第2話

「私は、海堂桜。

あなたは?」


黒髪の少女は、そう名乗った。


「メロスだ」


「走り出しそうな名前ね」


意味がわからない。


「?」


「ごめん、続けて?」


「一応、エルフだ」


魔法は使えないがな。


「一応? まあいいや、私は人間。

こんな自己紹介したのは始めてだけど」


はにかむように桜は笑った。


「ハム」


「ハム?」


「すまん、噛んだ。

考えて見ると、誰かと話すのは、80年ぶりくらいだからな。

あまり舌が回らないみたいだ」


少し、舌の筋肉をほぐすか。

舌をぐるぐる回した。0.001秒で1万回ほど。

桜は、この無作法の行為をスルーしてくれた。うん、できたお嬢ちゃんだ。


「ぼっちなんだ、可哀想。

でさ、違ったらいいなぁ、って思いながら聞くんだけど、もしかして異世界、ここ?」


桜が不安そうな顔で聞いてくる。

異世界、か。

そういえば、だいぶ昔に来たドワーフの商人が何か言っていた気がする。

いまいち思い出せないな。

しょうがない。スクワットでもして、脳を活性化させるか。

2万回ほどスクワットしたところで、思い出した。


「そういえば百数年前に、旅の商人がそんな話をしてくれたな。

与太話かと思っていたが、あながち嘘ではなかったのかもしれん、

異界から来た者を、勇者と呼んでいるらしいが、桜もそうなのか?」


メロスは桜を観察する。

海堂桜は、腰近くまである綺麗な黒髪をした美人だ。

エルフの中に入っても負けないほど、顔が整っている。

胸は、男エルフとどっこいどっこいというところだが。


「何故かムカつくんだけど、失礼なことを思っていない?」


「なんと、それはエルフに対する侮辱か?」


もっとも美しい種族と呼ばれる、エルフと同列に見て、怒りだすとは。


「はっ?」


桜が変な顔をした。


「エルフと同等の胸部だと思っただけだぞ」


「私の胸を平坦って言ってんなら、地獄を見せるよ?」


桜が袖をまくって戦闘準備を始めた。


「気にしているのか?」


「当然でしょ」


「いい心がけだ」


本当に素晴らしい。

最大の賛辞を送ったのに、桜は怪訝な顔で見てきた。


「やっぱり喧嘩売ってる?」


なぜか誤解を生んでいるようだ。

やはり、筋肉以外のコミュニケーションは、齟齬を発生させるのか。

この世から争いがなくならないのは、筋肉が足りないせいだな。

っと、この世を憂いている場合じゃないか。

しっかり説明しなければ。


「確かに、桜には胸筋が足りていない。

だが安心しろ、しっかり聖書の23巻の教えを実行すれば、胸筋はお前のものとなる」


それで彼女の小さかった胸が、大きくなる。

彼女のコンプレックスを消すことができるなんて、さすが聖書だな。


「いや、胸筋に興味はないけど。

それに、聖書?」


「そうだ、神殿の中に来るといい」


桜の照れ隠しか、それとも聖書を見ていないから、半信半疑なのか、知らないが、聖書さえ見れば、態度も変わるだろう。


神殿の中へ入っていく。

桜は少し躊躇したが、しっかり後をついてきてくれた。

壁一面に飾った、光り輝く『週刊 筋肉を作ろう』(聖書)を見れば、聖書を信じる気持ちが湧くだろう。


「あれが……聖書?」


どうやら、あまりの神々しさに、言葉が詰まったようだ。

気持ちはわかる。

いつのまにか徐々に光り始めた聖書は、拾った頃よりも神々しさもアップしているのからな。


「ああ、あの神以外には描けない、素晴らしい絵画を見ろ。偉大さを感じるだろう?」


むっ。

桜が怪訝そうな顔をしている。

どうしたと言うのか。


「まさか、愚弟の持っていたポディビルダー本が、聖書あつかいされているとはね。

まあ、あんな光ってなかったとは思うけど」


聞き逃せない呟きが聞こえた。


「なんと、あなたは聖書の持ち主の姉君か」


ということは、桜は100歳以上なのか。

異世界人は見た目によらないものだ。

まあ、そんなことはどうでもいい。

大事なのは、聖書を原典の言葉で読める者が現れたことだ。


「鰯の頭も信心からって、鰯の頭にもほどがあると思うよ。

……あとついでに、帰ったらあいつ〆ないとね。私がこんな本盗むわけないでしょうに。まったく」


桜の呟きから察するに、聖書が消えたことを桜が盗んだと、弟君が疑ってしまったようだ。

たしかに、これだけ素晴らしいものだ。

盗難に遭うこともありえる。

まあ、いつか会えたら、弟君に謝罪しようではないか。

それよりも、音読会を始めなければ。


「それでは、これらの聖書を音読する。

読み方が間違っていたら教えてくれ」


「ん? ……それでは? ごめん、そんな話の流れだったっけ?

ていうか、そこにある本全部?

冗談でしょ、いやだよ。言葉通じるんだから、自分で読んでよ」


何を言っているんだ、桜は。


「この文字は読めんのだ。筋肉で大体の意味は捉えたつもりだが、正確に知りたい。

では、まずは……」


————————————


「ねぇ、いい加減にしてくれない?」


一言一句違っていないらしい朗読が、5冊目に突入しそうなところで、桜が怒りの声を上げてきた。


「ぬっ?」


まさか、大きく間違って読んでしまって部分があったのだろうか。


「流されるまま、あんたの朗読を聞いてたけど、私は今の状況すら把握できてないの。

せめて現状の確認くらいさせてよ」


そうか、そういえばそうだったな。

ではわかりやすく話して、すぐに音読会を再開しよう。


「むっ。

これはすまないことをした。

ここはエルフの治める森の一部。

瘴気の森と呼ばれている。

おそらく桜は、異界から迷い込んだ、勇者と呼ばれる存在だ。

では、続きを読み上げるぞ。

違う部分があれば、教えてくれ」


早口で、状況説明をした。


「なに普通に朗読を始めようとしてるの?

もう聞かないよ」


驚愕した。

なぜだ。


「なに、信じられない、って顔してんの?」


「桜も、この聖書の信者だろう。

同じ聖書を追求する者同士、正しい教えを知りたいという気持ちは、理解してくれるはずだ」


「大体それ、聖書じゃないし。

あと、人を変な宗教に入れないで‼︎」


「そうか、では聖書の素晴らしさが理解できない、か。

弟君には理解できているというのに。

嘆かわしいことだ」


首を振る。


「弟も信者じゃないし。

それと今更だけどなんで、その本光ってんの?」


「聖書だからだ」


何を当然なことを。

桜がなぜか面倒くさそうな顔をした。


「もしかして、魔法?

魔法で光ってんの?」


「ああ、当然魔法はある。しかし、聖書が光るのは、神の御力だ。

筋肉があるのと同じように、な」


「ふーん。

一応聞くけど、私って元いた世界に帰れる?」


「知らないな」


我が筋肉も知らないとピクピクしている。


「やっぱり、そっか。

なら、私に魔法を教えてくれない?

そしたら、その本の朗読に付き合ってあげてもいいよ」


桜は満面の笑みを見せた。


「よかろう。魔法を教えてやる」


別に減るものでもないしな。


「お願いします」


「ああ。まずは筋トレから始めよう。腕立て10回だ」


「えっ?」


桜が、ぽかんと口を開けた。


「何事も体力がモノを言う。我も隣でやってやる。さあ始めるぞ」


桜が渋々といった感じで腕立てをする。


「よし、よくやった。次は腹筋10回」

「はい」

「次はスクワット10回」

「はい」

「背筋10回」

「……はい」

「それではもう一度腕立てから始めよう」

「…………はい」



———————————————-

「巫山戯んな。私は新兵か⁉︎

魔法はどうした」

「どうした? 根をあげるにはまだ早いぞ」

「休みなしで100セットつきあったんだから、忍耐強いほうよ。ていうか、こんなに筋トレできる自分の体力にもビックリだわ。私、どうした?

改造でもされたの?

信じられないくらい、体力がついてるんだけど」

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