遠乗り・5
タカは一番正直な少年かも知れない。
レサと二人っきりになっていしまうと、タカは萎縮してしまい、カチカチになって、奇妙だった。
ひたすら同じ話を繰り返して笑ったかと思うと、水をごくごくと飲む。そして今度はだんまりだ。時間が持たないと感じると、天気がよくてよかったなどと、また同じ話を繰り返す。そして再び水を飲む。
まったくつまらないけれど、レサも付き合って笑ってみせたりする。気持ちは暗いままだったが。
レサは、タカの気持ちがうれしいと同時に、申し訳なくも思う。彼は、レサの本心を知っているはずだ。だから、レサがタカの気持ちに応えることがないことも。
それでもタカはかまわないらしい。
レサと同じだった。タカにとってみれば、孤児とはいえ、エーデム族の少女とは立場が違いすぎる。つりあうはずがないことも知っている。
レサが自分を嫌っていないかどうか? 少しでも好きでいてくれるか? が、タカの知りたいことだった。
レサは、タカを何とも思っていない。好きではあるが、友達以上には思えないし、時に気持ちが重たく感じてしまうこともある。同じように好きでいてくれるのでも、トビのようにどこか冗談めかしてくれたなら、レサとしても少しは気分が楽なのだが。
「どうだったかなあ? そろそろ戻ってくる頃かなぁ?」
タカはそわそわしている。
「そんなに早くに?」
「虹鹿は馬より早く走れるんだ。群れを逃したら、もう追いかけたって無駄さ。だから、チャンスは一瞬だけだ。まぁ、セルディがいるから失敗はないさ!」
レサは、食べかけていた焼き菓子を置いた。気持ちが悪くなったのだ。しかし、タカはその様子を興味深さからだと思い込んだのか、話を続けた。
「虹鹿は、その場で解体して運ぶのさ。角とか、皮とか、肉とかに切る分ける。不要な部分は、他の動物の餌になるよう置いてくるんだ。さばくのも技術がいるんだぜ。失敗すると価値が減るからな」
話を聞いている少女の顔色が真っ青になっても、タカは気がつかなかった。やっと、口元が軽くなったのに調子づいて、話が止まらなくなったのだ。
「何をやってもセルディが一番なんだ。馬も、狩も……さばくのだって、俺ら、ヤツにはかなわなぇんだ」
レサは思わず口元を押えて走りだした。そして、崖の隅に座り込むと、食べたものをすべて吐き出してしまった。
やっと事情がわかり、タカはあわててしまった。レサのあとを追いかけると背中をさすった。
「ご、ごめん! もしかして、こんな話、苦手だった?」
タカには悪気はない。だが、少しだけ鈍感なのだ。
あわてて水を差し出そうとしたが、水は自分がすべて飲み干していた。
「平気。もうおさまったから……」
レサは、青白い顔を上げた。
「あう! 俺ってバカだ! ばかばかばか!」
タカが、ポカポカと自分の頭を叩いている。元々ハリネズミのような黒髪が、ますます逆立ってしまった。
レサの吐き気は、おそらく馬に揺られたせいもあったのだろう。しかし、タカはすっかり自分のせいだと思い込んだらしい。
「俺、水汲んでくるから!」
そういうと一目散に崖を下り、滝壺のあたりまで駆け下りて行った。
一人になって、レサは小さな息をついた。
楽しそうに肉を切り裂くセルディなど、レサは想像もしたくはない。優しいエーデムの王子であってほしい。
セルディの世界は、レサの及ばないところにある。そうは思いたくなかった。それでもセルディが好きだから。
雲が流れてゆく。風がレサの銀髪を揺らした。
「セルディ様は、エーデム族ではないんだわ……」
小さく呟くと、ますます悲しくなった。
その時だ。
岩陰から小さな生き物が飛び出してきた。レサは驚いて身を引いた。
生き物は、大きさがレサの手のひらの2倍くらい。ウサギに似ているが耳が丸くて小さい。ねずみよりは大きい。きれいな金色の毛を持っていて、黒い目が大きくて硝子玉みたいだ。きゅんっと小さな声で鳴き、口をもぐもぐと動かしている。
レサはほっとした。
愛嬌のあるかわいい顔をしている。見ると、もう一匹、いや二匹、岩陰から顔を出している。もしかしたら、家族かもしれない。
お父さんが様子を探り、お母さんと子どもたちが岩陰に隠れているようだ。
「大丈夫。私は乱暴しないから」
レサは微笑んだ。
何を食べるのだろう? 焼き菓子なんか食べるかしら?
そう思ったときだった。
「うわ、レサ! 危ない! わわわ!」
タカの声が聞こえた。振り返ると、タカが水をひっくり返して崖から転げ落ちるところが見えた。
せっかくの水を……何をあわてているのだろう?
あ、と思って立ち上がろうとした時だった。突然、左腕に焼きつくような痛みを感じた。
あの大きな目の生き物が、レサの腕に噛み付いていた。
そのとたん、レサの体に寒気が走った。噛まれた腕が麻痺して自分のものではなくなったような感覚。体中から汗が出てくる。
痺れる手を振り、右手で思い切り生き物を叩き落した。
生き物は凶暴な牙を持っていたのだ。そして、その牙はレサの腕に残っていた。
レサはかすみかけた目で、生き物の姿を見た。これが噛み付いたとは、信じられなかった。
しかし、愛嬌のある口元を開くと、何層にもなった毒牙が見えた。大きな目には残虐な色が宿っている。かわいらしさは消えてなくなっていた。
ギャーと吼えると、その声を合図に岩陰から仲間がぞろぞろと出てきた。
レサは、はっとした。これは毒ねずみという生き物に違いない。
噛まれて亡くなった人の話を聞いたことはあるが、実際に見るのは初めてだった。
見かけはかわいいが、猛毒の牙を持ち、獲物に噛み付く。自分よりも大きな獲物を毒で倒し、死にかけたところを群れで食い尽くすのだ。
口元に牙を見せ、よだれをたらしながら、毒ねずみはレサに跳びかかってきた。
「キャン!」
最初に噛み付いた一匹が、押しつぶされたような悲鳴をあげて倒れた。
鋭い矢が、小さな生き物を貫いていた。
毒ねずみの群れは、リーダーらしき一匹が倒れると、一斉にばらばらと逃げ出した。きゃんきゃんと、まるで蜘蛛の子をちらしたようだった。
朦朧としながら見あげると、崖の上にセルディの姿が見えた。
矢を射たのは彼だった。
セルディは崖から飛ぶようにして降りてきた。
そして、動けずにふるえているレサの腕を見ると、血の染み付いた袖口を短剣で切り裂いた。
牙はぽろりと落ちたが、レサの腕は腫れ上がっていて紫色だった。その変わり果てた腕を見たとたん、レサはさらに気が遠くなりかけた。
「レサ、眠ってはダメだよ。毒ねずみの毒で眠ると目が覚めなくなってしまう」
「セ、セルディ様……」
「大丈夫。たいしたことはないから」
そういいながらも、セルディは腰紐を解いて、レサの上腕部に巻きつけていた。
「目をつぶっていて!」
目をつぶったら眠ってしまいそうだった。薄目を開けて、レサはセルディの行為を見ていた。
彼は、ウーレンの銘の入った短剣で、レサの傷口を切り裂いていた。紫色に脹れあがった腕から、よどんだ血が毒とともに流れ出した。
レサは思わず顔を背けた。
その横に、やっと崖を這い上がっていたタカが、情けなそうにへたり込んだ。そして、真っ青な顔をして、レサの右手を握りしめた。
「……ごめんよ、俺。ごめんよ、レサ、ごめん、セルディ、俺、俺……」
タカは、レサに万が一のことがないように残ったはずだった。それなのに、いざという時に役に立たなかった。
「違うの……。私がまったくの無知で、あの生き物が毒ねずみだって知らなかっただけなの。タカが悪いんじゃないわ」
そういいたかったのだが、レサの唇は変色していて震えるだけだった。
「大丈夫、タカのせいじゃないし、レサは助かるから」
セルディの声はいつもと変わらないが、笑顔はなかった。傷口に口をつけて毒を吸い出している。
レサが最後に見たセルディは、血まみれの腕に吸い付き、血を吐く姿だった。口元を真っ赤に染め、なぜか目の色さえ赤く染まって見えた。
レサは意識を失った。
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