遠乗り

遠乗り・1


「君も行かないか?」

 その一言をはじめに言ったのはトビだった。

 レサは、驚いて目を丸くした。


 イズーののどかな昼下がり。

 柔らかな日差しが、干すために広げられた藁を温めて、かすかに匂いが漂う。馬が飼葉を食む音が、埃舞う厩舎に響いていた。

 厳しい肉体労働のわずかな休憩時間。差し入れの焼き菓子をほおばりながら、リューマ族の馬丁たちは、ちょうど明日の遠乗りに行く打ち合わせをしていた。

 彼らは、よく遠乗りに出かける。レサは、厩舎にて時々その話を聞いてはいたが、女であるし、馬にも乗れない。時間があるときは、いつも差し入れだけを用意して彼らを見送っていたのだが、たぶん寂びしそうな顔をしていたのだろう。

「そ、そうだよ、そうだよ! お、俺、馬に乗せてやるからさぁ!」

 小躍りしながら賛同し、ドサクサにまぎれてレサの手を握ったのはタカだった。

 他の三人のリューマ族たちも、トビの提案に口々に賛同した。イズー城の厩舎はにわかに活気づいた。


 レサは、そっともう一人の少年の顔色をうかがう。

 窓から差し込む光の帯が何層も重なるさらに向こう、飼葉を食べ終わった黒馬の側にセルディはいた。そこにいるだけで絵になってしまう少年だった。

 今の話は聞こえていただろう。しかし、豊かな銀髪を持つレサの想い人は、何も言わず馬の鼻面をなでているだけだった。

 賛同もしなければ、反対もしない。他の五人のはしゃぎようとは一線をひいている。

 セルディは乗り気ではないのだ。レサはそう感じた。

「でも……お邪魔ではないかしら? 私なんて……」

「そんなことないよ! みんな喜んでいるよ! な、な、セルディ!」

 レサの不安をよそに、タカが興奮したまま、セルディの返事を促した。

 セルディは、馬から目を移すことはなかった。

「レサが、馬を怖がらなければ……。僕はかまわないよ」

 振り返ることもなかったので、はたしてどのような表情をしているのか、想像がつかない。

 賛同の意思表示にも、レサには一抹の不安が残った。



 リューマの少年たちがセルディと仲良しになってから、レサもセルディと接することが多くなっていた。

 王女シリアの話し相手という重大かつ大変な仕事に振り回されていたが、前ほどシリアからのお呼びがかかることもなく、忙しいレサにも自由な時間が持てるようになった。

 それに、セルディは馬が好きなこともあって、よく厩舎に顔を出す。厩舎に行けば、時々会うことができた。


 レサは、はじめはリューマの少年たちが苦手だった。

 彼らは街の鼻つまみ者だった。レサを待ち伏せして絡み、セルディが助けてくれなかったらどうなっていたかわからない。レサにとっては二度と会いたくない連中だった。

 そんな彼らが、セルディの口利きでイズー城の厩舎に住み着くことになったと聞いて、レサは一瞬蒼くなった。

 なぜ、あんな乱暴者のリューマ族たちを? と、不思議だった。なんだか同じ城の中にいるかと思うと、一人でいるのが怖い。

 そう思っていた時、セルディがレサをわざわざ部屋に呼び出した。めったに逢うことのないエーデム王子が、である。


 ――すれ違った時に挨拶するくらいがせいぜいの、雲の上の人なのに……。


 いつも掃除に入る部屋で勝手を知っているのに、レサは緊張した。

 それでも思い切ってノックして入ると、セルディは笑顔で立ち上がって迎えてくれた。

「あなたの誤解を解いておかなければならないと思いました」

 そう言ってセルディは、他のお客たちを紹介した。レサは思わず後ずさりした。セルディの合図で立ち上がった人たちは、できる限りのいい服を着てはいたが、あのリューマの少年たちだった。

「こわがらないでください。彼らはあなたにぜひ謝りたいと……」

 そのまま部屋を飛び出しそうになったレサの手を取り、セルディは引き寄せた。

 レサは震えたが、セルディは両肩を支えるようにして背後に立ち、リューマの少年たちと対面する羽目になった。

「ごめんなさい!」

 一斉に頭を下げた少年たちは、怖い……というよりも、なぜかひょうきんにさえ見えた。皆、緊張してこりこりになっている。中には、耳の先まで真っ赤になっている者もいる。

「俺、お詫びにレサさんのいうこと、何でも聞きます」

「俺、レサさんを守ります!」

「俺、レサさんを尊敬しているんです!」

「お、俺、レサさんのこと、好きです!」

「バカ! まぎれてとんでもないこというな!」

 トビがタカの頭を殴った。

 レサは驚いて目を白黒させた。

「みんな、レサさんと本当は友達になりたかっただけなんです」

 トビが締めくくった。

 そして、決定的な仲直りをセルディがとりもった。

「彼らは充分に反省しているから、あなたも許して上げてくれませんか? そして、できたら仲良くしてあげてほしい」


 以来、レサは彼らと仲良くなった。

 リューマの少年たちは、トビ以外は文盲で読み書きができない。それに、エーデムの食事だけでは重労働に厳しい。レサは時々厩舎を訪れ、焼き菓子やパンを差し入れしたり、文字を教えたり、時に雑談して楽しんだりしていた。

 付き合ってみると、皆、ガサツで洗練されたところはないが、人のいい楽しい人たちだった。

 いつのまにかレサは、彼らの女神様に祭り上げられていた。

 エーデム族とはいえ、捨て子で身寄りのないレサは、充分にリューマの少年たちと同等だったし、それでいて、仕事と勉強を両立させているレサを、皆、尊敬し大切に扱ったのだ。

 そして、おのずとレサとセルディも、以前よりすこしだけ気軽に話せる仲になったのである。

 エーデム王族と平民という垣根を越えて。

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