第二十九章 天界の門

(……行ったか?)

(……みたいだね)


 スネークミッション継続中。や、スニークか。


 パーティーの総合戦闘力の著しく低下した俺たちは、徹底したかくれんぼハイド・アンド・シークで女神たちとの遭遇を避けつつ、一路天界を目指し進んでいた。ここまでは誰にも気付かれてはいない。


「しっかし……まおたんの魔法、実に良い物だな」

「うふふふ……でしょ?」


 顔を見合わせてにまにまと笑みを交わす俺たちとは対照的に、マリーの表情は憮然としていた。


「そりゃあ、あんたたちはいいでしょうよ……」

「な、何だよ? 不満か?」

「不満に決まってるでしょおおお!!」


 マリーは声を荒げて足元に伸びる影をげしげしと踏みつける。そこに隠れていた俺たちは仕方なく魔法を解除して立ち上がり、ぱんぱん、と埃を払った。


「だ、大丈夫だって。お、俺、う、上見てないし」


 ミテナイヨー。ホントダヨー。


「それっ! 絶対ガン見してる奴のリアクションじゃん! へ、変態っ! 死ね! 馬鹿ショージ!」




 まおたんの魔法――それは、誰かの足元に出来た影に潜むことができるという暗殺系の闇魔法だった。


 効果は抜群で、対象者に気付かれることはまずないという優秀さだったが、そのためには当然誰か一人が影を作る役目を果たさなければならない。だが、勇者である俺はもちろんだし、全世界的お尋ね者にあたるまおたんは当然姿を晒す訳にはいかない。そもそもまおたんは術者なのである。




 となると当然――。


「そんなに怒んないでよ、まりりー☆。僕、悪いけど君にはちっともそういう魅力を感じないんだ。君だって、他の女神がパンチラしてようがドキドキなんてしないでしょ? 第一、腐女神なんだし」


 ディスが酷い。

 フォローになってないんだが。


「そう……だけどさ」


 何故かマリーはそれで納得したらしい。

 が、俺の方を、きっ!と睨み付けると、


「こいつよ……こいつ! そこでニヨニヨ鼻の下を伸ばしてる奴が許せないの……!」

「の……伸ばしてないって!!」


 絶景でした。うん。

 死の間際のアレ、心の残りだったってこともあるのかなー。桃源郷、見つけたり。


「大体! 何でわざわざスカートの中まで入ってくるのよ! 影だったら何処でもいいんじゃない!? 痴漢! 覗き魔! ド変態! 馬鹿ショージ!!」

「呼び名じゃなくて罵倒になってるじゃねえか!」

「ま、まあまあ……」


 ぽりぽり、と指先で頬を掻きつつ、まおたんが割って入った。


「もう陽が高いから、影が短いんだよ。影の範囲から外れちゃうと一発で放り出されちゃうから、念のためにお邪魔させてもらってるんだ。我慢してね」


 口元を緩め溜息を吐くと、こう小声で付け足す。


「……変なの。もう見慣れてるんだとばかり――」

「はい?」

「何だって?」

「何でもない何でもない」


 揃って問い返すと、まおたんは笑顔で両手を振って誤魔化した。

 ん? どういう意味だ?

 ……ま、いいとして。


「天界まではあとどれくらいだ、マリー?」

「ちょっと待ってね、ぱんつ覗き魔」


 スムーズに呼び名変えるなよ。


 マリーは《ノワ=ノワール》の世界地図を広げ、両脇から覗き込んできた俺とまおたんに指さしながら説明をする。


「今が……ここ。ここが天界で、ここが例の《天界の門》ね。だから、もうちょっとよ」


 名称までは書き込まれていなかったが、言われてみると確かにマリーの指さした箇所には門らしき形が緻密に描かれていた。


「天界に入るためには、必ず皆ここを通ることになるのよ。そうね……関所みたいな物かしら。セキュリティセンサーがあって、危険物が持ち込まれないか自動で識別されちゃうの。もちろん、同時に素性もチェックされるわ。引っかかれば即お縄ね」

「鉄壁の防御だな……ってか、入れないだろ?」

「そこは……アテがあるのよ、ドすけべ勇者」


 アレンジすんなって。


「門番の一人が同級生なの。彼女には随分会ってないけど、あたしがちゃんと説明すれば、きっと分かってくれると思うんだ。良い子だったし――」


 それを聞き、俺とまおたんは顔を見合わせた。

 どう思う?と無言で尋ねてくるまおたんに、俺は力なく首を振ってやることしかできない。どうなるか予想も付かないが、かと言ってそう信じている様子のマリーに面と向かって、違う、とも言い難い。


「じゃあ、それは任せる」

「信じて。あたし、頑張るからさ」


 俺の返答に頷くマリーの表情は真剣そのものだ。


「それにね……二人にも見せたくって。《天界の門》、超キレイなんだよ! あたしのパンツより白くって、荘厳で、神々しいの!」

「………………レース付きの紫だったぞ?」


 蹴られました。






 近づくにつれ、徐々に行き交う人々の――いや、女神たちの数が増え始めた。


(……イベントでもあるのか?)

(特になくても、いつもこうよ)


 傍から見ている限り、自分の股間に向かって話しかけている一風変わった女神・マリーはしゃなりしゃなりと《天界の門》へと歩を進めていく。




 間近で見る《門》の巨大さには圧倒される。


 視点が地面とフラットだというのもその一因なんだろうと思うものの、以前オタク仲間と繰り出した横浜で見たラウンドマークタワーほどの白亜の壁がそそり立ち、上の方で仲良く肩を組んでいる、というと分かったような、よく分からないような気になるかもしれない。壁面にはかつて《ノワ=ノワール》で起こった史実が丁寧に緻密なタッチで彫り込まれている。今もなお、その作業は継続中なのだそうだ。スペインにある桜田さんが作ったアレみたいな終わりなき芸術のたぐいか何かなんだろう。




(で……見つかりそうか?)

(そうよね。……ええっと)


 マリーはきょろきょろと辺りを見回し、


(――あ!)


 ぶんぶん!とマリーが手を振った瞬間だった。


(まずい、マリー! 後ろに――!)


 俺の忠告は間に合わなかった。




「……大声を出すんじゃねーですわよ?」




 ぎくり、と身体を硬直させたマリーが恐る恐る後ろを振り返ると、頭からフードをすっぽりと被った小柄な人影が立っていた。その場の雰囲気にはそぐわない全身を覆い隠す黒いマント越しに、何やら鋭利な物がマリーの臍のあたりに突きつけられている。


(マ、マリー!!)

(だ、駄目だって、ショージ! 今魔法の効果範囲から出たら、即ゲームオーバーだよ!)

(く……っ!)


 まおたんに制止され、俺は仕方なく影の中に引っ込んだ。謎の襲撃者はきょろきょろと辺りを見回す素振りを見せたが、気のせいだと思ったようだ。


「あなた……何者なの?」

「答える必要はねーと思いますけどね?」


 マリーの問いかけに、謎の襲撃者は低く応じた。


「今、あんたたちを《天界の門》には行かせる訳にはいかねーんです、女神・マリー。一緒に来てもらいますよ? いいですね?」

「……分かったわ」


 マリーの口から、諦めとも安堵ともつかない溜息が漏れ出た。そして促されるまま《天界の門》とは逆方向へ歩き出したマリーに追随しながら、影の中に潜む俺も今まで止めていた息をそろそろと吐き出していた。




 あんたたち――謎の襲撃者は確かにそう言った。

 つまり、少なくとも勇者たるこの俺がマリーに同行していることをこいつは知っているのだ。




 しかし、もし俺を捕らえて手柄にするだけが望みなら、往来の激しいこの場で全てをぶち壊しにすれば良かった筈だ。が、それが目的ではないらしい。まだこの小柄な襲撃者が何を企んでいるのかはさっぱりだったが、少なくとも今すぐどうこうしようという訳ではなさそうなので安堵する。一緒にいるに違いないと思っていたとしても、まさかマリーの影の中に潜んでいるとは夢にも思うまい。ならばこちらにもチャンスはある。


「……何処まで行くのよ?」

「人気のねーところまで、です。その方が良いと思いますけど? お互いに、ね?」


 そう言いながら、もう随分歩いている。影の中に潜みっぱなしなので、俺やまおたんには今いる場所の見当がつかず、若干の焦りが出てきた。こうなると二人の会話だけが頼りである。


「聞いても良いかしら?」

「……」


 返事はない。

 やきもきしていると、不安そうなマリーの声が聴こえてきた。


「ねえ? どうして《堕天の荊苑》になんか連れてきたの? ここは禁忌の地だと思うんだけど……」


 ――何処だ、それ?

 影の中の俺たちには一切情報がなかった。


「さっきも言ったじゃねーですか? 人気がないからです。ここなら何を話そうが、何をしようが……他の誰にも気付かれる心配ねーですからね……」




 やばい!

 マリーに何かする気か!?




 あ、とまおたんが咄嗟に手を伸ばしたが、俺は念のため人相を隠しておこうと、しゃごっ!と勢い良く面当てを降ろしてから、その細い手を振り払うようにしてマリーの影から飛び出していた。


「止めろ! マリーに手を出すんじゃねえ!!」


 とは言ったものの、一番驚いたのはマリーである。


「にゃっ!?」


 そりゃそうだ。いきなり足元からドレスのスカートを腰まで捲り上げられ、そこから窮地を救うべく勇者の俺が飛び出してきたのだから。


「ち――ちょっと、馬鹿ショージ! 何てことしてくれるのよ!? えっち! 変態! もー!!」

「お、おい! 顔隠した意味ねえだろうが!」

「馬鹿ショージ……やっぱりそうでしたのね……」


 くっそ!

 バレちまった!


 だが、謎の襲撃者は諦め半分の溜息を吐くと、自分自身の人相を覆い隠していたフードを取り払った。


「「!?」」


 俺とマリーはその姿を目にして同時に息を呑む。




 何故ならそこにいたのは――。




「ここで決着をつけますわよ、勇者・ショージ!」


 俺を勇者にした張本人であり、マリーの介入によって《女神の加護》を授けそこなった女神、マリッカ=マルエッタ、その人だったのである。


「え……? 決着を……つける?」


 いろいろ混乱していてまとまらない。


「それ、どういう意味だよ? ……確かにあの時、お前の《女神の加護》を授けるって行為は失敗に終わったけども、だからって争ってる訳じゃ――?」

「争ってますわよ! これは戦争なんですの!」


 えええええ……。

 だが、半ば涙目になりながら訴えるマリッカの歪んだ顔には並々ならぬ哀しみと怒りが同居していた。とても冗談とは思えない。


「ち、ちょっと待ってよ、マリッカ!」


 隣のマリーもどうしたらいいのか分からない様子で、なだめすかすような曖昧な笑みを口元に張り付かせたまま口を挟む。


「な、何でそんなに怒ってるのよ? そんなに《メガポ》が欲しかったの? だからなの?」

「もうそんなモン、どうだっていいんですよ!!」


 あんなに昇格することにこだわっていた筈じゃないか。どうも雲行きがおかしい。


「ま、待ってくれ、マリッカ!」


 今にも飛びかかって来そうなパステルピンクのゆるふわヘアーをしたちっこい女神に話しかけた。


「な、何か俺、お前に恨まれるようなことしたか? 全く身に覚えはないんだけど……?」

「しましたっ! してますっ! 今もっ!」

「今……も?」

「そうですわよっ!」


 きっ!と睨み付ける瞳は憎悪に燃えていた。

 ずびしっ!と俺を指さし、


「今すぐっ! マリーから離れなさいっ!」

「は、離れればいいのね?」

「マリーには言ってませんわよっ!」

「は――はひんっ!」


 叱られた子供みたいである。激しい叱責に面喰って、しゃきーん!とマリーの背筋が伸びた。


(……ぷっ。怒られてやんの)

(うっさい! あんたがちゃんとやんないからでしょうが!?)


 ひそひそとやりとりを交わしていると、何処かから、ぶっちーん!という音が聴こえた。気がした。




 すう……。




「そーゆーのですわよおおおおおおおおおお!!」


 おおお……。

 おお……。

 お……。




「はあ……はあ……!」


 まだ耳がきんきんする。

 全身の持てる力を総動員して張り上げたマリッカの悲痛な叫びは、俺たちの背後に広がる《堕天の荊苑》の鬱蒼としたどこまでも白い茂みの中に吸い込まれて消えていった。




 しばしの静寂。

 やがて、その沈黙を破ったのはマリッカだった。




「……どうしてですの?」


 俯き、拳を握り締めていたマリッカが顔を上げる。彼女は――泣いていた。


「どうしてあんたは……あたしからマリーを奪っちまうんですか……!」


 幼さの残る顔が込み上げる感情に歪む。


「ずっと一緒だった……一緒……だったのに……! あんたがマリーを変えちまったんです! あんたさえいなければ……あたしとマリーは……っ!!」

「ち――ちょっと待ってよ、マリッカ!」


 マリーの表情は明らかに戸惑いの色を現している。


「え……え? ずっと……一緒? そんなことなかったでしょ? そりゃあ、小さい頃から一緒に遊んだりしてたけど――」

「マリーが気付いてないだけですわよっ!」

「………………はい?」


 うーん。

 ちょっと嫌な予感してきたぞ、俺。


 不穏な空気が漂い始めるのも気に留めず、マリッカは夢見るような表情を浮かべ、記憶の道を辿った。


「そう……あたしたちはいつも一緒でしたわ……。マリーが友達の輪からあぶれて一人遊んでいる時も、あたしはそれをずっと影から見守ってましたの。マリーがトイレに行くならその隣の個室に入り、お風呂に入るならその窓辺に寄り添い、夜お休みになるのならその寝顔をいつまでも眺めてましたわ……」


 怖い怖い怖い!

 ってか、やっぱ女神もトイレ行くのね。このタイミングで疑問解決。すっきり。


「こっわ! あんた、そんなことしてたの!?」

「……当然じゃねーですか?」


 マリーの顔に嫌悪の感情が垣間見えたが、マリッカはそれすら気に留めていない様子だった。


「あたし……大好きなんですから、マリーのこと。マリーのためならと思って、上級女神を目指してたんですから。マリーのためならどんなに辛いことだって我慢できる。ボンクラ勇者に《女神の加護》を授けたってちっとも気にならない」


 マリッカは俺の方へ視線を向け、すぐに外した。


「たとえそのために、キ、キス、しなくちゃいけないんだとしたって、マリーのためなんですもの、我慢できますわ! 第一、そんな心のこもってないキスなんて、ノーカンですもの!」


 キス、しないと駄目なのか。

 何故か急に落ち着かない気持ちになって隣に目を向けると、ちょうどこっちを見ていたマリーと目が合ってしまい、慌てて目を反らす。頬が――熱い。


「……あのさ、マリッカ?」


 ほんのりと頬を染めたマリーは優しい声で言った。


「はい?」

「あんた、いろいろ駄目な気もするけど……ありがとう。御礼言っとく。嬉しいもん。……でもね?」

「?」


 不思議そうに小首を傾げたマリッカに続けて言う。


「あたしはマリッカが思うような素敵な女神じゃないよ。ずっと言えなかった……秘密だってあるし」


 マリッカは――。




 口を開いて。

 閉じ。


 意を決したかのように開いた。




「でも……そいつには打ち明けたんですわよね?」

「――!?」


 マリーは言葉を失った。


「そ、それは違くて……!」

「違わねーですわよ? 事実じゃねーですか。そして……それはそいつだった……あたしじゃなく!」


 マリッカは拳で涙を拭うと、再び瞳に怒りの炎を宿らせ、仇敵である俺を睨みつけた。




 ええとですね。

 その秘密っての、ホント、大したことじゃないんですよ?

 単なるBL趣味の腐女神ってだけでー。




 今すぐにでもそう言ってやりたいところだったが、マリーの方を横目で見ると、駄目駄目駄目駄目ぇ!と今にもスタンドラッシュを仕掛けてきそうな切羽詰った表情で睨み付けてきやがったので、打つ手がなくなってしまった。


「あたしからマリーを奪いやがった罪……償わせてやりますわよ! あたしの《加護》、忘れちゃいませんわよね!?」

「う……っ!!」


 忘れるものか。

 こいつの《加護》は――《金属腐食メタルアシッド》。


 喰らったところで俺自身にはノーダメージの筈だが、せっかく手に入れた《勇者シリーズ》の装備一式は消えてなくなるに違いない。




 ……ん?




 下にはちゃんと服も着てるし、この装備だって量産品だって話なんだから、被害ゼロなんじゃあ――。


 その時だった。


「えっとー。……ちょっといいかい?」

「にゃっ!?」


 またも見事なまでにスカートを捲り上げられるマリー。必死で押さえつけるその下の影の中から、のっそりと少年が姿を現した。


「あ――あんた、誰ですの!?」

「んー? 僕? 魔王だけど?」

「ま――っ!?」


 今にも卒倒しそうなマリッカを慌てて支えてやったのは俺である。一瞬、嫌そうな表情をしたものの、こほん、と咳払いをして振り払ってからマリッカは目の前の少年に告げた。


「その自称・魔王が何の用ですの?」

「じ、自称……? ま、いいや。それよりさ――」


 止める間もなかった。




 ばっ!!




「にゃあああああああああああああああああ!!」


 何故か悲鳴を上げたのはマリーである。

 いや。何故か、じゃなく、当然、か。


 自称・魔王こと正真正銘の魔界の帝王、まおたんはマリッカに向けて一冊の同人誌を開いて見せつけていたのだ。それはもちろん、マリーの描いた本。


「ままままおたんっ! その子に何見せて――!」

「こうでもしないとずっとすれ違ったままでしょ? いいの? それで?」

「ううう……でもぉ……」


 一瞬で涙目になったマリーがマリッカを見るが、


「……」




 あれ?




 反応が……ない?




 隣の俺も気になってマリッカの顔を覗き込むと、


「ストップ! ストォォォップ!」

「………………きゅう」


 哀れマリッカは、目を見開いたまま気絶していた。



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