.ジテンシャ

.8

 カラスの輪郭が闇夜に溶けて曖昧になってしまうほどの夜であろうと、チュウカが寝どころとしている裏街は今日も多くの人間的欲望が交錯して渦巻いている。


 女の子とイチャコラするだけの通称エロ通りから二本離れた通りにネオンやエルイーディーの光は点滅していないが、エロの度合いで比べれば断然でやばい通りがある。いや、通りと呼べるほどその区間は長くないことは地元民ですら知っているようで知りたくないのだが、つまり、たとえ羽目を外したとしても常識を有識している者であれば決して近づきたくない区間なのである。


 信号のない交差点二か所に挟まれたその区画は、歩行者天国でもないのに車一台通らず、通りには客引きも、地下への入り口を警護する黒服の姿も、営業している店を示すまともな看板すらない。コンクリートの市営住宅顔負けの建物がずらりと並んでいるだけで、それこそ心臓を動かすことのできる生物はカラスぐらいなものである。


 そんな怪しいどころかそこに何があるのか健全者では想像もできない場所に軍は現れた。軍はある建物の地下に続く階段から地上へ上がってきた。頭を左に捻って傍観していたカラスの真横にチュウカは飛び降り、一匹と一人が電線からこの様相を見下ろし始めた。


 先頭は二人の軍人であった。装備品は少なくともライフル銃一丁。ライフルに装備されたライトを周囲に向けて状況を確認。無線機で誰かに連絡を取る仕草をする。


 次に出てきたのはハゲだった。姿を確認できた男性の第一印象はハゲであり、その他の特徴として判別できるのはデブで体格と態度がでかいように見える。しかし、その目は怯えている。金持ちに見える服装を身に着けているが、しかし頭の後ろで両手を組まされた上に銃口を突きつけられているため平民以下の扱いをされている。


 後続にドレスやセクシー衣装の女性たちが次々に現れた。彼女たちも全員頭の後ろで手を組まされ、一人に付き一人以上軍人が銃口を向けていた。中にはランジェリー姿の女性もおり、さすがに路上に出ると恥ずかしそうにうつむいていた。


 軍とデブ、それと女性が出揃ったところで軍隊は指示を出し始めた。女性を一か所に固めて周囲を銃口で囲み、デブ親父だけを壁に貼り付けた。こちらは銃だけでなく、数名の軍人が力づくで行っている。初めは抵抗していたが、耳元で発砲音を鳴らされ、すぐに涙目になった。軍は何かを叫びながらこの親父に何かを問い質している。尋問というよりも、何か事実を認めさせたいようであった。しかしこの親父、中々に頑固であるようで首を縦に頷くことをしようとしない。泣きながら否認し続けている。


 やがて軍人の怒号がこちらにまで聞こえ始めたが、それでも埒が明かないようだ。そこに地下の店から若いタキシードのジャケットを脱いだ青年が連れてこられた。すでに顔面を殴られたあとであり、もちろん彼にも銃口付きで。顔を殴るのは微妙にプロでない。


 青年を交えて幾ばくかの時が流れたが、すぐに青年は撃たれた。足を撃たれたらしい。命に差し支えない血流量の多い血管を選んだのだろう。ここは微妙にプロだ。夜の暗闇では赤い血液はより暗く見える。上から血液が楕円状に広がる様子が良く確認できる。尋問されている内容まではこの距離では分からないが。


 チュウカは双眼鏡で覗くのをここまでにした。尋問者の一人に先日旧ゲームセンターに攻めてきた女性の一人を見つけたからである。また、幾ら軍とはいえども一般市民に手を出すとは思っていなかったのだが、しかしおかげで健全な動機もできた。あの青年が一般健康優良非社会不適合者であればなおのこといい。大いなる動機、いや、建前になる。一縷の可能性で表沙汰になった際でも登場するのはあの刑事であるはずだし、そうでなくともチュウカは方便とこの建前を言い放って飛び逃げることもできるはずだ。


 ともかく相手は拳銃を使用しているのだ。健全な日本の警察はたぶん黙って見過ごさないし、だからこそ俺のこの後の行動は黙って見過ごすだろう。問題ない。後ろ楯も黙認もついているとなればやりたい放題だぜ。ケケ。


 条件は整った。


 チュウカはまず透明で純度の高い液体を綱渡りで電線の真下へ一本の線を描くように垂らし始めた。軍との距離は一定距離あるので、サーチライトの射程範囲内にはまだ入っていない。少しずつ作業を進めるその後ろをカラスがピョンピョンと付いて来ている。


 なあ、そこのカラスやい。実はこれから花火大会やるんだぜ? どうだ、楽しみかい?



「いーつまでもーたえるーことなくー」



 俺は歌いながら液体をまいていく。



「そーらをとぶーとりのーようにー」



 俺はわくわくしていたから歌いながら油をまいていく。



「きょーのひはー、日はー、火はー……」

 



 さようなら。




 そして一本のマッチをマッチ箱から取り出して擦り、上に掲げていた火を落とした。火は下を向いて下へ落下し、目標の油に到達。一気に燃え広がって火柱を上げ、一瞬で火の壁を作りだした。花火のように派手な色や音はないが、飛び降りて近づけば火花の音が聞こえてくる。突然の灯りに動揺を隠せない軍隊は必死に銃口を向けるだけ。もう逃げ口は彼らの後ろにしかない。さて、背中を見せながら逃げるなんてことができるかな?



「誰だ、貴様! そこで何をしている!」



 それはこっちが聞いてみたいんだけどなぁ?



「動くな、それ以上近づくと撃つぞ!」



 ククク……。威勢のよさは相変わらずだな。



「くそっ」



 兵士の一人が足元に向かって一発発砲する。そしてこの発砲した兵士は「これは警告だ……」と言いたかったのだろうが、その警告を全て言い終わる前にチュウカがすでにその上空へ飛んで自慢の獲物を振りかざしていたために、独り言になってしまった。兵士は咄嗟に銃身で防衛姿勢を見せたが、衝撃を真に受けたせいで折れた銃と共に使い物にならなくなっていた。


 チュウカは足元の瀕死体からハンドガンを抜き取り、引けた腰で前線を固める兵士の集団に向かって発砲した。特注の油によって激しく静かに燃え上がる火を背にしながらチュウカは不敵に笑みを浮かべて発砲した。銃弾は誰に当たることもなくコンクリートを這いずるように進み、そして再び火を点けた。反対側にも油を前もって撒いておいたのだ。軍は火の壁に挟まれる形になり、チュウカと共に逃げ場をなくした。忘れそうになるが、おじさんとその魅惑の美女たちはビルの壁に身を寄せ合ってことの顛末を見守るしかなかった。半分ぐらいが座り込んでいて、数名が恐怖で失禁している。どれだけ暗い夜でも、火の明かりに挟まれればその様は明瞭。互いの顔がはっきりと確認できたところでチュウカはようやく要求を行う。



「今のは警告だ。次は確実に血を見るぞ」



 前哨戦はここまで。舞台が整ったここからは一切の遠慮なしだ。

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