第二十七章 見ツケタゾッ!

「着いた……のか?」

「多分……」


 カラフェンと別れてから二時間近くは歩き続けただろうか。俺とマリーの二人だけとなったパーティーは、ようやく魔王の居城があると言われる《死の山》の頂上へと辿り着いたのであった。




 しかし――。




「何もない……だと……!?」


 頂上には不自然に整地された広がりがあったものの、建物らしい建物など何処にも見当たらない。何せただひたすらに真っ平なのだ。ちっぽけな犬小屋がぽつんと置かれでもしていれば、すぐにもそれに気付けるレベルである。


「嘘だろ……こんなにも苦労して、ようやく辿り着けたってのに……。それに、マクマスさんやカラフェンさんだって――」


 きっとあの二人なら大丈夫――俺は訳もなくそう信じることで自分を騙し、振り返らずに前へ前へと進んできたのだ。その結果が今目の前に広がっている光景だなんて知ってしまったら、途端に心がざわめき始めた。


「くっそおおおおお! 魔王は! 魔王は何処にいるんだよ! 俺は一体、何のために……!!」

「お、落ち着いて! 落ち着いてよ、ショージ!」

「これで落ち着いてなんていられるかよっ! 今までの旅は全部無駄だった、ってことじゃねえか!」

「も――もう一度、ちゃんと確認して――」


 あ、と小さな悲鳴を上げたマリーの手から地図の書かれた羊皮紙を取り上げて、腹立ち紛れにびりびりに引き裂こうとして――くっそ!頑丈だな!――一向に歯が立たないのでくしゃくしゃに丸めて地面に叩きつけると、何度も何度も繰り返し踏みつける。


「はあっ……はあっ……」

「……」


 俯いたマリーは、息を荒げ大きく肩を上下させている俺から目を反らし、所在なさげに視線を彷徨わせていた。


「……おい」


 びくり、と身体が震えた。

 すると、急に俺の心に冷たさが忍び込み、あれだけ猛り狂っていた感情が冷水を浴びせかけられたかのように一気に醒めてしまった。




 こんなのただの――八つ当たりじゃないか。

 本当に俺は格好悪いし、駄目な奴だ。嫌になる。




「えと……ごめんな、マリー。もう大丈夫だから」

「……いいし。別に」


 マリーの返事は短く、硬い。

 改めて周りを見渡す。ついでにさっき散々踏みつけた地図をしゃがんで拾い上げ確認してみた。


「この地図に書かれている場所が間違ってた……って可能性はないのかな?」

「ないと思う」


 マリーは言う。


「それ、ちゃんとした魔法具マジックアイテムなんだから。一枚一枚ペン入れしてる訳じゃないし、ペプルスさんとかの印刷所で刷った物でもないんだよ?」


 同人誌と同レベルで話すな。


「なら、ここには確かに魔王の居城が……ある?」

「ちゃんと探してみよう。ね?」


 頷き返し、マリーの提案に従うことにした。だだっ広い平地の端と端に別れ、念入りにそれらしい何かを見つけようと目を凝らす。




 だが、見た目には本当に何もない。何一つない。


 ごろごろと拳大の石ばかりが落ちている地面が延々続いているだけで、あとは見えない何かがあるんじゃないかと文字通り手探りで探すくらいしかなかった。


「そういえばさ――」


 それでも文句も言わずその行為を続けながら、俺は暇潰し半分でずっと気になっていることを尋ねた。


「何か言ったー?」

「そういえばー!って言ったんだよ!」


 距離が離れているので少し声量を上げた。


「いい加減、お前の持ってる《加護》が何なのか教えてくれよ!」

「な――なんでよ! 別に何だっていいでしょ!」

「もしかして、役に立つんじゃないかって思っただけだって!」


 他意はない。


「前にも聞いたことあったけど、その時もやっぱり教えてくれなかったじゃないか!」

「もー!」


 やっぱり嫌なのか――と思っていたのだが、


「ぜっんぜん使えないわよ!? だって、勇者の冒険を助けるような《加護》じゃないんだもの!」

「そっか……」


 正直、さほどアテにはしてなかったのでショックも微々たるものだったのだけれど、マリーには聴こえていなかったらしい。


「互いを愛しいと思い、慈しむ、そんな純粋な心を思い出させる、ただそれだけの《加護》なの! 自分の意志でコントロールもできないの! ね? 使えないでしょ!?」


 確かに冒険には――使えないな。


 でも、何だかマリーには凄くお似合いの《加護》だと思えてしまい、くすり、と笑ってしまった。


「な――っ!? な、何笑ってんのよ!?」


 で……こういうのは聴こえるのか。地獄耳め。いや、例の《念話》のせいなのかな?

 何だか妙に嬉しい気持ちになってきて、俺は大声で笑ってしまった。


「腐女神のお前らしいな――って思っただけだよ! いいじゃんか、カップリングの能力なんてさ!」

「あ――」


 そんな風に考えたことはなかったみたいだ。途端、マリーはくすくすと笑い始めた。


「そ、そうね! そうよね! ホント、あたしらしいのかも――」

「だろ?」






 ………………え?


 そう言って、振り返った俺の笑みが凍りついた。






「……マリー?」






 マリーの姿が。






 何処にも見当たらなかった。






「マ――マリィィィィィー!」


 そんな――。

 そんな馬鹿な!!


「冗談は止めて――う、嘘……だろっ!?」


 俺たち以外には誰の気配も感じなかったのだ。俺だって、一応、勇者の端くれだ。少なくともその辺にいるただの高校生に過ぎなかった元の世界の俺よりはそれなりに感覚が研ぎ澄まされている。少しは不穏な気配を察知することだってできる。


「返事を……返事をしてくれよ、マリー!!」


 答えは返らない。

 静寂だけが重くのしかかる。


「何処だ!? 何処にいるんだよっ!!」


 気付けばつんのめりそうな姿勢で走り出していた。必死になってマリーがいた筈の場所へと駆け寄り、ぶんぶんと無我夢中でやたら滅多らに手を振り回す。もしかして俺に見えていないってだけで、まだそこにいるんじゃないか――そう、思ったのだ。


「な、なあ、からかうのはやめろよ……! 出て来いって! お願いだから!」




 そうだ――。


「俺が悪かったって! ふざけるのはやめろよ!」


 ここは魔王の居城なのだ。




 そう思った瞬間、ぞくり、と背筋に冷たいものが滑り込んで来た。


「マ――マリィィィィィー!」


 次の瞬間のことだった。




 がこん!




 あ――と叫ぶ間もなく、俺の足元の地面が消え失せ、刹那の後に俺の身体は漆黒の闇の中へと吸い込まれてしまった。


「う……うおおおおおおおおおおおおおおおっ!」


 ぱたん。


 そして、辺りは元の静けさを取り戻した。






「――おおおおおおおおおおおおおおおおおっ!」


 こええええ!

 死ぬ!

 これ、絶対死ぬ奴だろおおお!!


 その落下地獄が永遠に続くかと思った矢先に、


 ぼよん。


「………………はい?」


 ぼよん。

 ぼよん。


「……えーっと」


 着地と同時に尻餅をついた体制のまま、ぺしぺし、と両脇の地面らしき所を平手で叩いてみると、波打つような弾力が返ってくる。さっきまでの暗さは解消され、仄かな灯りに少し目が染みた。


 慣れてきた視線を手元に落とすと、いかにもイチゴ味です!と主張しているかのようなゼリー状の物体の上に俺は腰かけているらしいことが分かった。こいつのおかげで着地の衝撃は相殺されたようである。


「うーん……ま、降りるか」


 ドーム状の謎すぎる物体の上からどうやって降りたものかとしばし悩んだものの、滑り台よろしく降りるのがベストと判断した。というか、それしか手がない。


「よっ……と。……ん?」


 降りた正面にはそのまま道が続いていた。その奥の方が一際明るい。かすかに話し声まで聴こえる。一応、振り返って確かめてみると、どうやら今まで座っていたゼリー状の物体はクッションなどではなく、れっきとした生き物――魔物らしいと知った。半透明の内部には、図鑑で見たような細胞っぽいパーツまで存在していた。が、こちらに対して特に敵意は持っていないようでほっとする。


 スライム……ジェリーか?

 まあ、どっちでもいいや。


 それよりマリーを探さないと――。


「あら、いらっしゃい」

「……って、おい」


 拍子抜けである。すぐ見つかったマリーの机を挟んだ反対側に、見慣れない人影が座っている。子供だ。


「超心配しちまっただろうが! 前触れもなくいきなり消えるなよ! もう!」

「何怒ってるのよ……。あたしだって、好きでここに来た訳じゃないんだもん。仕方ないでしょ?」

「で……その子は?」

「知らないよ?」

「……はぁ」


 呆れて溜息を吐くと、黒一色でコーディネートされた部屋着っぽい物を身に着け、やたらでかいクッションに埋もれるように身体を預けて本を読んでいる子供が、じろり、と俺の方を一瞥した。中性的な顔立ちだが――男の子みたいだ。


「……静かにしてくんない?」

「あ、はい」


 一〇歳くらいだろう。

 この年頃の男の子って扱いづらい。俺の甥っ子もそうだが、プチ反抗期真っ盛りなのでやたら刺々しい態度を取る。反射的に卑屈な態度を取ってしまう俺も俺だが、そうは言っても自分も通ってきた道なので責める気分になんてなれなかった。


「君の部屋なんだな、ここ――」


 もうちっとも意外には思わなかったけれど、例によって間取りは六畳ほどだ。だがマリーの部屋より狭く感じる。その理由は、四方の壁に据え付けにされている書架のせいだろう。そこにびっちりと本が並べ立てられていた。


 ……何の本だ?

 ずらりと並ぶ背表紙を見ただけではさっぱりだ。


《ノワ=ノワール》の言語であれば、勇者である俺には読める筈なのだが、目に映る文字はいずれも誰かに踏まれた断末魔のミミズがのたくったような酷い筆致でしかなく、ちんぷんかんぷんである。


「えっと……何、読んでるんだい?」

「……何でもいいじゃん。あんたには関係ない」


 ですよねー。


(おい、マリー。この子、誰なんだ?)

(あたしもさっきから聞いてるんだけど……)


 教えてくれない、そういうことらしい。


 すると、ぱたん、と本を閉じた少年が苛立った口調でいまだ突っ立ったままの俺たちに言い放つ。


「こそこそ喋ってないで、はっきり言いなよ?」

「ええと……」


 そのつもりだったけど、面と向かってはっきり言われると妙にやりづらい。が、覚悟を決める。


「君は何者なのか、聞いてもいいかな?」


 しばしの沈黙の後、少年は溜息とともに答えた。


「……何か、凄く失礼じゃない? 自分たちは名乗りもしないのにさ。素直に答える気にならないんだけど?」


 素直。おま言う。

 喉まで出かかったものの、少年が臍を曲げるのももっともな話だ。

 丁寧――ではなかったが、ぺこり、と頭を下げた。


「あ……それは悪かった。謝るよ。……俺は勇者のショージ。こっちは女神・マリー

だ。で――」




 ……ん?


 少年は少し驚いたように斜めに切り揃えた前髪の下の半目がちな瞳を丸くしている。




「ん? どうかした?」

「……」


 少年はすぐには答えず、まだ手の中にあった本を脇に置き、むくり、と身体を起こした。


「あんたが……勇者?」

「そ」


 言いながら、それらしいことをしてこなかった自分が妙に滑稽に思えてきて、くすり、と笑った。


「……見えないよな? 自分だってそう思うよ。こんな《勇者シリーズ》の装備一式を身に着けてたって、せいぜい文化祭でやる劇の主人公役って感じだし。それすら選ばれたことなんてなかったけどね」

「……」


 少年はまたむっつりと黙り込んでしまった。


「ふーん……」


 たっぷりと時間をかけて、俺の姿を上から下へと観察してからその少年はこう言った。


「で……? その勇者様が、何で聞くんだよ? 君は誰だ――なんて?」

「?」


 質問の意味が分からず隣を見ると、きっと俺と同じ表情を浮かべているマリーと目が合った。


「い、いや、だってさ――」


 しどろもどろになりながら俺は言ったが、直後に少年が返したぶっきらぼうな科白に頭が真っ白になった。






「ここまで来た時点で、分かってる筈じゃない?」






 ……え?


「なのに、わざわざ聞く必要なんて無いと思うんだけど? それとも、こう言ってあげないと分かんないのかな……? はあ……面倒臭いんだけど……」


 しんどそうに立ち上がった少年は適当なポーズを取ると、平坦なトーンでこう続けた。


「よく来たな、勇者よー。我こそが魔王であーる」




 しょーじ はまひしてことばがでにくくなった!




「………………はい?」

「はい、じゃないでしょ。だから、僕、魔王だ、って言ってるじゃん? ちゃんと聞いてたの?」


 聞いてたけどさ。

 聴こえちゃったけどさ。


「君が……魔王……?」

「面倒だから答えないよ」


 自称・魔王は、唖然としたまま見つめている俺を、じろり、と睨み付けると、足元のクッションに再び、ぼすん!と身体を預ける。


「あんたがどんな風に想像してたのか分からないけどね。こっちにしてみれば、あーやっとか、って感じ。すっかり待ちくたびれちゃったよ」

「ご、ごめん……」


 反射的に謝ってしまった。


「じ――じゃなくて! 何で君、独りぼっちでこんなところにいるんだよ!?」

「魔王だから、ね」


 うっとうしそうに答えた自称・魔王の声は心底疲れ果てているように俺には聴こえてしまった。


「だって、そういう役じゃん? 訳も分からず、君こそ魔王だ!って面倒な役目を押し付けられて、勇者に倒される日を待つだけだもん。……違う?」


 ぐ、と言葉に詰まった俺の心に、何ともやりきれない複雑な感情が芽生え始めていた。でも、それが何か自分でも理解できないまま、俺は声を荒げて言い捨てた。


「だって! だって、君はこの世界を恐怖に陥れてる邪悪な存在じゃないのかよ!?」

「……はあ。勝手だよね、勇者って」

「何がだよ!?」

「それ……自分の目で見た? 確かめたの?」

「そ、それは……」

「今までの魔王はそんなことやってたみたいだけどさ、僕はしない。しなかった。だって……意味ないじゃん?」

「意味が……ない?」

「いちいち説明しないと分かんないんだね――」


 自称・魔王は、むくり、と身を起こした。


「……あのさ? じゃあ聞くけど、魔物を率いて世界を滅茶苦茶にして……それでどうなるんだよ?」

「そりゃあ――」


 当たり前じゃないか。


「君が世界をその手にするんだろ?」

「滅茶苦茶にした世界を? それ、誰得なのさ?」

「うっ」


 確かに。

 無傷で手に入れた方がいろいろ得だ。


「で――でもだな!? それは君たち魔族が破壊と混沌を好む種族だからであって――」

「……そんな訳ないでしょ? どんだけ異常者の集団なんだよ、僕たち。すべて台無しにしちゃったら、困るのは後に残った自分たちじゃん?」


 うーむ。

 実にやりづらい……。


「そもそもさ。君たち勇者が虐殺に虐殺を重ねた結果、もうこの世界にはまともな魔物なんて残ってないんだけど? 皆、嫌になって向こうの世界に引っ込んじゃったよ。おかげで僕は、こうして独りきりで時間潰しをしながら待つしかなかったんだけど? ねえ、どうしてくれるのさ?」

「す……済みません……」


 返す言葉も見つからない。


「……ま、いいよ。それもこれもようやく終わりなんだし。僕も言いたいこと言えたから。じゃあ……そろそろやる?」




 は?




「ばさっといく?って聞いてるんだけど?」

「な、何をだよ?」

「ほら、ここだよ。ここ」


 戸惑っている俺の前に自称・魔王は跪くと、自ら細い首を差し出して、とんとん、と叩いてみせた。


「魔王の討伐に来たんでしょ? やったらいいじゃん。それで君の役目は終わりさ。良かったね――」

「……ってくれよ」

「ん?」

「待ってくれよ、って言ったんだよ!」


 思わず叫んでしまっていた。不思議な物を見たかのように眉を寄せて難しい顔をしている自称・魔王の少年に向けて俺は言った。


「な……何でそんなに冷静でいられるんだよ! 何で平気な顔してるんだよ!! お前……死んじゃうんだぞ!?」

「い、いや、だって――」

「だってじゃねえだろ!?」


 ふと見ると、マリーまでもきょとんとした顔をしていた。ますます俺の中の感情がふつふつと煮えたぎるのが分かる。その時、俺自身が口にした台詞が脳裏によぎった。




(……歪んでますよ。何もかもおかしいです)


 くっそ。その通りだ。




「じゃあ……何のために来たのさ?」


 何気なく口に出された自称・魔王の科白は、以前の俺だったなら答えることができなかったのかもしれない。でも、今は違う。


「あああああああああああ! もう頭に来たっ!」

「ち、ちょっと、ショージ! あんた大丈夫――」

「大丈夫じゃない!」


 二人揃って俺を気遣うような素振りを見せたものだから余計に頭に血が昇る。いやいや、お前らそんな余裕ないだろ。少なくとも自称・魔王の方は。


「何か変だと思わないのかよ! こんなことを繰り返してて、おかしいな、って少しも思わないのかよ!? 俺は駄目だ、たった一度でも気が変になりそうになる! 何が勇者だ、何が魔王だよ! その上、神に女神!? お前ら一体、雁首揃えて何馬鹿なことやってんだよ!!」


 俺のあまりの剣幕に二人ともぽかんと口を開けたきり言葉が出ないらしい。ちょうどいい。このまま言いたいことを全部吐き出してやる。


「勇者の召喚? 魔王の討伐? んなモンもう誰も望んでないし、誰も願ってないんじゃないかよ!? それなのに……お前らときたらっ!」

「い、いや、でもさ――」

「でもも何もねえだろうがっ!」


 語気強く言い放つと、自称・魔王は弾かれたように首を竦めて黙り込んでしまった。


「こんなお決まりのテンプレをやるために、マクマスやカラフェンは命を賭けてくれた訳じゃない!! 俺だってこんなことならのこのこ出かけてこようだなんて思わなかった! まったく馬鹿丸出しだ!」


 ずい、と一歩前に踏み出して、自称・魔王の目と鼻の先に立つと、びくついた様子で見上げてくる。


「な、何だよ……?」

「お前に聞きたい」

「?」

「お前だって本当はやりたいことや、なりたい自分がいるんじゃないのか? それとも……ただ生まれて殺されるのが、魔王である自分がこの世に生を受けた意味の全てだとでもいうつもりなのかよ?」

「そ――それは……」


 答えに迷っているということは、認めたも同然だ。




 でも――言えない。




 そう語る顔を俺は嘲笑ってやった。


「それで終わりなのか!? それでいいのかよ!? ……あーあ、つまんねえよ、お前の人生。だったら生まれてこなくても変わらなかったな! 何も!」

「う――」


 俯いた目元からぽとりと滴が落ちたのを目にした瞬間、しまった!やりすぎた!――と思ったが。


「うるさいうるさいうるさいっ! お前なんかに、僕の何が理解できるっていうのさ!? 父親も母親もいないし、お付きの魔王の軍勢なんて最初っから影も形もなかったんだぞ!? 友達? いる訳ないだろ! 僕の周りには、誰一人いないんだから!」


 えっと……。何かごめん。


「……やっぱアレか? 親は勇者に殺されて――」

「っていうか、最初っからいないんだってば!」

「……え?」

「所帯持ちのマイホームパパの魔王だなんて、あんた、見たことあるの!? 何か気付いたらここにいて、自分が魔王だってことだけは知ってたんだ!」


 メタっぽい発言だなあ。確かにRPGの設定って無理があると思う。


「魔王だ魔王だって言われたって、僕一人だけじゃ何もできやしないじゃないか! 仕方ないからずっと本を読むか、インターネットやってるくらいしかなかったんだよ! もう飽き飽きなんだって!!」


 ずっと溜め込んでいた感情を無理矢理引き出されてしまった自称・魔王は、もう一度俺の前でふてぶてしく胡坐をかくと、ムキになって細くて白い首を差し出した。


「ほら! やれよ! やれって!」

「や、やだっつーの! そんなスナック感覚で殺せるかっ! 無茶言うんじゃねえ!?」


 ぐいぐいと剣を持つ手を引かれ、必死の抵抗をしているのはむしろ俺の方だった。いくら量産品の剣でも致命傷は与えられるだろう。いや逆に、中途半端に怪我をさせてしまう方がよほど寝覚めが悪い。


「う……ううう……」


 どうにも望みが叶えられないと悟った自称・魔王の手から力が抜け、そのままその場に蹲る様にして泣き始めてしまった。


「ね、ねえ、ショージ?」

「……何だよ。お前まで、とっとと殺っちまえ!とでも言う気なのか?」

「ち、違うってば」


 袖を引くマリーの指さす先には、煌々と灯ったまま放置されているパソコンのモニターがあった。映し出されている映像には何処か見覚えがある。


「おい、魔王?」

「な――何だよ?」

「ネットって……どんなの観てるんだ?」

「……僕の勝手でしょ?」


 埒が明かないので、許可も得ずに低く唸りを上げ続けるパソコンの前へと近づいて覗き込んでみた。


 こ、これって――!?


「くそ……神絵師SNSじゃないかよ……!」


 どうりで見覚えがある筈だ。

 しかも、モニターが映し出しているのは――。


「その人……凄いでしょ? 一目でファンになっちゃったんだ。あー……お前、こんなの観ちゃ駄目でしょ、とか無しね? これでも僕、人間の君よりははるかに年上なんだからさ――」


 そう言って自嘲気味に乾いた笑いを発した自称・魔王は、急に声のトーンを下げた。


「さっき言ってたよね? 僕がやりたかったことはないのかよ、って。……あるに決まってるでしょ? でもさ、僕はここにいないと駄目なんだ。そういう決まりなの。せっかくこんな僕にも友達ができたのに……会いたかったなあ……」




 その瞬間、ぞくり、と鳥肌が立った。




 自然と俺の手は鎧の中に隠し持っていた物を探り当てていた。そのまま押し付けるように差し出す。


「……ほら」

「何、これ?」

「いいから」


 状況も分からないまま、めくり始めた自称・魔王が、ひゅっ、と息を呑むのが分かった。


「ど――どうしてこれを!?」

「な、何見せてんのよ、馬鹿ショージ!?」

「お前ら……まだ気付いてないのかよ……」


 俺はマリーの方へと振り返るとこう言った。


「こいつは、お前がずっと会いたがっていた《まおたん》だ。……だよな?」

「な、何で僕のハンドルネームを――!」


 しかし、自称・魔王はそれ以上続けることはできなかった。


 ぎゅ。


「え? え?」


 唐突に抱きすくめられ、慌てるばかりの自称・魔王の耳元でマリーは掠れた声で囁く。


「やっと……やっと会えた……まおたん……!」




 はっ、とする。




「もしかして、君が――《ああああ》さん!?」


 ……うん、大体合ってる。



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