第43話

「これを退かせば、水は流れ出すはず」


 紗北が言うように、支えていた小石を退かすと、田圃の水が引きはじめた。紗北達の行く手を阻んでいた小石だ。彼女達はこの小石を退かしたくて彼処にいたのだという。何て田圃に優しいメダカだ! 兎に角これで明日の作業は捗る。


「なるほど。東京の治水は進んどるっちゃ」


 おばさんにそう言われて紗北は照れていた。紗北が生粋の新潟生まれだと知れば、驚くだろうな。しかも、数時間前まではメダカだったんだから。俺は皆で囲炉裏を囲みながらそんなことを思っていた。大きなお世話だったようだが。それにしても、確かめなくてはいけないことがある。羽衣やあおいちゃん、キャサリンのことだ。


「ねえ、キャサリンは、新潟に来るのは……。」

「初メテデス!」


 まだ何も聞いていないのに、即答だった。


「金髪のお姉ちゃん、隠さんでも良いっちゃ」


 おばさんが、急に話に入ってきた。


「国家機密ヨ。皆さんガ知ッテイルハズハナイワ」

「知っとるっちゃ。魚沼ゆうのは、魚産が訛ったものっちゃ」


 魚から人が産まれるを縮めて魚産(うおうま)。それが訛って魚沼(うおぬま)。聞いたことがない。


「このあだりでは、よくあることっちゃ」


 全然関係がないことだが、なになにっちゃというのが微妙にかわいい。俺は漠然と思っていた。その間に、おじさんも加わり、キャサリンとの話は急展開を迎えた。


「魚が人化するなんてことは、珍しいことではないじゃろ」

「ここ最近は、とんと見んようにはなったっちゃがね」

「……。」

「昔っからあることっじゃ」

「まだまだ自然が残っとるっちゅうことだっちゃ」

「……。」

「自然だけではないがね」

「きれいな心の持ち主がいるっちゅうことっちゃ」


 本当、癖になる。おばさんなのを忘れて惚れちゃいそうっちゃ。羽衣やまりえに使ってもらったら、泣ける。きっと泣けるっちゃ。俺はそう思いながら、おじさん達の話を整理した。そして、あることに気付いた。


「それじゃあ、魚の人化って、昔からあるの!」

「マスターさん、いけないわ。それは日米の国家機密よ」


 キャサリンが叫ぶように言った。


「キャサリン、日本語、上手じゃないー!」

「ヒィッ!」


 奈江の言う通りだった。きれいな川の側キャンプ場で夜中、夢現の中で聞いた、あの時のように流暢な日本語だった。キャサリンは全てを知っている。そしてそれを隠している。そうとしか思えなかった。


「キャサリン、君は……。」


 俺は、全てをキャサリンの口から聞き出そうと熱り立った。キャサリンの往生際は悪く、口元を両手で押さえたまま、固く閉ざしていた。その時だった。


「マッ、マスター、お腹、痛い」


 まりえが急に腹痛を訴え、苦しみはじめた。こんなことは初めてだ。

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