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「そりゃあ大変だったな。しかし、目的も敵が誰かって言うことも分かっているんだ。いつも通りのおまえさんなら、あとは突っ込んでいくだけじゃないのか?」



 刑事はこう言った。



 チュウカは追加注文されたサラダを独り占めしていたのを中断し、刑事の方を黒目だけで見た。これには刑事も笑うしかなく、若手の後輩はどうしようもなく目を逸らした。これまでこの二人の様子を落ち着かない様子で伺っていた彼は、まるで自分は会話に参加しておらず、ただ周囲の様子を警戒する警備員を振る舞うしかなかった。



「俺は血に飢えたバカじゃない。本能だけで生きるバケモノじゃあないぜ、刑事さん。これでも人間なんだよ、一応」

「ああ、悪かった悪かった。そう言う意味じゃなくてだな、その、つまりだな、なんというか、そのー」

「どうして軍に攻撃を仕掛けないのか……ってことですよね、先輩」



 彼はぼそりと呟く。立場的には発言を補助する国会議員の秘書ってところだろうか。



「ああ、そうだ。つまりはそういうことだ」

「なんだ、そんなことか」



 チュウカは店員を呼び、勝手にコーラをジョッキで注文した。刑事はもう諦めてその行為を見過ごし、自然な手つきで追加で切られた伝票を受け取っている。



「殴って解決するんだったら、俺はとっくにそうしている。そりゃ、敵を退けるために戦うことはあるさ、たぶんな。でもそれじゃ解決できない。敵は、俺が敵と呼ぶ奴らは本物の軍隊だ。俺が連勝を続けても、そんなことに意味はない。街は守れない」

「警察は街と市民を守るためにいるんだけどねぇ」

「おいおい、何言ってんだ、刑事さん。アマチュアが首を突っ込めば血を見るだけだぜ? 勘違いするなよ。敵は軍だぞ。市民のバカ相手とはわけが違うんだ。それができるって言うんだったら、今頃俺は警察に掴まって刑務所の中だぜ」

「……ああ、それは、たしかに」



 険しい表情を二人はしばらく続けていたが、やがてそれを苦笑で小さく吹き飛ばし、二人は互いに見合わせてにやりと笑った。そしてそれから二人で大口を開けて高笑いした。その笑い声は店中に聞こえるほど大きなものであったが、他の客と従業員は横目で気にしつつも自分たちの役割に徹することで無関心を装った。具体的には周囲の喧騒を作りだしている巷の世間話を無理して続けたのである。一度訪れれば二度と抜け出すことのできない沈黙を避けるために、必死で与太話を絶えず酒やつまみと共に顔を赤らめながら行うことによって自分たちの世界を作り続けた。話は馬鹿笑いを終えた二人に戻る。



 笑い終えた二人はそのままの笑みで再び顔を合わせ、声を殺しながら残りかすのような笑いで笑っていた。表情と笑いの空気量、目尻と口元の緩さを一定に保ったまま腕だけを伸ばして二人は乾杯をした。チュウカは炭酸であふれたコーラを、刑事は気の抜けたビールを衝突させて一気に煽る。



 このようにしてチュウカはコーラを一気に飲み干し、今宵の晩餐を終えることとなった。



「これからどうするつもりだい、坊主」

「もちろん、刑事さんと同じ考えさ。大丈夫、このつるぎに誓うよ」

「それ、けんなのか?」

「俺の中ではな。ガキにとっちゃそれなりの長さがあればそれはもう武器なんだよ」



 ご馳走様です、とチュウカは身の丈に合わない椅子から飛び降りて刑事の横を通り過ぎ、そしてそのまま店を出た。一方の刑事は彼がいなくなった場所に向かって「おうよ」、と遅れて残りのビールを一口飲んだだけだった。




 ***




 店を出たチュウカはそれから夜道をゆっくりと歩いていた。鼻歌なんて歌いながらそれは気分の良くなった酔っ払いのように、スキップに似た足取りで。満足に飯とジュースを飲み食いしたからというのもあるが、今夜は警察の公認……いや、黙認付きである。久々に暴れる斐があるってものだ。浮足立ってしまうのも分からなくないだろ?



 チュウカが次の目的地である居酒屋の看板を見つけると、店の手前の路地へと入っていった。侵入者に驚いた足元のネズミが飛び去ったその先に、大柄で挙動不審な男がいた。彼は以前チュウカが助けた男であり、その礼に小道具を用意してもらっていたのだ。



「こんばんは、おっさん」

「あっ、ああ。こんばんは」

「物は?」

「ここに」

「ありがとうございます」



 チュウカは淡白な挨拶もそこそこに、ポリタンクから手動ポンプを使って二百五十ミリのペットボトル容器に液体を移し替え始めた。最初は赤いポンプを不思議そうにただ押していたが、やがてサイフォンの原理を理解するとスムーズに液体をペットボトルに詰めることができた。



「チュウカ……だっけか。その、油なんて何に使うつもりなんだ」



 チュウカは下を向いて作業を続行し、言葉だけでその問いに答える。



「今夜は暗いからね。灯りをともすのさ」



 大柄なおやじに彼のこの言葉の意味は分からなかったのだろう。ただ困った顔をしただけで、それ以上は尋ねなかった。



 今夜は静かであった。



 どこかで犬が吠えているのが聞こえるぐらい静かであった。街にはいつも通り人がいて、それぞれが各々の欲望を発散させているというのに、なぜか空気は夜の色をして澄みきった静かさであった。



 予定の本数を作り終えた頃の時刻は午後十時手前。同時に用意してもらった肩から下げるタイプのカバンにその全てを詰め込み、チュウカは立ち上がる。



「おっさん、ありがとな。助かった」



 おやじはただ一つ頷いただけであった。果たしてどうしたのだろうか。幾分顔色が悪いような気もする。もしかしてこの火炎瓶の行く末を心配しているのかもしれない。昼間食べた饅頭を偶然止まった虫ごと食べたせいでおなかが痛いのかもしれない。しかし、チュウカは青くなり始めたトマトのようなその横を通り過ぎ、通りに戻った。


 そして、それから再び歩き出した。


 その歩調は確かなもので、焦っている速度でも傲慢な態度の速度でもない。確かに信じることのできるものだった。



 ***



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