癒えない傷ー5

  突如草や木々の焼ける臭いが鼻を擽る。異変に気づき私達は急いで駆け出して里へと戻る。

 臭いの方角を見れば赤々と燃える炎が見えた。あちらには族長の屋敷がある。

 言葉よりも先に身体が動いて、炎へと一目散に走り出す。   

  炎はどんどん燃え広がり族長の屋敷だけではなく、周囲の民家も燃やし辺りから悲鳴が飛び交っている。

 たちまちに里中へ火の手が回っている。

 ただの火事ではない、何者かが故意に燃やしているんだ。   

「おかしい…何故誰も魔法で鎮火しようとしないんだ」

  一緒に向かっていた月舘先輩が辺りを注意深く見渡している。

 そうだ、人間なら逃げ出すしかないほどに燃え広がっているが、エルフ達には魔法がある。

 先日のディリータさんは魔法で氷の空間を作り出せた。

 エルフであれば水を呼び起こし鎮火するくらいできそうな気がする。

  しかし詠唱の声はおろか、悲鳴すら減っていく。嫌な想像で鼓動が一層早まる。

 そうだ、リリアちゃんは!?彼女はまだ十分に魔法を扱いきれないようだった。

「待て、天沢!」

  幼い少女の安否が気になり月舘先輩の制止を無視して私は焼け崩れていく族長の屋敷に突入した。


「リリアちゃーん!!」

  出来る限りの大きな声を張り上げて呼ぶが返事はない。

 リリアちゃんだけでなく、屋敷には族長や奥さん、召使の人も居た筈なのに誰の気配も感じない。

  最悪の事態ばかり浮かんでしまう考えを振り払おうと更に奥に進む。

 族長の間の前で焼け焦げ耐久力を失った柱の木々や扉が崩れ落ちてくる。

 落下物を避け、上がった煙が開けると、族長の間を視界に捉えることができた。

 そこにはフードマント姿の人とリリアちゃんを庇うように倒れ込む族長と奥さんの姿があった。

  族長と奥さんは黒く焼け焦げていて遠くから見る限りでは息をしている様子はなさそうだった。

 大きな瞳に大粒の涙を溜めこんだリリアちゃんは私を見つけると、声をうまく出せないのか口を震わせていた。

 そして声の代わりに涙が頬を伝う。

「リリアちゃんから離れて!」

  私はすぐに剣を構える。

 背を向けていたフードの人はこちらを見ると「人間か」と低い声で呟いた。

 フードを深く被っていて表情は窺えなく口調からも感情は読み取れなかったが恐らく男性だ。

 私に興味などないようでまたリリアちゃんに向き合うと銃口を彼女の顔に向けた。

「止めてー!!」

  突きの一撃を彼の背中に目掛けて仕掛けるが、銃を持つ手とは逆の手で弾かれる。

 キーンと高い金属音が響き渡る。こちらの攻撃を一切見ずに弾かれた。

  なるべくリリアちゃんとの距離を離そうと続けざまに突き攻撃を繰り出す。

 フード男は攻撃を全て避けるか弾くかで防ぎきる。

  相手へダメージを与えることは出来なかったが、彼をその場から動かすことには成功し、自分の背後にリリアちゃんが来るように割り込めた。

「あなたの目的は何ですか?」

「人間に用はない、どけ」 

「どきません!――この火災もあなたの仕業なんですか!?」

  問答に付き合う気はないのだろう、答えの代わりに今度は銃口が私に向けられた。

「答えて!」

  引き金を引こうとする指が動いたように見えた瞬間、金縛りにでもあったように男の身動きが固まる。

「――やっと出てきたか」

  フード男の背後には泉の番人の女性、レナスさんが立っていた。

 先刻私を締め上げた術と同様のものだろうか。

「ふざけた遊びはここまでだ、小僧。答えろ、民を何処へやった?」

「答える必要はない」

「立場を分かっておるのか?大人しく答えねば二度と動けぬ体にするぞ」

  締め付けられているのか男の口元が険しくなるが、怯んだ様子は見られない。

  背後から微かに掠れた声が聞こえる。

 声の主であろうリリアちゃんを見るが、恐怖から声にならないのか何と言っているかが分からない。

 懸命に動かしている口の形と掠れた音を頼りに何とか理解しようと試みる。

 ――にげて…?

  リリアちゃんの言葉の意図を汲み取る前にレナスさんに異変が起きた。

 驚きで目を見開き喉に手を当てる。

  目に見えない拘束から解放されたフード男はその隙を逃さずレナスさんに詰め寄り、そして銃口を向け「終わりだ」と冷酷に告げる。


  パーンと銃声が一発鳴り響く。

 しかし撃たれたのはレナスさんではなくフード男であった。

 男は撃たれた手を庇うように反対の手で抱えると距離をとる。

  狙撃主の月舘先輩は銃口を尚もフード男へ向け続ける。

 月舘先輩が来てくれたことに安堵しつつも気は抜けない。

 男は未だ余裕を見せており、どちらから片を付けようかといった具合に左右の私達を見比べる。

「動くな」

「煙の効果が半端だな。お前ハーフエルフか」

  リリアちゃんほど重症ではないにせよ掠れた声で月舘先輩は相対する。

 辺り一体煙が立ち込めては居るがそれは火事に伴う物だと思っていた。

 どうやらそれ以外の煙も混じっているようだ。

  エルフである二人とハーフエルフの先輩が苦しむということはエルフに害がある煙なのだろう。

 私も煙の影響か少し痺れたような感覚はあるがまだ動ける。

  レナスさんは状態が悪化しているのか膝をついていた。

 里のエルフ達が魔法を詠唱できなかった理由はこれか。

「残念だが弾が残りひとつしかない。戦闘能力の高いハーフエルフは貴重だ、お前でもいいだろう」

  そう呟くと男は一気に月舘先輩へと詰め寄り蹴りを繰り出す。

 月舘先輩は攻撃を全て受け流していくが煙のせいかキレがいつもよりも数段悪い。

  私が動かなくては。

 男の死角をついて剣撃を入れるが軽い身のこなしで男は素早い攻撃を避ける。

 間合いが狭くなった分、次への行動が男のほうが速くカウンターの蹴りをもろに腹に食らう。

  そのまま流れるように次の蹴りを月舘先輩の銃を持つ手へと当てる。

 男の見事な連撃は決まり、銃は宙へと放り出され月舘先輩は反動でふらつき地に膝を着く。

  そして今まで上着の袖で銃口だけ顔を覗かせていた男の銃が全貌を現す。

 銃は見慣れない形をしていて、重厚感のある作りに大きな宝石のような物が埋め込まれている。

 ハンドガンの割には大きめだった。銃口は真っ直ぐに月舘先輩を捉える。    

  ――駄目だ、間に合わない!

 必死に体勢を整え、攻撃を防ごうとするが直感が無理だと告げている。


  非情にも甲高い異質な銃声は鳴り、大きなガラス玉みたいな弾は放たれた。

 けれどそれは月舘先輩には当たらなかった。

「ど、うして…」

  銃弾は砕け散ると被弾した者を光の球体で包み込んだ。

 被弾者の身体は端からどんどんと光の粒子になり分解されていく。

 やがて跡形も無く孫を庇った泉の番人は消えて居なくなった。 

 精一杯伸ばした月舘先輩の手は空を切った。

「お前、何をした!?」

  怒りに満ちた月舘先輩の声は掠れていながらもはっきりと響き渡る。

 しかし痺れが悪化しているのか月舘先輩は立ち上がることもできそうになかった。

「これ以上付き合っている暇はない」

  私は走り去っていく男を追いかけたかったが、瀕死状態の二人を残してはいけない。

 おまけに火はかなり燃え広がり早くここを脱出しなくては建物自体も持ちそうになかった。

 男を止められなかった自分の無力さを悔やんでいる場合ではない、二人の救出を優先した。

  まずはリリアちゃんを抱えて急いで屋敷を出る。

 リリアちゃんの涙は止まっているが次々と起こった衝撃的な出来事に感情が付いて行けなくなったのだろう。

 放心した状態で、私の投げかけた心配の言葉も届いていないようだった。

  今度は月舘先輩を連れ出す為に再び燃え盛る屋敷へと戻る。

 酸素の薄くなった場所で微動だにせず彼は倒れ込んでいた。

「先輩、動けますか?」   

「…ああ」

  肯定したものの月舘先輩は起き上がるのがやっとのようで、私は「失礼します」と先輩を背負った。

 先輩の悲痛な顔や後悔で震える手を見ると益々胸が痛んだ。

  私は動けたのに。私がもっと強ければ。

 私がもう少し里を注意深く見回っていれば男を止められた?

 後悔は次々に襲い掛かるが時間は戻りはしない。

  月舘先輩を連れ出すとリリアちゃんはぼんやりと屋敷が燃えているのを見上げていた。


  我が家が、故郷が燃えていく。帰る場所がなくなっていく。

 私よりもずっと苦しんでいる筈の二人は涙を流さない。

 今にも泣きそうな自分をなんとか奮い立たせる。私がしっかりしなくては。

  すると冷たい雫が頬を伝った。

 空を見上げれば厚く暗い雲が覆っていて月は見えなくなっていた。

 雲は泣き出したかのように多くの涙を流した。 

 

 一晩でティオールの里は焼失した。生き残りはたった三人だけだった――。


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