善は急げと言いますが 2

 レオが、走りに走って3日後。

 ミラージュの南側にある岩と砂の小さな丘。

 夜の闇に隠れて、砂と岩で隠した抜け穴の出入口を開け、再び塞いで下へ下へと降る穴へ足から入る。

 “我、此処で待っていてはいかんか?”

 一歩二歩と穴を降っていった所で、イチの頭に乗っていたトリスが口を開いた。

 “戻って来るのだろう?であれば、水に近付きたくないのだが”

 「・・・・・そうか」

 レオは降った二歩を登り、穴の外へ出て手を伸ばしてイチの頭の上からトリスを掴みあげる。

 “・・・・・・・・”

 いつもいつも、レオに胴を掴まれるものだから、トリスもすっかり諦めて大人しく掴まれるようになっていた。

 「終わったらすぐ戻るき」

 “真名を交わすのだろう。急がず、しっかり交わして来い”

 「ありがと」

 「ほお、偶には良い事を言うではないか」

 レオの一言は全くの余計な一言である。

 「あっ」

 そんなレオの言葉に触発されたのか、クーとマーが揃ってイチの肩から飛び降りた。

 “ほお、お前達も遠慮するのか”

 その通りとばかりに2匹が、何処にあるか分からない胸を張る。

 「そうか」

 「ありがとう、行ってきます」

 3匹を残し、2人きりで穴を降っていった。

 2人きりで行動をする事が久しぶり過ぎて、イチは何時ぶりなのか分からなかった。


 穴を降り、水路のある底に着くと以前とレオは同じようにズボンを脱いでイベントリへ放り込み、水路へ足を踏み込んだ。

 ざぶざぶと水飛沫を上げて水路を逆登る。

 「ん?」

 「どうしたが?」

 軽快に逆登っていた足がぴたりと止まる。

 そして一点をじぃっと見つめだしたのだが、灯りの届かないその場所はイチの目には暗闇にしか見えない。

 「灯り」

 なので、灯りを増やして見えるようにした。

 「池?」

 拡大が足りなかったようだ、以前地図を見た時にはこんな物には気が付かなかった。

 「人工物だな」

 水路は自然のものなのだが、そこから人工の水路が掘られ、その先に水路から水を引き込んだ小さな池があった。

 池の真上には地上に向かって真っ直ぐ伸びた縦穴。

 「何これ?」

 「恐らくは井戸だ」

 「あー、確かに」

 丸い縦穴は、以前テレビで見た井戸の壁にそっくりだ。

 「どうやら、ミラージュの中に入ったようだ」

 「そうなが?」

 「ああ、ミラージュは幻惑の砂漠に食い込んだ町だから、乾期になれば、近くに流れる川は消える。井戸の有無は死活問題になるんだよ」

 だから、井戸の有無でミラージュに入ったかどうかが分かる。

 「クロウルは?」

 「クロウルは近くにミロスの支流がある」

 その支流の水を魔道具の力で丘の上に引き込み、更に井戸を掘って水を確保していた。

 「結局井戸はあるがやね」

 「そうだな。まあ、後は水属性の魔石を使った魔道具だな」

 貴族や、金に余裕のある家では各属性の魔石を使った便利な魔道具も存在する。

 「結構あちこちから入れそうな町やね」

 「そうだな」

 地下の天然水路に入る入り口さえ知っていれば、門を使わなくても町へ入りたい放題だ。

 「この町、大丈夫かな?」

 「どういう事だ?」

 「井戸があって、水路の入口を知っちょったら、誰でも入りたい放題やん」

 近い将来、この水路へ入る為の出入口は教える予定である。

 なのに、町中にこんなにも出入口があるとは思わなかった。 

 「この井戸を作ったのがこの町の先人なら、領主の家に記録くらい残っているさ」

 「それもそっか」

 人の手で削って水を引き込んで作った井戸なのだ。

 時間の経過と共に住人の記憶から薄れても、記録として領主の家には残されている筈だ。

 レオにそう言われて、イチの中から町を心配する気持ちが薄れた。

 ―記録が残っているなら、ガルドさん達に教えてもいっか

 記録が残っているのか、残っていた所で領主が知っているのかは謎だが、答えをイチは知りようが無い。

 一安心、一安心と前進を再開したレオの背中で胸を撫で下ろす。

 「イチ」

 「はいはい」

 「教会の隠し部屋まではこのまま真っ直ぐか?」

 「えっとね、3つ目の合流を逆登って」

 「分かった」

 右から左から合流する網の目のような水路の3つは、一段上から流れてくる少し狭め。

 レオは嫌そうに眉を顰め、溜息を一つ吐き、気合いを入れてその水路に入り、また眉を顰めた。

 「どうかした?」

 「この水路、魔法で削って作ったものだ」

 「そうなが?」

 「ああ。案外、この水路は本当に脱出用だったのかもな」

 「領主館から掘ったとか、凄いねぇ」

 「そうだなぁ」

 今2人がいる地点から町の真ん中にある領主館までは2㎞程ある。

 魔法を使ったとは言え、地下にここまで長い人工の水路を掘ったものだ。

 「どうせなら、もう少し天井を高く掘れば良いものを」

 四つん這いに近い窮屈な姿勢に、レオのぼやきが止まらない。

 「私、降りようか?」

 「いかん」

 「あ、うん」

 レオの背中から降りる事は、許してもらえないようだ。

 イチはレオの邪魔にならないように、大人しく負ぶわれる。

 そして、目的の場所に行き着く。

 そこもまた、井戸の底のようだった。

 レオは縮こまってしまった腰の筋肉をぐいっと伸ばし、壁に指をかけて上を目指す。

 凸凹した表面は硬く、指をかけても崩れ落ちる心配は無い。

 「っと、」

 音を立てないように井戸を塞いでいた重い石の蓋をずらしてイベントリへ入れ、井戸の中から出る。

 人気の無い、埃っぽい小部屋が光に照らされる。

 ここもまた、天井が低い。

 レオが腰を屈める程では無いが、手を伸ばせば余裕で届く。

 「随分長い間使われていないようだな」

 「うん、埃っぽいわぁ」

 胞子除けに買ったマスクを、揃って装着。

 何が入っていたかの予想もつかない崩れた箱、元はベッドだったらしい木と布の塊。埃を被り、色の分からなくなった皿。

 「誰かの隠れ家やったがかな」

 かつて誰かが潜んでいた気配がする。

 「かもしれんが、大分昔の話しだな」

 レオは音と気配で人の居ないことを確かめ、形を無くして用を成さなくなった梯子を踏み締める。

 朽ちた梯子は、レオの足の下でみちみちと音を立てて崩れてゆく。

 「石か」

 出入口を塞いだ物を軽く叩いて確かめ、ぐっと力を入れて押し上げる。

 重い石の蓋はレオの力にそう抗う事も無く、ぱらぱらと土埃を落としながら浮いてずれた。

 「イチ、灯りを消してくれ」

 「うん」

 灯りの魔法を消し、変わりに暗視の魔法をかける。

 「っと」

 レオは出入口の縁に片手をかけ、一息に地下から出た。

 「納屋?」

 鍬や鋤、鎌や籠等の農具が整然と小さな小屋の中に並んでいる。

 「神殿には畑と庭があるから、その手入れ用の小屋だろう」

 「なるほど」

 こそこそと小声で言い合い、体中についた泥と埃を魔法で綺麗にして、ドアからそっと出る。

 幸い、小屋に鍵は掛かっていなかった。

 小屋の外は、畑と庭が半分づつ。

 畑と庭の南側には、孤児院と治療院のある居住区。西側には精樹と卵樹を囲む回廊と神殿。

 「静にな」

 「うん」

 時刻は草木も眠る丑三つ時。

 人の起きている時間では無いが、2人はこっそり忍び込んでいる立場で、誰かに見つかれば面倒な事この上ない。

 そっと足音を忍ばせ、庭から回廊へ、そして神殿へと侵入する。

 人の気配の無い、暗く静かな神殿内は昼に見るよりも静謐さが感じられ、厳かな気分にしてくれる。

 ステンドグラスから差し込む月光が、神秘的だ。

 祭壇中央に建つ死者の碑の前に立ち、レオの背中から降ろしてもらう。

 死者の碑はステンドグラスから入るほのかなひ月光に照らされ、黒々と浮き上がる。

 この世界の人々は、墓を作らない。

 死者の心臓の魔石のみを残して荼毘にふし、遺灰は大地に還す。

 生者の心の拠り所は、神殿にある死者の碑。

 「・・・・・・・」

 イチは死者の碑に向かって手を合わせ、軽く頭を垂れてかつてレオの妻だった者達に祈る。

 レオはただ見守った。

 「・・・・お待たせ」

 「良いのか?」

 「言いたい事は言ったき、もうえいよ。ありがとう」

 「ああ」

 わらいあって、向かい合う。

 「「・・・・・・・・」」

 「どうした?」

 「・・・・なんか、照れる」

 「・・・・・そうか」

 ずっと一緒に生活をしてきて、町に出るとなった時を切っ掛けに同居から同棲になった。 

 イチの拘りで待ってもらっていた新しい関係への一歩を踏み出す。

 嬉しいのだが、くすぐったくて落ち着かなくて、ただただ照れる。

 「手を」

 もだもだして、もじもじ落ち着かないイチの両手をレオが取る。

 真名を交わす儀式に、間怠っこしい誓いの言葉は必要ない。

 手を取り合い、額を合わせて真名を名乗り合う。

 「ハーフィスだ」

 「五百蔵千華いおろいちかです」

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