第28話「殺意のアルゴリズム」

「それでは始めます」


数刻の休憩の後、それぞれは再び庭の池を中心に集まった。

どの顔にも疲れが見えていたが、川瀬佐穂子救出という目的を果たす為、気力だけは充実している。


池は水面に月明りを照らし、静かに揺らめいている。

双葉はスーツのポケットから新しい呪符を取り出し、真剣な面持ちで印を組む。



…………!



「今だっ!飛び込めっ」


「はいっ!」


双葉の合図と共に理宇が再び開かれた「異界」の入り口に躊躇いもせず飛び込んだ。

その両脇に理宇を支えるようにして崇と千紘もそれに続いた。

手にはそれぞれ万が一の為に命綱を持っている。

あまり深くまで「異界」に入り込むと綱は簡単に切れてしまうので、その見極めは希州が責任を持って掴んでいた。


「所長、大丈夫でしょうか……」


たまらずれむが不安そうに双葉を仰ぎ見る。


「この「異界」は心の強さが何よりの武器になる。相手を想う心が強ければ強いほど、その事態を打開し克服出来るはずだ」


「じゃあ、あの時の所長はあたしを強く想ってくれたから、こうして助かったんですか?」


「……君は何でも自分の都合よく解釈するなぁ。半人前の君が一人前になるのを見届けるまでは見捨てるわけにいかないだろう?それが雇用主、そして保護者としての務めだ」


「ううううっ。意地悪っ」



「おっ、かかったみたいだぞっ!」


れむが恨めし気に双葉を睨んだ時だった、不意に双葉の顔つきが変わり、まるで魚でもかかったかのような言い方で命綱に手を伸ばす。


見ると理宇が二人に支えられ、池から生えたように伸びている腕を掴んでいた。

それは多分佐穂子の腕だろう。


「所長さん、この腕、絶対に佐穂子です。ここからどうしたらいいですか?」


理宇が頬を泥だらけにした状態で叫ぶ。


「よし、稜葉。すぐに「異界」の門を閉じろ」


「了解。兄さん」


のんびりと座り込んでいた稜葉が後の始末を買って出る。

しかしそこで夜斗の目が鋭く光った。


「まだだっ!来るぞ」


「何っ!」



……………ザザっ


夜斗の声と同時に池の水位があり得ないくらいにせり上がり、黒い水が次々と溢れていく。


「なっ……何だこれはっ。血か?」


希州が錫杖を振り上げ、皆の前に光の壁を作る。

黒い水はその壁に弾かれ、辺りの地面に飛び散った。


………ジュっ。


「うわっ、何だこれ。地面が解けて抉れてるぞ」


崇が慌てて飛び退る。

黒い水は彼の足元スレスレまで飛び散り、それが彼の履いているスニーカーの底を僅かに溶かしたのだ。

そしてその周囲はまるで酸にでも焼かれたかのように溶解していた。


「不味いな。呪詛が思ったよりも強すぎる」



………ワタシ ノ オトモダチ ヲ カエシテヨ………



不意に池の中から少女の声が聞こえてきた。


「あれは……あたし?」


れむが困惑した様子で呟く。

似ていたのだ。

姿かたちは違えど、その高圧的な口調は「異界」でれむを過去の記憶と対峙させ苦しませた、あのもう一人のレムだった。


「あれが長瀬理恵だよ。君ではない。あれは君の記憶を利用して姿を保っているに過ぎない。本来の人格はほとんど崩壊し、あるのは憎しみや悲しみといった負の念しかない」


双葉がれむを守るようにして前へ出た。

だがれむはそれを制して前へ進み出る。


「あたしが話をつけます」


「春日君?」


「大丈夫ですよ。所長。もう彼女に取り込まれたりしませんから。あたしはちゃんと前を向いてあなたと向き合うんだって決めたから。だからもう絶対に彼女の記憶には同調したりしません」


れむはそう言って力強く一歩を踏み出した。


「ふっ、半人前のくせに随分と立派な事を言うようになったな」


双葉は眩しそうな目をれむへ向けた。


「あなたが理恵ちゃんっていうのね」



………ソレガ ドウシタノ? イクジナシノ アナタニハ カンケイナイデショウ?



嘲笑うような理恵の態度にもれむは動じる事なく、真っすぐに理恵と対峙する。


「可哀そうに……。お友達が欲しかったのね。だから「皆」をここに呼んだの?」



………カワイソウ?サビシイ?バカニシナイデ。アナタニリカイナンテサレタクナイ。



「いいのよ。あたしも同じだったから。ずっと寂しかったの。貴方の言うとおりよ。それを否定したりしない。あの人に嫌われたくなくて真実を伝えられなかったのも事実。でもあの人はそれを受け止めてくれる。だからあたしはもう前のような逃げてばかりのあたしじゃない。………だから貴方も勇気を出して真実を受け止めて…」



………アナタニナンテリカイサレタクナイッテイッタデショォォォォ



突然少女の表情が鬼のような醜悪なものに転じた。

そして激しいまでの怒気が辺りを包んだ。


「春日君っ、もういい。下がるんだっ!」


見かねた双葉がれむを強引に引き戻そうとするが、れむは優しい顔をして微笑んだ。


「大丈夫。大丈夫です。所長。あたしに任せてください」


「れむ………」


そう言うと、れむは理恵へと更に近づき、距離を詰めていく。



………ソレイジョウチカヅクト シヌワヨ アナタ……



鈍く燻る蒼い炎に包まれた理恵が挑発するように嗤った。

それでもれむは近づくのをやめない。


「大丈夫。あたしが貴方の寂しい心を温めてあげるから」


そう言うとれむは炎に怯む事なく、少女のか細い身体を抱きしめた。



………アアアアアアアアアああああああっ……………



れむの腕の中で少女と炎が暴れる。


「春日君っ!」


双葉が意を決してその後を追おうとするが、夜斗にそれを止められた。


「落ち着け、双葉。あれを見るのだ」


すると理恵を包んでいた炎が次第に小さくなっていくのが見えた。


「どういう事だ?」


「れむの心があの少女の心を浄化したのだろうな。お主も言うたであろう。心の強さが最大の武器であると」


「……………」


双葉はきまり悪そうに舌打ちをした。



…………ワタシ………私、本当はずっとお友達が欲しかったの。なのにママはずっと私をこの家から出してくれなかった。私はこの世に誕生してはいけない子供だったからって。それでも私は外に出たかった。出てお友達と遊びたかったの。他の子達は皆、自由に遊べるのに私はずっと外に出られないままで……そうしたらママが怖い顔をして私の首に…………」


「理恵ちゃんっ!」


「ママが私を投げ込んだ先は、暗くて冷たくて、お友達なんて一人もいない寂しいところだった。だから私がお友達を呼んだの。いっぱい。だから寂しくなくなった。でもそれは間違ってたのね。あの子たちには私と違ってちゃんと愛してくれる人が待っているんだもの。勿論貴女もね。だから私の代わりにいっぱい生きていっぱい幸せになってね」


穏やかになった理恵は涙をこぼしながられむの手を取り、そしてそのまま光の粒と化して空気に解けていった。

そこに稜葉が聖書の言葉で静かに送った。


「よくやったな。春日君。立派だったぞ」


「あぁ。本当だ。大したものだよ」


希州はれむの頭を乱暴にガシガシとかき混ぜた。


「ちょっと、痛いですってば。黒ちゃん」


改めてれむは周囲を見渡すと、テラスの方に理宇の腕の中でぐったりと横たわる佐穂子の姿を見つけた。

れむが理恵を浄化している間に彼女は無事に彼らによって引き上げられたようだ。


「あっ、佐穂子さん!」


「彼女なら大丈夫です。衰弱しているけれど命に別状はないって夜斗さんが言ってくれました」


嬉しそうに千紘がそう説明してくれた。

れむはようやく肩の力を抜いた。


「どきに救急車と警察が来るよ」


稜葉が使った道具をしまいながられむたちにそう伝える。


「これで本当に終わったんですね」


「ええ。お疲れ様です。あ、そうそうあれを見てください」


稜葉の指さす方向には池がある。

今はそこにもう理恵の姿もなく、池の水も全てなくなっていた。


「ぐぁっ、何だよこれ」


最初に声をあげたのは崇だった。

彼らは稜葉に命じられて干上がった池を掘り返していたのだ。


「何かあったんですか。もしかしてお宝とかですか?」


「バカか。春日君、行くんじゃない」


何故か慌てたような双葉を無視して、れむは池の方へ行った。

そしてわくわく顔で池の底を覗くと……。





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