第1話:三崎先輩と俺の馴れ初め1

 まずは事の始まりから話そうと思う。

 なぜ俺のようなごく普通の一般男子生徒が三崎先輩のような学校一の美少女と付き合う様になり、俺の専属エロ奴隷と言い出すことになったのかを。


 あれは六月の半ばの雨の日、今から二週間前の事である――


――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


 その時の俺は困っていた。

 しかしそれは人生における重大な選択を迫られていたわけではなく、帰り際に雨に降られる程度のものだった。


「あぁ、くそっ。傘忘れちまったなぁ……」


 午後から急に天気を崩した雨雲を忌々しく睨みながら俺はひとりごちる。

 廊下の窓から外の様子を覗くと雨の勢いは強く、いま帰宅すれば濡れ鼠になることは避けられないだろう。

 この雨の中でぐっしょりと濡れるならばも結構な被害が出る、それは非常によくない。

 これなら雨が弱まるまで校内で過ごすか、部活をしている笠原に帰りを合わせたほうが良さそうだ。


「んじゃ、適当に校舎でも見て回るかな」


 俺が入学してから二ヶ月になるが未だに校内をすべてを把握しているわけではないため中々校内探検は楽しいものだった。

 中学の時は帰宅部だと放課後は目立って仕方なかったけれど、高校は帰宅部でも結構だらだらと校内に残っている人間は多い。

 とはいえ誰ともつるまず一人で残っているのはそれなりに目につくだろうがそれは仕方ない。


「……ん? なんだここ」


 放課後の学校探検を進めていく内に俺は一つの教室へと辿り着いていた。

 そこは資料室。中に何があるかは詳しくは知らないが、普通に生活する上で立ち寄る機会など殆ど無い教室。

 その資料室から光が漏れており、中に教師がいるのかと思ったがなにやら様子がおかしいように思う。


 それは何かと考えれば、物音だった。教師がいるのならばそれは仕事で使う資料を探しに来たところだろうが目の前の資料室からは物音一つ聞こえない。

 教師や生徒の誰かががサボっているという可能性もあるが、それなら明かりなど着けないはずである。

 俺は中に誰がいるのか、その好奇心の赴くまま資料室の引き戸を開ける。鍵はやはりかかっていなかった。


「……あら、ここに人が来るなんて珍しいわね」


 そこにはパイプ椅子に座る一人の女生徒がいた。手に持っていた文庫本から顔を上げて俺に向かって微笑む。

 微笑む女生徒の名前を俺は知っていた。いや、この学校に通う男子生徒ならば誰でも知っているであろうその人。

 三崎みさき先輩――三崎静乃みさきしずのという一つ上の先輩だ。


 俺の一つ上であるのにも関わらず俺のクラスまでその存在が知られているような有名人である。とはいえ積極的に話題にするのは男子生徒が中心ではあるが。

 三崎静乃みさきしずのが有名な理由は唯一つ、あまりに突出した美少女であるがゆえである。

 その整った顔立ち、艷やかな長い黒髪、モデルにも負けないプロポーション。

 立てば芍薬座れば牡丹歩く姿は百合の花という言葉があるが、三崎静乃みさきしずのという人物は正にそれだった。


 なにをしていても非常に様になってしまうため、このように人がいない資料室でひとり本を読むと言った行為も、人によっては陰気な側面を感じてしまうのが――三崎静乃みさきしずのならばミステリアスに、あるいは物語じみた存在のように思えるだろう。


 実際のところ、俺はそのように感じていた。


「中に入ってはどうかしら? 覗かれていると少し落ち着かないわ」

「あ、は、はいっ」


 三崎みさき先輩は微笑んだまま、闖入者である俺を前にしても平然とした様子で迎えてくれた。

 対する俺は緊張でガチガチだ。詰まってしまったのはよくないがそれでもなんとか言葉を返す事ができてよかったと思う。

 こんな風に三崎みさき先輩に話しかけられるようなことなど滅多にないだろうから。

 ――そう、俺も他の男子生徒と同様に三崎静乃みさきしずのという先輩に憧れを抱いている一人であることは言うまでもない。


「あ、あの……み、三崎みさき先輩は……」

「何かしら?」


 なのでこの機会に少しでも仲良くなれればと思い、声をかけようとしたのだが緊張のあまり上手く話しかけることが出来ない。

 別に俺は女子に話しかけることの出来ないコミュ障というわけではないが、眼の前にいるのが三崎みさき先輩では話が違う。

 話に聞くだけでは中々理解できなかったが、こうして間近で三崎みさき先輩を前にすると告白など恐れ多くて出来ないのも分かる。


「落ち着いて。はい、これでも飲んで」

「は、はい」


 三崎みさき先輩は自分の鞄の中から水筒を取り出して俺に注いでくれる。

 中身は冷たい麦茶。三崎みさき先輩のイメージとは違って意外だったが、空調のないこの少し蒸し暑い資料室にはちょうど良かった。


「その、三崎みさき先輩はいつもここで?」


 今度は詰まることなく上手く喋れたと思う。

 喉を潤すことで息ついたことで少しだけ緊張が解けたようだった。


「ええ、ここの掃除をする代わりに鍵を借りているの」

「ああ、なるほど……」


 言われてこの資料室は隅々まで掃除が行き届いていており、全然埃っぽくないことに気づく。


「その、他に人は……?」

「いないわ、来るとしても資料を取りに来た先生くらいよ。ここは一人で使わせてもらってるの」


 他に人は来ないらしい、となるとどうやら三崎みさき先輩一人で資料室の掃除をしていることになる。

 それはなんというか意外だった。

 遠巻きに見て、話を聞くだけの三崎みさき先輩はとにかくミステリアスで、言い方が悪くなってしまうがそんな掃除とかする人のように思えなかったから。言うなれば現実感が薄い、といったところだろうか。


 そんな事を考えている俺だったが、三崎みさき先輩は何やら考えていた。

 口元に指を当てて考えるその姿は哲学者のようだった。しかし――


「……そう、言うなればぼっち部ね」


 先輩は哲学者のような様にとても似合わぬ台詞を吐いていた。


「はい?」

「ここは私一人だけの部活、ひとりぼっちの部活。うん、ぼっち部よね」

「えっと、何を言ってるんですか三崎みさき先輩?」

「いえ、私の今の状況を的確に表した言葉はなにかと思って」

「あ、あぁ……そうですか」


 そうですか、などと納得したような言葉を言ったがその心の内で俺は正直言って戸惑っていた。

 戸惑いの理由は言うまでもなく三崎みさき先輩の性格である。この人はこんな事を言う人だったのか。

 しかし当の三崎みさき先輩は俺のそんな様子などお構いなしに話を続けようとする。


「それで……あなたは、えぇっと」


 三崎みさき先輩の様子を見て俺はまだ自分が名乗ってない事に気づく。

 俺は三崎みさき先輩とは違うどこにでもいる普通の男子高校生なのだ、こっちが三崎みさき先輩を知っているからと言ってその逆はありえない。


「あ、す、すみません。三崎みさき先輩! たちばなです、橘裕貴たちばなゆうきです」

たちばなくんはどうしてここに?」

「それは……」


 その三崎みさき先輩の不思議なこちらを見透かしているような瞳を前に、俺はなんと答えたらいいか一瞬だけ詰まってしまう。

 正直に言えば――暇つぶしで学校を見て回っていたら資料室に明かりが点いていたのでなんとなく入りました、ということになるのだがそれで三崎みさき先輩の時間を使わせていると思ったら中々言いづらいことである。


 とはいえそれ以外に理由はなく、じっとこちらを見つめてくる三崎みさき先輩に上手く誤魔化すことなど出来ず正直に話すことにした。


「えぇっと……傘を忘れたのでその雨が弱くなるまで学校を見て回ろうと、それで資料室に明かりが点いていたからそれで……」

「……雨、あぁ」


 三崎みさき先輩は俺の答えに特に気にせず、それよりも雨という単語の方に食いついた。

 資料室の小さな窓から外を覗いて雨が降っていることを確認するとなにやら頷いていた。どうやら雨に気づいていなかったらしい。

 三崎みさき先輩はまたもやなにやら考えてから、俺に一つ問いかけてきた。


「ねぇ、たちばなくん。帰りはどちらの方向?」

「え? ……えっと、駅に向かってそこから電車ですが」

「そうなの……」


 三崎みさき先輩は一つ頷いてから、艷やかな唇が笑みの形を作った。

 一体、三崎みさき先輩はなにに反応して微笑んでいるのだろうか。


「ねぇ、たちばなくん」

「は、はい? なんですか三崎みさき先輩」


 三崎みさき先輩は手に持っていた文庫本を鞄にしまい、すっと俺と向かい合うように立つ。

 並んで立つと俺のほうが少しだけ身長が高い、これもまたなんとなく少しだけ意外だった。


 俺がそんなどうでもいい事を考えてしまったのは、先程よりも三崎みさき先輩との距離がぐっと近くなったせいだろう。

 突然、距離を詰めてきた三崎みさき先輩に俺は混乱するがそれはまだほんの序の口であることを俺は理解する。

 真の混乱はこの後の三崎みさきの発言によってもたらされるのだから。


「私と一緒に帰らないかしら――相合い傘で」


 三崎みさき先輩は神秘的な微笑みをたたえながら俺を誘った。

 それはまるで人に安息を与える天使のようであり、あるいは堕落をもたらす悪魔のようにも見える、そんな人の届かぬような魅力に溢れたもの。


 そしてただの一男子高校生である俺には当然。その微笑みを前にして断ることは出来なかった。

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