第3話「沖縄へ行くって本当ですか?」
「う~っ、暑い。死ぬーーーーー」
東京は渋谷の片隅に位置する双葉住宅環境相談センター。
そのオフィスビルの七階の窓辺で溶けかけているのは半人前所員、春日れむ。
ちなみに本日の東京中心の気温は正午に入った辺りからグングン上がり、37度を超えた。
これが体温なら解熱剤の世話になっているだろう。
だが自然現象に解熱剤は使えない。
「ねぇ~、所長。これ本当にクーラー効いてます?壊れてんじゃないんですかぁ」
机に突っ伏したまま、れむは反対側で難しい顔で書類を睨む所長の双葉に声をかけた。
「春日君。何度も言うが、冷房は身体にあまり良くない。何事もほどほどに利用してこそだ。それよりそっちの書類、ちっとも進んでないようだが?」
「うぅっ……。所長は暑くないんですか?」
見ると双葉の額や首筋には汗一つ浮かんでいない。
彼は涼し気な顔で次々と書類の束を処理していく。
れむの目が胡乱げに細められた。
………………ピトっ。
「だぁぁぁぁぁぁぁぁっ!かっ……春日君っ、君、なっ…何をっ」
れむは何を思ったのか、双葉の背後に回り込み、背中からコバンザメのようにぴったりと抱き着いてきた。
予期せぬ暴挙に双葉の背が弓なりに反った。
「いゃ~、ほんのり伝わる温もり…………でも暑いわ」
「だったら、とっとと退いてくれないかっ!暑苦しい」
ベリッと音がするくらいの勢いでれむを引きはがすと、乱れた前髪を乱暴に払い肩で息をする。
切れ長の目は明らかな怒気を孕んでいた。
「ほぇ~。余計暑くなった」
「誰のせいだっ。誰のっ!」
クーラーの設定温度は23度。
適温といえばそう言えよう。
しかし窓から照り付けるジリジリとした夏特有の日差しまでは遮光性の高いブラインドでも完全には防ぎきれない。
ふと見ると窓際に置きっぱなしだったウーロン茶のペットボトルは既にぬるま湯と化している。
給湯室にある冷蔵庫から取り出した時は良く冷えていたというのに。
「………まぁ、この暑さだ。仕方ない。私も暑い事は暑い。そうだな、思い切って海にでも行かないか?春日君」
ぬるま湯となったウーロン茶に一瞥をくれた双葉は、不意に何か名案を思い付いたとばかりに瞳を輝かせた。
「えっ、海ですか?本当に?」
まさか仕事の鬼である双葉の口からそんな娯楽施設の名前が出てくるとは思いもしなかったれむは疑いの目を双葉に向ける。
「ああ、勿論「仕事」絡みでだが。どうする?」
…………………予感的中。
何となく予想はしていた言葉だが、どうしてもれむの顔に渋面が広がる。
双葉がただの遊びでれむを誘ってくれる確率なんて宝くじで当選するくらい低い。
そんな様子のれむを見て、双葉はそれすらもお見通しという顔で頷いた。
「そんな顔をするな。今回の仕事は何と「沖縄」で宿泊先は海の見える「超一流」のリゾートホテルだ。依頼者は私の弟の稜葉からの紹介で、家屋の家相鑑定。内容的に見ても二~三日で消化可能だろう。滞在期間は一週間を予定しているから、残った時間はバカンスとやらを楽しむといい。旅費も向こう持ちだ。どうだ。悪くないだろう?」
「おっ……沖縄っ!行きますっ。是非行かせて下さいっ。もう何でもやりますから」
その言葉を聞いた途端、態度を一転させ、れむは小躍りしそうな勢いで双葉の手を取り万歳をする。
その様子を見て双葉は満足そうに頷く。
「そうか。「何でも」か。それはいい。うん」
「もぅ。所長ったら、こういう事はもっと早めに言って下さいよね。あ~、水着はどうしようかな。思い切って買っちゃおうかな。あ、それに所長に弟さんなんていらしゃったんですね」
「まぁね。しばらく顔を見てないが」
はしゃぐれむを横目に双葉は長い指先でブラインドの上端を押し上げた。
そこは陽炎すら立ち昇る強烈な午後の日差しが変わらずある。
それに目を伏せ、ため息を吐く。
彼は極端に色素が薄く、この様な強い日差しは特に苦手だった。
…………沖縄か…。果たして私は無事に帰れるのだろうか。
自分で言い出したものの、これから彼を待ち受けるだろう受難を思うとため息し出なかった。
「所長っ。ビバ沖縄っ。レッツパラダイス~!」
既にれむの心はまだ見ぬ南の桃源郷へトリップしているようだ。
余程嬉しかったのだろう。
「…………時々本気で君が羨ましくなるよ」
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