第25話「鏡の中の少女の記憶」

「違うっ!そんな事はないっ。お兄ちゃんは何も悪くない」


れむは力いっぱい、鉄格子の向こうで項垂れる彼に向って叫んだ。

だがその声は彼には届かない。


「どうしてなの……どうしたらいいの?」


あれからあの幼いれむの身には本当に様々な事が降りかかった。

お兄ちゃんの言った事は本当の事になった。

夜に台所の天ぷら油から出火し、たちまちのうちに火は燃え広がり、家は全焼。

すっかり寝入っていた父と母がその犠牲となった。


しかし隣の部屋で寝ていたれむは何者かによって助け出された。


激しい炎と煙で視界は塞がれていたが、れむは確かに覚えていた。力強い手で自分を抱え上げ、外へと連れ出してくれた存在を。


一言も言葉を交わさなかったけれど、れむは信じていた。

あれはきっとお兄ちゃんだったと。


その火事を境にお兄ちゃんとは会えなくなってしまった。


れむ自身もそれどころではなかったのもあるけれど、しばくして落ち着いてきたところであの屋敷の離れへと行ったのだが、そこには誰もいなかった。


鉄格子の中は空っぽだった。

中の小鳥は逃げてしまったのだろうか……。それとも。



「どうして今頃こんな事を思い出したんだろう……」


「それは貴女の心の底にある忘れたい闇の世界だからよ」


「!」


ポツリと呟いたれむの背後から突然幼い女の子の声がかけられた。

反射的にれむは振り返る。


「あ……たし?」


その女の子はあの幼い「レム」だった。

くりくりの髪をピンク色のリボンで二つに結い上げ、デニム生地のスカートにアニメプリントの入ったTシャツを着ている。

れむのお気に入りだったあのTシャツ………。


「あなたは……誰?それに闇って何?」


女の子は口元を歪ませる。嗤っているのだろうか。


「貴女がずっと心にしまい込んでいたものがここにはあるの。それが闇の世界」


「しまい込む?」


幼いとはいえ、こうして自分自身と向かい合ってよくわからない会話をしているのはどうも不思議な感覚だ。

少女はれむの困惑を無視して話を続ける。


「貴女はあの日、自分の身がどうなろうとも構わず、親切で事実を教えてくれたお兄ちゃんに酷い言葉を投げつけた」


「そ…れは」


れむが浮かべた一瞬の逡巡すら構わず、少女は幼い顔に憎悪を浮かべて更に言い募る。


「お兄ちゃんは生まれながらに「先見」の力を持った稀有な存在だった。だからその力は血族の宝であり、彼が自分自身の為に使える力ではなかったの。それなのに彼はその力を使った。それがどれ程、重い事か貴女にはわかる?それでも彼は貴女の為に力を使った。そしてお兄ちゃんは傷つき、心を閉ざしてしまった。それは「罪」じゃないの?」


「うっ……くっ………」


「彼は自分と関わったせいでと言っていたけれど、本当は違う。貴女が彼と関わったせいなの。貴女なんかいなくなってしまえばよかったのよ。何でそう思わないの?」


「やめてっ!」


れむは耳を塞ぎ、屈みこんでしまった。



「またそうやって逃げるのね。逃げる事で全て解決出来ると思ってた?貴女、卑怯だわ。だから今でもあの人に言えないままなんだわ」


れむの姿をした少女は吐き捨てるように痛烈な言葉を投げつける。

胸が激しく痛んだ。


「どうして………それを?」


少女が笑う。


「あたしは貴女だからよ」


いつしか辺りの景色は再び元の真っ白な空間に戻っていた。

ここにはれむとレムしかいない。



「貴女、あの人が「お兄ちゃん」だって事に気づいているんでしょう?だったら何で言わないの?それが卑怯なのよ。貴女はいつだってその無邪気な心であの人を今でも傷つけているのよ」


れむが立ち上がり、叫ぶ。


「わかっているよっ!ずっと。だって………名前、同じだもん。でも言えなかった。言えるわけないよ。卑怯だって言われてもいいよ。ただあの人の傍にいたいだけだもんっ」


悔しさから再び涙が溢れだす。


「何で言わなかったの?あの人が何も覚えてなかったから?それを貴女は利用したの?もしあの人が貴女に気づいていたらどうするつもりだったの?」


「利用なんて……そんな」


れむは唇を噛み締め少女を見つめた。

自分自身と対峙しているというのに、目の前の少女の存在が恐ろしかった。


「あの人が貴女の罪に気付いたら嫌われるとでも思ったの?」


「………そうよ」


何かがれむの中で弾けた。

れむの纏う空気が変わった事に気づいた少女は不思議そうな顔をする。


「言ったらあの人が何て言うのかそれが怖かった。だけどもういいよ。今度もしまたもう一度「双葉さん」に会えたら本当の事を話すよっ!」


「それ本当?」


その時、幼いレムの顔に初めて優しい表所が浮かんだ。

子供らしい素直で素朴な笑顔が。


「………な…何?」



「ありがとう。れむ。僕はまた君を悲しませてしまわないかな?」



白い指先がれむの瞳に浮かんだ涙の雫を掬い取る。

涙でぼやけた視界が次第にはっきりしていった。

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