遠乗り・4
再び馬上の人となる。
馬に馴れてきたのか、今度は移りゆくきれいな景色を、レサは見ることができた。それもセルディにしがみついて、ではあったのだが。
彼はまったく嫌そうな顔をしなかった。が、嬉しそうでもなかった。レサは、セルディの気持ちが推し量れない。
遠乗りにレサがくることを、本当は嫌だったのか?
うれしかったのか?
自分の周りをコマネズミのように働き、時に厩舎で言葉を交わす下働きの少女を、どのように思っているのだろうか?
所詮は身分違いの叶わぬ恋に違いない。でも、レサにとっては叶う・叶わないが問題なのではなかった。セルディが、自分のことを好きなのか? 何とも思っていないのか? が、問題だった。
レサの知らない世界。緑の丘がどこまでも続く世界。
空が大地とぶつかりあっている。雲が芝生の向こうに切れていった。所々にある木々が、あっという間に後ろに飛んでゆく。
守られていない世界。危険もある世界だ。
それでも、セルディとならどこまでも行きたい。レサは、風が目に入ったのか、涙ぐんだ。
落ちないように支えている手が、いつも側にあったら……。そして、大事だと思ってくれる気持ちからであったなら……。
レサはそっと頭をセルディの胸にうずめた。
ルカスの滝には神話がある。
昔、妹姫を取り戻すため、ウーレン皇子の暗殺を画策したエーデム王ルカスが、エーデムリングの力を解放して、丘を真二つに割ったといわれている。その裂け目に地下水脈の水が注ぎ込み、滝になったのだ。
真実かどうかは今となっては確かめようもないが、大地を割った裂け目は自然の力とは思いにくい。何かしら不自然な美しさを持っている。
底には川が流れていて、足場は悪いが降りていける。下はひんやりとしていて、水が霧雨のように舞っているらしい。虹が見えていた。
たいした深さではないが、レサの目を回すのには充分だった。リューマの少年たちは、どうしてもレサに下まで案内したかったようだが、結局レサが降りられたのは、丘がすべり落ちたような中腹までだった。
中腹というよりは、かすかな段差とも言うべきか。ちょうど人二人分ぐらいの崖下であり、川までの距離はその三倍はある。
丘と同じ芝生が生えていて、滝が美しく見える場所でもあった。広々とした向こう端には、崖から転がり落ちたのか、岩が無造作に転がっている。
仲間たちはそこで火を起こし、レサの料理を広げた。
身軽なタカが、崖を駆け下り、川原で水を汲んできた。
「ここの水は冷たくてうまいんだぜ!」
タカはうれしそうに言った。そして、レサの横からパンをとると、さっそくかぶりついた。が、いきなり怪訝な顔をする。
「あ……肉が入っていない。もしかして、忘れた?」
レサはあわてた。忘れたわけではない。それは、セルディ用だったのだ。
「僕の分だね?」
セルディは、タカからパンを取り上げる。タカが一瞬おかしな顔をした。
タカは、レサが「セルディは肉食しない」と信じていることに、気がついてはいなかった。
歌をうたったり、話に花を咲かせたり……。
楽しい時間は過ぎていった。
でも、レサは気がついていた。確かに誰もが楽しそうだけれど、レサを中心にしようとして、気遣ってくれていることを。
遊びがすべて、男女平等にできることばかりで、競馬や剣比べなど、彼らが普段話題にしていた遊びは避けられている。
それに全員が常に揃うことはない。丘の上で放牧している馬たちの様子を、誰か彼かが見張っている。それほど離れた距離ではないし、何かがあったらすぐに声をかけられる距離だが、遊びながらも用心は欠かさないのだ。
突然、見張りをしていたトビが大声を上げた。
「セルディ!
突然、リューマの少年たちが歌を止め、立ち上がった。
「ひゃおう!」
口々に叫ぶと、みんな一斉に崖を登り始め、トビの側に集まった。
「虹鹿はね、珍しい動物なんだ。とてもきれいな毛並みを持っていて、高い値段で取引されている」
何が起こったのかわからないレサに、一人だけ残っていたセルディが説明した。
「それに、肉はうまいんだ! とろけっちうぜ!」
タカが崖を上りながら付け足して、トビの怒りを買っていた。
そう、彼らは美しい生き物を見物しようとして、はしゃいでいるわけではない。その細い喉元に矢を放ち、血を流し、むさぼるための歓声なのだ。
レサは、狩を予感して恐れおののいていた。
「レサ、ごめんね。君が、血を見るのは嫌いだってわかっている。でも、彼らにとっては死活問題だ。エーデムからの手当てだけでは生活が苦しいから」
申し訳なさそうに、セルディが見つめる。
なぜ、セルディがレサをつれてくることに乗り気でなかったのか、レサは気がついた。レサに手間がかかることなど、彼らには問題ではなかったのだ。
エーデムの少女に、リューマの少年たちの生活は理解できない。その狭間でお互い傷つき合わないか? ということが、繊細なエーデム王子の気がかりだったにちがいない。
狩は彼らの楽しみであり、稼ぐ術でもある。レサがいれば、彼らはせっかくのチャンスをふいにするだろう。さすがに虹鹿の魅力には抗えなかったらしいが。
「わ、私は大丈夫。ここで待っているから」
怖がっている場合ではないのだ。レサはひきつりながらも微笑んだ。
レサが無理をしているのは、もちろんセルディにもお見通しなのだろう。彼はそっとレサの腕に手をかけた。
「僕もここにいるから」
その声が聞こえたのか、崖の上からトビが大声で叫んだ。
「セルディ! 早く! 早く!」
さすがのトビも興奮していて、レサへの気遣いを忘れてしまったらしい。他の少年たちも口々に叫ぶ。
「セルディがいないとダメだよ!」
口笛が響く。
リューマの少年たちが馬を呼び寄せているのだ。空気は緊張して張り詰めてゆく。
セルディがいないとダメ……。その言葉の意味を知って、レサは目をつぶった。つい、忘れていたことを思い出す。
セルディはウーレン族でもあるのだ。穏やかな外見の内側に、生まれつき狩人の血を秘めている。
レサはその事実に目をつぶり、優しいセルディだけを感じていたかったのだ。セルディも、そんなレサの気持ちを知っている。
いや、レサだけではない。エーデムの民の前では、彼はエーデム王子以外の何者であってもいけない。エーデムの民、誰もがセルディにそうであってほしいと願っている。
「荷物番が必要だ」
セルディがトビに向かって叫ぶ。
広げられた荷物のことではない。レサに気を使ってはいるが、荷物はレサのことなのだ。レサの前では、狩に参加できない。
トビはすでに馬に乗っていたが、隣の馬に乗ろうとして、半身になっていたタカを蹴り落とした。
「痛てー! 何するんだ。この野郎!」
タカの怒鳴り声を無視して、トビは叫んだ。
「荷物番は、タカがするって言っているぞ!」
タカが、レサと二人きりになれるチャンスを逃すはずはない。小躍りすると、せっかく登った崖をするすると猿のように降りてきた。
セルディの顔に上気した色が浮かんだことを、レサは身逃がさなかった。
彼も……狩が好きなんだ。
そう気がついてしまった。
そうしないのは、自分のせいだと。
「私、ここでタカと一緒に待っているわ。あの、ご、ご馳走を……」
レサは精一杯の虚勢を張った。
セルディの顔がみるみるうれしそうに変わるのが辛い。いつもの自分を出し切れなかったのは、リューマの少年たちよりもセルディだった。
「ごめんね、レサ。僕は行ってくるから」
再び申し訳なさそうな顔をして、セルディは崖を登っていってしまった。
そしてあっという間に馬上の人になる。自由に馬を操って走り去る。その様子を崖下からは見ることができなかったが、激しい蹄の音がスピードを伝えていた。
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