蟻の巣と風呂 4
蟻の巣へ入って4日。
イチは、まだ温泉に辿り着いていなかった。
「レオ君。温泉、まだかかる?」
「あと、2日といった所だ」
「遠い、ねぇ」
しみじみと、呟く。
―環状連山の大きさ、舐めちょったわ
深々とため息を吐き、額をレオの肩へグリグリと押し付ける。
巨大便所コオロギを倒した後で、少し余裕が出来ていた。
「イチ、グリグリはやめろ」
「は~い」
グリグリするのはやめ、顎を肩に乗せる。
「蟻の巣って、広いね」
「山、丸ごとだからな」
イチのぼやきに、レオは当然といった顔で頷く。
「温泉に辿り着いたら、1度戻るか?」
「えいが?」
イチとしては願ったり叶ったりなのだが、迷宮に籠もりっぱなしになるかと思っていたのだ。
レオは、とても楽しそうにイチに魔物を倒させるので、少々疑ってしまう。
「畑が気になるだろ?」
「うん」
水やりは、番人達が請け負ってくれたが、彼等に収穫は難しい。
聖域は、魔素の濃度が高い為か、野菜の成長が早いのだ。離れている時間が長いほど、畑が気になる。
「それに、迷宮に籠もり続ける事は、お前の精神衛生に宜しくないからな」
「レオ君!」
自分の事を気にかけてくれるレオに、感極まったイチは額でグリグリを再開する。
「ありがとう、嬉しい!」
「お、おお」
朝飯は、おにぎりと竹輪だった。その前はおにぎりとちくきゅう。その前はおにぎりと味噌汁。
明らかに手抜き過ぎる飯に、レオも地味に追い詰められていた。
―まともな、飯を食いたい
2人はお互いがそれぞれに追い詰められており、温泉に着いたら戻ると決めた。
「私、もっと楽に倒せるよう、頑張る!」
「ああ、私も少しは手伝おう」
残った巨大便所コオロギの魔石と歯を拾い集め、先を急ぐ。
今回の巨大便所コオロギとの戦闘で、イチは時間短縮のアイディアを得ていた。
結界だ。
弾いて良し、閉じ込めて良し。結界とは、身を守るだけでない、実に使い勝手の良い魔法だった。
「目指せ、温泉!」
「うむ」
2日後。
「ああぁぁあぁ」
「ふうぅぅう」
2人は、温泉に浸かっていた。
温泉の湯は白く濁り、底にはさらりとした、目の細かな泥が貯まっている。
「さいっこう!」
「ああ」
「この臭いがなかったらね!」
「そうだな」
温泉が湧いている場所は、都合良く転移魔方陣のある隠し部屋。否、この場所はとても広く、あちこちから湯が沸いており、部屋と言うよりは広場だろう。
ただ、湯の温度はどれも高めであり、2人が入っている湯以外は、入る事が出来なかった。そのために、2人は別々に入るの入らないので言い争い、結局は一緒に入っている。
何よりこの湯はとても心地良いのだが、この広場にも、蟻の巣を満たす腐臭が漂っている。
臭いのだ。
温泉が心地良いだけに、がっかり感が果てしなく強い。
「お前の魔法で、何とかならんか?」
「ん~」
この臭いを何とかするなら、どうすれば良いだろう。
―脱臭?消臭?浄化は違う気がするし・・・・
魔素結晶を左手に持ちながら、うんうん唸って考え込む。
―範囲は広場ということにして、やっぱりここは、
「脱〇炭!」
「は?」
臭いをとるといえば、これしか思いつかなかったのだから仕方がない。イメージは、冷蔵庫の消臭剤だ。
レオに呆れたような目で見られても、知らんぷりをする。
「ほら、なんか臭いが薄れてきてない?」
「ほう、」
イチの掌に乗った魔素結晶を、2人して見つめる。
淡い緑色だった結晶は、炭のように真っ黒になっていた。
「魔素、結晶?」
「そう!」
「・・・・そうか。まあ、臭いは確かに薄れてきているな」
「レオ君か言うなら確かやね!」
レオの鼻は、イチとは比べものにならない程良い。なので、彼が言うなら間違いない。
「コレ、どこに置いちょったら良いかな?」
「あ~、」
レオは黒い魔素結晶を、イチの掌から拾い上げ、辺りを見回す。
そして、ぽいっと放り投げた。
「ほぁっ!?」
転々と、地面を転がる魔素結晶。
転がる先を呆然と見送るイチ。
「これで良いだろう」
「良いが!?」
満足気に頷くレオに、イチは疑いの眼差しを向ける。
どう考えても、そこら辺にぽいっと投げ捨てたようにしか見えない。
「此処に、魔物は入ってこん。私達以外に来る者もおらん。いったい何の問題がある?」
「・・・・それも、そうやね」
何かが持ち逃げする心配は、一切ない。
ぽい捨てのようで気になるが、問題は無いのだろう。一応。
「これでこの広場は臭くなくなるが、私達が臭いな」
「やね!」
6日間腐臭漂う迷宮を歩き回ったのだ。臭いが染み付くのは、当然だろう。
「えっと、消臭!」
イチとレオ、2人同時に魔法をかける。
魔法のスキルレベルがこの6日で上がり、1度に複数人に魔法をかけられるようになっていた。
「どう?」
「腐臭が消えた。私のニオイも消えたが」
レオは、何とも微妙な顔で自分のニオイを嗅いでいる。獣人である彼にとって、自分のニオイが消える事は戸惑う事であるようだ。
「体臭は残した方が良い?」
「ああ。マーキングが出来ん。せっかくマーキングしたものが消される事も困る」
等と言いながらイチを捕まえて膝に乗せ、頭頂部に顎をすりすり。
その言動に、イチも流石に気が着いた。
「まさか、私にマーキング!?」
「ずっとしているが?」
「そう言われれば、そうやけどさ!」
確かにレオは、良くイチを抱き枕にするし、膝に乗せるその度に顎を頭頂部にすりすりしていた。
気が付かなかったとは言え、マーキングをやめるように言うのは、今更だ。
「・・・・程々にして下さい」
あきらめ顔で力を抜き、レオに背中を預ける。
最近ずっと背負われていた為か、彼との接触にすっかり慣れてしまい、膝に乗せられても、もはや抵抗感を欠片も感じない。
おんぶに照れていた自分が遠い。
―なんか、乙女として捨てちゃダメなもんを、投げ捨てた気がする
レオを椅子にしながら、だらりと力を抜いて風呂を楽しむ。
「そろそろ戻るか?」
「そうやね」
両脇に手を入れて持ち上げられる。
この持ち方は、正直無いんじゃないかと思う。
「洗浄、乾燥」
色々と突っ込みたいが、温泉の湯と泥を落とす為に真水を喚んで全身洗浄からの、全身乾燥。
―ん?
レオが、降ろしてくれない。
「レオ君?」
「帰るのだろう?」
「え?そうやけどさ、服着てない」
真っ裸ではない。イチはちきんとタオルを巻いている。レオとは違って裸族ではないので勘違いをしないで欲しい。
「私はいつもこうだ」
レオも、真っ裸ではない。彼は最近、いつでも何処でも褌一丁。
履いてくれているだけましだが、そんな事で胸を張らない欲しい。
「クー、戻るぞ」
呼ばれたクーはレオの足を登り、イチの頭の上に乗って落ち着く。
「ないわぁ。このまま帰るとかないわぁ」
イチのぼやきは全く聞き入れられず、レオは転移魔方陣に乗って魔力を通す。
軽い浮遊感を感じたと思えば、景色が変わる。
「ただいま、女王」
お帰りと返すように、超巨大な蜘蛛が脚を振る。
此処は、世界樹の洞にある女王の住み家。
イチが最初に現れた場所だが、女王の領域
の 魔方陣は此処に設置されていた。ただ、この場所は世界樹の洞の中という事もあり、それなりの高所にある。
「強化を忘れるなよ」
両脇に手を入れられた体制から、しっかりと抱えられる。
下に降りる為の階段は無く、降りる為には飛び降りるしかない。
「こんな格好で、やめて!」
バスタオル1枚で抱えられる趣味はない。
強く主張し、レオに後ろを向かせて着替えを済ませる。
「ないわぁ、もう」
2人の、第1次迷宮攻略はこうして始まった。この迷宮攻略は、攻略が終わってもイチの魔法レベルがMaxになるまで終わらない。
イチが、風呂とかいう物を作った事を切っ掛けに、蟻の巣へ行く事になった。
あそこは臭いので正直あまり行きたくはないが、イチの魔法スキルをレベルアップする良い機会だ。取り敢えずは、スキンシップがてら攻略を目指そうと思う。
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