第7話 理想と現実

 僕はいつの間にか上がった息を整えながら、正面の刃物バカを見据える。

 二人とはまだ距離はある。というよりは空手バカはさっきの反撃を見ても、動こうとしていない。ギャラリーと会話をしている。

 刃物バカはただ硬直しているかに見える。予想を越えた物を見たから信じられないのかも知れない。

 動くか?待つか?答えはどちらか……


「対刃物の場合はなにが一番重要なのか。間合い?それとも立ち方?はたまた刃物その物の理解?実はどれでもない。刃物の種類とかよりも持ち方なんだ。コンバット映画でナイフ戦のとき逆手と順手のナイフバトルがあるんだけどどちらが有利と思う?」

 ゴム製のコンバットナイフもどきを構えながらおじさんは尋ねる。

「順手だと思います。手首も反せるし自由度が高い気がします」

 僕は感じたまま率直な答えを口にする。

「実戦だとそれは不正解だよ。なぜなら刃渡りを相手に知られるから。あと、順手ってのは思いの外、外からの衝撃で刃物を落としやすい」

 そういいつつ逆手にしゴムナイフを腕と体で巧みに隠しながら構え、素早く僕の首筋に振って止めて見せる。

「素手と見せかけて、フックのように放つ。相手は素手と思っているから回避しても、刃先の延長線上で致命傷を負う。まぁ、こんな戦い方をする相手ではないだろうけどね。さて、躊躇無しで人を刺せるとは思えないけども、追い詰められた相手なら多分やってくる」

 僕は首筋のゴムナイフが、冷たい本物のナイフと思うと知らずに唾を飲み込んだ。

「で、やることは構えと切られたら不味いとこ、刺されたらヤバイとこを知ることと、対処法なんだが、厄介なのは解ってても交わし難い攻撃もあると言うことなんだ。簡単に言えば、突撃。『玉とったるわぁ!』スタイルと言えばいいのかな。あれは交わし難い、体ごと来るから寸前で後ろに倒れて蹴りなど、本当に対処法が少ないんだ」

 ただの突撃が、そんなに交わせないものなのか半信半疑で僕は首を傾げた。

 おじさんは、ならば体験してみよう。と、実践した、結果は上手く交わせず腹部または、胸部、肩などをゴムナイフで刺される事となった。痛みは無いが、本物なら死ぬ可能性が高いのは理解出来た。そして、動けなくなるだろうことも。

「こればかりは僅かな訓練じゃどうにもなら無い、しかも突撃だけに注意がいって他でやられる可能性が高くなるから頭の隅に置いておくといいよ。まずは、構えから絶対に半身になること。腕の内側を見えないようにして、首を守るように構える。拳は開かず強く握らずで肩と拳で頸動脈を守るようにすること。逆の手は少し拳を開きぎみにして鳩尾前に、足は肩幅に開いて少し腰を落とすこと」


 教室にざわめきが戻り思考が現在へと引き戻される。刃物バカが、尻ポケットに手を入れる。

「てめぇ、調子くれてんじゃねぇぞ!マジヤられる覚悟出来てんだろうな、あ?」

 眉を極限まで寄せ、睨み付けてくる刃物バカを普段『怖い』と思っていたが、良くみると笑える表情にしか見えず、僕は吹き出しそうになるのをこらえ構える。

 左肩を前に、左腕はたたんで拳で首を守るように、右手は鳩尾の前へ。腰を少し落としどの方行にも動けるように。

 刃物バカは折り畳み式ナイフを開きニヤつきながら向かってくる。ギャラリーは『やべぇってマジで』『アイツまじぶっ飛んでるわ』など正直どうでもいい野次ばかりだったが、中に『ナイフとかねぇわ。相手はもやし君だろ?しょべぇやつ』など多少なりとも、4バカを批難する声も有るようだ。などと、分析していたら、刃物バカがあと一歩で刃物の射程へと、入るところだった。

「とりあえず死んどけよお前!」

 間髪入れずに右手のナイフで突きを繰り出してきた。左手でなんとか内側から軌道を変えるも、次の突きが来る。体を反らし左手で、流す。4回目を交わしたところで、足元の椅子に躓き体勢が崩れる。

 ヤバイ。不味い。練習ではもっと上手くさばけてたのに。

 体勢を持ち直す前に横凪ぎが左肩を掠めた。

 熱い。完全に切られた。でも、そこまで深くは無い……けど、鈍い痛みが後から追ってくるように鼓動と同じタイミングで襲い来る。

 肩を押さえて、そのまま右前へ転がり追撃の突きを避ける。

「さっきまでの勢いはどうしたよ?あ?」

 なんとか立ち上がり、肩を押さえた右手を見る、赤く濡れているが思ったほどの出血は無い。脳内にまだやれる。という考えとともに、これはチャンスだ。というおじさんの声が響いた気がする。


「理想と現実は違う。完全に対処法を身に付けても必ずトラブルはおこる。そこでパニックになれば成すすべなく終わる。だけど、冷静でいればそこにこそチャンスは生まれる物だ」

おじさんは続ける。

「例えば刃物バカに切られたとき、出血の量でパニックを起こすとより出血は酷くなる、冷静になれば、その血で相手の目を潰すことも出来るのにだ。水滴を飛ばすように相手の顔に向けて飛ばしてやれば、目に入らずとも素人なら動きは止まる。そのあとは刃物を蹴り落とすなりして無力化できるチャンスなんだ。それにね、そのあとの展開でも君にプラスになる。だから本来なら1、2回は切られた方がいいとも言える。勿論致命傷にならないとこをね」

 そんな気はさらさら無かったが、起こったなら仕方ない。そう思えたからなのかフラッシュバックしたおじさんのお陰か、無意識に襲い来る刃物バカに右手の血を弾き飛ばしていた。

 顔を右手でガードしたようだが遅かったらしく、動きが止まり左手で必死に顔を拭おうとしたところを前蹴りで右拳を蹴りつけ刃物を飛ばし、脚が着地したと同時に右拳に全体重を載せて鳩尾に叩き込んでいた。

 一連の流れはおじさんとの組み手の際誉められたからなのか、わからないが自分が驚くほどに体が自然と動き、気づけば悶絶しながら床に刃物バカがうずくまっていた。

 肩の痛みが思い出したかのように鈍く熱く骨にまで響くが、それを無視して悶絶する刃物バカの頭部を全体重を乗せた踵で踏み抜き止めをさす。

 息を整えようと顔を上げた瞬間に、右の方から黒い何かが飛んで来た。

 咄嗟にかがんだとこで髪を掠め、物体は盛大な音と共に窓ガラスを破壊して床に落ちる。落ちた物を見れば椅子だった。

 振り返ると、今度は肌色の何かが顔に向かって来ていた。

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