第22話「そして異界の扉が開く」
「さぁ、始めようか…」
再び巳波邸。
あれから片付けと調伏の準備を終えたれむたちは屋敷の庭先へ出ていた。
そこに稜葉がいつになく真面目な表情で、黒い革の手袋嵌めながら姿を現した。
「あの……稜葉さん。所長とは連絡が取れたんですか?」
「うん。大丈夫ですよ。もうこちらへ向かっているそうです。夜斗くんと一緒にね」
「ああん?どおりで夜斗のヤツ、戻りが遅いと思ったぜ。ヤツの事だからどっかでナンパでもしているかと思ったな」
「黒ちゃん……」
そして憎まれ口を叩きながら希州もやって来た。
その纏う衣服は昼間のラフな黒いTシャツとジーンズではなく、墨染めの山伏装束だった。
衣服を仕事用のものに変えただけで希州の表情もまた引き締まり、精悍な顔立ちが際立って見えた。
「まずは皆さん、ここから出来るだけ安全な場所に避難してください。まぁ、だんだん夜に近づくにつれ魔の気配が濃くなっていますから、どこにいても安全を保証出来るわけでもないのですが、黒崎さんが張った結界の中にいて下さい」
稜葉が示した先は、盛り土が三か所に配置されていた。
そこに入るとそこだけ空気が清浄に保たれているようで、多少重苦しさが薄らいでいる。
理宇たちはそこに留まる事になった。
「れむさん、これからどうなるんですか?佐穂は……」
「大丈夫。理宇ちゃん。絶対何とかなるから」
れむは自分に言い聞かせるように何とも頷いて理宇の手を強めに握った。
やがて庭へ目を向けると、池の畔の薄闇にぼんやりと希州の姿が浮かび上がった。
希州は懐から呪符を取り出し小声で素早く印を組むと、それを静かに中央の池へと放った。
………………!
希州が池に呪符を投じた瞬間、池全体が鏡のように輝き、まるで昼間のような光を放つ。
「こ……これは」
視界が一気に白一色に染められ、目を凝らすと辛うじてその中央の辺りに窪みのようなものが見て取れた。
稜葉はそれに少しずつ近づいていく。
「稜葉さんっ!危険ですよ」
れむが結界の内側から身を乗り出して稜葉に制止の声をあげるが、その前に希州が無言で首を振る。
「黒ちゃん?」
「れむちゃん、これは相当ヤバいかもしれない。いいか。もし何かあれば合図する。そうしたらガキ共連れて出来るだけ屋敷から離れるんだ。いいな?」
希州は厳しい顔つきでそう告げた。
「で……でも黒ちゃん達はどうするんですか?」
すると希州は唇の端にニヒルな笑みを浮かべ、視線を池の方へ移した。
「俺はここに残って最後まで抗うさ。それが俺の「仕事」だからね」
「あ…あたしだってちゃんと「仕事」で来てるんです。所長が来るまではちゃんと…」
「ちょっと待ってくださいっ、あれを………」
れむがそう言いかけた時だった。
崇が急に大声を出し、真顔で池の方を指さしてその表情を固まらせていた。
れむもすぐにその指の示す先へと視線を追いかける。
「あれはっ………!」
「佐穂子っ!」
突然理宇が叫びだし、崇と千紘が止めるのを振り切って結界から飛び出した。
「佐穂っ、今助けるからねっ!」
「だめだっ、工藤っ」
「工藤さんっ」
見ると池の中心の窪みから女性のものと思われる白くて細い手が突き出し、まるでこちらへ「おいでおいで」と手招きをしているように揺らめいていた。
その手の持ち主が佐穂子とは限らないというのに、理宇は疑う様子など微塵も見せず駆け寄っていた。
「だめっ、理宇ちゃん。戻って」
れむたちが必死に声をかけたが、もう理宇の姿は池の向こうへ消えようとしていた。
「稜葉くんっ」
「ええ。何とか引っ張り上げます」
希州が傍に置いてあった金の錫杖を持ち上げ、それを池に翳した。
そして必死に呪を唱える。
稜葉が池の前に膝をつき、理宇へ向けて手を伸ばす。
しかし理宇の姿はどんどん池へと引き込まれていく。
………………!
理宇の身体が半分ほど池の中へ引き込まれようとした時、突如池が生物のように蠢き、池全体が巨大な口をぱっくりと開けた。
「な……なんだあれは」
希州の顔が大きく引き攣る。
「だめーーーーーっ!」
「れむさん、いけない!」
希州と稜葉が一瞬その異様な池の状態に身を引いた時、横かられむが飛び出して、咄嗟に池へと飲まれていく理宇の腕にしがみついた。
稜希が血相を変えてれむを捕えようと手をより一層伸ばすのだが、二人の周囲に絡んだ光に阻まれ叶わない。
そうしている間に二人の姿は綺麗に消えていた。
「おい……今のは何なんだよ」
崇が茫然とした顔でよろよろと歩み出て来て希州に問いかける。
稜葉はただ辛そうな顔で掴み損ねた手を見つめている。
「工藤さんたちは、川瀬さんと同じように屋敷に……いや、池に喰われてしまったって事ですか?」
千紘も沈痛な面持ちでそれだけを口にして黙ってしまった。
「おい、こうしちゃいらねないぜ。何とかあの池の入り口に入る方法を考えないとな。解決するつもりがかえって被害者を増やしちまったときたらたえらい事だ」
希州も額に汗を浮かべ、何度も池の様子を調べている。
しかし池はまたいつもの穏やかさを取り戻しつつあった。
禍々しい気配はそのままに。
「双葉……すまない」
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