第二十六章 勇者・カラフェン

 しばらくは誰一人口を開こうとしなかった。




 辺りの風景が、徐々に荒々しく、禍々しさを漂わせ始めた頃、俺は溜め込んでいた感情を涼し気な青白い顔にぶつけた。


「何で……何で助けなかったんですか……?」


 周囲を警戒しつつ先頭を歩くカラフェンは肩越しに一瞥を投げただけで無言のままだ。それが余計に俺の感情を逆撫でした。


「あなたに聞いてるんですよ、カラフェンさんっ! 何で助けてあげなかったんですかって――!」

「ち、ちょっと、ショージ!」


 掴みかかろうとする手に縋りつくようにして慌ててマリーが割り込んでくる。マリーはそんな俺の顔を覗き込んで、わずかに怯んだように身を引いて嫌悪感を露わにした。それだけ尖った目つきをしているのだろう。何となく自分でもそう思う。


「助けることは……できただろうね」

「だったら――!」


 何で――とは言わせてくれなかった。振り返ったカラフェンの温和そうな顔には幾許かの後悔の念が複雑な表情となって浮かび上がっていた。しかし、それと同時に、内に秘めたる決意と覚悟もまた、ありありと浮かんでいた。


「……マクマスはひとたび口にしたことを決して違えない男です。彼がやると言ったらやるし、彼が必ず後から行くと言えばそうするでしょう。そして、彼が、ここは任せろ、君たちを頼む、と言ったなら……私は信じて彼の信頼に応えなければならない」


 カラフェンはそこまでを口にすると、眼前に聳え立つ険しい頂を見上げた。




《死の山》。

 ついに俺たちは目的の地に辿り着いたのだ。




 だが――。




「魔王の居城は、恐らくこの頂上でしょう。まだ先はあります。ですが、ここまで来てしまえば女神たちの邪魔も、もう入らないと思います。よほど腕に自信のある真の実力者でなければ、この先には到底進めませんからね」


 まだ納得がいかず、仏頂面をしている俺に、カラフェンが相好を崩して微笑みかける。


「いいですか、勇者・ショージ――」


 俺の方はとてもそんな気にはなれなかったのだが、


「……別れの科白なら聞きませんよ」

「いえ、聞いてくださいませんか?」


 微塵も言葉にしなかったのに、何処か俺は優し気な目をしたカラフェンの表情から不吉な予感めいたものを感じ取っていた。そして――それは気のせいではなかった。


「もし今度また窮地に陥ったなら、次は私の番です。マクマスに約束してしまいましたからね――君たちを守り抜く、と。ですから――」

「……狡いですよ」

「ええ、そうですね。私は狡い――」


 どんな感情をぶつけたらいいのか分からない俺がもごもごと口の中で呟くと、カラフェンはまた済まなそうに微笑んでみせた。


「でもね、マクマスも私も、君ならできると思ってしまったんですよ。だから、我が身を犠牲にしても、魔王の待つ居城へと無事に送り届けようとしているんです」

「ま、待ってくださいよ!」


 やっぱりこの二人の元・勇者は、俺たちの、いや、俺の冒険行の隠された目的を知っているのだ。




 知らないのは――俺とマリーだ。




 ちらり、と隣に視線をわずかに落とすと、不安そうな表情を浮かべたマリーが少しでも気持ちを落ち着かせようと遠慮がちに俺の袖の端っこをつまんでいる。マリーと自分自身を勇気づけようと俺はその手をしっかりと握り、カラフェンに向かって問う。


「あなたたちは俺に! 何をさせようというんですか! 知っているんですよね!? きっとあの人も知っているんでしょう!?」


 カラフェンは答えなかった。

 しかし、肯定するように一度だけ力強く頷いてから、こう言った。


「しかし、もう私は語りました。僕たちと同じ過ちを犯して欲しくなかったから、とね? マクマスは上手く誤魔化したつもりになっていましたけれど」

「その過ちってのは何なんですか!」

「それは……あなた自身の目で、心で確かめて欲しいんです。そうでないと意味がないですからね」

「あー! もう!」


 苛立ちが頂点に達して、がしがしと頭を掻き毟る。それでもカラフェンは頑として語らないのだろう。


「一つ、私から宿題を出しましょう」

「この状況で……ですか?」


 思わず呆れたトーンの声が出てしまったが、カラフェンは意にも介さず言葉を続けた。


「この世界は、あなたの目にどう映りましたか?」




 え?


 あまりに意外な問いに呆気に取られたものの、俺は慎重に言葉を選り抜いてからずっと温めていた思いをぶちまけた。




「……歪んでますよ。何もかもおかしいです」




 普通の人間のいない世界――。


 怯えた女たちばかりで、男は皆、神か元・勇者だ。仮にもしいたところで、即勇者だと祀り上げられたかと思えば、たちまち女神たちの捕食対象になる哀れな存在だ。何が勇者だよ、と愚痴りたくもなる。


 その元凶はやっぱり《女神ポイント》システムだ。


 女神たちの働きと貢献度を評価するためか何かは知らないが、もはや純粋な心で勇者の力になろうとする女神なぞいやしない――マリーや葵さんたちのような特殊な例は別として、だけど。その彼女たちだって、別に勇者のために尽くそうなどという気持ちはないように思う。あくまで自分の利を優先した結果、勇者にこだわりを持たなくなったというだけの話だ。


 だから俺は、魔王の下へ行こうと決めた。

 この下らない連鎖から抜け出すために、だ。




 だが――。




 俺は魔王に会って、どうするというのだろう?




 葵さんは言っていた――勇者が魔王を討伐すれば、それに見合った見返りが得られるのだ、と。そこで、元の世界へ戻して欲しい、と願えば叶うかもしれない、と。その可能性はあるのだ、と。




 でも――。

 この世界、結局何も変わらないんじゃないのか?




 何処かそれについて深く考えないようにしようとしている俺がいたのは事実だ。何となくそんな風に考えることを避けていた。その自覚が俺にもある。




 じゃあ――どうすればいい?

 肝心なそこが分からない。




 だが、それこそがカラフェンが口にした『宿題』に違いない。きっとそうだ。


「この世界を蝕み続ける歪み……それを何とかしてみせろ、ってあなたたちは言うんですね?」

「さあ……どうでしょう」


 くっそ!

 正解です!って顔してるじゃんか!

 だったら最後まで教えて欲しい。


 俺の想いをよそに急にカラフェンが笑みを消す。


「どのみち教えて差し上げる時間はないようです」

「!?」


 俺たちに向けられているかに思えたカラフェンの視線は、その少し後方を見つめていたということに気付いた。振り返って――絶句する。


「また……女神なのかよ……!」




 いや――本当にあれ、女神……なのか?




「あ、あれは……あの女神は別格よ!」

「おい、知ってるのか!?」

「もちろんそうでしょう。私も……存じ上げていますからね」


 そうカラフェンが応じた直後、


「ったく……ごちゃごちゃうるせえんだよ!」


 異形の女神は、すっ、と息を吸ったかと思うと、いきなり大声で吼える。あまりの声量に、びりびり、と周囲の空気が震えた。


「けっ! ……久し振りに勇者が現れたってんで、飛び上がって喜び、勇んで駆けつけてみりゃあ……こりゃあアテが外れちまったぜ」


 苛立ちを露わにそう言い、その女神は一番上に生え出た右手でがしがしと頭を掻いている。




 異形――まさにそれだ。




 俺の良く知る空想ファンタジーの世界で例えるなら、さしずめ、巨人族、といったところだろう。ほっそりとしながらもすらりと背の高いカラフェンが子供のようにすら見える。さらにがっちりと立派な体格を誇るあのマクマスでさえ見上げるしかない褐色の巨躯だ。


 そして――腕が左右に三本ずつ、六本生えていた。全ての手に剣が握られ――いや、頭を掻くためにそのうちの一本だけは今は大地に深々と突き立てられているが――誰がどう見たって話し合いで事を進めるタイプには見えない。


「ええと……失礼な質問ですけれど、あなたも女神なんですか?」

「ああ、そうさ!」


 おずおずと切り出した俺の質問に、異形の女神は一斉に剣を構えて応じる。


「あたしの名はラダエラ! 争いと死を司る女神さ! 一応、《女神9ミューズ》の一人ってことになってるが……んなモン糞喰らえだ。どうでもいいんだよ」


 興味はない、とでも言いたげに唾まで吐く。


「さあ、戦え! あたしはそれきりしか興味がねえんだ! 勇者なんだろ? 男なんだろ!? ならば、てめえの命を賭けて、勇敢に戦ってみせな!」


 まずい!

 実力ある最上級女神だということもあるが、この女神は根っからの戦闘狂バトルフリークらしい。さっきまでの小賢しい真似なぞ、彼女には微塵も通用しないだろう。


「ま、待ってくださいってば!」


 それでも俺は、言葉くらいしかまともな武器を持っていない。押し留めるように手を突き出し、必死に訴えかける。


「俺は誰とも争う気なんてないんです! あなたたち《女神の加護》も必要ない! あと少しで魔王の待つ城に辿り着けるってのに、邪魔をしないでください! お願いですから――!」

「あたしにはカンケーねぇ!!」




 まず――っ!


 だが、問答無用で振り下ろされた剣は空を切った。




 振り返るとそこには決意を秘めた眼差しのカラフェンの青白い顔があった。


「ここは私に任せてもらいますよ、勇者ショージ」

「で、でも――!?」


 俺がその先の言葉を口に出す前に、カラフェンは俺とマリーの身体を目の前に聳える《死の山》の頂に続く道へと力強く押し出した。危うく転びそうになった俺とマリーが互いの身体を支え合って何とか体制を立て直すと、カラフェンはすでに手の届かない位置まで踏み出した後だった。


「だ、駄目よ、カラフェン!」


 マリーは叫んだ。


「ラダエラには一切の魔法は通じないのよ!? 彼女の持つ神剣・マルマドゥースの前ではあなたは何もできない!」


 絶句する俺の目の前で、彼の背中は応える。


「……もちろん、知っていますよ」

「だったら――!」

「それでもね……私だってかつては勇者だったんです。それに……マクマスと約束してしまいましたから……ね!」




 びょう!

 カラフェンが手にした杖を構え、風を斬る。




「……ほう?」


 争いと死を司る女神・ラダエラはその姿を見て、きゅっ、と三日月形に唇の端を吊り上げて笑う。


「少しは見どころがありそうじゃねえか。けどよ? そんな棒っ切れ一つで、一体何ができるってんだ? ああ!?」

「ふふ――」


 少しも怯まずカラフェンは不敵な笑みを浮かべた。


「やってみなければ分かりませんよ。彼らには指一本触れさせません! 絶対に!」

「へえ――」


 ひくり、とラダエラの眉が蠢き、




 が――。




 何故かこの緊迫した状況で、カラフェンは俺たちの方へと振り返って、




「ああ、そうです。一つ言い忘れましたが――」

「へ……?」




 うわわわわわ!




「カ、カラフェンさんっ! 前! 前っ!」


 慌てて叫んだがもう遅かった。


「そうか――よっ!!」




 ひゅばっ!!!!!




 あ――。

 嘘……だろ……!




 俺とマリーの目の前で、胴体から呆気なく切り離されたカラフェンの首が高々と宙を舞った。




 しかし――それだけではなかった。




「ええと、言い忘れたことと言うのはですね――」

「うぉうぃ! 平然と喋り続けるのかよっ!!」


 ……いかん、思わずツッコんでしまった。




 そうだよ!

 そうだった!


 この人、自分自身の身体をバラバラに切り刻んだ経歴を持つ変人だったんだっけ!




「――おっと!」


 落ちてきた喋り続ける自分の首を無事受け止め、大事そうに懐に抱えながらカラフェンは続けた。


「この先にある筈の魔王の居城のことですが――」

「ま……待て待て待てっ!!」


 さすがのラダエラも慌てていた。


「お、お前……何で生きてやがるんだよっ!?」

「最後まで喋らせてくださいよ……これ、大事な話なんですよ? いいですか、勇者・ショージ――」

「じ、じゃねえだろっ!」

「落ち着いてください。落ち着きましょう」

「お、落ち着いてられる訳ねえだろうが!」


 すっかり混乱した様子のラダエラが、




 ひゅばっ!!!!!




 再び剣を振るうと、今度は肘のあたりで両断されたカラフェンの左腕が景気よく宙を舞った。しかしカラフェンは少しも慌てず、多少難儀そうにしつつも残った右手で首を元の位置へと戻すと、ようやく落ちてきた左手を、さっ、とキャッチした。


「ああ、もう……いいですか?」




 ぺたっ。

 きゅっきゅっ。




「今回の魔王には、目立った配下がいないようなんですよね。その代わりと言っては何ですが、城の内部にはトラップがやたらと多いらしくてですね――」

「な……何で死なないんだよお……」


 あーあ。

 争いと死を司る女神、泣いちゃったんだけど。


「――ですから。この先、私抜きで進むことになっても、くれぐれも気を付けて進んでくださいね」

「あ、はい」


 かく言う俺のリアクションもぐだぐだである。


 あたり一面が血まみれにならなかったのはせめてもの救い、実に有難かったのだが、それだって映像的にグロいものはどうやってもグロい。どういう理屈と原理が働いているのかさっぱりだが、元の位置に戻しただけに見えたカラフェンの首はすぐに接着されたようで、しょんぼり肩を落とす失意のラダエラを不思議そうに見つめる彼が斜めに首を傾げようともぽろりと落ちたりはしなかった。


「ええと……まだ続けますか?」

「う……つ、続けるに決まってるだろ!」


 挑発的とも取れるカラフェンの言葉に、危うく折れかかっていた心を持ち直したらしいラダエラは、半ばヤケクソ気味に応じた。


「それは……良かったです。これなら私も、少しは楽しめ――活躍できそうですからね。ふふふ」


 傍から見れば、不敵な笑みとも取れた筈だ。




 しかし――俺は知っているのである。


 このカラフェン、自分の身体が何処までバラバラになっても生きていられるか、それを実証できる好機が訪れたことに心躍らせているに違いない。




 それを念頭に、今彼が浮かべている表情を改めて観察すると、飄々とした青白い顔には興奮を示す紅潮がわずかに射しているようにすら見える。


「くそ……マルマドゥースの破魔の力が効かない奴なんて初めてだぜ……!」


 カラフェンの特殊な性へ――いやいやいや――体質のことなど知る由もないラダエラはすっかり誤解しているらしい。あれ、魔法じゃないですよー。


「だがな? たとえお前がいくら剣で切り刻まれようが死なない身体だったとしてもだな――」

「まさか! ……死にますよ?」




 あー!




「今まで試したのは四十八分割までですからね。それ以上、細切れにでもされてしまったとしたら、きっと私でも死んでしまうんじゃないでしょうか?」




 あー!!


 何でさくっとバラしちゃったんだよ、この人!




 途端、ラダエラの表情が変化した。


「く……くくくくく……!」


 褐色の顔の中で金色の瞳が生き生きと輝いた。


「なあんだ……あたしのやることは何一つ変わらねえんじゃねえか……くくく……そりゃあいい!!」




 ひゅばっ!!!!!


 今度はカラフェンの左手が、肩から、肘から、二つに切断されて――。




「……一つ――付け加えておきますがね?」




 ぺたっ。

 きゅっきゅっ。




「だからといって、あなたが強くなった訳ではありませんよ? 私とて負けるつもりでここには立ってはいません。彼らの冒険の邪魔はさせない!」


 力強く言い切り、カラフェンは俺とマリーに向けて、行け!と勢いをつけて手を振った。


「さあ、進みなさい、勇者・ショージ! 魔王の下へ行き、あなたの目で全てを見るのです! そして……自分がどうすべきか、どうしたらいいかを決めなさい! あなたの意志で!!」

「わ――分かりました!!」


 くっそ! 滅茶苦茶恰好良いじゃないか!

 やっぱりこの人もかつての勇者だ。改めて思う。


「でも、絶対に死なないでください! 俺は待ってますからね! 約束しました! 絶対ですよ!?」

「もちろんですとも!」


 もう一度カラフェンは、右手を大きく――いや、右手に持っていた切断された左手をぶんぶんと大きく振ると、目の前で油断なく構える争いと死を司る女神・ラダエラに向き直る。


「さて――」




 ぺたっ。

 きゅっきゅっ。




「続きをしましょうか、女神・ラダエラ!!」

「おうさ!!」


 二つの叫びと影が交差する――。



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