戻らない時間-4
眠りに就こうと微睡みかけていた意識が静寂の夜を切り裂くような人の叫び声で現実に引き戻される。
何事かと起き上がり窓から身を乗り出して村を見渡せば海岸沿いが真っ赤に燃えていた。
ただの火事にしては異常に炎の勢いが激しく、燃え広がり早い。
僕は慌てて家を飛び出した。
家の玄関側から出れば道の先にいつもなら見える海が炎の壁で全く見えない。
海岸沿いには防波堤と船着き場しかない。それなのにこの火災は強すぎる。
「消防団はどうした!?」
「おい、寝てる奴ら起こせ!」
異変に気付いた住人も続々と家から出てきた。
もしこれが事故や自然発火による火事じゃないなら無暗に出歩くのは危険だ、早く村の外に避難すべきだ。
見る見るうちに火の手は広がり、家々にまで燃え移り始める。
この炎の勢いだと村の設備での消火ではとても間に合わない。
村が炎に飲まれてしまうのも時間の問題だ。
「どうなってやがる…!」
「嘘でしょ…!?」
家族も騒ぎで目を覚ましたのだろう、家の外へと出てきて燃え盛る炎を見て呆然としていた。
「父さんは村の皆に消火を諦めてすぐ避難するよう声を掛けて!海とは反対方面に村から出るように伝えて!姉さん達は母さんと一緒に避難するんだ!急いで!」
「勇太、待ちなさい!勇太!!」
母の制止を無視して僕は一目散に火災の原因を探るべく防波堤に向かって走り出す。
この火事は誰かが故意に起こしたに違いない。
けれどこの何もない村に一体誰がこれほどの悪意を。
胸騒ぎを押し込めつつ、部屋を飛び出す際に掴んできたパレットを走りながら装着する。
武器を使わずに済むのが理想だが、嫌な予感はどんどんと高まる。
一直線に海へと向かうが、途中の民家や通りで誰一人村人に会わない。
燃え広がる一方の火に消火活動を行う人や逃げる人すら見当たらないのは少し不自然だ。
まだ騒ぎになって時間はほとんど経っていないのに。
ここまで燃え広がってしまえばシーツールに火を鎮火しきる機器は無い。
避難し人命を優先するのが最善策かもしれない。
けれど僕の知る限りここの住民は皆、この村を愛している。
たとえ無謀でも簡単に鎮火を諦めるような人達じゃない筈なのに。
ようやく人影を見つけたが、その姿は見慣れぬフードマントに身を包んだ二人組で明らかにシーツールの住民ではない。
立ち止まるとこちらに気付いた二人組は僕に向き直ったが、顔が隠れていて何者かまでは判別がつかなかった。
「ここは危険です、早く避難してください!」
僕の呼びかけに答えず、一人は僕に銃口を向けてきた。
やはり敵なのか。僕はパレットから剣を抜いて構える。
「もう俺達の目的は達成したも同然だ。無暗に命を奪う必要はないだろう」
「しかし、奴は剣を構えている。さっきの人間共と同様、明らかに我々に歯向かう意思がある。それを見逃せと言うのか」
…やはり、向かう途中で人の声ひとつしなかったのは…。
「あなた達…村の人達を襲ったのか…!?」
「煩そうだ。殺ろう」
「待て!」
隣に立つフード男の制止を無視して構えられていた銃口から弾が発射された。
銃弾が真正面から来るなら僕にだって避けられる。
それに鷹取君が撃つ射撃のほうが精度が高い。
「ほう、一般人じゃなさそうだな」
僕が逃げずにその場で弾を避けたからか、二人とも警戒態勢になった。
「あなた達の目的は何ですか?シーツールを燃やしてどうするんですか!?」
目を離したわけではないのに、突然眼前に現れたと錯覚するくらいに早くフードの男が居た。
銃を持っていないフードの男にあっという間に距離を詰められて蹴りかかられる。
咄嗟に前に立てた剣で攻撃を受けたものの、後少しでも遅れていたら僕は顔面を思い切り蹴られていただろう。
衝突した剣と脚から甲高い音が響く。
本来なら脚が切れているはずなのに余程固い装備なのかと思ったが違う。
蹴りを防がれた人は数歩下がり距離を取った。
剣で裂かれた布地からは義足が見えた。
義足であの素早い身のこなし。この人は強い。僕一人で太刀打ちは厳しい。
おまけに相手には銃を持つ人までいる。圧倒的に不利だ。
「この村には戦闘能力のある住民は居ないと聞いていたが間違いか?」
「情報に誤差はつきものだ。のんびりしている時間はない。もはや鎮火は間に合わない撤収しよう」
「こいつ殺したい」
「無駄な時間を使うな、もう逃げられない。焼け死んで終わる」
男の言う通り僕らの周囲は炎に囲まれてしまった。
僕は逃げ道を失った訳だが、それはこの人達も同じはずだ。
どうやって退却するというんだ。
方法は分からないにしろこのまま逃がすわけにはいかない。
「こんなことして逃げられませんよ!目的を白状してください!」
「教えてやる。宣戦布告だ」
「アイン!」
「いいだろう?どうせ死ぬんだ」
宣戦布告!?一体どうして、誰に対してだ。言葉の真意が図れない。
銃を持つ男がアインと呼ばれていた。アルセアでは馴染みのない名前だ。他国の人なのか。
「カルツソッドはアルセアに戦争を仕掛ける。お前は遅かれ早かれ死ぬ運命なんだよ」
カルツソッドはアルセアの南にある国だ。
2年前の防衛戦において攻め込んできた国でもある。
どの国とも交流がなく鎖国状態にあり、当然他の四ヵ国が結んでいる非戦争協定も結んでいない。
2年前に圧倒的な兵力差で敗戦したにも関わらず、再びアルセアに戦争を仕掛けようなんて無謀すぎだ。
正気か疑いたくなる。そもそも戦争なんて愚かな行為を行うことが理解できない。
世界史においてもう500年も前に起きた世界大戦以降、大きな戦争など起きていないのだから。
2年前の侵攻も被害が少なかったゆえに"戦争"という認識が一般国民には欠けているほどだ。
歴史に汚点を点けたくなかったこともあるだろうが、何よりも誰も戦争なんて望んでいないからだ。
それなのに、どうして彼らはまた攻めてくるんだ。
「そんな馬鹿げた事させるわけにはいかない!」
僕一人に何ができるかなんて分からない。それでもこの人達を止めなくては。
剣を構えなおす。二人も臨戦態勢だ。今度はどっちだ…銃か、それとも体術か。
見極めに集中していると僕らの間に空から何かが急降下してきた。
「いい心構えだ少年!気に入ったぞ!」
現れたのはW3Aを纏った人だった。国防軍の人だ!助かった!
「随分と早いな」
「ヒーローは窮地に必ず駆けつけるからな!さあ観念しろ!」
「関係ない、殺すだけだ」
「援軍が来たら厄介だ。俺が時間を稼ぐ、早くゲートを作れ」
「…仕方ないな」
アインは何か呟き始めた。ここからでは炎の音に掻き消され何を発しているかまで聞き取れない。
するとアインの周囲を光の粒子が浮かび始めた。そしてアイン自身も光り始める。
両の手を正面に翳すと人一人くらいの大きさの液状の個体が現れる。
アインの囁きが続くと次に個体はガラスのように輝き始め、どこか違う景色を映し出す。これがゲートなのだろうか。
信じられない、これはまるでお伽噺の一説で見た、"魔法使い"の姿その物じゃないか。
「させるか!」
軍人さんは素早く銃を抜くと即座にアイン目がけて撃ち放った。
しかしそれをもう一人のフードの男は立ちはだかるように割り込み、腕で払いのけた。
弾との衝突音はまたも甲高い。腕も義手なのか!?
義手と義足でここまで動ける人など聞いたことがない。
それも銃弾に躊躇わず突っ込むなんて。それだけ頑丈な作りの義手なのだろうか。
アインが作り出したゲートから薄暗い部屋に大型の機械がいくつも見える、カルツソッドの研究施設か?
そしてアインはゲートに入って行き、姿がこの場から消える。
嘘だろ、空間を移動できるのか!?
「待て!」
もう一人もゲートの中へと逃げ去ろうとしている所を軍人さんは追いかけマントを掴まされる。
腕を掴んだつもりだったのだろう、強く引っ張るとマントが脱げていく。
姿を現した男は僕らと何も変わらない人間だ。しかし、両手両足が作り物。
もはや機械に近い見た目に思わずぞっとしてしまった。
冷たく鋭い瞳は殺意をもって僕らを見ていた。
男が中へと入った瞬間、ゲートは跡形も無く消えてしまう。
彼はマントを身代わりにして逃げ切った。
魔法使いと機械じみた男。
特異とも言える二人の人物相手に僕は全く動けなかった。
カルツソッドとはどんな国なのだろう。
情報がほとんど開示されていない隣国が急に酷く恐ろしく感じた。
僕が動けていれば、どちらか一人でも捕らえられたかもしれないのに。
どうしてこう大事な時に動けないんだ。自分の未熟さが腹立たしい。
「逃がしたか…少年よ、怪我はないか?」
「はい、僕は何とも、ないです」
今更になって呼吸が苦しいことに気づいた。
辺りは炎ばかりで建物の面影など探せなかった。
当然酸素も薄いし、逃げ場もない。自分達が窮地に居ることを再認識する。
「では俺達も脱出するとしよう。このままでは俺達まで焼かれてしまう。さあ、掴まりたまえ」
そうか、飛べばいいのか。両腕を広げる軍人さんに言われた通りしがみつく。
彼は軽々と僕を持ち上げて上空へと飛び上がった。
僕はこの男性の声をどこかで聞いたことある。
W3Aは全身装甲なうえにフルフェイスで一目で素性が分からない。
それでもこの人を見たことがある気がする。もしかしてすごい有名人とかかな。
『涼一、救助は終わったの?』
「当然だ!この駿河涼一様が出向いたのだからな!ただ犯人は逃がしてしまった」
『そう。とにかくすぐ戻って来て。その救助した子にも事情確認したいし、事態がまずいことになってる』
「まずい?カルツソッドか?」
『やっぱりカルツソッドの人と接触したんだ』
「ああ、嫌な予感しかしないぜ」
素直に疑問をぶつけてみようかと思ったのだが無線通話が僕にも聞こえ、その必要がなくなった。
駿河涼一と言えば国防軍において国民で知らない人などいない。
最もメディア露出している風祭小隊の一員で、W3Aの操縦が一番上手い人。
彼に飛行演舞を舞わせれば誰をも魅了するスピードと華やかさが持ち味の飛行士だ。
僕が飛行士を目指すきっかけも彼の飛行演舞を観たからで、憧れの人だ。
外見も整っていて軍人らしからぬ美貌で女性に人気だけど、話している姿はあまり見られない。
会見や番組の特集が組まれても話すのは隊長の風祭さんばかりだ。
その原因が分かった。話すと残念な人なんだ。
勝手に寡黙でクールでカッコいいなんて思ってた自分が少し恥ずかしい。
憧れの人との出会いに感動しつつ、理想とはかけ離れた喋りに複雑な心境だった。
駿河さんじゃないが、僕も嫌な予感しかしない。
これから起こるであろう、事態に明るい兆しなんて見出せなかった。
駿河さんの肩口から後ろを覗き込むと暗闇の中に赤い絨毯が敷かれているみたいに見えた。
でもそれは絨毯なんかじゃ決してない。
影も形も無いがそこには僕が生まれ育った故郷が確かにあった。
遠ざかっていくシーツールの村は今も赤々と燃えている。
夢でも見ているかのような、物語を見せられているかのような。
そんなふうに疑わずにはいられないが、これは紛れもない現実だ。
受け入れ切れない現実のせいか、感情が上手く生まれてこない。
誰かにこれは嘘だと言ってもらいたい。僕は悪い夢を見ているだけだ。
そんな現実逃避の案ばかり浮かぶ。
本当は憤り、泣き叫びたいくらいなのに。
怒りや悲しみよりも先に現実を拒絶する自分が居る。
そうでもしないと心が壊れてしまうからだろうか。
――僕の故郷シーツール村はたった一夜で業火に焼かれてしまった。
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