第三十章 堕天の荊苑

「何か……すっげー物見ちゃいましたですわ……」

「鼻血鼻血」


 ふきふき。


「……って、小汚ねーハンカチだすんじゃねーですわよ! ずびーっ!! ……返しますわ」


 返すな。

 今度は真紅に染まったハンカチを鎧の中に仕舞い込む俺。これはさすがにとっとく気にもならない。


 しょんぼりしているマリッカに輪をかけてしょんぼりずどーんと肩を落としているマリーは言った。


「……ね? あたし、マリッカが思うような素敵な女神じゃないの。煩悩の塊。妄想に囚われたオタクの中の腐女神なのよ。幻滅……したでしょ?」

「そ――そんなことっ!」


 言いかけ、腰を浮かせたマリッカは力なく元の位置へと戻った。心なしか小さな身体がいつも以上に小さく心細そうに見えてしまう。


「……驚かなかった、と言えば嘘になりますわ。あたしはマリーがいつも清らかで正しく、美しいと思っていましたので。……あ! いえいえ! あれがその逆の存在だと言ってる訳ではありませんのよ? ただ……何と言うか……物凄くアレと言うか……」

「ね? ね? 凄いよね?」

「……まおたん、黙ってて」


 ぎろり、と物凄い形相で睨み付けられたまおたんは肩を竦めて小さくなった。まだマリーはさっきの一件を許した訳ではないらしい。


「驚いたよね……だって、あんな物描いて喜んでる奴なんだから、あたし。軽蔑……しちゃったよね」


 マリーは正面に座るマリッカに静かに語りかける。

 だが、その表情は真剣そのものだった。


「……でもね? もうあたしはそれを恥ずかしいことだなんて思わない。ここにいるまおたんや、葵さん、舞亜さん、織緒さん……同じような妄想を抱えた、いろんな人に出会うことができたんだもの。これまでのあたしなら絶対に出会うことのなかった人たち。その手助けをしてくれたのが……ショージ」


 二人の視線に見つめられ俺は落ち着かない気持ちになってしまう。

 かたや優し気に、かたや憎し気に。


「……だからね? 今度はあたしがショージの夢を手伝う番なの。勇者の手助けを女神のあたしがする番って訳。ね? だから、あたしたちが《天界の門》に行こうとするのを見逃して――」

「……それは駄目ですわ」


 マリッカはきっぱりと首を振る。


「だよね……」

「い、いえいえ! そうじゃねーんですってば!」


 が、マリッカはパステルピンクの髪を左右に振って慌てて言い繋いだ。


「今、行っちゃ駄目なんですわよ! マリーは知らねーでしょーけど! 手配書が更新されて、あんたにも指名手配がかかってんですよ! お尋ね者扱いなんですよっ!!」

「え……!?」

「マジか……」


 驚くばかりの俺たちに、マリッカは説明する。


「もう天界は、魔王が城を出たって話題でもちきりなんです! もう攻めてくるのは時間の問題だろうって言われてて……で、その手引きをしてるのが、勇者・ショージと女神・マリー=リーズだって!」

「どうしてバレたんだ……?」


 どうにも腑に落ちない。マリーもそうらしい。




 だが一人だけ、心当たりがありそうな奴がこの場にいることに気付いてしまった。




「おい……」

「ぎくっ!! あは……あははははは……!」

「知ってることを話してもらおうか、kwskくわしく!」

「あー……うー……ええっとぉ――」


 俺とマリーに詰め寄られ、しどろもどろになりながらもまおたんは渋々白状することにしたらしい。


「あ、あのね? ほ、ほら、パーティーってあるじゃん? 僕が城を出ると警報が鳴るって言ったと思うけど、編成情報とかも伝わっちゃうんだよねー」


 く、糞ゲー……!

 圧倒的不利じゃねえかよ、魔王の一行!


「え……? もしかしてマリッカ――?」

「そーですわよ。当たり前じゃねーですか」


 マリッカは鼻を鳴らした。


「あのまま《天界の門》に行けば、皆仲良く揃ってお縄頂戴でしたのよ? ですので、こうして人気のないところまで連れてきて差し上げたんですの」

「ナイスだぜ、ロリ貧乳!」


 げしっ!!

 鎧のない太腿にローキックは止めて!


 どうせ聴こえちまうんだからと声に出す俺も悪い。


「痛てて……で、この先、どうすんだ? このままじゃあ天界に一気に突入して、英雄神・アルヴァーに直訴なんてできっこないぜ?」

「え、英雄神・アルヴァー……じ、直訴……!」


 あ、いけね。

 こいつには目的話してなかったんだっけ。


 今更ながらに洗いざらい説明してやると、マリッカは神妙な顔つきで考え込み、それから言った。


「ドえらいことを考えやがりますわね、ボンクラ勇者……。ま、それがマリーの望みでもあるのなら、喜んで手伝わさせてもらいます。あー……もちろん、おめーのためじゃねーですけどね?」

「あ、あははは……」


 一時休戦、ってところか。


「――で、どうしたらいいと思う?」

「天界への侵入方法についてはあたしに考えがありますですわよ。ともかく、ついて来やがれです」


 マリッカが導くまま、俺たち三人は進んだ。


 何処までも続く《堕天の荊苑》の柵のほぼ中央らしき場所にあったのは巨大な白銀の門だった。誰を基準に作られた物かは定かではなかったが、とにかくデカい。上の方を見上げると、門を閉ざす太い鎖と頑丈そうな南京錠がかけられているのが分かった。


「……鍵がなけりゃ、とても入れそうにないな」

「やっぱり、ボンクラ勇者ですわね?」


 マリッカは、ふん、と鼻を鳴らし、偉そうに言う。


「もうあたしの《加護》、忘れちまったんですか? どんな金属でも腐食させる《金属腐食メタルアシッド》を――!」


 そうか!

 い、いや、しかし――!


 マリーも思いは俺と同じだったらしい。


「待ってよ、マリッカ! あなただって《堕天の荊苑》は禁忌の地だって知ってる筈よ!? 勝手に開けでもしたら、どんな罰が下るか――!」

「そんなモン、知ったことじゃねーですよ」


 マリッカは小悪魔めいた笑いを発した。


「ここを通れば、天界の裏から直接入れますからね。この中は荊だらけで、他には何もねーって聞いてます。こんなつまんねーとこ、呑気に散歩する神もいねーでしょう。ったく……何のためにこんなモン、作ったんでしょうねえ……」


 確かにそうだ。一応、マリーにも聞いてみたが、ここが作られた理由は同じく知らないらしい。堕天、という単語ワードが不穏すぎるものの、そう言っておけば入る奴はいないだろう、という意図も感じ取れる。


「んじゃ、早速やりましょう。おい、ボンクラ、こっち来て、肩車しやがれです」


 もはや『勇者』も抜きなんですね分かります。

 いちいち咎めるのも億劫なので素直に跪く姿勢をとって身を屈めると、マリッカが躊躇なく俺の首元に跨り、腰を降ろした。ほんわりと暖かい。


 直前に一回こめかみに軽い衝撃を受けたのは挨拶代わりだと受け取っておこう。次はないと思え、ロリ貧乳。


「よし、立つからな――」

「ふえ……っ! 太腿さわさわしやがるなっ!!」


 仕方ないよね、危ないからね!

 他意はなく添えた手をがしがし叩かれながらも俺が立ち上がると、ぎりぎり届く位置になったらしい。


「じゃ、始めますわよ――!」




 ~~~~~。




 何もせずともこの世界の言語を理解できていた勇者の俺ですら理解不能な膨大な音の羅列がマリッカの口から滔々と紡ぎ出された。極限までピッチを上げて逆再生した人工音声のようでもある。何というか酷く現実味のない声がしばし流れるのを俺はただ黙って聴くくらいしかやることがなかった。




 やがて――。




 ぼとり!

 目の前の芝目がけ、巨大な南京錠が落下してきた。




「う、うおっ! 危なっ!」


 っていうか、危うく爪先潰されそうだったんですけど!

 見るからに頑丈そうな足甲は着けてるけれど、そこは安定の《勇者シリーズ》、直撃すれば秒でぺしゃんこだ。よくよく見ると、マリッカの《加護》によるものかところどころドロドロに溶けていた。


「凄え……やるじゃないかよ……!」

「おめーに褒められても、嬉しくねーんですよっ! それより! とっとと! 降ろしやがれ、です!」

「う、うおっ! ちょ――! 蹴るな蹴るなっ!」


 肩車中にじたばたしやがって、子供か。

 むしろそのせいで手間取ったのだが、やっとのことでマリッカを降ろしてやると、振り返りもせずに門に取り付いてあらん限りの力を込めて引っ張り始めた。それを見た俺たちも左右に分かれて参加する。


「ふぬぬぬぬぬ!」

「うおおおおお!」

「えええーいっ!」

「……よいしょー」


 一名明らかにやる気のない奴いただろ、魔王だな。




 ぎ――。

 ぎぎぎ――。




「開いた!」


 次の瞬間。




 びゅおうっ!!




「「「――!?」」」


「今……何か……?」


 他の三人の強張った顔を順番に見てみたが、どの顔もただ無言で見つめ返すばかりで、何かを見た奴はいないらしい。


 気のせい……だよな?


 半信半疑ではあったものの、開いた門の隙間から何かが飛んで行ったような気がしたのだ。だが、それだけでしかない。気持ちを切り替えようと数回首を振ってから残る三人に告げる。


「ともかく、開いたな。これだってもう気付かれてるかもしれないんだ、早いとこ進んだ方が良い!」

「そ、そうね、急ごう!」


 顔を見合わせて頷き、俺たちは走り出した。《堕天の荊苑》というだけあって、苑内はマリッカが話していたとおり荊で――それも雪のような純白の荊で一面埋め尽くされていた。剪定も手入れもされてないようで、二メートルほど高さの鬱蒼とした荊の森が俺たち侵入者の行く手を阻んでいる。しかし、先陣を切って走るマリッカのコース取りには一切迷いがなかった。


「お、おい! 道、分かるのかよ!?」

「きひひっ! こんなモン、勘ですよ、勘!」


 そう叫び返しながらときおりひくひくと鼻を蠢かし、何かの匂いを嗅ぎ取っているようにも見える。


「……大丈夫なのか、あいつに任せて?」

「マリッカはああいう子なのよ」


 マリーはくすりと笑った。


「女神って言うよりは野生児。あんな魔法少女みたいないかにも女の子女の子した格好してるけれどね。初等科の頃、遠足に行って迷子になったあたしたちは、マリッカのおかげで帰ってこれたのよ――」


 泣きじゃくるだけのマリーや他の女神とは違って、マリッカただ一人はどうにか帰る方法を見つけようと木に登ったり、水音を聴きつけて川を見つけたり、驚くほどのサバイバル能力を発揮したんだそうだ。


「く――くくくっ!!」

「な、何がおかしいのよ?」

「なーんかさ! どいつもこいつも凄えなって!」


 やっぱりここはファンタジーの世界だ。

 今更ながらにワクワクして堪らない。




 そして――改めて思う。




「……こうなったらさ、どうやってもぶち壊してやらねえと気が済まねえよ! この糞ったれの馬鹿げたシステムを! 神と魔王の争いを! 絶対に!」


 一瞬、マリーはびっくりしたように目を丸くする。

 それから、一際大きく声を張り上げた。


「もう約束しちゃったもんね……了解、手伝う!」


 このまま一気に天界まで――俺たちはそう信じて疑っていなかった。

 だけど、そんな筈はなかったんだ。






 延々と続く荊の森をがむしゃらに走り続け、ようやっと進む先に開けた場所があるのに気付き、知らずのうちに俺たち四人となったパーティーの表情が緩んでいた。


「意外とスムーズに来れたな!」

「あたしのおかげだってことを忘れねーで――」

「はいはい。感謝してますって」


 気楽な口調で叫び返したものの、勇者となった俺でさえ行き絶え絶えだ。

 一方、先陣を切って走るマリッカは汗一つかいていない。何が女神だ。初対面で清楚さと可憐さを感じてしまった自分を殴りたい。


「あれが天界側の門に違い――なっ!?」


 言うが早いか、マリッカが慌てて急ブレーキをかけた。何かを見つけたためらしいが、手と足を動かすだけで必死だった残りの三人はその小さな背中にもつれ合いながら殺到する。


「うおっ!?」

「わわわっ!」

「……むぎゅ」


 最後のは俺とマリーの身体でプレスされたまおたんの声である。どうにかそこから抜け出したまおたんは顰め顔でマリッカの見つめる先に、じとーっ、と視線を向けたがあっさりと諦めてしまった。もやしっ子のド近眼め。


「どうしたのさ?」

「門が……開いて――!」


 まさか――!?


「……勝手に入ってんじゃねえよ。ここは禁忌の地だって言ってあっただろうが? ま、俺様は別だ。何せ、ここも俺の物なんだからな――」


 聴き慣れないハスキーな声が響き、俺たちは咄嗟に身構え、辺りを見回した。

 すると――。


「……しょっと」


 門の近くにあった大きな岩の上で寝転んでいた人影が、むくり、と起き上がった。


「人が良い気分で昼寝してんのに邪魔すんじゃねえ。……ったく、ここなら誰にも見つからずにばっくれられる筈だったのに。何で俺様が書類仕事なんかやらなきゃいけねえんだって話だろ? で……」


 むすりと不機嫌そうに岩の上に立ち、腕組みして尖った目を向けてくるその男の姿を見て、まおたんを除く俺たち三人は息を呑んだ。多分、マリーとマリッカは、この男が何者なのか知っているのだろう。だからだ。


 ただ俺は違った。

 恐れや驚きよりも、ただただ圧倒されていたのだ。


 ――何だ、このパーフェクト・イケメンは!?


 やや面長な端正な顔立ちは驚くほど小さい。切れ長な瞳を飾る睫毛は女子かとおもうくらい長くて緩やかにカーブしている。そのやや垂れ下がった左の目尻には、ここ以外には考えられないと思えるほどの絶妙な位置に二つの黒子があった。眉毛ほっそ! そこにはらりはらりと触れる前髪を掻き上げる仕草も実に様になっている。引き締まった身体は見事なまでにシェイプされていて、独特のデザインをしたその身に纏う純白の衣服は何処となく近衛騎士団などという単語を連想させる。もし俺が着ようものならハロウィンのコスプレにしか見えない滑稽さだが、この男は違った。悔しいくらいにお似合いである。皮肉も思いつかない。


(そうか……こいつか……!)


 ようやく俺の思考も、マリーやマリッカに追いついていた。それをわざわざ確認するまでもなく、マリッカがその名を呼んだ。


「え――英雄神、アルヴァー様……ど、どうしてこちらに?」


 口調が硬い。明らかに余所行きの声である。


「……悪いか? 理由ならさっき言ったぜ?」

「い、いえ――! そういう……訳では……」

「……あー」


 英雄神、アルヴァーは、ぽり、と頭を掻いた。


「お前、確か……マリッカ=マルエッタ、だったよな? 間違ってたなら謝るが――」

「は、はい! マリッカにございます……」


 すでに伸びていた背がさらに伸びた。それを見て、にこりと笑ってみせたアルヴァーは、


「なあ、そいつら何モンだ?」


 すうっ、と目を細めて囁くように尋ねた。


「え……。えと……ええと……この者たちは――」


 途端、マリッカはしどろもどろになる。


 しまった――!

 あらかじめ打ち合わせしとくべきだったか……。


 今更言っても始まらないので、マリッカの代わりに一歩踏み出し、アルヴァーに告げた。


「俺は、天津鷹翔二――勇者・ショージです」

「へえ」


 すとん、と岩の上から降り立ったアルヴァーは躊躇いもなく俺の前まで歩み寄ると、自分の細く尖った顎先に手を添えてじろじろと観察を始めた。


「な、何か変ですか、俺?」

「いいや。別に」


 くい、と口元が笑みの形を作る。だが、それは形だけのものでしかない。

 案の定、アルヴァーは見るべきものは見た――いや、特に見どころはなかったと言わんばかりに、ふん、と鼻を鳴らした。


「期待してた程じゃなかったな、と思っただけだ。……魔王と手を結んだ、って聞いてたからな」


 こっちは一戦交える気なんてないんだけどな……。

 楽勝だ、とでも言いたげの余裕っぷりである。


 そのまま俺からあっさり視線を外すと、一番後ろでむっつりとつまらなさそうな顔をしているまおたんを見つめて問いかけた。


「で――お前が魔王ってことで合ってるよな?」

「……他にいないでしょ?」


 怯んだ素振りなぞ少しも見せず、怪訝そうに片眉を、ひくり、と蠢かせて応じる。慇懃無礼さではまおたんも負けてはいない。


「何しに来た? この――俺様の統べる天界に?」

「……はぁ」


 まおたんは苛立ちを隠そうともせず、露骨な溜息を吐く。

 そして、面倒臭そうに俺を指さした。


「そこの勇者に無理矢理連れ出されたんだよ。無抵抗な僕を倒そうともせず、代わりに、願いを叶えてやる、って無茶な約束をする勇者に。でもね……」


 徐々に不機嫌さが増していくアルヴァーの顔とは対照的に、まおたんの表情は微笑みに満ちていった。


「でも今は、それを信じてみようと思ってるんだ」

「こいつ……ねえ」


 アルヴァーは釣られたようにほんの少しだけ口元を笑ませた。

 いや、こいつをか?と馬鹿にしているだけなのかもしれない。


「お前の願いって何だ? 聞かせてみろよ」

「は? ……君には関係ないと思うけど?」

「ははっ!」


 アルヴァーは短い笑いを発して、声を大きくする。


「こんな量産型のヒラ勇者に頼る必要なんざねえ、って言ってやってるんだよ! お前、阿呆か? この俺様は、全知全能、迅雷風烈、勇猛果断の英雄神・アルヴァーなんだぜ!? こいつにできて、俺様にできないことはねえんだぞ!?」


 四字熟語オタクかお前。

 淀みなく臆面もなくそう言い放ったアルヴァーの表情には一点の曇りも見えず、途轍もない自信に満ち溢れていた。実際そうなのだろう。この場には何一つそれを証明するものなど存在しなかったが、誰もが彼の言葉が真実だと信じて疑わなかった。


 しかし、その完璧すぎる爽やかな笑顔をしばし、じっ、と見つめた後、まおたんはこう応えた。


「……遠慮しとく。君には無理だもの」




 時間が凍りついた。




「………………は?」


 ひくり、とアルヴァーの完璧だった表情が乱れた。


「悪ぃ悪ぃ。良く聴こえなかった。今、何て――」

「君には無理だ、そう言ったんだよ」


 ぴたり、と動くのを止めたアルヴァーの顔から表情が消え失せていた。まおたんはなおも続けて言う。


「もう決めたんだ。僕の願いはショージに叶えてもらおうって。悪いんだけど、君の出番はないよ」


 まおたん……。

 何か、俺は凄く嬉しくなってしまった。


 が――同時に焦りと恐怖も感じていた。こんないかにもな俺様キャラが、ここまで要らない子扱いされて黙って引き下がってくれるとは思えない。その心中や、怒り心頭といったところだろう。


「へ、へえ――」


 それでもクールな態度を保っているのは、さすが天界の頂点に立つ男である。

 と、内心見直しかけていたところで――。




 がしいっ!




「……おい、量産型。お前、俺よりできる男なんだって? 是非、お手合わせいただきてえんだが?」




 く――苦しっ!

 爪先を伸ばしても地面に届かない。浮いている。




 アルヴァーの左手一本で吊り上げられた格好の俺は、窒息寸前の絞首刑状態で何とか声を絞り出した。


「は……放して……くれ……!」

「おいおいおい。こんなモン、軽く振り払って見せたらいいじゃねえか。はっ! まさか……できないとは言わねえよな――?」

「や、やめてよ、アルヴァー!」

「ち――っ」


 蒼白になったまおたんが悲鳴に似た叫びを上げると、ようやく俺の身体は解放され、無造作に大地に投げ捨てられた。盛大に尻餅をつく羽目になった俺は咳き込みながら空気を貪る。死ぬかと思った……。


「っ! 何するんだよ!?」


 慌てて駆け寄り、心配そうに俺の背中を擦っていたまおたんが、きっ、と鋭い視線を向けて言った。


「こんなだから、君には僕の願いなんて叶えられっこない、って言ってるんだ! 君は何も……何も分かってない! 分かろうともしないじゃないか!」

「分かろうとはしただろ!」


 苛立ちに髪を掻き毟ってアルヴァーが応じる。


「聞いたって教えてくれなかったのはお前じゃねえか!? だから、直接そいつから聞き出そうとしたんじゃねえか! 何が悪い!? 俺様は正しい!」


 くそっ!とアルヴァーは柄にもなく地面を蹴りつけてそっぽを向いてしまう。まるで子供である。


(お、おい、マリー――)

(な……何よ?)


 何処か放心状態だったマリーに囁きかける。


(こいつら……知り合いだったのか?)

(ううん。会ったことなんてない筈だけど)

(そうか……うーん)


 何だか凄く違和感がある。何故だろう。


 さっき、まおたんが『アルヴァー』と名前を呼んだ時、確かに彼の顔に浮かんだ表情には――。


「おい、量産――いや、勇者・ショージ」


 俺はそれ以上思いを巡らすことはできなかった。

 ようやく真正面から見つめ――俺の存在を認めたアルヴァーは尋ねた。


「魔王の願いを叶えるために、お前は何をする?」

「お、俺は――」


 乾いた喉で、ごくり、と唾を呑んでから答える。


「俺は、この世界は歪んでいる、と思ったんです」


 目の前のアルヴァーの視線が途端に鋭くなったように思えてしまい、恐怖のあまり言葉が枯れた。


「………………続けろ」


 アルヴァーが低く呟いたが、舌は震えるばかりだ。




 その瞬間だった。


 声が、聴こえた。




(君ならできると思ってしまったんですよ――)

(君たち二人がやると決めた、この旅の目的の達成のためなんだ――)




 そして、




(自分がどうすべきか、どうしたらいいかを決めなさい。あなたの――意志で――)




 俺は優しく背中を押す姿なき声に一つ頷くと、ゆっくりと、だが着実に言葉を積み重ねていった。


「歪みの一つになっているのは《女神ポイント》システムだと俺は思っています。あれが彼女たち女神を評価するために作られた物かどうかは知りません。ただ今となっては少しも勇者の助けにはなっていませんし、女神たちだって誰一人、純粋な善意で勇者の力になりたいだなんて考えてないじゃないですか。英雄神のあなただってそんなこと、とっくに気付いてる筈です。違いますか?」

「確かに、な」


 アルヴァーは居心地悪そうに視線を彷徨わせた。


「あれを作った頃とは違う、俺だってそうは思っているさ。けど簡単に止めちまう訳にはいかな――」

「神と魔王の永年の対立があるから、ですよね?」


 いささか不躾だとは思ったが、英雄神ともあろう人にぐだぐだと言い訳をさせるのもそれを聞くのも嫌だったので、言葉尻を攫って言葉を差し挟む。


「でもね、それだってあなたは気付いている筈じゃないんですか? もう魔王軍には戦う力なんて残ってないんだ、ってことに」

「そ、それは……」


 アルヴァーは気まずそうに言い淀んだ。俺はその隙になおも続けて言った。


「この《ノワ=ノワール》には魔物がいませんね。驚きましたよ! だって、勇者に任命されたのに、戦う相手どころか野生の獣すらいない平和そのものの世界だったんですから」


 小鳥一羽いない、だなんて異常すぎる。


「ここにいる魔王も教えてくれましたよ。もうここには魔物たちはいないんだって。彼らだって馬鹿じゃないですからね、勝ち目がない、この状況はどうやっても覆せないと分かったからそうしたんです」

「……」


 遂にアルヴァーは黙ってしまった。

 別に俺だって彼ばかりを責めるつもりなんて毛頭ない。しかし、もう潮時なのだということは分かってもらう必要があった。


「……もう止めましょうよ。これ以上、続けてたって意味がないんだ。それとも……まだ続けないといけない理由でもあるんですか? どうなんです?」


 これでいいだろう。


 あとは、アルヴァー本人の口から、この下らない対立に終止符を打ってもらえさえすれば――。




 だが、アルヴァーは。




「……いいや、続ける」


 俺の顔をじっと見つめてそう言ったのだった。



 

 ……ん?

 もしかして彼は――?




 反射的に振り返ってしまった俺だったが、ちょうど背後に立っていた人物が見せた問い返すような怪訝な表情に慌てて曖昧な笑みで応じると再び正面に立つアルヴァーに視線を戻した。が、彼はとっくに別の方向へ視線を向けていた。


 勘違い……だったのか?


 英雄神の硬質で平坦な声が聴こえる。


「だから何だと言うんだ、勇者・ショージ? どうしろと言うつもりだ、この俺に?」


 答える間もなくアルヴァーはかぶりを振った。


「……いいや、違うな。俺はお前の意見なぞ必要としていないし、そもそも耳を貸す必要すらない。何たってお前は、魔王討伐から尻尾巻いて逃げ出した勇者なんだからな……」

「逃げた訳じゃ――!」

「ああ、違うんだろうさ。そうだろうとも。けどな……俺は倒したぜ? だからこそ恩寵を得たんだ」


 アルヴァーは反論しようとする俺を鬱陶しそうに遮ると、振ったその手を戻して真っ直ぐ指さした。


「……お前は違う。何もできず、ただ厄介事を連れてきただけじゃねえか。そんな奴が偉そうに意見するんじゃねえ。聞いて欲しけりゃ、力を示せ!」


 くっそ!

 これだから脳筋は!


 舌戦で敵わないから戦えとか理屈が無茶苦茶だ。


「さっきも言ったじゃないですか! 魔物ゼロな世界でレベルなんて上がらないし、戦い方も――!」

「じゃあ引っ込んでろよ、量産型」


 呆れたように首を振り、アルヴァーは背を向けた。


「そうやって理屈捏ねてるうちは誰も耳なんて貸しちゃくれねえぜ? ……おい! 誰か! こいつらを牢にでもぶち込んでおけ! 魔王はこの俺が直接始末してやる……二度と転生できないようにな!」


 まずい。アルヴァーの命令に応じるように、荊苑の外から数名の見張りらしき神たちが駆けつけてくるのが分かった。アルヴァー一人でさえどうにもならないのに、これ以上増えたら今度こそ本当に終わりだ。




 何より、俺は約束してしまったのだ。




 まおたんの願いを叶えてやると。

 マリーの大切な友達を助けると。




(今しかない……っ!)


 アルヴァーが油断しきっているこの一瞬にすべてを賭ける、それしか打つ手はない。俺はその背に負った《伝説の勇者シリーズ》の逸品である《勇者の剣》の柄をしっかりと握り締め、一気に抜き払った。

 

 そして、雷のように駆け、


 宙に身を躍らせると、


「アルヴァー、覚悟っっっ!」


 裂帛の気合いを込めて縦一文字に振り下ろ――。




 ひゅば――。




「な――!?」


 振り下ろ――せない!?




 渾身の力を込めた剣先は、振り向きもせず無造作に突き出されたアルヴァーの左手の指たった二本で挟まれたきり、びくとも動かない。宙に浮いたまま降りれなくなった俺の方も、剣の柄を握ったまま必死で力を込めてみるものの、押すことも引くこともできなかった。引き下がる訳にはいかない俺がなおも奮闘していると、冷笑を浮かべたアルヴァーは嘲笑った。


「……ふん。俺様も随分とナメられたモンだぜ。後ろを向いてる隙を突けば倒せるとでも? お前の気配なんざ丸見えなんだよ!」

「く……そ……っ!」

「それにだな……話を聞いてもらえないから腹を立てて戦うのかよ? 所詮、魔王の仲間に加わった奴なんてその程度なんだよ! こいつと同じ――!」

「まおたんを……俺の友達を侮辱すんじゃねえ!」

「友達だと? はっ! 友達って言ったのか! こいつが友達? このすぐに裏切る卑怯者が友達?」


 さすがにもう限界だった。


「このっ、分からず屋の石頭っ! 少しはこっちの話も聞け――!」




 ごぎん!


 だが、俺の科白は、ぶつり、と途切れた。




「ショージっ!」


 上も下も分からない流転する世界にマリーの悲鳴が響き渡った――いや、違う。回っているのは俺だ。


(一体……何が……?)


 その答えはすぐに分かった。思い知らされた。




 べきべきべきっ!




 今頃になって俺の右半身が軋みを上げ、激痛が走った。回り続ける俺の視界に、高速シャッターが切り取った映像のようにほんの一瞬だけ、振り返るように身体を捩じりながら右手を突き出したアルヴァーの後ろ姿が映った。


(あ……ぐ……っ!?)


 俺は声も出せないまま別の強い衝撃を感じ、ごろごろと無様に地面を転げ回った。


「ショージっ! ああ、ショージ、大丈夫――?」

「ったく、無茶なことするんじゃねーで――!!」


 二人の女神が明滅する視界に割り込んで心配そうに見下ろしている。何とか言葉を振り絞って伝えないと――。


「……おい、マリッカ。ここらではっきりさせたい。お前はどっち側だ? 慎重に答えた方が良い」


 先に口火を切ったのはアルヴァーだった。

 マリッカの表情はたちまち恐怖に塗り潰された。


「わ、私は……私は……!」

「こ……こいつは……仲間なんかじゃない……ぜ」

「――!?」


 間一髪絞り出した俺の吐き捨てるような科白に、今にも泣き出しそうに顔を歪めたマリッカの襟元を握り締め、震える声で囁く。


(話を……合わせろ……ロリ貧乳。お前まで……捕まったら……ゲームオーバーだ……頼む……!!)


 マリッカは――頷いた。


「私は……この反逆者どもを誘導してきたのです」

「ほう。……ははっ! お手柄だ、褒めてやる!」


 そこで、ぶつん、と俺の意識は途絶えた。



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