5
「はあ?」
魔の神様の言葉に首を傾げる。
突っ込み所しかない。詳しい話しというか、ただ訳の分からない話しをされただけだ。
「かれこれ350年になる」
「ソレは、随分年季の入った引き籠もりで・・・・・」
かつて魔王の四天王筆頭が知られていない英雄で、引き籠もって野生化とか訳が分からなすぎる。
「まあ、そうであろう。うむ、仕方が無い。頭を出せ」
「へ?・・・・うぇぇ」
頭を出せと言いながら、魔の神様に頭を鷲掴みにされ、頭の中に情報を叩き込まれた。
それは、波瀾万丈な1人の男の人生の軌跡。
老いて子に地位を譲った元四天王筆頭は、妻と共に田舎の村に引き籠もっていた。そこへ、大国の軍が侵攻してくる。
村人と妻を逃がす為に彼は戦い、隷属の首輪を付けられた勇者と相討ち。だが、持ち前の悪運の強さと獣人特有の生命力の強さ故に一命を取り留める。
命をつないだ事が切っ掛けで、彼は獣人の限界を突破する。だが傷を癒し、再び闘えるようになった時、一つの時代はすでに終わっていた。
彼は死んだ事になっており、妻はすでに亡い。彼が仕えた魔王は討たれ、大陸を統一せんとした大国は瓦解寸前、勇者は皆老衰で既に亡く、魔族は奴隷としてその多くが大国に狩られ、攫われていた。
同胞を奴隷から解放せんとしていた魔王の遺児の血筋と、何の因果か共に行動をしていた己の子の血筋を共に見つけ出し、彼等を人知れず助ける事にした。
彼等は、志を同じくする仲間を増やし、国を興していた勇者の子孫とも協力し、不当に奴隷となっていた魔族を解放し、かつての魔族の国を再興した。
勇者と相討ちになり、生き延びてからずっと、ずっと必死に動き続けていた男は、そこまで見届けてふと思ってしまった。
‘’これから、なにをして生きよう‘’
やらなければならないと思った事は、全てやってしまった。
人族との関係は新たになり、同胞はもう奴隷ではない。若き魔王は立派に民を治め、己の子孫は既に手を離れて久しい。
‘’これから何をして生きれば良い‘’
何も出てこなかった男は、ふらりと旅に出る。
放浪の末、魔の森から環状連山へたどり着き、大型の竜種との取っ組み合いの最中に山の頂上から世界樹の聖域に向けて落下。番人に拾われて今に至る。
「野生化ってどういう事なんですか?」
「私の口からは、ちょっと」
言い辛そうに、口元を歪める。
魔の神様にも、思う所があるのだろう。
なんだか怖くなった千華は、突っ込もうとして辞めた。
「ええっと、つまり?」
「うむ。其奴と其方、互いが互いの面倒を見つつ、社会復帰を目指して欲しい」
「・・・・野生化した燃え尽き症候群の英雄様を脱引き籠もりですか?」
色々と、オプションが付きすぎな気がする。
「うむ」
「限りなく不可能に近いと思うんですが」
千華は、戦闘能力もサバイバル能力も低い。生活していくだけで、精一杯になりそうな気がする。
「目指すだけで良い。野生ではない何かを、彼奴に触れさせたいのだ」
求められるもののレベルが、ぐっと下がった。
魔の神様は、なによりも彼の野生化を気にしている、そんな気がする。だがしかし、千華にとって一番気にしなければならないのは、自衛能力の低さだ。
魔法とスキル、魔の神様がくれると言う守り石で、己を守る事が出来るのか。さっぱり自信がない。
世界樹の聖域は人外魔境。
「んーーー」
しかし、複製は魅力的すぎる。だが、同居人がどういう人物なのか分からない。英雄様だというから、元々は人格者なのだろうが今は燃え尽き症候群の引き籠もり。
「ぬうぅうう」
「結界魔法も付けよう」
「!」
それは、千華にない自衛能力を補完してくれそうだ。そして、魔の神様はよほど千華を世界樹の聖域へ行かせたいようだ。
「良いのですか?」
「其方に死なれては私も困る」
「なるほど」
魔の神様の確約に、千華の気持ちが大きく傾く。
持ちつ持たれつの、そんな関係を目指せば良いのだろう。では、千華が男の為に出来ることは何だかろう。
何年か独り暮らしをしていたので、料理は一応出来る。生活魔法があるので、掃除も洗濯もなんとかなるだろう。
―あ、料理の本を追加で持って行こう
千華の作る料理は、基本的に焼く、煮る、炒めるで、レパートリーはあまりない。
「持って行く物を、少し変えても良いですか?」
「引き受けてくれるのか?」
「怖いですけど、1人も不安なので。魔の神様も良くしてくれますし、同居人がいるとだいぶ安心です」
魔の神様が追加でくれる、スキルと魔法に惹かれたというのもかなりある。
「ありがとう」
魔の神様の優しい笑みに、千華の頬が赤くなる。
―辞めて、欲望に負けた私をそんな目で見ないで
「では、10分待とう」
魔の神様は懐から砂時計を取り出し、テーブルの上でひっくり返す。
「わっ」
千華は慌ててリストの手直しをした。
多く確保していた物の量を少なくし、料理本を増やし、服、靴、タオル、野外生活に必要そうな物やキャンプ用品。菓子や酒等の嗜好品を追加した。そして、きっかり10分後にリストが魔の神様の手に渡る。
「うむ。では、余った金はこちらの物に変え、品物共々其方のイベントリへ入れておこう。あちらへ着いたなら、ステータス共々確認しておくように」
「はい」
「そうだ。其方が此処へ来た時に持っていた物は、全てイベントリへ入れておく」
「あ、ありがとうございます」
千華のアイスは、魔の神様が持っていてくれたようだ。気になっていた物の行方が分かり、何となくすっきりした。
「それで、名はなんとする?」
「え?」
いよいよ異世界行きかと身構えていた千華は、魔の神様の問い掛けに首を傾げる。
「私の名前は五百蔵千華ですが」
「うむ、知っておる」
では、何故の問い掛けなのか。
「こちらでは、本名は名乗らんのだよ。本名は真名と言われていて、己の真名を知る者は己か、伴侶のみだ。まあ、死者の真名は死者の碑に浮かぶので、その
真名を名乗り合って結婚するので、こちらの世界では離婚が存在しないそうだ。あちらの千華の周りでは離婚者がゴロゴロいたので、離婚が存在しないというのは文化の違いを大きく感じる。
「こちらの世界で、其方は何と名乗る?」
「え?あ、では、イチで」
いおろいちかの、いとちでイチ。
分かりやすくて良いと思う。
「では、イチよ。あちらで息災でな」
「あ、はい。あり、」
ありがとうございますと、礼を言う前に魔の神様は千華、否、イチを異世界へ送り出した。
そして、
「のおおぉおおぉう!?」
最初に繋がる。
イチ、ミーツ超巨大蜘蛛。
悲鳴を上げ、何故こうなったのかを頭の中で並べ立てる。一番の理由は、複製の誘惑に負けて、此処に来たからだ。
番人に対する耐性のおかげで、生理的嫌悪感はまったく感じないが、突然目の前に現れた巨大蜘蛛は単純に怖かった。
その巨大蜘蛛以外にも、美しく巨大すぎる木や咲き誇る花々等、美しく見るべきものがたくさんあったのだが、一番最初に見たものが衝撃的すぎて、他に気を回す余裕がない。
蛇に睨まれた蛙状態。蜘蛛に釘付けである。
「魔の神がおっしゃっていた同居人か?」
故に、そもそもの感知能力が低いイチは、背後にやって来た者に、肩を叩かれるまで気付かなかった。
「え?」
振り返るとそこにいたのは250センチはあろうかという大柄な男。
―ライオン!?
一瞬被り物かと思うほど立派な、琥珀色の瞳が美しい黒い獅子。
獣人型の魔族には色々な姿形の者がいる。彼は首から上が獣で、両肩から指先まで黒色の毛皮に覆われ、他は濃い褐色の肌をしていた。
右胸には溶けてくっついたような大きな傷跡。勇者と闘って、相討った際に受けた傷の名残だ。
「なんでまっぱ!?」
色々と突っ込むべき場所もあったのだが、すっぽんぽんだった男の姿に、巨大蜘蛛の衝撃を含めて、まとめて打ち消される。
思わずつっこみを入れたイチは、己の精神衛生を健全に保つために、羽織っていた薄手のカーディガンをそっと男に差し出すのだった。
これが、イチと男の、服を巡るせめぎ合いの始まりである。
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