第9話「狗神先生」
「おお、双葉にれむちゃん。久しぶり。まさか凄腕の風水師ってのがお前たちだとは思わなかったぞ」
会った早々、快活に笑うのは先ほど稜葉に「狗神先生」と呼ばれた狗神使いの黒崎希州だった。
希州は双葉の高校時代の先輩にあたる。
漆黒の髪と瞳にガッシリした体格を墨染めの山伏装束に包んだ好青年である。
彼は四国にある狗神憑きの家の出身だ。
狗神とは憑き物の一種で、その正体は犬の霊だとされている。
何かの恨みを受けたり、偶然の機会でも憑かれたりする事がある。
狗神に憑かれると、癲癇、狂気症状、肉体的苦痛が現れ、医者にかかっても治る事はなく、呪術者によって落としてもらうしかない。
そして狗神の多くは女性に憑くと言われているが、希州は数代ぶりの直系男子の当主である。
「やっぱり黒ちゃんだったんですね。お久しぶりです」
予期せぬ再会にれむは笑顔を浮かべる。
「おうよ。そこの稜葉くんに正式に依頼されてな。れむちゃんも元気そうでなによりだ」
出会った頃と変わらない人好きする笑顔でれむの手を握る。
「お久しぶりです。黒崎さん」
そんな再会を喜ぶ二人の間を故意に断ち切るようにして双葉が希州に嫌々挨拶をする。
「おう。双葉も元気そうで何よりだ」
しかしそんな双葉の複雑に心情に気付く事なく、希州は素直に双葉との再会を喜んでいる。
稜葉はそんな普段見慣れぬ兄の様子を楽しそうに眺めていた。
警察の陣取っている仮本部のテントの一部を借り、希州はそこに双葉とれむ、そして稜葉を招いた。
そこには先客がいた。
依頼主である巳波氏だった。
彼は立ち上がると、すぐに立ち上がり双葉たちに頭を下げた。
年齢は四十代半ばといったところか。髪に所々白いものが混じってはいるが、中々精悍に顔立ちをしている男性だ。
「どうも初めまして。風水師の先生ですね。お話は稜葉くんから聞いてます」
「ええ。はい。初めまして高羽といいます」
双葉は巳波氏と軽く握手を交わした。
テントの中は外観のわりに広く、パイプ製の簡素なテーブルには乱雑に何かの資料のような紙の束が広げられている。
その脇に寄せるようにしてカップ麺の空き容器やカフェイン飲料、煙草の吸殻が纏められていた。
「ま、ここが俺に割り当てられた「城」さ。当分警官たちも入って来ないだろうし、好きに使ってくれて構わないよ」
乱雑に置かれた雑多に物を簡単に片づけ、希州はその空いたスペースにパイプ椅子を人数分配置した。
「うわぁ、凄い。何で黒ちゃん、警察の人でもないのにこんなに優遇されてるんですか?」
「ん?今回はな、本家からのノルマ仕事で、そっちからの圧力がかかってんだ。勿論ここにいる巳波さんの了承も得ているし、警察の方は渋々ではあるが調査には黙認という形で話はついている。だから仕事の決着は俺に任せてもらう事になるけど、後は好きにしてくれて構わない」
簡易ポットからお湯を注ぎ、お茶を淹れる準備している希州を見てれむはすぐに席を立ち、紙コップを持ち出して手伝いを始める。
「へぇ、黒ちゃんのお家って本当に凄いんですねぇ。警察にまで介入出来ちゃうなんて…。じゃあ、今回は黒ちゃんをお手伝いするって事ですか?」
「そうしてもらえると助かるよ。れむちゃん」
「ちょっと待って下さい」
突然目の前に置かれた紙コップが倒れるくらいバンっとテーブルに両手を叩きつけた双葉に、全員が言葉を失い彼の方を見た。
それを見て稜葉が静かに口を開く。
「どうかした?兄さん」
「どうかした?ではない。黙って話を聞いていれば何だ、ようは貴方の仕事の手伝いで我々はやって来たというようになっているじゃないか。警察に話を通すなど今の我々には必要のない事です。私たちはただ当初の依頼通り、この屋敷の風水鑑定
をするのみです」
双葉はちらりとれむと稜葉を横目に見ると、さっさとテントを出ようとした。
「待ってよ。兄さん」
テントの外へ一歩出ると、すぐにムシムシとした沖縄特有の熱気が襲い掛かり、一瞬くらりとした眩暈を覚える。
そしてすぐに飛び出した双葉の後を追って来たのはれむだった。
「所長。どうしたんですか?急に…」
「先ほどの言葉のままさ。あの人のやり方が気に入らない。それよりどうしてついて来た?君は黒崎さんを手伝いたいのではないのか?」
「なっ……所長っ!」
れむを残してさっさと帰路へ向かおうとする双葉に、れむは怒りよりも寂しさを感じた。
「あ…あの…、もしかしたら、あの屋敷を調査しに来た方ですか?」
その時、二人の会話を遮るようにか細い少女の声が割り込んできた。
「あなたは?」
れむの呼びかけに少女はおずおずとした動作でこちらに姿を現した。
濃紺のベストに白いカッターシャツ、グレンチェックのスカートという制服をまとった華奢な体格の少女だった。
彼女は恐る恐るといった様子で改めて双葉たちを見つめた。
「あの…あたし、工藤理宇っていいます。あの屋敷で行方不明になった川瀬佐穂子の友達で、その時皆で一緒に肝試しをした一人です」
肩口までのサラサラした黒髪を揺らし、理宇は縋るような眼で二人に事情を伝えた。
「君があの事件の?そうか。行方不明になったという女子高生というのは君の友達だというんだね?」
「はい。…あ……あの、その通りです」
眩いまでの美貌の双葉に見つめられ、理宇は更に挙動不審になり、顔を一層赤くした。
れむは何故かそれが気に入らない。
ややギスギスした目で双葉を軽く睨んだ。
しかしそれに双葉が気付く事はなく、しばらく腕を組んで何か考える素振りを見せた後、パっと顔を上げた。
「わかった。君に協力しようではないか。これは君からの依頼として請け負う事にする。黒崎さんよりも早く事件を解決しようではないか」
「えっ、ちょっと所長っ?」
いつになくやる気漲る双葉にれむは困惑を深めるのだった。
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