第2話「闇に蠢くものたち」

闇を照らす月に隠れるようにして、その建物は存在した。

亜熱帯に属する島国の一つにこの一風変わった建物はひっそりと建っている。

そこは既に住人は無く、廃墟と化していた。


そう、あの「事件」があった「あの日」から……。


家人を失って数十年の月日が流れた今、屋敷の前に広がる朽ち果てた庭に漆黒の牧師服を纏った若い男が立っていた。


深い闇の中にあって尚、暗い闇を纏った冷たい双眸はじっとある一点へと注がれている。

それは屋敷の周囲に漂うただならぬ気配。

異形の影だった。


男の纏う牧師服の裾が南国の湿り気を帯びた風を受け、大きく膨らむ。


やがてどこからかやけに騒々しい若者たちの声が風に乗って運ばれてきた。

それに気付いた男は表情一つ変えず、現れた時と同じく空気に溶け込むかのように消えた。

まるで最初からそこに存在しなかったかのように……。


やがて若者たちの声は更に大きくなってきた。


「ねぇ、佐穂。本当にヤバいって。引き返そうよ」

「そんなの今更よ。ここまで来て何言ってんの。理宇。あ、ほらもう着いたみたいだよ。崇、杉原~、こっち、こっち~っ!」


暗闇の中から現れたのは二人の少女たちだった。

二人とも手には小型の懐中電灯を持っている。

理宇と呼ばれた少女は工藤理宇。彼女は見るからに怯え、震えていた。

懐中電灯を握る手も心なしか小刻みに震えている。


そんな理宇を叱咤するように一際大きな声をあげている利発そうなもう一人の少女は理宇の友達の川瀬佐穂子。親しい仲間たちには「佐穂」と呼ばれている。

そんな佐穂子の明るく元気な声に後方の暗闇から同じく懐中電灯を持った二人の少年たちが姿を現した。


彼らは地元の高校に通う学生で、娯楽に乏しい夏休みを盛り上げるべく、島民でもあまり近付かない、通称「幽霊屋敷」へ肝試しに来たのだ。


「お前なぁ、張り切りすぎだっての。全く…俺らを置いてどんどん先行きやがって」

「本当だよ。もし何かあったらどうするんだい。理宇ちゃんも佐穂ちゃんも大丈夫?怪我とかしてない?」

「あっ、あたしは大丈夫です。ねぇ、佐穂」

「うんっ。全然平気平気っ。それより全員揃ったところでそろそろ行かない?」

腕まくりをして鼻息荒く、その腕をブンブン振り回している佐穂子に理宇を始め、二人の少年たちも疲弊したような笑みを浮かべる。


「あのなぁ、お前マジでやる気かよ。大体肝試しなんて時代錯誤も甚だしいぜ」

はっきりした声で言い放つ少年は山岸崇。彼はどうやら無理やりこの肝試しに参加させられたようで、いかにも億劫そうに長めの前髪をガシガシと掻き毟っている。

「そうだよ。それにここには良くない噂があるのは本当なんだよ」

そう諫める物腰の柔らかな少年は杉原千紘。理知的な印象を与える銀縁の眼鏡の奥の瞳には不安の色が滲んでいた。

彼は理宇たちより一つ年長で、高校二年生だ。


そんな千紘の不安をものともせず、佐穂子は歴戦の勇者のようにビシっと不気味な雰囲気で佇む屋敷を指さした。


「あたしがそんな事も知らずにここを選んだと思っているの?ねぇ、杉原。勿論知ってるわよね。ここはね……」

佐穂子が懐中電灯自らの顔を下から照らした。


「二十年前、子供がこの屋敷に「喰われた」のよ」


「佐穂っ!」

理宇は鋭い声をあげ、聞きたくないとでもいうように両手で自分の耳を覆い、屈み込んでしまう。

そんな彼女に千紘が庇うよえに駆け寄る。

「大丈夫?工藤さん」

「は……はい。平気…です。ごめんなさい。ちょっと動転しちゃって」

それを見て崇が舌打ちをした。

「ちっ。喰われたとか脚色してんじゃねぇよ。正確に言やぁ二十年前、この屋敷で暮らしていた子供が行方不明になったって事じゃねぇか」

そう言って崇は足元の小石を蹴り上げた。

佐穂子のオカルト好きは今に始まった事ではないので、いつかここを見てみたいと言い出すのは薄々感付いていた。


「でもただの行方不明じゃないんだよ?当時この屋敷は全ての部屋が施錠されていたっていうんだよ。つまり完璧な密室じゃん。そんな中で子供が消えたんだよ?これって立派なミステリーじゃん」

「何でもコイツはすぐにミステリーに結びつけようとして……」

「まぁまぁ、実は僕もこの事件は興味があって、ちょっと調べてみたりした事があったんだ。色々と謎が多いしね。つまり佐穂ちゃんはこの事件の真相を暴こうとしているんだね?」

千紘は眼鏡の端を人差し指で押し上げた。理宇が心配そうな顔で佐穂子を見る、


「別にあたしは今更事件の真相を暴こうなんて大それた事、考えてないよ。警察が調べても分からなかった事をあたしたち、ただの高校生がわかるわけないじゃん。あたしはただ見てみたいって思っただけ」


「何を?」


佐穂子を除く三人の声がぴったりと重なり、夜の湿った空気に響いた。

「何って勿論「幽霊」だけど?」

至極あっさりと、まるで好きな食べ物を答えるかのように言ってのけた。


「やっぱり……」


どうやら三人の予想通りの返答だったようだ。


この屋敷はその子供の行方不明事件以来、「幽霊屋敷」という別名で呼ばれ、地元で恐れられてきた。深夜にこの屋敷の中を今も行方不明になった子供がうろついているという噂が立ったのだ。

その噂はオカルトマニアの間ではかなり有名で、時々テレビのオカルト番組の取材が入る事もあった。


「さてさて、いつまでも怖がってちゃ何も出来ないよ?三人とも、心の準備はいい?」

「わーったよ」

「うん。了解」

「わかったわ。佐穂」


一人だけ元気な佐穂子が先導するような形で四人は屋敷の中へ入っていく。


「正面は施錠されているから、裏側の勝手口の跡から入るわよっ」


しかし、この後事態は大きく変化する。

二十年の沈黙を破り、屋敷は再び「覚醒」した。


その日、川瀬佐穂子は屋敷の中で消息を絶った。

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