第12話「水辺の怪異」
巳波邸へ着いた頃には快晴だった天気が徐々に曇りだし、パラパラと雨が降ってきていた。
沖縄は一年中雨が多いのだ。
「着きましたね。所長」
移動につぐ移動で多少の疲れは残るにしてもこの暑さだ。東京にいる時よりも疲れ方が違う。
特に沖縄は今頃から十月頃までが夏なのだ。
本州とは四季の感覚がかなり異なる。
双葉の方はやや顔色に疲れが窺がえるものの、やはり何度か訪れた事がある為、気候に合わせた体調管理が出来ているようだ。
「うへぇぇ。沖縄って夕方になっても気温下がらないんですね~」
れむは思わず上に着ていた淡いピンク色の上着を脱ごうとしたが、すぐに双葉に止められた。
「えっ、どうしてですか?だって暑いじゃないですか」
「暑いからといって肌を露出させるのはかえって危険だ。何の対策もせずにいると皮膚炎をおこすぞ」
「むむっ、じゃあどうしろっていうんですか。暑いんですよぅ」
れむはムッとして頬を膨らませた。
「今に寒くなるさ」
「はい?」
そう言うと双葉は屋敷の門へ向かって歩いて行ってしまった。
れむはまた上着を着こみ、冴えない色味の空を見上げた。
雨はもう上がっていた。
そしてまた猛暑が姿を現す。
◆◆◆◆◆◆◆
「驚いたな。まさか池があったのか……」
屋敷に真っすぐには寄らず、双葉はまず庭を回る事にした。
庭は亜熱帯の植物が生い茂っている。
きちんと手入れをすれば花々による美の競演が楽しめるだろう庭は、打ち捨てられた荒れ野のようだった。
その茂みをかき分けるようにして更に奥へと入ると、そこには苔むし淀んだ池が姿を現した。
すぐに双葉がチッと舌打ちする。
「あの…池がどうかしたんですか?」
「庭の池は凶相でね。湿気で腐敗現象を誘発する。そして池には不浄な霊が棲みつきやすい」
「そうなんですか……。でもお庭に池って涼しげでいいと思うんですけどねぇ。どうしてもダメなんですか?」
れむは池の淵に腰掛け、底の見えない緑色の水面を覗いてみる。
「池はどこにあっても凶相だ。もしどうしても作りたいのならば家から十メートル以上離し、大きさも一坪以内の小規模なものにするんだな。ふっ、春日君は庭の池がお好みなようだな」
「はい。だって昔は家のお池で金魚とか飼っていたんですよ。お祭りに行く度に増えていくのが楽しみで……」
思わずうっとりと過去に思いを馳せるれむに、双葉は何故かとても優しい表情を浮かべて見つめていた。
その視線にれむは気付いていなかったが、自然と二人とも笑顔になっていく。
互いの間に一瞬浮かんだその愛しい感情が何を意味するのか、二人はまだ知らない。
「あっ、兄さん達っ。そこにいたんだ。さっき警備に聞いたらこっちの方に行ったっていうから」
突如、よく通る美声が響いた。
稜葉のものだと二人はすぐにわかった。
するとその後ろに希州の狗神である夜斗の姿もある。
「稜葉さんっ。それに夜斗くん。今日は人型なんだね」
「よっ。ハニィ。この姿では久しぶりだな」
白い山伏装束に萌黄色の髪今日は後ろで束ねた夜斗は、愛嬌のある笑顔でれむの手を取った。
「希州のヤツが別口で調査に行っててな。オレはその代理としてここにいるんだ」
「へぇ、別口って何だろう…。ねぇ、所長」
「…………」
双葉は何を考えているのか、腕を組んだまま視線を宙に固定したまま動かない。
そんな双葉に夜斗は顔を引き締め、口を開く。
「時に双葉よ。お主はこの池の縁にある石灯籠を見てどう思う?」
瞳の中に炎が宿っているのではないかと思うくらい輝く金色の双眸を向けられ、双葉は一瞬戸惑いの表情を見せたが、すぐにその意図に気付いたようだ。
「これは………よくないな。それに妙な「念」らしきものを感じる」
「念?この灯篭が?」
稜葉は腕を組みながら灯篭に近づく。
灯篭は池の縁、ちょうどれむの座っている場所の隣に鎮座している。
表面は青々とした苔が灯篭を包み込むようにして生えている。
そこだけが暗く、どことなくその周囲の空気み重く感じる。
それにかなりの湿気がある。
「何で西洋風のお屋敷なのにこんな和風の石灯籠がここにあるんですかね?」
ポツリとれむがこぼす。
確かに彼女のいう通り、この外観の建物や池も西洋風で統一されているというのに、そこだけ和のテイストである石灯籠がポツンとあると妙な違和感がある。
この場に相応しくない異質なものに見えるのだ。
「それはここの前のご主人が様々な骨董品を蒐集するのが趣味でね。何でも相当な数の骨董品で屋敷中が埋もれていたという話だよ。それで身代を崩してそれらを手放す事になったんだけど、その価値はどれも贋作や二束三文にしかならないガラクタばかり。ここを引き払う事になってもまだ処分しきれなかった骨董品が未だ屋敷の中に溢れているそうだ。そいつもそのコレクションの一つだったんじゃないのかな」
稜葉が苦笑交じりに説明する。
れむは改めて灯篭を見てみる。
何故かじっと見ていると不安に気持ちが胸から迫り出してくるような気がした。
言いようのない禍々しいものを感じる。
とても嫌な感じだ。
「石には念が籠りやすい。多分この屋敷の怪異はこれから来ているんじゃねぇかって事で今、希州のヤツが本家と連絡を取りに行ってるのさ」
「これって、そんなに大変なものなの?夜斗くん」
急に怖くなったれむは慌てて灯篭から距離を取った。
「はははっ。下手すりゃ悪霊の住処ってか?」
その時、ガサっと木々の間を分けて墨染めの山伏装束姿の希州が話に突然割込んできた。
「きゃっ……って、黒ちゃんっ!」
れむの大声に双葉は眉を顰める。
希州はそれを見て困ったように笑った。
「まぁまぁ。それよりもその石灯籠の出どころは四国の本家の方で調べといてくれるってさ。早くて明日の午後にはわかるだろう」
「四国って黒ちゃんのご実家があるところですよね」
「そ。何なら今度連れて行こうか?」
希州が軽くウィンクする。
「えっ、本当ですか?うわ~っ、四国ってまだ一度も行った事ないんで嬉しいです。ねぇ、所長」
「春日君、軽はずみな言動は避けた方がいいぞ」
見ると隣で双葉がもの凄い形相でれむを睨みつけている。
その意味がれむにはわからない。
「そうですよっ!れむさん。貴女は兄さんと僕の教会で僕の手によって幸せな結婚式を挙げるんですから。四国の狗神のところへはやれませんよ」
「稜葉っ」
すぐに双葉が稜はの口を片手で塞ぐ。
双葉は珍しく耳まで真っ赤になっていた。
一方、れむの方もようやく意味を理解したのか、焦ったように両腕で激しく振り回している。
「も~っ、皆、何変な事言ってからかうんですかぁ。イヤですわねぇ。おほほほほほほっ」
「変……イヤ………」
「おいおい、双葉のヤツも壊れとるぞ~っ」
ブツブツと先ほどのれむの言葉を反芻する双葉を夜斗が人差し指でツンツンする。
「ま……まぁ、いいじゃないか。それより双葉たちはまだ屋敷の中に入るのは初めてだったよな?一緒に行こうぜ」
「ちょっと待ってください。私たちは別にあんたと一緒なんて……」
希州の言葉に我に返った双葉は思い出したように食ってかかろうとしたが、すぐに稜葉に止められる。
「はいはいは~い。さぁさぁ、仲良く一緒に巳波邸を見学しましょうね~」
「こ……こらっ、稜葉っ。離せっ」
往生際悪くもがく双葉を諫めるように稜葉に背中を押され、強引に屋敷の中へ連れていかれる。
「さてと。オレたちも行くといようか。れむちゃん」
何故かご機嫌な希州に促され、残ったれむも屋敷へと向かう事になった。
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