戻らない時間ー1


   ティオールの里が焼失した同日の夕刻。シーツール村――。


  アルフィード学園が夏季休暇に入り、課外授業の選抜に漏れた生徒の過ごし方は各々自由になる。

 実家へ帰り休養をとる者、学園に残り最新設備を利用し続け鍛錬や研究を独学で続ける者。

 僕は前者だ。と言っても休養じゃなくて単に実家の様子が心配になったから帰省を選んだのだけど。

  実家に帰る気なんて学園を卒業するまでなかったのだけど、母が倒れたと聞けば話は変わる。

 長女の佳香姉さんとはたまに連絡を取りあっていたが、両親とはほぼしていない。

 入学式の日に母へメールの返信をした、その一度だけだ。

 今日帰るということも姉にだけしか伝えていない。

  僕は長期間家を離れたのはこれが初めてだった。

 久しぶりの我が家を楽しみというよりも少し怖いと思ってしまう自分がいる。

  どんな顔をして入ろう。昔通り平静に?久々の再会を喜びつつ?

 中でも半ば喧嘩別れした母とはどう会話したらいいか分からなかった。

  入学式の日に貰ったメールではずいぶんと親らしい文面に泣かされたが、顔を合わせれば母は手厳しい。


  僕は実家を目の前に立ち尽くしていた。

 本日は炎天下の晴れ。おまけに僕の故郷、シーツールは漁村で暑さは天下一品だ。

 一刻も早く家に入って涼みたい。

 自分の家に帰るだけで何をこんな緊張しているんだ。

  相変わらず胆の小さい自分にため息をつきつつ玄関の扉に手をかける。

 鍵が掛かっていない横開きで木製の戸を開ければガラガラガラと聞き馴染んだ音が迎えてくれる。

 こんな時代遅れの扉、都心には何処に行ってもないだろう。

 それでも自分にとっては懐かしく安心できる音だ。


「ただいまー」 

  少し大きめの声を出したつもりだが、誰かが出迎えに来る気配は一向にない。

 別に客人じゃないのだから家族を待つ必要もないか。 

 かといって無断でくつろぐのも落ち着かないので、家族を探しに一先ず1階にある調理場や居間を見るが誰も居なかった。

 表の店頭には誰かしら居るだろうと予測していたが、案の定話し声がうっすらと聞こえる。

  お客さんが居るなら少し面倒だな。

 この村は人口が少なく、住人全員顔を知らない人がいない。村全体が家族みたいなところだ。

 そうなると自然とお客さんも僕の知る人になる可能性が高い。

 アルフィードに進学した僕を珍しがって話し込む形になるのが目に見えていた。

 お喋りが大好きなお爺ちゃんお婆ちゃんが多い。一度話せば30分は逃げられない。

 帰って早々にそれは少し荷が重かった。


  すると裏手の玄関の扉が開く音が聞こえた。

 僕と同じように誰か帰って来たのだろう。出迎えるか。

「おかえり」

「勇太!?お前、帰ってきてるならただいまくらい言えよ」

「…少し前に言って入ったよ」

「そうなの?わりぃ私らも今帰ってきたばっかだからさ」

  無邪気な笑みを浮かべて二女の美波姉さんは僕に詫びた。

 抱えている大きな発泡スチロールの箱には魚介類がいっぱい入っていた。

「凄い量だね、宴会でもするの?」

「そりゃ久々に可愛い弟が帰ってくるんだから、盛大に持て成してやんなきゃな」

「美波姉さんは飲みたいだけでしょ」

「あははは、いいじゃんいいじゃん。今日はいっぱい飲めるなー」

  豪快な笑い声を上げて上機嫌な美波姉さん。

 お酒がとにかく好きで毎日飲んでいるにも関わらず、宴会なんかの祝いの席では更に飲む。

 酒癖が悪いので僕としてはあまり飲ませたくないのが本心だけど、飲んでくれなかった試しはない。

「アルフィードからうちは遠かったでしょ?勇太は夕飯まで休んでなよ」

「ありがとう、凜子姉さん。荷物持つよ」

 沢山の買い物袋を両手に下げた三女の凜子姉さんから荷物を受け取り運ぶ。

「相変わらず勇太は凜子には優しいな。私も持ってほしかったけどー?」

「美波姉さんはその位重いとも思ってないでしょ」

「バレたか」

「僕より腕力があるのに何言ってるのさ」

  美波姉さんの仕事は女性では珍しい漁師だ。

 昔から男勝りで僕は美波姉さんにやんちゃな遊びに連れまわされては泣かされた記憶が多い。

「でもずいぶん逞しい体つきになったんじゃない?」  

 凜子姉さんは僕の背中をポンポンと軽く叩いて感心していた。   

「授業で鍛えさせられるからね。僕より筋肉ある人のほうが多いよ」    

「ちゃんとついていけてんのかー?勇太、運動からっきしじゃねえか」

  アルフィード学園進学に向けて肉体強化を行ってはいたものの、最初の頃はよくハードな授業に吐いていたなんてとても言えない。

 それでも今はきちんと授業についていけている。へばってる時もあるけど…。

「平気よ。体育祭では立派に活躍していたもの。ね、勇太」

「代表なんて聞いた時は耳を疑ったけどよ。勇太動けねえだろとか思ってたらちゃんと動いてたな」

「ははは…まぁね…」

  代表選手として体育祭に参加はしたが、自分が活躍と呼べる功績を残したとは思えない。

  試合の様子は全国に生放送されている。

 きっと僕の家族も放送を観たのだろうが、一般人である、特にこんな田舎の庶民には活躍したかなんて結果でしか判別できないんじゃないかと思う。

 動けていたかどうかが基準な時点で怪しい。あまり素直に喜べない。


  姉二人の買い物を台所で片づけていると小走りにこちらに向かってくる足音が聞こえた。

「勇太!帰って来てるならお店にも顔見せてよ!」 

  接客に一区切りついたのだろう、長女の佳香姉さんが一直線に僕に詰め寄り、子供みたいに頬を膨らませて拗ねていた。

  僕の家は代々続く和菓子屋だ。小さいながらも地元に愛されていて父で四代目になる。

「ごめん。接客中なら悪いかなって思ったんだよ」

「気にしなくていいのにー。私、勇太が帰ってくるの楽しみにしてたんだからね!」

「本音は接客を邪魔してくれたほうがよかったんだろ?」

 佳香姉さんに向かって悪戯っぽく笑う美波姉さん。

「まさか、佳香姉さんに限ってそんなことないでしょ」

  佳香姉さんは僕ら姉弟の中で一番温和で聞き上手な人だ。

 のんびりな性格なので素早い仕事に向いていないものの、シーツールでの商売においては客に求められるのは早さよりも親切で丁寧な応対だ。

 どんな人が相手でも親身になって応対をする佳香姉さんが接客を妨害してくれて嬉しいなど考えにくい。

「それがね、そうでもないのよ」

 凛子姉さんまで美波姉さんと似た笑みをしている。

「勇太がアルフィード行った後なんだけどさ佳香姉、ずっと求婚されてんだよ」

「求婚!?」

  求愛ならまだしも結婚となると大事だ。

 シーツール村の大抵の若い男をフッたなんて逸話のある佳香姉さんにまだ挑む男が生き残っていたのか。

「それも軍のお偉いさん。すっかり佳香お姉ちゃんを気に入っちゃったみたい。頻繁に客として来るんだって。大口で買ってくれるからうちとしてはいい金ヅルね」

「そうなんだよ。軍人の教育指導担当なんだっけ?いいじゃん。給料いいし、悪い奴ではなさそうだぜ」

「もう、二人とも好き勝手言うんだから」

 姉二人は長女の浮いた話を楽しそうに語るが当の本人はあまり嬉しくなさそうだ。

「いい歳なんだから、そろそろ焦らないと貰い手なくなるぜ?」

「うんうん。でも私ならあーいう暑苦しいタイプはパスだけど」


  佳香姉さんは僕と歳が11離れている。となると今年で30歳か。

 たしかにそろそろ結婚したほうがいいのかな。

  両親と一緒にずっと和菓子屋である店を守り続けてくれている佳香姉さんの結婚話など一度も聞いたことがなかった。

  本当なら唯一の息子である僕が跡取りとして店を継ぐ為の修行を積むのが理想だっただろう。

 でも僕には飛行士になる夢が出来てしまったし、父は跡継ぎを強要するどころか勧めもしなかった。

 将来を制限しないでくれたのは古屋の家に婿入りした父なりの優しさだったのかもしれない。

  長女の佳香姉さんは店を愛しているし接客も文句なしなのだけど、手先が不器用で何度も菓子作りに挑戦したものの細工が滅法駄目だった。

  二女の美波姉さんは荒っぽい性格から想像できるが、繊細な職人気質ではない。

 腕力と直感で生きる彼女は漁でその才能を開花させている。

  残る三女、凛子姉さんが姉弟で誰よりも芸術センスに恵まれ、菓子細工も上手だったのだが、結婚を機にこの村を離れてしまった。

 旦那さんが仕事の都合上一定の場所に留まれないらしく、結婚する際は随分と悩んだそうだけど、その背中を押したのは他でもない父だったそうだ。

  四人も子供がいながら誰一人跡継ぎの希望がないのは両親としてはショックだったに違いない。

 もう父さんも若くない。弟子を取るなら早いほうが良い。

 このままだと古屋の店は父の代で終わる。

  自分を育ててくれた店、自慢の味や技術に愛着がない訳ではないが、僕も料理は得意ではない。

 過疎化が進んでいるシーツールで新たなお弟子さんを探すのは非常に厳しいだろう。


「あのさ、父さんと母さんは?」

  家の様子は佳香姉さんが僕に伝えてくれた。

 でも入院した母さんの病状についての詳細はメールに書かれていなかった。

「隣町の病院よ。父さんが母さんを迎えに行ってるの。もう少しで帰って来ると思うけど」

  シーツールには医療施設が診療所しかない。

 わざわざ病院を利用するなんて重い病気なのだろうか。

「んな深刻な顔すんなって。退院許可貰って帰って来るんだから、体調良くなった証拠だろ」

 何度も聞いた戸の開く音がまた聞こえる。

「噂をすれば来た」

「皆でお迎えしましょ」

  ちょっと待って。

 僕はまだ喧嘩別れした母とどんな顔をして再会したらいいか気持ちの整理がついていない。

  メールで母は自分の態度を気にしていたようだけど、文面での母は僕にとって意外でしかなかった。

 真面目で厳しい、気の強い母しか僕は知らない。

  僕の気持ちなんてお構いなしに姉さん達は僕の背を押し、玄関まで辿り着いてしまう。

 もう逃げれない。グイグイと前に出る姉さん達に紛れて、そっと最後尾に回るのが精一杯だった。

「父さん、母さんお帰りなさい」

「まったく、こんな大勢で出てこなくてもいいでしょう。佳香、あなたはお店番なのだからお店を空けるんじゃありません」

「ごめんなさい、戻りますね」

  相変わらずのきつい口調に母親の健在ぶりを感じる。

 そんな母の様子に満足したのか佳香姉さんは微笑んで店に戻ってしまう。

「母さん手貸そうか?」

「平気よ。一人で立てないくらいなら退院しません」

  座って靴を脱ぎ終えた母は気を使って歩み出た美波姉さんの手を制して立ち上がる。

 動きはゆっくりだが、苦ではなさそうで安心する。

「勇太は何で隠れてるの?」

「…勇太?」

  姉さん達の影に潜んでいた僕の最後の砦である凛子姉さんが不思議そうにぼやいた。

 そうだ、凛子姉さんは僕が家を出る時に居なかったから僕が母さんと喧嘩していることを知らないんだ。

  僕の名前に母さんの眉はぴくっと動いた。今僕の顔は完全に引き攣っているだろう。

「…どうして帰ってきているの。家に帰る暇があるなら、その時間で勉学に勤しむべきでしょう。アルフィードなら肉体の鍛錬も欠かしてはならない、身体の出来も勉学も人より劣っているあなたにとって時間は何よりも貴重。やるべきことが山ほどあるでしょうに。死に物狂いで頑張ると言って家を出た言葉は嘘なの?学生の本分を履き違えるようでは、あなたもそこまでですよ」

  母さんは僕の姿を確認するなり刃みたいなお説教を浴びせる。

 メールでの母さんは別人だったのかと疑いたくなるほどだ。

「母さん!何もそこまで言わなくても…勇太は母さんを心配して戻って来てくれたんだぜ」

「では大切な仕事があってもそれを放り出して離れていいと言うの?違うでしょう。この子の今の仕事はたった二年しかない学生としての勉学です。私の体調はどこも問題ありません。心配には値しません」

  正論に言い返せない僕など目もくれずに母は横を通り過ぎて行った。

 そんな母親を追いかけようとする美波姉さんの腕を掴んで止める。

「…勇太!」

「いいんだよ、母さんの言う通りだ。だから母さんを責めないで。…元気そうで良かったよ。僕、明日の朝には学園に戻るからさ」


  夏季休暇に入る前に現時点での成績が学園から通達される。

 僕の成績は可も不可もない、平均だった。

  決して手を抜いていない。休む時間を惜しんで勉強したし、実技も頑張った。

 それでも僕の全力は平均にしか届かないということだ。

 今のままじゃ駄目なんだ。もっと努力しなくてはいけない。

  W3Aは今じゃ世界中に普及されているとはいえ台数が多くあるものではなく、軍人になったからといって誰もが乗れる代物ではない。

 能力が高い、選ばれた人材が優先的に乗るに決まっている。

  本来、救助目的で開発されたW3Aの出番は災害や事故における救助か生身や車での出入りが困難な場所の調査、緊急時などの素早く駆けつける必要性がある場合に利用するだけだ。

 飛行演舞のような華やかな目的で使用するのは、国単位で行う式典のほんの僅か。

 その僅かな回数に選ばれる乗り手は軍人の中でも一際飛行が上手い飛行士だけだ。

  僕はW3Aで目立った評価を得られていない。

 このまま無事卒業して軍人になろうが、その他大勢に埋もれてしまうだろう。

 時間が惜しいのは事実である。


「勇太、ちょっと面貸せ」

  ずっと玄関で立ったまま成り行きを見守っていた父が僕に声をかけたかと思ったらすぐに背を向け外に出て行ってしまう。

 口数が少なく有無を言わさない父にはよくあることだが、外へと連れ出されるとは。

 家族には聞かれたくない話なのだろうか。

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