第4話 瀬戸際の攻防

 急ぎベランダへと出て、辺りを見渡します。

 飛行する黒い影は見えません。女王はどこかへ出かけている様子です。


 わたしは、これを待っていました。


 ハチの駆除方法は巣の撤去です。丸ごと巣を取り去るのが一番いいそうです。そういえばTVでも、プロの害虫駆除業者様が大きなハチの巣と格闘する番組をやっていますよね。

 働き蜂の守る大きな巣を撤去するのは大仕事ですが、作り始めの小さな巣ならば、わたしのような素人でも簡単に出来ます。

 ――毒針の恐怖に立ち向かう、少しの勇気があれば……。





 女王の城を落とす――。

 今の彼女には、配下の働き蜂はいません。巣を作り始め、産卵し、最初の幼虫が羽化するまで、巣は彼女ひとりで守らねばならないのです。つまり、城の守備は手薄なんですね。

 だから彼女がいない間に、文字どおり巣を落下させてしまうのが一番手っ取り早い方法なのです。お留守ならば、反撃を予測しての重装備も必要ありませんし。


 完全に駆除するのであれば彼女もろとも……の方がよいでしょうが、わたしは彼女を殺虫する気はありません。ただ、ベランダで巣の設営をすることを止めてもらいたいだけなのです。


 スズメバチと違ってアシナガバチはこちらが刺激さえしなければ襲ってこないおとなしいハチで、しかもケムシやイモムシを食べてくれる益虫なのですから、共存のであればそれに越したことはないと思いませんか。


 なのに……。


 それなのに。


 ベランダはニアミスが大惨事につながる可能性が濃厚すぎるではありませんか! 

 女王あなただって、わたしが洗濯物を干している間じゅう警戒していたのは明らか。だから速やかな撤退を要求しているんです!!

 その方がお互いのため、そして被害は最小の内に。



 そのために、可哀想ですが、その城を落とさせていただきます!

 わたしは非情な破壊者にならざるを得ないのです。こちらだって、家族の安全がかかっているのですから!





 急ぎごみばさみを手に取ると、脱兎のような素早さで、出来たばかりの小さな蜂の巣をひっかくように落としました。出来たてホヤホヤの直径二センチほどの巣は、苦も無く簡単に落とすことが出来ます。

 床に転がる巣も逃してはいけません。完全に壊してしまいましょう。

 房の中に幼虫の姿が見えたら可哀想で気持ちが怯みますが、幸か不幸か中にはまだ影も形も見えなかった(怖くて確認している時間なんてありません! が本心……)ので、サンダルで「えいや!」と踏みつけ潰してしまいました。

 だってそのまま放置して、万が一にも幼虫が羽化して(そういうことはないらしいですが)しまったら、出てくるのは働き蜂ですよ。

 ブーンブーンの、攻撃力強しで、巣の造営にも加担する、彼女に忠実で強力な戦うスーパーメイドさんたち(働き蜂はすべてメスです)が、わらわら出てくるんですよ。

 あまり……いいえ、絶対想像したくない図です。

 ほら、背中に虫唾が……!!





 とにかく、巣は落としました。

 しかしアシナガバチの女王は、一度巣が壊されても、同じ場所にもう一度巣を作ることがあります。一度ここと決めた築城場所の査定に、絶対の自信があるのでしょうか?(←いい加減な想像)

 とにかく、ここで攻撃の手を緩めることはできないのです。


 そこで取り出す殺虫スプレー。カウンター蜂用でありませんが、Gブリと違ってハチは殺虫剤に弱いので、常備品「強力Gブリ退治」用のスプレー(!!)を跡地に撒いて、二度目の築城を阻止する対抗策とするのです。


 けれども巣のあった場所や、その周辺にはまだ洗濯物が干してあります。

 いつ帰還するともわからない女王の不在中を狙ってのゲリラ的な反撃でしたから、周囲の片づけは後回し、とにかく刻一刻と大きくなる巣を落としてしまうのが第一目標でした。

 時間勝負です。相手の出方は予測不能。すぐさま第二段階に取り組みたいとはいえ、せっかくきれいに洗濯した洋服や肌着に、殺虫剤をまき散らす訳にはいきません。

 まずは洗濯物を取り込みその後で殺虫剤を撒くことにしようと、回収を急ぐわたしの横を、黒い影が横切りました。


 彼女……女王蜂です。


 巣を落としてしまったというやましい気持ちがあるわたしは、速攻で部屋の中に退散します。犯行がバレて、反撃されるのを恐れていたからです。

 安全圏に逃れてしまえば、人心地も付きます。サッシのこちら側から、わたしは彼女の動向を探ることにしました。





 彼女は軒下を大きく旋回し、異変に気付いたようでした。

 巣のあった周辺を飛んでは止まり、しきりに自分の城を探しているようでした。でも見つかることはありません。


(そうよ、もう巣は無いの。諦めて別の場所にお行きなさいな)


 そんなわたしの心の声が聞こえたのか否か。飛び去るかに見えた彼女ですが、ふわりとある場所に着地したのです。


 それは、さっきまで巣があった場所。


 そう、同じ場所に舞い戻ったのです。


 しかも懲りずにまた巣づくりを開始しそうな雰囲気。


(えーーーー!)


 更にさらに間の悪いことに、彼女の真下にはピンチハンガーが拡げられており、まだ洗濯物がぶら下がっています。洗濯物の回収は、まだすべて終わっていなかったのです。

 だから威嚇のために殺虫スプレーを噴霧するという手段にも出られません。


 そのまま彼女はその場を移動しようとはせず、やがて日没を迎え、その日の攻防はお開きとなりました。戦いは翌日に持ち越されたのです。



 なめたら、あかんぜよ!



 女王は啖呵を切ったのです。(←被害妄想)


 わたしの肩には、重たいストレスがのしかかっていました。





 *** おまけ ***




 ハチの毒は、タンパク質でできているそうです。だから『ハチに刺されたらアンモニアを塗ればよい』というのは間違い。効果はないそうです。

 それよりもきれいな水で洗い流す方が効果的だそう。タンパク質は、水に溶けやすいですからね。

 口で毒を吸い出す、のも間違い。唾液に溶けて、歯茎から入り込み、口の中が痺れちゃうこともあるそうな。

 アンモニアを塗るよりも、抗ヒスタミン軟膏を塗るのが正解だそうです。

 もちろん、専門のお医者様に診察していただくこともお忘れなきよう。


 なんといっても、むやみにハチに近寄らず、刺激しないのが一番賢い方法ですが。


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