手放した過去ー5
突如建物中に警戒のサイレンが響き渡る。
「緊急警報!?」
長いサイレンが鳴り止まない中、美奈子の携帯端末に着信が入る。
「…いきなり千沙ちゃんを地上に連れてけってどういうこと!?今千沙ちゃんは気絶してて――」
早々に用件を言われたのか美奈子は怒り気味であったが、緊迫した様子から電話の内容はこのサイレンと無関係ではなさそうだ。
「――あなた、まさか戦わせる気?駄目よ!そんなの!」
戦わせる。その言葉に自然と千沙を抱く佳祐の手に力が入る。
この緊急警報は自然災害ではなく、まさか――。
美奈子は必死に反論していたが、やがて電話は一方的に切られた。
そして、佳祐を見て重く口を開く。
「…このサイレン音はアルフィード学生及び国防軍の軍人は総員緊急出動の合図。起因はカルツソッドからの敵襲」
「戦争、ですか」
「そうね。相手が襲ってくる以上ただやられる訳にはいかない」
「だからってどうして千沙が関係してくるんですか?千沙は軍人でも学生でもありません。戦う必要なんてない!」
「"NeoWingAngel"の実戦テストを行ういい機会だそうよ」
「冗談じゃない!開発の成果を戦争で試す?そんなのやりたければ自分で乗ってやればいいだろ!これ以上自己満足の研究に千沙を利用するな!」
どんなにこの人に反論したって仕方ない。
美奈子には権限がない。だから彼女はずっと研究に加担し続けている。
分かってはいても佳祐は叫ばずにはいられなかった。
佳祐は無理を言って美奈子に同行させてもらい、カルツソッドとの戦争が行われている戦地から少し離れた研究施設へと付いて行った。
アルフィードから移動する際に初めて工藤博士に会ったが、温和そうな見た目からは想像もつかない無慈悲な発言が多い男であった。
口調は優しく言葉づかいも紳士的なのだが、内容はとても残酷なことを平気で言ってのけた。
この男なら"有翼人を創り出そう"と言い出しても不思議ではなかった。
工藤は目覚めたばかりの千沙に「これはいつもの実験。試乗テストだから」と戦争とは一切伝えずにNWAへ搭乗を促した。
千沙は素直に了承し、NWAを装着し始める。
佳祐は「乗るな」と止めたが千沙は佳祐の必死な態度に少し驚いた程度で、心配していると勘違いしたのか「大丈夫ですよ」と笑って見せた。
先ほどのことはすっかり忘れてしまったようで、工藤に言われるがままに千沙は戦地へと向かって行ってしまった。
モニター越しで見る千沙は耐えようもなく辛かった。
何故千沙の力になってやれないのだろう。どうしてこんな所にいる。
大切な人を守る為に力をつけてきたのに、まるで役に立っていない。
佳祐は自分の無力さに腹が立った。
戦地から戻ってきた少女はただただずっと泣いていた。
けれど、佳祐は慰めてやることもできない。
また酷い頭痛を起こさせるのが怖かった。これ以上苦しめたくなかった。
もう二度と千沙にあんな想いはさせない。
約束を果たすうえで彼女に会うことは必ずしも必要ではない。
それから佳祐は千沙に会おうともしなかった。
*
NWA試作機を操縦し、二年前の防衛戦を経験した私は自分の行いを悔いた。
自分の無知が恐ろしくなり、勉強を始めた。
そして頭をよくする学校というものの存在を知り、そこに通いたくなった。
工藤さんから進学する条件を出された。それがアルフィード学園の試験に合格することだった。
常識を知らない私は試験にさえ受かれば学校に通えるのだと浮かれたが、アルフィード学園はとんでもなく高い偏差値だった。
幼少から勉強をしていないうえに、そもそも記憶のない私が今から死に物狂いで勉強しても合格するのは無理だと、美奈子さんや悠真君に言われたのを覚えている。
それでも私はやっと自分が過ちを繰り返さない為の知識が得られるのだと喜んだ。
私の必死さや諦めの悪さに折れたのか、美奈子さんも悠真君も時間を見つけては勉強に付き合ってくれた。
優秀な知性を持った家庭教師を二人も味方に付けた私は約一年後にアルフィード学園に合格したのだ。
防衛戦以降、月舘先輩はずっと工藤さんの研究の実験を私に代わって続けていた。
私は月舘先輩を犠牲に記憶を失わない2年間を過ごしていたのか。
結局私は誰かに迷惑を掛けなければ生きていけない。自分が腹立たしい。
「…そんな顔をするな。俺は望んで実験に協力してるんだ、お前が気にすることは何もない」
入学するまで一度も会わなかったのも、過去を話さなかったのも私を守る為だった。
何も知らないで誰かを傷つけるのが嫌で勉強を始めて、学校にも通ったのに。
私はまた大切な人を傷つけていたではないか。情けない、悔しい。
「それよりも痛くないか?」
「え?」
「頭」
そうか。私はその痛みをまるで覚えていないが、先輩の話によれば私は記憶を取り戻そうとすると訪れる激しい頭痛に二度襲われているはずなんだ。
私の記憶は防衛戦以前はかなり断片的で、月舘先輩と地下研究室で会ったことは全く身に覚えがない。
これだけ多くの過去を聞かせれても痛みは一向に襲ってはこない。
忘れたのではなく、消えてしまったように。
…本当に…"千沙"は馬鹿だ。
「大丈夫です。全然痛くないです」
「そうか、ならよかった」
月舘先輩はそっと私の頭を撫でた。
話している時もずっと私の様子を気に掛けてくれていた。
頭痛が起きないところで話を止めてくれようとしていたのだろう。
先輩の見たこともない優しい微笑みに私は思わず視線を逸らしてしまう。
"千沙"ならばどんな対応を取っただろうか。
友達と称してくれた先輩にもっと親しげにしただろうか。
母親のこと。地下で行われていた研究の内容。
衝撃的な事実を聞かされ、頭の整理はまだ追いつかない。
だけど、途端に自分が嫌いになったことを自覚する。
今、微笑みを向けられたのは"私"ではない。
時折存在を感じ、ずっと胸の奥底に巣くっている靄みたいな黒い何かに"私"は飲まれてしまいそうだった。
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