず綺麗な言葉で誤魔化すのが得意だな。脅してるだけだろ!」


 二人の言い合いが続く中、晃司さんの元まで歩み寄った千沙は彼を見据えた。

「晃ちゃんはなんで教えてくれなかったの?」  

「は?」

「お母さんが軍人だって、どうして教えてくれなかったの!?私が子供だから!?」

「お前は何も知らなくていいんだよ。世間知らずの甘ったれた弱いガキは引きこもってろ!」

「私弱くない!もう簡単に泣いたりしないよ!だからちゃんと知りたい、お母さんに会いたいよ!」

「俺に勝てないうちはまだまだ雑魚だよ!お前なんか姉貴に会う前にすぐ泣き寝入りだ!」

「雑魚じゃない!いつまでも晃ちゃんが思ってるほど子供じゃないよ!」

「大人の世界は甘くないんだよ!泣き虫のお前を誰も庇ってやれねえからな!」

「一人でも平気だもん!」

  子供みたいに叫びながら言い合う姿は深刻な話をしているというのに、ただの意地の張り合いに見えてくる。

 落ち着いて話し合ってもらおうと仲裁に入ろうとした矢先。喧嘩は思わぬ方向に転ぶ。

「じゃあお前はこの女に付いて行くって言うんだな?」

「うん」

「だったら俺と勝負しろ。千沙が勝ったら家を出てくなり好き勝手しろ。ただし、俺が勝ったら家から出て行くなんて絶対許さねえ。少なくとも姉貴が帰ってくるまではお前はずっとここに居ろ。いいな?」

  有無を言わさぬ語気の強さに千沙は反論できずに居た。

  晃司さんは本気だ。

 もともと荒っぽい人だが、大概は誇らしげな笑みを浮かべ空気を軽くしてくれる。

 しかし今の晃司さんからは一切の緩さは感じられない。

 毎日の試合の時とも違う、恐怖すら与える緊張感に俺は黙ることしかなできなかった。

  

  この時、俺が晃司さんか千沙を説得できていたら。違う道を模索できていれば。

  二人まで会えなくなるなんてことにはならなかったかもしれない。

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