第3話 チャンス到来!
彼女は、いま、ひとりです。女王といえど、彼女を警護する兵士はいません。
彼女はそれほど攻撃性の強くない性格ですが、働き蜂たちはそうはいきません。目の前で洗濯物を干したり花の世話をするわたしを、敵とみなさない理由は無いのです。
ベランダのそこかしこに花の鉢を並べておいて「来ちゃいけません!」というわたしもわたしですが、せめてわたしの目につかない場所で繁殖していただくわけにはいかないものでしょうか、女王様。
なにも、あなた方の存在をすべて否定している訳では無いのです。ただ、わたしのスペースを侵略して欲しくないだけ。このスペースの安全を確保したいだけなのです。
そういえば、ハチ(に刺されたとき)の恐怖に怯えて、状況の説明を怠っておりました。
彼女が巣を作り始めた場所は、ベランダの軒先。
我が家のベランダは南向きの和室から出入りできるようになっていて、外部とは四面の引違いサッシ窓で仕切られています。そこを開け閉めしてベランダへ出入りするのですが、その東側のサッシ窓を開けたすぐ真上、頭上三十センチあたりのところでした。
さらによろしくないことに、築城中の巣の下十五センチ辺りに物干しざおが通り、そこにハンガーやピンチハンガー、パラソルハンガーと物干しグッズがまとめて置いてあったりしたのです。
つまり洗濯物を干そうとした場合、彼女の鼻先……いいえ触覚先のほうがいいかしら、ともかくかなりまじかに手を延ばさざるを得ない状況に陥っているという訳です。
案の定、ハンガーを取るために、なるべく静かにそ~っとそ~っと手を伸ばしハンガーを物干し竿から取ったにも関わらす、彼女はかなり警戒していました。巣作りを中断し、じっとこちらを睨んで(推測)いました。三本目のハンガーを取ったときには、辺りを旋回しました。
ひゃ~~~~ん!
やはり状況は『危険』です!
おとなしい彼女でさえ、威嚇してきました。これが配下の働き蜂であれば、もはやスクランブル状態でしょう。敵を排除せんと、一斉にわたしめがけ特攻して来る様が見えるようです。
室内に逃げ込み、サッシのこちら側の安全地帯から、わたしは作戦の早期実行を胸に誓ったのでした。
アシナガバチは本来益虫です。イモムシやケムシをつかまえて、幼虫のえさにします。そうです。彼女たちは「肉食」! だからミツバチのように蜂蜜は無いのだそうな。
ついでにスズメバチ科に属するって、知っていました? 正確にはスズメバチ科アシナガバチ亜科だそうですが。
彼女ら種族は、女王蜂以外は越冬できません。春になり暖かくなると女王は木や石の割れ目から出てきて、たったひとりで巣作りを始めるのです。
巣の形状はお椀を伏せたようとも形容されますが、現代風に表現するならシャワーヘッドに似ていると言った方がよりわかりやすいでしょうね。色は灰色。ハニカムと云われる六角形の穴の房が連なります。樹皮の靭皮繊維に、それに唾液由来のたんぱく質を混入して巣材にするそうです。
一生懸命に巣作りに没頭する女王の姿は「けなげ」です。威嚇するのだって、女王として種の繁栄を背負っているから、母として子を守りたいから。
こうして安全な場所から観察していると、同じ母として、情が湧いてきます。たったひとりで巣の設営から、産卵、幼虫の世話(働き蜂が羽化するまでの期間は女王蜂が一匹でやります)まで熟そうという彼女の姿は、立派な働くお母さんです。
しかし、彼女らから敵視された時、毒針の餌食になったときが危険なのです。前回の災難の時も、アナフィラキシーショックとまで症状が悪化せずとも、気分が悪くなったり、熱が出てだるさに襲われているのですから。二度目も無事に済むとは限りません。
痛みを伴った腫れに悩まされるのは、間違いないことですし。
なによりこれから毎日、ハチたちのご機嫌をうかがいながら洗濯物を干したり取り入れたりしなくてはならないなんて、ストレスがかかり過ぎますってば!!
情にほだされ、見過ごすわけにはいきませんよ。営巣した場所が問題だったのです、女王様。
覚悟しいや!
午後三時半過ぎ。
チャンスがやってきました。洗濯物を片付けようとベランダにやって来ると、女王の姿は無く、むき出しになった小さな巣だけがポツンとそこにあったのでした。
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