新人
草野正彦
新人
「今日から我が部署に配属されることになった新人だ。皆よろしく頼む。」
そうやって四月にアパレル系の会社に入社してからはや数ヶ月が経った。何とか年の瀬を迎えられそうだが今思えば沢山の人の助けによってここまで来ることができたとしみじみ思う。知識の獲得、人々への振る舞い方、言葉遣いなど自ら何かを得ようと行動した事はなかった。それ故に、今年は生まれ変わったつもりで頑張ろうと思っていた。
しかし現実はそう甘くなく、新人という肩書に振り回された。何もかも初めてだらけの職場は、今まで他人に頼りっぱなしであった私には何とも過ごしにくい場所であった。今までともに研修を受けた仲間たちもそれぞれ違う部署に配属されてしまい、気軽に話せる相手も居ない毎日は本当に苦痛だった。頑張って上司や先輩に話しかけようとしても言葉が出てこない。能動的に話すということがどうしても出来なかった。そのせいからか、様々な雑用を押し付けられてしまい、働き漬けの毎日を過ごしていた。そう、今年話題になった「ブラック」というやつだ。
早朝出勤はしたことがない、というのもほぼ毎日泊まり込みで仕事をしているからであって、新人だからという理由で、始業と同時に朝から晩まで営業をしなければならない。いささかデスクワークならば、淡々と何も考えずにこなせばいいが様々な客層に対してケースバイケースの説明をするのは非常にエネルギーを使う。
そんなに一生懸命に仕事をしているのならば、新人といえども金銭面の待遇が良いと思われがちなのだがそういうわけでもない。むしろ悪く、保険料などにほとんど天引きされてしまい、また営業成績に関しても、一日中喋りっぱなしでありながら結果的には他の従業員にほとんど抜かされているのが現実である。私が勝ち取った契約のきっかけも全て他の従業員に『新人だから』という理由で横取りされてしまう。実を言うと私にも原因があり、決められた宣伝文句以外は客と話すことができないからである。さらに言うと、期間限定の割引やキャッシュバックのキャンペーンについての知識が無いことに加えて、契約の詰めの部分については全くと言っていいほど勝手がわからないからである。
一向に自分の努力が成績に反映されない日々が何か月も続き、何かしら対抗しなければならないと思ったのが昨日。そのためにはまず情報収集が必要と考え、上司や他の従業員の会話を注意深く聞くことにした。もし、先輩や従業員の口から自分を陥れるような話が出たならばすぐに録音して然るべきところに持って行くつもりだ。
そして先ほどの昼休み。私が先輩から嫌われているという確固たる証拠を掴んだ。先輩が言うには、新人のくせに若い女性や子供といった客層にも気軽に話しかけられることが気に食わないらしい。確かに考えてみれば先輩や他の従業員に仕事について話しかけたりすることは苦手だが、営業の時だけは気軽に話すことができる。また特に若い女性や子供に話しかけられる回数が多いというのは前々から不思議な事だとは思っていた。
そんなことはもうどうでもいい。会社から嫌われていることは分かった。もうこんな職場とはさよならだ。そう思った時、後ろに人の気配がした。危険を察知したのか何処からか警報も鳴っている。煙も辺りに広がり始めた。後一歩のところで・・・
「草野君、例の新人はどうしたのかね。毎朝いつもここに居たはずだが。」
「部長、それなのですが、倒れていたらしいですよ。朝一番に出社した湖沼(こしょう)くんが話しかけても全く反応は無く、顔も真っ白だったみたいで。とりあえず事務室で様子を見ると言っていました。」
「そうか、毎月高い保険料を払っておいて良かった。彼の集客力には目を見張るものがあったからね。」
「全くです。彼のおかげで僕の営業成績もうなぎ上りで本当に感謝ですよ。若い女性に人気があったこと以外は。」
「本当にそうだねえ、早く帰ってきてほしいものだね、あの新人君、彼の名前は何だっけ?」
「確かペッパーくんですよ、うん。来年の四月にはまた元気に新人としてわが部署に戻ってきてくれるでしょう。」
新人 草野正彦 @keion_7
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