遠乗り・6


 気がつくと、レサはイズー城の療養所にいた。

 どうやら助かったらしい。腕には真っ白な包帯が巻かれていて、持ち上げるとかなり痛かった。

 レサの頭に、真っ先に浮かんだことは、仕事のことだった。

 困ったことに、しばらく働けそうにない。養護院の子どもたちもいるし、部屋の掃除もある。台所の手伝いもしなくてはならないのに……。

 やがて、医者らしき者が入ってきた。銀目をもつ長身の医者は、ムテの者らしい。レサの意識が戻ったことに気がついて微笑み、付き添いの薬師に薬草の指示を出している。

 レサが話し掛けようとしても、ムテの人々は、微笑むだけで答えようとはしなかった。毒の治療には、絶対の自信を持っているようだった。

 どうやら、すでに何日か日が過ぎているようだった。多くの人に迷惑をかけてしまったに違いない。自分のわがままで遊び歩いたばかりに。


 それにしても、自業自得の下働きのためにしては、この療養所の部屋は立派過ぎる。誰も他に患者はいないし、ベッドも一つだけ。つまり個室だ。まるで王族並の扱いである。

 ベッドは、一人で使うには広すぎるほどで、部屋の広さは、普段レサが使っている十人部屋の倍はある。レサの服なら五人分は入りそうな衣装棚や、等身大もあろうかと思われる彫刻が飾ってあり、レサには重々しく感じられた。しかし、広く大きく取られた窓が、日差しや庭の空気を取り込んで、居心地はよかった。

 起き上がると、かすかに甘い花の香りがする。中庭の白い花がいけてある。

 ウーレンの荒地に咲く白カトラという花で、触れたら壊れそうな繊細な形と、華やかさを合わせ持つ花だ。誰にでも手折れそうな細い茎でありながらも、大輪の花を支えて、凛としてレサを見つめている。

「きっと……セルディ様だわ」

 レサは勝手にそう思った。それは正解だった。



 お見舞いにくる人たちの話を総合すると、レサを運びこんだのはセルディだったらしい。他の少年たちは、セルディの馬の速さについてくることはできなかった。

 血まみれの王子に誰しもが恐れをなしたらしいが、彼は気にもせず、すぐにムテの医者にレサを見せた。医者は王族専用に雇われた者だった。

 ムテの薬草と的確な対処が、レサの命を救ったのだ。


「……だから、セルディがいなかったらと思うと、俺、どうしたらいいかわからなかった」

 しんみりとタカが言う。彼は、まったく元気がない。いまだに、レサを危険な目にあわせたのは、自分のせいだと思っている。それに、セルディを追い詰めたのも自分だと思い込んでいる。

「ひどいもんだぜ! レサ姫を救い出した我らの英雄は、いまや『血まみれ王子』ってあだ名で呼ばれている。もっとも、俺はそれでもヤツが好きだけどな」

 トビは冗談のように言うが、今回の事件は、エーデムの民がますますセルディを遠のける原因になったらしい。


 元々、エーデムとウーレンは、争いの歴史を繰り返している種族同士であり、和平がなったのは、今の王が即位してからである。

 セルディは、政略結婚でウーレンに嫁いだ王妹の子で、エーデム族とウーレン族の混血だ。

 民の心は、そう簡単には変わらない。温和なエーデムの民は、争いごとの好きなウーレン族を軽蔑し、恐れている。


 レサの脳裏に、真っ赤な瞳のセルディの姿が浮かんだ。彼は、冷酷で熱い血を持つウーレン第一皇子でもあるのだ。

 暗黒の馬に乗り、口元を血に染め、血まみれの少女を抱いて戻ってきたウーレン族は、エーデムの民には受け入れがたい存在だろう。特に繊細な王女シリアは、今頃レサよりも容体が悪いに違いない。


「レサ……は、やっぱり怖い? セルディが……」

 タカが不安げに聞く。

 エーデム族であるレサはうつむく。

 そして、そっとベッド横の花に目をやった。


 白カトラの花は、時に足され、時に外され、常に美しいままだったが、贈り主は一度も姿を現さない。

 花を飾り、部屋を出る前に振り返り、冷たくなった手をさすってくれる人。

 夢うつつに見えた銀の影は、本人だったのか、それとも頼まれた代理人だったのか……。レサにはわからない。


 でも、確かに夢の中ではセルディだった。

 そう、夢の中では……。


 麻痺したレサの手に感覚はなく、さすってくれるセルディの手が温かいのか、冷たいのかもわからず、レサは少し体を傾けて相手を確かめようとした。

 姿を現したくはなかったのだろう。薄闇の中でも、彼が顔をしかめたのがよくわかる。セルディは手をさするのを止め、かわりに両手でレサの手を握りしめた。手も声もかすかに震えた。

「本当は、怖いんでしょう?」

 緑色の瞳が寂しく揺れて、レサの瞳と重なった。


  ――腕を切り裂き、血をすする。

 その行為によって、レサは助かった。では、その行為を愛せるのか?


「僕のことが……恐ろしいのでしょう?」

 瞳の奥に眠る赤。目をあわせられなかったのは、レサのほうだった。


 ――そのようなことはありません……とは、言えなかった。


 白い花は、夢のときのまま……である。

「セルディ様は、私の命の恩人ですもの。嫌いになんてなるわけがないわ」

 レサは目をつぶり、ゆっくりと答えた。

「ははは、あったりまえだよな!」

 トビが当然というように笑った。

 タカは、一気に元気を取り戻したようだ。根が単純で、落ち込みも深いが、立ち直りも早い。

「えへへ……それを聞いて安心した。レサ、元気になったら、また遠乗りに行こう!」

 タカが鼻の下をこすりながら、提案する。

「いいえ、私、もう遠乗りにはいかない」

「え? やっぱり……そうだよな。怖い思いさせちまったもんな、俺……」

 一気に再びしょげるタカを尻目に、トビがなぜ? という顔をした。

 多少の心配はあったものの、レサは常にセルディと自分たちの仲間だと、トビは固く信じているのだ。

「私ね、怖かったのは事実だけど、本当に楽しかったの。でも、私には似合わないと思ったの」


 セルディの世界を知りたかった。

 その世界で生きたいと思った。

 でも、それはレサの理想をセルディに押し付けようとしただけ。


 セルディは、エーデムの血だけを持っているわけではない。ウーレンの血も確かに持っていて、それでセルディなのだ。

 その事実を知ったからといって、レサはセルディを嫌いになんてなれない。だからといって、血にまみれることを好きになれるわけでもない。


「私はエーデムなの。セルディ様だって、エーデムの血を持ってるんですもの。エーデム族が何を恐れるか……なんて、よくわかっているんだわ。だから、私を傷つけないように、セルディ様は無理をしていたんだと思う。私がいると、きっと、いつも気遣って側にいて下さると思う。それはそれでうれしいけれど、でも……。あの方、イズーの城の中では、自分を隠してばかりですもの。せめて外に出たときぐらいは、自由にのびのびしていていただきたいの」

 タカの目が、さびしげに潤んだのを、トビが頭を押さえ込んで隠した。

「セルディ様は、あなたたちと一緒にいるのが幸せみたい。だから、私、これからも、今までみたいに応援する側に回りたいの。一緒にいられなくても、幸せであってほしいと思うから」


 ――それでいいんだわ……。


 夢で迷った挙句、たどり着いた答えだった。


 ――セルディ様が、エーデムでウーレンでリューマであったとしても……いえ、だからこそ、私はあの方に惹かれたのだわ。

 そして、私はエーデム族なのだから。ウーレン族を真似なくてもいい。リューマ族でもなくていい。


 私は私らしく、あの方を愛せばいいのだわ。 


 レサが口を閉じたとたん、タカがトビの腕から飛び出した。

「畜生ーーーー! バカヤローー!」

 叫びながら、タカは扉を開けて部屋から飛び出し、花咲き乱れる庭を跳ね回っていた。本来、王族以外の立ち入りが禁じられている中庭を、である。

 レサは、タカの言葉の意味がわからず、目を白黒させていた。

「いや、あれはリューマ流の隠語いんごですよ。訳すると、『セルディは幸せなヤツだ! 俺は応援しているからな』っていうことです」

 トビが咳払いをしながら解説した。

 そのうち、タカが中庭のどこかでセルディを見つけだして、引っ張ってくるにちがいない。



  =遠乗り/終わり=

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る