第二話 イノシシ肉はチョーサイコー!
「イノシシの解体はスピードが命だ。特に今回は心臓をつぶして殺したから、血抜きが難しい。リィル、おまえにも手伝ってもらうぞ」
「あいあいさー!」
仮面を外した天狗さんが、割と真面目な感じで言うので、あたしも手を挙げて答える。
彼は一つうなずき、バックから大きなナイフを、一振り取り出した。
「毛皮は後で剥ぐ。とにかく内臓を取り出すのが先決だ。まず、生殖器の部分を避けてナイフを入れる」
「ねーねー、天狗さん」
「…………」
「生殖器って、なに?」
一切喋らず、無言で仮面を装着する天狗さん。
なによ!? 生きる基礎は教えてくれるんじゃないの!?
「なあ、リィル」
「なに?」
「あのエルフ、マィム・イートキルって」
「うん、あたしと名前が似てるでしょ! すごい偶然だよね!」
「……そっか」
わずかに声を震わせた天狗さんは、仕切り直すように、ナイフを一回転させた。
「続きだ。生殖器を避けて、ナイフで切れ目を入れる。内臓を傷つけないように注意を払いつつ、下あごの下部まで、まっすぐに切れ目を入れる」
「すっごい。めっちゃ切れるね、そのナイフ」
「だが、イノシシは脂が太い。どんなにいいナイフでもすぐにナマクラになるから、研ぐか複数用意する必要がある。で、これがイノシシの内臓だ」
「おうふ……」
獲物が大きくなると、それだけお腹を開けた時の圧力も増す。
というか、慣れない……
やっぱり、苦しい気持ちになる。
「おまえはそれでいいんだよ。胃や胆嚢を傷つけると、消化液がこぼれて、肉に臭いが付く。消化されちゃうんだなぁ。だから、慎重に行く」
「うん」
「骨盤を、ナイフでたたき、割る。それから作業がしやすいように、肋骨を広げる。胸骨を割ってしまってもいい。ノコギリがあるなら皮をはいでから背骨に沿って切り落とす方が手早いだろう。さて、これで内臓が取り出せる。リィル」
名前を呼ばれたので横に立つと、彼はとんでもないことを言い出した。
「ちょっと、内臓に手を突っ込んでみろ」
「は?」
「大型鳥獣の内臓を触るのは、初めてだったよな?」
「はぁあ!?」
ちょ、え?
え? ……まじでぇ?
「本気だ。手袋もつけるな、そのままだ」
「うやぁ……」
こうなると天狗さんは、嫌だとは言わせてくれない。
あたしは弱ってしまいながらも、言われるがままイノシシの内臓に、手を差し入れる──
「──!?」
全身に電流が走った。
いや、たぶんこれは、怖気とかそっちのもので。
……あったかい。
あったかいんだ、内臓が。
ああ、そうだよね。
だってこのイノシシ──
さっきまで、生きてたんだもん……
「この熱が、命の熱量だ。すぐに冷めて消えるけれど、確かにあった命の形だ」
「うん」
「だが、これを触らせたのは、そんな話をするためじゃない」
え?
違うの?
なんか、感動的なお勉強なんじゃ……
「馬鹿を言え。大事なのはなぁ、こんだけ内臓が温かいと肉がヤケちまうってことだ」
ヤケる?
なに、燃えるの? イノシシが自然発火するの?
ファイヤー! なの?
「ヤケるってのは、肉が熱で傷むってことだ。真っ先に内臓を取り出さなきゃいけない理由はそれだ。本来なら首の血管を切って、内臓を取り出し、川に漬けたりして血抜きをする。そのときに熱もとるんだ。こうすると、肉が縮まないから、肉汁も逃げない」
「何で今日は、そうしないの?」
あたしが訊ねると、天狗さんは肩をすくめ、
「おまえ、このサイズのイノシシを、二人で担げると思うか?」
と言った。
あたしは、獲物をまじまじと見やる。
百キログラムはありそうなイノシシだ。
半分ずつでも五十キロ以上……
うん、これはムリ!
「だろう? だから、不要なところを切り落とす。おまえが一つ賢くなったところで、内臓を完全に取り出すぞ。腹の内容物──糞とかだな──が肛門から漏れないように、大腸を縛る。のどのところに手を突っ込み、ナイフで食道を切り外す。そのまま食道を掴んで、おら!」
「お、おおー!」
グイっと持ち上がる食道。
それに、心臓とか肺とか大腸とかが、ぜんぶついてくる!
これは迫力がありますわ。
「リィル。ブルーシートをバックから出して広げろ。内臓を置く」
「イエッサー!」
「新鮮なものなら、肺、心臓、腎臓、肝臓は食べられるから、べつに取っておく。あとは、土に埋める」
「お肉は?」
「これからだな。後ろ足を開いたままになるようロープと棒で固定し、滑車で木の上に吊り上げる。それから、毛皮を剥いで、骨と肉に解体していくことになる。頭は毛皮と一緒に外すが、そのときに頬の肉と舌──タンを取っておくのを忘れるなよ」
「はーい!」
「じゃあ、毛皮だが。まず、足の周りにナイフを一周させて、それから腹に向かって切れ目を──」
そうして、あたしと天狗さんは。
ほとんど一日がかりで、イノシシを解体したのだった。
§§
二人で往復三回。
途中で沢によって、イノシシを洗い、ようやく庵に帰り着いたころには、もう日が暮れようとしていた。
慌ててあたしたちは、夕飯の支度を始める。
「肋骨についた肉。これがスペアリブだ。滅茶苦茶うまいが……今日は日持ちがしないものから食べる」
「日持ちがしないもの……傷みやすいもの?」
「わかってきたな、おまえ」
「わ、ちょっと」
髪をくしゃくしゃにされて、思わず頬を膨らませてしまう。
仮面を取った彼は、口元だけで笑い、
「今日は、内臓のフルコースだ!」
そんな宣言をしたのだった。
「まず、肝臓──レバーをスライスし、酒に漬ける。牛乳があれば牛乳でもいい。五分ぐらいでいいな。これで臭みと苦みが抜ける」
「内臓……本当に食べられるの?」
「べつに食わなくてもいい。が、今日は内臓料理しかしない」
「いやー、きっとおいしいんだろうなー! たのしみだなー!」
「この時間がもったいないので、肺を調理していくぞ。リィル、ちょっと持ってみろ」
持ってみろって……いや、内臓触ったし、もう怖くはないけど……
「……あれ? すごく軽い?」
「そうだ。肺──フワは、そのほとんどが気体を入れる肺胞だから、軽い。動脈は固いが、今日はまとめて煮込んでいく。味付けは塩、酒、ノビルの
てきぱきと鍋に投げ入れ、煮込んでしまう天狗さん。
さすがに料理の年季が違う。
「見ろ、酒に漬けこんでいた肝臓だ。残っていた血とかが酒に溶け出してるだろ? これを取り出して、よく拭く。下処理はここまで。いったん置いておいて……腎臓の処理をはじめる」
並行して作業する天狗さんは、さながら職人のようでもあった。
なかなかカッコイイ。
で、腎臓?
「腎臓はマメともいう」
「マメ……前も聞いたけど……あ、この形でなんとなく分かったよ。メェマのことだね」
ソゥラメェマは村でもよく食べていたっけ。
マィムが茹でてくれたメェマ、美味しかったなぁ……
「マメは、周りの硬い膜をはがしてしまう。それから半分に切る」
「ますますメェマっぽくなった」
「これをよく洗う。一口大に切り、さっきとっておいた肝臓と合わせ、炒める。砂糖、醤油、新たに酒で味付けし、仕上げにノビルの葉を加え、余熱で火を通す」
「ショーユ! 勝ったな! この料理は大勝利確定だわ!」
「完成だ。肝臓と腎臓──イノシシのレバー&マメのノビル炒めだ」
「絶対美味しい、これは絶対美味しいよ……!」
なんて香ばしい香り……!
「はい、次」
目の前を通過する食欲をそそる香り。
ショーユ色の肉。
でもお預け。
ぐぬぬ……天狗さんめ、そういうところだぞっ!
「最後は心臓だ。ここに槍で貫いた跡があるな。この部分だけ、ちょっと大きめに切除する。傷んでいるかもしれないからだ。残りは薄くスライスし、さっと洗う。これはそのまま──焼いて食べる! 心臓──ハツの焼き肉! 獲りたてでしか味わえない、最高の肉だ」
「やっふー!」
「フワのスープもできたな。それじゃあ、夕食にするか」
本日の献立。
肝臓と腎臓のノビル炒め。
肺のスープ。
心臓の焼き肉。
「イノシシさん、あなたの内臓、いただきます!」
パシッと手を合わせ、あたしは早速、ショーユが香ばしいノビル炒めに手を付けた。
「ぴゃ!?」
口に入れた瞬間、頭で電気がぱちぱちと弾ける。
目玉が飛び出るぐらい見開いて、数秒。
それだけ経って、ようやく、
「んまあああああああああい!!」
あたしは、叫ぶことができた。
香ばしさとあまじょっぱさがスパーキング!
口に入れた瞬間、ぶわっと広がる!
肝心のお肉はどうかというと、レバーはもう噛むととろけちゃう感じ!
噛む、トロ!
噛む、トロ!
ときどき歯ごたえがあるんだけど、それがまたアクセントになって最高!
旨味と脂が凄く、粘っこく残る。
腎臓はレバーを少し硬くした感じ。
コリっという食感と、シコっという歯触りが楽しい。
レバーとは違って、お肉自体はすごくさっぱりしているんだけど、ショーユとお砂糖のパワーでものすごくおいしい!
じゅわぁっとくる。
「だめ……これ、いくらでも食べちゃう……食べ過ぎてお腹痛くなっちゃう……」
「内臓は美味いからなぁ。命に直結してる部位は、生命力が凄い。ギンギンだ」
漠然とした言い方だったけど、なんとなく分かった。
確かにこれは、ギンギンにうまい。
「じゃあ、次は肺のスープ! どんな味かなぁ」
ふぅ、ふぅと息を吹きかけて冷まし、まずはスープを一口。
「──!?」
え、なにこれ?
は?
死ぬほどおいしい……
ものすごいコクがある。
え?
「お、落ち着けリィルちゃん……フワ本体も食べなきゃ判断が……あぴゃ!?」
名前の通り、ふわっとしてる。
軽い!
でも、動脈の部分はコリっとしていて、なにより味が凄く濃厚!
ノビルの根っこの香りが食欲をそそるんだけど、そんなのいらないぐらい、お肉自体のうまみがすごい。
食べてるだけで、幸せになる……!
「フワ……つまり肺だが、なぜか牛肉に近い味がする。牛肉には多幸感を得られる成分があるから、俺が勘違いするならわかる。しかし、そうか……エルフまで幸せになるなら、成分自体が同じなのかもしれないな」
「難しい話、禁止!」
せっかくのご飯がまずくなるし!
あたし分からないし!
「わかったわかった」
苦笑いした天狗さんが、焼いていたお肉をひっくり返した。
「さて、焼きあがったぞ。ハツ、心臓だ。まずは塩、そして特製醤油ダレで食べるとうまい」
「いただきます……!」
お皿に盛ってもらったハツに、塩を軽く振りかけて、一口。
「これは、新感覚」
コリコリとした食感はあるのだけど、すごくあっさり。
でも、噛めば噛むほど、お肉の味が出てくる。
唾液も出るし、お腹もどんどんすいてくる。
これ、おいしい。
シンプルにおいしいし、できればずっと噛んでいたい。
なんとか永遠に噛んでいられないだろうか……
「あたし、幸せだなぁ」
「飯食って腹を満たしてそう言えるなら、おまえは真っ当なんだよ、リィル」
「…………」
「じゃあ、飯を食いながら聞いてもらう」
彼は真剣な表情になって、言った。
「どうやって──コディアックを殺すか、考えるぞ」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます