立ち向かう勇気ー4
僕と天沢さんはあれからひとつも言葉を交わすことはなかった。天沢さんは人との接触を避け、僕はあの日から何と声をかけたらいいか分からないままでいた。
正直、過去を知った時は怖いとも思った。だけど僕の知っている控えめだけど強くて優しい真っ直ぐな天沢さんも間違いなく天沢さんだ。
過去がどうであれ今の天沢さんは無暗に人を傷つけるような人ではない。
頭で分かっていても恐れが拭えずに居た。
もやもやとした気持ちを抱えたまま鴻君と天沢さんの決闘当日を迎えてしまった。
デジタルフロンティアの行われる会場の観客席側で試合の開始を待っていると、リングの外側にある搭乗席に天沢さんはやって来た。
デジタルフロンティアは選手が搭乗席に座り頭にはフルヘッド、両腕にアームの機械を装着する。
これで意識と感覚が中央にあるリング上の仮想空間とリンクし、現実の自分を模写した仮想の身体を動かせるようになる。
試合は仮想の身体で模擬戦闘を行い、対戦相手のライフポイントを削った量で勝敗が決まる。試合中に受ける攻撃には痛みを感じるが試合が終われば痛みは残らず、現実の肉体には怪我を負わない。その分思う存分戦える。
選手が動かすこととなる仮想体は学園内で管理されている肉体データや控室から会場に入るまでの廊下に設置されている機械でスキャンして得られる情報で構築されている為、現実とかなり遜色ない外見や筋力などが再現されている。
仮想空間での出来事は選手の脳に直接送られてくるので、リアルタイムに起きているように感じられる。
デジタルフロンティアを作り出したのはアルフィード学園が初めてで、製作者が当校の生徒、尚且つ当時は現役の学生だったというから驚きだ。
その名残からかデジタルフロンティアは学生間で人気の競技となり、各国の姉妹校でのみ行われている。
一般の人も観戦は可能だが、参戦は不可能。
そして一般の人からは観戦料を取り学園の運営費にしている。
試合中の光や音のエフェクトを操作している運営チームがあり戦闘が派手なのも魅力でお客は後を絶たない。
だけど今回ばかりは座って楽しむ気になんてなれず、僕は観客席の通路で立ったまま天沢さんを見守った。
*
新人戦だからか観客は多くないが充分居る。
それに試合の様子は動画として残る。これでもう、屈辱を受ける心配はない。
僕が上に立つべき人間だと分からせなければならない。
搭乗席に座り機械を起動させると意識が薄れ、次に眠りから覚めるように意識を取り戻すと自分は会場中央のリングに入っている。虚像の肉体を動かしてみる。
仮想空間とはいえ自分の意思で自由自在に動かせる身体はまさに現実そのものだ。
今度こそあいつより僕が上なのだと思い知らせてやる。
大きなファンファーレと共に試合は始まる。
改めて正面の対戦相手を見ると俯き、覇気のない様子だ。
僕が剣を構えているのに奴は武器を構えるどころかただ立っているだけだった。
「どうした。早く武器を出せ」
「…私は、もう誰かを傷つけるための剣は取らないと決めた。だからこのままでいい」
「随分と余裕だね。後悔するといい!」
攻撃を仕掛けるがそれでも奴は反撃もせず、剣を受けるばかりだった。
すぐに奴のライフポイントは半分を下回る。
違う、こんな一方的なものでは僕の気が晴れない!
圧倒的に打ちのめす、その目的は果たせているはずなのに苛立ちが湧き上がってくる。
「困るな。これじゃあまるで僕が君をいじめているみたいじゃないか。いい加減つまらない意地など張っていないで武器を出したらどうだい?」
「私はいくら傷ついたって構わない。でも私のせいで誰かが傷つくのは耐えられない。だから気が済むまで私を攻撃すればいい。ただ…次に私の周囲の人を傷つけてみろ…同じ痛みを与えてやる…!」
形勢は明らかに僕が有利だ。それなのになんだ、身体を伝うこの悪寒は。
こいつの眼は死んでいない。むしろ殺気を孕んだ目だ。
睨みつけられているだけのはずだが、息もできなくなりそうなほどに絶対的な恐怖が蝕んでくる。
*
どうして天沢さんは反撃をしないんだ。
一方通行の攻撃に観客は厭きたり憐みの空気になっている。中には心無い野次を飛ばす人まで。天沢さんは強いのに、なんで戦わないんだ。
僕は天沢さんのことをまだまだ知らない。
本当はどんな人なのだろうか。分からないこそ怖いのかもしれない。
でも天沢さんは僕のことを多く知らずとも僕の良い面を見つけ信じてくれた。
それなのに僕が天沢さんを信じなくてどうする。
たしかに怖い一面があるのも事実だ。
それでも天沢さんは意味もなく人を傷つけるような人ではない。
短い期間でも僕を何度も助けてくれた天沢さんは嘘じゃない!
「天沢さーん!!」
力いっぱい叫びながら観客席の通路階段を最前まで一気に駆け下りる。
観客席の仕切り柵を乗り越えリング上の仮想空間との隔たりの壁まで詰め寄り、出来るだけ天沢さんの傍へと近づく。
「…古屋くん…?」
「僕はまだ弱くて情けないけど、でも絶対強くなるから!どんなことがあっても何度だって立ち上がる。入学式の日から天沢さんは僕の憧れなんだ。優しくて強い、僕はそんな天沢さんを信じてる!だからこのまま負けるなんてしないで、諦めないでよ!」
*
古屋君が私の為に決意してくれた。
何があっても立ち向かう、私を信じてくれると。
それが痛いほどに伝わるのに私は俯いた顔を上げられずにいた。
私は自分の過ちを恐れ、戦うことから逃げていた。
誰かを傷つける度に自分の心が悲鳴を上げているのが辛かった。
あの日、次第に心が麻痺していき幾度も過ちを犯した。
過ちに振り返れた時、愚かな自分に絶望したんだ。
『せっかく古屋が勇気を見せたのに千沙は応えてあげないの?』
「東雲さん…?」
いつの間にか私のセコンド席に着いていた東雲さんはそこから通信機能で私に語りかけてきた。
『言っとくけどね、誰にだって知られたくない過去なんかひとつやふたつあるのよ。それに過去を知ったぐらいで今の信頼が変わるほど古屋も私も千沙を軽く見てない。千沙を慕って信じている人がいるんだ、恐れるな!』
あの頃を封印する為に容姿を誤魔化し静かに過ごすことを徹底した。
再び過ちを犯さぬよう剣を取らないと決めた。
けれど、それで過去がなくなることも忘れられることもない。
それなのに私を信じてくれる人を裏切ってまで過去から逃げ続けるの?
―――嫌だ。そんなのは間違ってる。
私は過去と向き合わなければいけなかったんだ。
もう隠すのは止めよう。
ふらつきながらもなんとか立ち上がり、結わいていた三つ編みを解き、眼鏡も取り払う。
過去を背負い、過ちを繰り返さない。未来へ繋げるんだ。
自分から逃げるのではなく、自分と戦い続ける。
ありのままを受け止めてくれる人が居るのだから。
手の甲に着けている武器収納具パレットから剣を抜いて構え、真っ直ぐに鴻君を見据える。
「もう…逃げるのは止める…!!」
*
勝敗がついていてもおかしくない程に相手の身体はボロボロだ。
それなのに気迫が凄まじい。むしろ試合直後よりも威圧を感じる。
無意識のうちに身構えた自分がいて、はっとする。
この僕が気圧されている、だと?劣勢の相手でしかも女にだ。
ありえない、自分よりも一回り大きい図体の男にだって引けをとったことはない。
なのに何故だ、剣を握る手は汗ばみ始めていた。
「…参ります」
その一言が聞こえたかと思うと一瞬で距離を詰められ、鍔迫り合いになる。
咄嗟の反応で何とかこの状態に持ち込めたが、あと少し遅れていれば僕は確実に斬られていた。
移動速度もさることながらより驚かされたのが斬撃の重さだ。
斬撃を受けた衝撃で態勢は崩され一歩引かされた挙句、持ち堪えるのに全力を出さざるを得ない。あまりの馬鹿力に目の前に居る人間の性別を疑う。
「異名は間違いじゃないようだなッ…!!」
力を振り絞り相手の剣を弾き返すと、奴はその反動を逆に利用し剣を引くと今度は突きの連撃を繰り出してきた。
到底目では追い切れず、まるでかまいたちに襲われるかのように傷がたちまちに作られていく。
最後の一撃は腹に入り、強烈な痛みと吐き気が同時に襲ってくると意識が軽く飛び剣を落としてしまう。
デジタルフロンティアは失神すれば仮想空間との接続が切れ、試合は負けと見なされる。立っていることなどできずに堪らず膝を地面につけ蹲ってしまうが、意識だけは失うまいと意地になる。
僕は負けるわけにはいかない。それもこんな女に…!!
手放してしまった剣を再び取るべく手を伸ばすがその剣を奴の剣が弾き飛ばしてしまう。
苦痛に耐えつつ顔を上げると、そこにはさっきまでとは別人のように悲しい顔をした女が静かに剣先を僕の眼前へと向けてきた。そこからは確かな殺意を感じた。
思わず情けない小さな悲鳴が零れてしまう。
「人を傷つけるなら自分が傷つく覚悟も持ったほうがいい。覚悟が持てないなら武器を取らないのが賢明だと思います」
直後、時間切れで試合終了のブザーが鳴り響く。
この場合、勝敗はライフポイントの残量で決まる。
だが、ポイントを見なくても分かる、僕の完敗だ。
生きていくうえで勝ち続けることを親から義務付けられた自分だったが、負けたことがない訳ではない。
しかし、悔しいという感情よりも自分にはどうしようもできないと諦めが勝ったのは初めてだった。
同時に得体も知れない物と対峙しているような恐怖にも似た感覚が頭を蝕んだ。
僕はまだまだ弱い。自分の無力さを痛感すると途端に惨めに思えてきた。
試合終了と同時に身体の痛みは全て無くなるのに、立ち上がることも出来ずにリングの地面をぼんやりと眺めた。
「立てますか?」
すると心配そうに眉を下げた奴が手を差し伸べてきた。
負けたうえに情けをかけられるなど堪ったものではない。すぐさま手を払い除け立ち上がる。そのまま接続を切断してリングを去りたかったが僕の僅かに残っていた自尊心が動きを止めさせた。
「次は負けない」
「…まだ止めないの?」
「もちろん君との真剣勝負で、だ」
まだまだ世界は僕の知らない力で溢れている。より高みを目指さねば。
もっと強く、堂々といられるよう。
認めさせるんだ。僕が強いと。世間にも、彼女にも。
*
仮想空間との接続を切断すると身体を覆っていた機器がゆっくりと外れていく。
匂いや熱気など仮想空間にはない周囲の情報が次第に伝わってくる。
瞼を開けると誇らしげな顔をした東雲さんが迎えてくれた。
「おかえり。かっこよかったよ」
「あ、ありがとう…」
試合中も同じ時間を共有していたものの別空間での出来事のような感覚がして、どんな顔をして東雲さんを見ればいいか分からず、ぎこちなくなる。
私達はここ一週間、同じ部屋で生活をしていながらまともに話をしていない。
「もっと胸張んなさいよ。会場の歓声聞こえるでしょ?全部千沙に対してのものなんだから」
心情が穏やかじゃなかったの で、ずっと会場や観客はほとんど視界に入っていなかった。
改めて会場を見回せば思ったよりも観客が居ることに驚かされる。
デジタルフロンティアは生徒だけではなく一般の人も観戦可能だけど、こんな無名の選手を見に来る人が居る程人気だとは知らなかった。
今更ながらこんな大勢の前で自分は試合していたのかと思うと恥ずかしくなる。
「千沙って分かりやすいよね。さて次の試合もあるし出よう」
二人でそそくさと会場を出ると廊下で飛山君と出会う。
「おつかれ、初戦勝利おめでとう」
「…ありがとう」
「俺は試合してる時の天沢のほうが良いと思う」
「え?」
「強いのかっこいいだろ。俺はそっちがいいってだけ」
そう言い残すと自分の試合を控えている飛山君はリングへと向かってしまう。
飛山君も気にして試合を見ていてくれたのかな。
入れ違うように遠くから息を切らして古屋君が駆け寄ってきた。
「天沢さん!勝ったね!やっぱり天沢さんは凄いよ!!」
「私は凄くなんてないよ。勝てたのは古屋君と東雲さん二人のお蔭だもの」
「そんな、僕は何もしてないよ」
「ううん。二人が信じてくれたから私は戦えた。本当にありがとう」
「…僕まだまだ未熟で足を引っ張ると思うけど、必ず頼りになるくらい強くなるから…!これからもよろしくね」
古屋君は手を差し出して握手を求めてきた。私はその手を取るのを躊躇った。
この先も自分の犯した罪でみんなを嫌なことに巻き起こんでしまうかもしれない、それが怖かった。だけど私を信じて「これからも」と言ってくれた彼の言葉が心から嬉しかった。
「うん――こちらこそ、よろしくね」
古屋君の手を感謝の思いを込めて握り決意を新たにした。
私は大切な人を守れるように戦い続けよう。
怖い気持ちから逃げ続けるのではない。
過ちを繰り返さないように強くなるんだ。
臆病な私を信じてくれる人の為に。
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