遠乗り・3


 馬はゆっくりとイズー城の裏門を出た。しばらくは芝生のなだらかな丘が続く。

 レサは、意外に大きく揺れる馬上にとまどいながらも、手綱を持つために回されたセルディの手が、まるで自分を包み込むように感じてドキドキしていた。

 風が気持ちよかった。大きな揺れについていけず、一瞬セルディの胸にしがみつきかけて、レサはあわてて手を引っ込めた。そして、しっかりと馬の鬣を握りしめる。

「怖くはない? 怖かったらしがみついてもいいよ」

 声が耳元で響いて、レサの耳は真っ赤に染まった。いつのまにか、馬の鬣を弄び引きちぎろうとしている自分がいる。

 このまま時間が止まってしまったらいいのに……などと、レサは思っていた。

 少年たちの馬が、気持ちよさそうに大地を蹴り、追い抜いてゆく。まるで羽根でも生えたように、自由にのびのびとしていて、皆、レサに笑顔を向けて手を振ってくれた。そして、やがて遠くに豆つぶほどの大きさになってしまった。

 街や城では、あのように楽しそうな少年たちの顔を見たことがない。

 レサはうれしくなったと同時に、城を出ても馬上で緊張したままの自分が、なぜかさびしく思われた。


「本当に怖くなさそう?」

 セルディは何度も念を押す。

「ええ、大丈夫みたい」

 レサが答えた瞬間だった。

 セルディは手綱を片手に持つと、レサを片手で抱きしめた。その行為にレサが驚く間も、ときめく暇もなかった。

「じゃあ走るよ」


 その一言が終わるか終わらないかのうちに、馬はいきなり走り出した。

 レサの悲鳴は超音波となって、あまりの甲高さに音にもならなかった。やがて口をあけていることもできなくなり、声を出せない。

 目をつぶり、歯を食いしばり、セルディの胸にすがるしかなかった。

 空も草も何もかも飛んでいく。かすかに目を開けても、レサの目は回ってしまい、ふらっとしてしまう。

 セルディの片腕がしっかりとレサの体を支えていて、馬から落ちることはなかったが、馬の一足毎に空中に跳ね上げられ、ほうり投げられたように体が浮いた。

 馬が走ったのはほんのわずかな時間だった。だが、レサには永遠と思われるくらい長く、時間が止まってしまったのではないか? とさえ感じた。


 大きな木の下まで来た時、やっと馬が止まった。

 セルディの手を借りて馬から下りたとたん、レサの腰はかくかくと崩れてしまい、立つことができなかった。

「大丈夫? 怖かった?」

「だ、大丈夫です……。あ、あら?」

 セルディが心配そうにしている。レサは何とか立ち上がろうとして頑張った。

 手を繋いだ間から、イズーの街並みが見えている。まだ、遠乗りとはいえない距離なのだ。レサは、情けなくなってしまった。

 無理を言ってついてきたのに……。あきれられてるに違いない。

 木陰の気持ちいい場所に、すでにリューマの少年たちが陣取っている。彼らのほうがこの場所に先に着いていたのだ。レサが用意した差し入れにかぶりついて、タカがトビに怒られている。すでに茶まで入れている。


 それは私の仕事なのに……。それくらいはしてあげたかったのに。

 まったくのお荷物かも知れなかった。


「レサ、いい?」

 セルディの問いかけに、何が? という元気もなく、レサはうなづいてしまった。

「きゃ!」

 体が浮いてレサは悲鳴をあげた。セルディの顔が近くにあって、レサはあわてて口を両手でふさいで声を押えた。

 エーデム王子であるセルディに抱き上げられてしまったのだ。

「大丈夫、僕は見かけよりも力があるから」

「で、でも、セルディ様……わ、私……」

「せっかくの休みだよ。君もたまにはお姫様になればいい」

「わ、私が? 姫ですかぁ?」

 茹で上げられたように真っ赤になったレサを見て、セルディは初めて微笑んだ。


 雑用のほとんどはレサの仕事であり、他人に何かをしてもらったことは、レサにはあまりなかった。

 シリアの着替えを手伝ったり、髪を梳いたり、部屋を掃除したり、とにかく人のために働いていて、何だかお姫様扱いにはどうも慣れない。


 やっと仲間の側までくると、タカがうやうやしく敷物を広げ、トビが入れ立てのお茶をさしだした。

 これでは少年たちは自分のしもべのようだ。


 せっかくの休みなのに、こんなに私に気を使って……。


 レサは、そわそわと落ちつかない。まったく普段の自分ではない。

 その様子を見て、セルディは微笑んだ。そして、自分もトビからお茶を受け取ると、少し飲んでから小声で言った。

「みんな、君をお姫様にすることがうれしいんだよ。いつもよりもずっとはしゃいでいる。だから気にしないで」

 レサは、楽しそうな少年たちの様子を見た。そして、横に座っているセルディの顔を見た。

 セルディは……いつもよりはしゃいでいる様子はない。むしろ、静かなのかもしれない。


 休憩中、リューマの少年とセルディは、これからの行き先について話し合っていた。

 どうやら、当初の予定の場所までは行き着けないという結論に達したらしい。あれだけのスピードで走ったにもかかわらず、セルディはかなりゆっくり走っていたらしいのだ。

「ルカスの滝はどうだ? 景色がきれいだ」

 トビの提案にタカが鼻を鳴らした。

「そこは、獲物っていえば魚くらいじゃないか。俺はキジが食いたいな」

「あ、しっ!」

 あわててトビがタカの口を押えた。

 レサは、タカの発言をきょとんとして聞いていた。


 キジ? 食べる? 


 そういえば、リューマ族は食肉する。エーデム平民であるレサも食肉はするが、ハムやベーコンといった加工品か、リューマ族の肉屋がさばいた塊肉しか見たことがない。

 彼らが狩をすることは何となく想像はついていたが、まさかエーデム王族のセルディの前で殺生をするはずはなかろうと思っていた。エーデム族は血を嫌い、王族に至っては食肉すらもしない。

 そういえば、セルディも他の少年も弓矢と短剣を携えている。

 セルディの短剣は、ウーレン王族の証であり、彼が大切にしているものだ。常に身につけてはいるが、抜いたところをレサは見たことがない。

 だから、レサはウーレンの血を持つ王子であると知っていながら、セルディを容姿そのまま生粋のエーデム王子だと思い込んでしまうことが多かった。

「武器は必ず持つ。城壁を出たら、どんな危険があるかもわからないから。レサは知らないかも知れないけれど、イズー近くにだって、危険な動物はたくさんいる。さすがに竜はいないようだけど」

 背にある弓矢を気にしているレサに対し、セルディはさらりと言ってのけた。

「ルカスの滝に行こう。今なら陽光に当たって虹が見えるはずだ」

 セルディの一言で行き先は決まった。

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