きれいな川の側編①

第13話

「ねぇ、マスター、ますたーの元気がないの」

「水が、合わないんじゃないかしら……。」

「川や池の水を少し注ぐと良いみたいよ」


 奈江のものの言い方は少しややこしいが、羽衣やあおいちゃんが応えたところからすると、意味はちゃんと伝わったようだ。元気がないますたーというのは、昨日から俺達家族の一員になった、エサ用で1匹8円のセール品、小赤という品種の金魚のことだ。昨夜からじっとしたままでピクリとも動かない。確かに心配だ。あゆみと優姫が話に加わってきた。


「でも、この近くの川の水では……。」

「かえって病気になりそうよね」

「そうだね。もっときれいな川の方が良い、よ、ね……。」


 ようやく喋る機会を与えられた俺だが、不本意なことを言った。近くの川といえば神田川のことで、コンクリートに囲まれていて汚い。人に勧められるようなきれいな川ではない。だけど俺にとっては故郷の川なわけで、悪く言われるのはあまり面白くない。俺の相槌に乗ってきたのが羽衣で、この日の行動を決めた。


「よし、きれいな川に行って、その水をますたーにプレゼントしましょう」

「賛成! きれいな川の側のキャンプ場なんてどう?」

「奈江も行きたーい。奈江、キャンプ行く!」


 金魚達の盛り上がりに、俺は反対するタイミングを逸していた。本当は自然が苦手なのだが、話の流れに身を任せることにした。という訳で俺達はまりえの天活はお休みにして、きれいな川の水を汲みにキャンプに行くこととなった。丸一日、夏の思い出作りに励むぞ! 先ずは3つのグループに分かれて行動した。あおいちゃんとあゆみと奈江は行き先を決める係、羽衣と優姫は食材調達係、そして俺とまりえは車を借りて来る係になった。行き先を決める係を残して、食材調達係と車を借りてくる係は一緒に街まで出かけた。あゆみと奈江に留守番を頼むのは気が引けるが、あおいちゃんが係長なので安心して任せることにした。


「ところで景虎くんって、テント張れるの?」

「大丈夫ですよ。毎朝御立派なのを張ってるもの。ね、まりえ」

「うっ、うん……。」

「……。景虎くんったら、サイッテー……。」


 優姫に俺の私生活を暴露され、俺は羽衣の好感度を大きく下げてしまった。羽衣の視線が冷たい。後で聞いた話では、優姫は羽衣と2人きりになってからも俺の日常の暴露話を続けたらしい。朝のテントほどの仰天発言はなかったようだが。


「お昼は、バーベキューにしましょう」

「良いですね。マスターは、お野菜が大好きですもの」

「そうね。大目に買っておこうかしら」

「ええ。一杯召し上がっていただきたいわ」

「夕飯は、やっぱりカレーよね」

「はい。甘口カレーですね!」

「甘口? 」

「マスターは甘口が好きなんですよ」

「それにしても優姫って景虎くんのことばかり考えているのね」

「もちろんです。私にはかけがえのない方ですもの」

「かけがえのない、方? 優姫、景虎くんのこと、好きなの?」

「……。お慕いしてますわ。マスターとして」

「マスター、として……。そうよね。そう、だよね」

「そうです! マスターが掬ったのはまりえですし」

「まりえ?」

「はい。だから、私達には手が出せないのです」

「てっ、手を出すって!」

「私、思うんです。まりえはマスターのこと本気で好きなんじゃないかって」

「本気で、好き?」

「……。でも、ご安心ください。私を掬ってくださったのは、羽衣だから」

「……。」

「羽衣とまりえがマスターを奪い合うことになったら……。」

「……。」

「私は、羽衣にお味方しますわ」

「バッ、馬鹿言わないでよ! 私、あんな優柔不断な男なんか……。」

「……。だったら、まりえの味方になっても良いんですの?」

「良いも、何も……。」

「あらまぁ、羽衣も意外と優柔不断なのですね」

「……。」


 そんな話をしながらも、羽衣も優姫も買い物だけは上手にこなし、いつもの如くおまけを沢山貰ってきた。


『どドンと旅行券40万円分』を持っている俺達だが、まりえの素晴らしい交渉術で、ワンランク上の車種をワンランク下の時間枠で借りることが出来た。どんなに俺が頼み込んだって、4万円を超える料金を3万円を切るほどに安くはならない。ロリ顔で巨乳の美少女がど真ん中という男は、俺だけではないのだろう。まりえの笑顔に鼻の下を伸ばすレンタカー屋さんの男性職員を見ていて、そんなことを考えていた。車を借りた俺達は、食料調達係と合流した。


「お待たせ!」


 まりえは助手席にちょこんと座り、窓から外にいる羽衣と優姫に手を振っている。2人はまりえに手を振り返せない。両手で持つのがやっとの量の荷物を抱えているからだ。大漁旗を掲げて帰港する船を出迎える丘の人が忙しいのと同じで、俺は7人では食べきれないほどの量をトランクに積み込んだ。忙しい。だから助手席にいるまりえを睨みつける羽衣の表情を見落としていた。

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