第二十五章 勇者・マクマス
その後しばらくは何事もなく、《死の山》目指して黙々と進んでいた俺たちだったが、
「くっそ……また女神の一団がいるぞ……?」
「……さっきより人数が少ないわね」
マリーの指摘どおり、そこにいたのは一〇人にも満たない女神の一団である。
ただし、さっきとは少し状況が異なっていた。
「うーん……これ、まずいね♪」
「どうしてそう思うんです?」
マクマスは朗らかに言い放ったが、彼なりに深刻そうな表情を浮かべているつもりらしかった。なので不思議に思って尋ねてみる。
「さっきの幻影を見せる魔法を使えば、切り抜けることができるんじゃないですか?」
「多分、上手くいかないと思うよ?」
「?」
それを聞いて、マクマスを除いた三人の頭上に、はてなマークが浮かび上がった。
「ほら、見えるかい? ……あのぼさぼさ髪の小柄な女神はちょっとした僕の知り合いでね♪ 彼女の持つ《女神の加護》が厄介で――相性が悪いんだ」
確かにいる。ぼさぼさ――というより、ソバージュがかかったような大量の黒髪が表情をすっかり隠してしまっている一際小柄な女神のことだろう。自信家の多い女神たちの中では妙に目立つやたらびくついたおどおどとした態度が印象的で、自分以外の全ての者たちの何でもない動き一つ一つに必要以上に怯え、そのたびごとに細い肩を震わせてはなだめられたりなんかしている。その光景を、何かを懐かしむように目を細めて見つめるマクマスは続けた。
「彼女の名は、女神・ヌヌイ。取り立てて凄い力も持ってないんだけれど、彼女の持つ《加護》は輝かしき物全てを例外なく曇らせてしまうんだ。もちろんこのぴかぴかに磨き抜かれた剣も、盾も、ね♪」
つまりマクマスは、あの独特の動作で自分自身の姿を映し見ることができなくなってしまう――そういうことらしい。
「え……でも、それだけなんですよね?」
「だからこそ、無理なんだ」
肩でそっと息を吐き、マクマクは白状する。
「僕は、彼女の前ではイメージが保てなくなる。……というより曇った表面に映し出される自分の姿の醜さに耐え切れなくなってしまうんだ! そんな過酷な状況で集中力なんて発揮できると思うかい? とても無理だ。無理なんだ!」
把握。
過酷――かどうかはさておいて、さっきは奇跡的に上手くいったあの幻影魔法はもう使えない、っていう残念なお知らせは理解できた。
ただ俺が、さっきから少し気になっていることは、それとは別のことで。
「変わってないね、ヌヌイ……」
女神・ヌヌイとマクマスの間に何があったのだろうか。少なくとも、過去に一度は出会っている筈だ。そうでもなければ、彼女の持つ《加護》をマクマスが知っている訳がない。かつてマクマスが勇者だった時に、彼の冒険の支えになるべく《女神の加護》を授けた? その筋書きが最も可能性大である。
「それよりも! どうするのよ! どうやって切り抜けるのよこの状況!」
「おっと……そうだよな」
じれったそうに尋ねるマリーの言葉に我に返った。
「幸い、まだこっちの姿は見られてないみたいだ。だったら《
一点を注視されると無効、だったっけ。
「ですね。ただ……より安全に、確実にこの場を切り抜けようとするのであれば、別の何かを用いて我々とは違う方向に注意を引きつけておく必要があると思います」
俺とカラフェンの二人は、示し合わせたようにマリーを見つめる。と、溜息とともにマリーが応じた。
「……だと思った。ま、確かにあたしは、あんたたちみたいなお尋ね者じゃないしね。万が一捕まったところで居場所を問い質されるくらいで、他に何をされる訳でもないんだから――」
さっきの脱出劇の際に、俺はたまたまその場に落ちていた手配書を入手していた。
そこには要注意人物として俺の人相書きと名前が、そしてマクマスとカラフェンの顔と名前もまた記されていたのだ。
ただし、残るマリーについてはどうかというと、俺たち三名の要注意人物に力ずくで無理矢理同行させられている女神が一名いる、としてその名前だけが小さく記されていた。哀れな被害者ということだ。
だが、
「……」
それまで話に加わることなく待ち構えている女神たちの様子を物陰から窺っていたマクマスは、振り返ると俺たちに告げた。
「――いいや、駄目だね♪ その役目は、この僕にやらせてもらう」
「ちょっと!」
せっかく腹を括った矢先に役目を奪われたマリーは露骨に顔を顰めて喰ってかかる。
「今、理由は説明したじゃない! できる限り《加護》を授けられちゃうリスクは避けないといけないでしょ!? なのに――!」
「……分かってないね♪」
そこではじめて、マクマスは真剣そのものの顔付きで俺とマリーを交互に見つめた。
「いいかい? 僕が引き受けたのは、勇者クンの魔王討伐を手助けすることじゃないよ。勇者クンとマリーちゃん――君たち二人がやると決めた、この旅の目的の達成のためなんだ」
「え……?」
俺たちは揃って言葉を詰まらせた。葵さんがそう命じたから――それだけではない、そういう響きがマクマスの科白からは感じ取れた。
「どちらが欠けても駄目。それじゃ失敗なんだよ。たとえあの女神たちが君に危害を加えなくっても、君が捕らえられて勇者クンの隣にいなくなってしまったら……僕の言っている意味、分かるよね?」
「な、何の――!?」
少しムキになったように赤い顔でマリーが喰い下がると、唐突にその耳元に顔を近づけてマクマスが何事かを囁いた。
「……で……だろ……? ……違うかい?」
「――!?」
あ、あれ?
急におとなしくなっちゃったんだけど?
一体マクマスがマリーに何と言ったのか、それは俺にはちっとも聞き取れなかったが、マリーは不貞腐れたような表情を浮かべ、渋々頷いた。
「わ、分かったわよ……」
「うん。それでいい♪」
ようやっと承諾を得られたマクマスはことさら満足げに頷くと、最後の見納め、とでもいうように、剣と盾を構えては入念に己の姿をその瞳に焼き付けていた。
「……おい、何言われたんだよ?」
「あ、あんたには関係ないでしょ!?」
うーん。またもやマクマスの《力》とやらで、機密情報的なものをバラされそうになったんだろうか。でも、もう俺、とっくにマリーのスリーサイズとか聞いちゃってるんだけどなあ。
「じゃ、カラフェン、勇者クンたちは頼んだよ♪」
「承知しましたよ、マクマス。……気を付けて」
ぴっ、とこめかみに手を添えて言い放ったマクマスの科白に答えると、カラフェンは即座に魔法の詠唱を始めた。見る間にその場に残った俺たち三人の姿があやふやになっていく。
「うわ……凄いですね、これ」
あらかじめ説明を受けた通り《存在消失》の魔法の効果を得たからといって俺たちの姿は透明になることはなかった。上手い表現が見つからないが、視界の中に捉えようとしてもぬるりと滑り抜けてしまう、そんな感覚だった。陽の光を受けて大地に映し出される影までもぼやけて見える。自然の法則すら捻じ曲げているみたいだ。
「はりきってますねえ、マクマス」
カラフェンのいた場所から聴こえてきた声に反応して目を向けると、マクマスは右側にあった大きな岩のところまでもう移動していた。かくれんぼは得意そうである。
だが、その先はもう遮蔽物らしい遮蔽物は皆無だ。
「さて、こちらも準備をしないと……。彼に合わせて一気に突破しますよ?」
「了解です」
俺が頷いたのとほぼ同時だった。
「はーい、そこの女神たち! 僕に注目ぅ!」
岩の上で惚れ惚れするような肉体を晒し、筋肉とその美貌を見るもの全てに押し付けるように暑苦しいまでのポーズと表情で、にかっ、と笑いかけた。
「あ、貴方は――!?」
「そう! 僕の名は、もう知ってるよね♪ これから君たちには選んでもらうよ? 潔くこの道を明け渡すか、僕とのダンスにお付き合いいただくか――さて、どちらを選ぶかい?」
「ば、馬鹿なこと言わないで!」
その場にいた女神の一人は声を荒げると、後ろの方で縮こまっていた例の女神・ヌヌイの手首を掴んで、強引に前の方へと引き摺り出して突き出した。
「ほら! 貴女の《加護》の見せどころよ? さっき教えた通りにさっさとやって! 早く!」
「うぇ……っ! ううう……」
ヌヌイは見るからに気が進まない素振りだったが、次々に背中を小突かれ、仕方なく両手をマクマスに向けて差し出す。
――はじまった!
俺たちのいる位置でもマクマスが後生大事に手入れを繰り返していたあの盾の表面が、たちまち曇り始めたのが分かった。それに気付いたマクマスの端正な顔立ちに、苛立ちと嫌悪が浮き上がったが――さっとそれを引っ込める。
「……これがどうしたっていうんだい? こんなもので僕を止められるとでも? 甘いね♪」
本当は苦しい筈だ。
どうしようもなく辛くて哀しい筈なのに、それでもマクマスは不敵な笑みを浮かべていた。
「じゃあ、今度はこっちの番……だよっ!」
振りかぶって、ざあっと剣を振る。
「きゃあああ!」
「いやあああ!」
突風が駆け抜け、女神たちはバランスを崩して恐れ戦いている。それを見て、カラフェンらしきあやふやな輪郭が俺たちに告げた。
『さあ! 今のうちです!』
『はい!』
互いの姿はまともに見えない。なので、三人仲良く手を取り合って駆け出した。念には念を入れて、慌てふためく女神たちのいる場所を避けるようなコース取りで一気に突破していく。
「ほらほら! これはどうかなっ!」
「あ、あぶな……っ!」
「ひいいい!」
次々と繰り出されるマクマスの剣技から逃れようと、女神たちは右往左往して逃げ惑う。
それでもマクマスは言っていた。
(――怪我をさせる気はないよ。僕は彼女たちのこと、やっぱり大切だと思ってるからね♪)
勇者だった頃に、彼の冒険を懸命に支えてくれたのは女神たちだ。その事実は曲げようもない。たとえそれが《女神ポイント》などという馬鹿げたシステム故だったとしても感謝してるのは同じさ――そうマクマスは珍しく真剣な表情で語っていた。
そうこうしているうちに、俺たち三人は女神たちの脇を通り抜け、その少し先の方までまんまと抜け出すことに成功していた。
『ここまでくれば大丈夫でしょう』
わずかに息を弾ませながらカラフェンは告げると、手から伝わる合図だけで俺たちを立ち止まらせ、すっと息を吸う。直後、ぴいいい!と鳶の鳴き声に似た鋭い口笛を風に乗せて送り出した。マクマスの耳にもそれは届いたらしい。うん、と頷いた彼は剣を担ぎ上げ、女神たちに向かってもう一度笑いかけて告げた。
「……どうやら時間切れみたいだね♪ また今度、お相手いただくとしようかな? じゃあ僕は、これにて失礼する!」
一転、脱兎のごとく走り出す。
「ご、ごほっ! ごほっ! ま、待ちなさいっ!」
「あ、後を追わないと……ううう……!」
あっ、と他の女神たちも小さな悲鳴を発した。だがしかし、結局攻撃らしい攻撃といえば風圧だけだったとはいえど、それでも元・勇者の放った渾身の一振りだったのだ。足はがくがくと震え、あまつさえ腰を抜かしている者までいる有様だ。口惜し気な科白を口にすれど、実際に追おうとする者は皆無だった。
「こっちです!」
《存在消失》の効果が薄れ、徐々に元の姿を取り戻しつつある俺たちは大きく手を振った。すぐにもマクマスと合流できた。
「やっぱ、凄いですよ、マクマスさんは!」
「そう言ってくれると引き受けた甲斐があるね♪」
逃げ足を少し緩め、追い付いてきたマクマスに素直な感想を述べると、珍しく照れたように応える。
「でもね――」
そのままマクマスが言葉を継ごうとした矢先、残された女神たちの会話が漏れ聞こえてきた。
「もう! 何やってるのよ、ヌヌイ!」
「ううう……ごめん……なさい……」
あの二人だ。
「あーあ、がっかり! ……何のためにこうして仲良くしてあげてるのか分かってるの!? ちっとも役に立たないんだから! そこ、どきなさい! 邪魔よ! あいつらを追うんだから――」
「あ……う……!」
腹立ち紛れに押し退けられたヌヌイが無様に転倒する音が聴こえた。すると、それまで傍観しているだけだった他の女神たちまで彼女を非難する側に回り、冷笑を浮かべ、口々に罵りの言葉を投げつける。
マクマスは――足を止めた。
「……」
「マクマス……さん?」
「……放っておきましょう。先を急がないと――」
俺を含めた三人だって、それが酷い仕打ちだとは思う。でも、どうすることもできない。
「分かってるよ♪ 分かってるんだけどね」
マクマスは迷いを断ち切るように首を振って、
「……済まない。僕はここに残ることにするよ♪」
そう、言った。
「え――!?」
俺が思わずそう声を出すと、マクマスは心底済まなそうに眉根を寄せて肩を竦めた。
「何故なんですか!? どうして――!?」
「僕はね……あの子に恋をしていたんだよ」
あの子――ヌヌイ!?
正直に言えば、超絶イケメンの筋骨隆々の元・勇者のマクマスには不釣り合いな相手だと思ってしまったのは紛れもない事実だ。そしてそれは表情にも出てしまっていたのだろう。
「……意外かい? でも、僕にとっては彼女が誰よりも美しく、愛おしく感じていたんだ。だって……この世界に召喚された何も知らない僕に、一番最初に手を差し伸べてくれたのは彼女だったんだから」
そうか――。
不意に横に視線を向けると、ちょうど俺の方を見ていたマリーと目が合った。
慌てて目を反らす。
「僕だってね、最初から何もかもがうまくいってた訳じゃなかったんだよ♪ この体格だって、それなりにトレーニングを積み重ねた上に手に入れたんだから。そう、はじめは……ひ弱でひょろ長い、イケメンだってだけの男だったんだから、ね?」
……一言余計です。
でも、意外だった。マクマスはマクマスなりにきちんと努力を重ねてきた末に晴れて勇者となったということだろう。勇者に選ばれただけはある、ということか。
「で、でも……どうするのよ?」
「最初に決めた通りだよ、女神・マリー」
マクマスは一人振り返り、背中で告げる。
「……僕が囮になる。君たちは先に進むんだ」
「でも、それじゃあ――!?」
「大丈夫さ♪」
最後に俺たちに向けて、白い歯を見せてとびきりの笑顔をマクマスは送った。
「必ず後から追いつくからね。三人で一足先に魔王のところまで向かってくれ。大丈夫、こんなところで僕は死なない。絶対にね♪」
それ、死ぬ奴の科白だから!
確実にフラグの立ったマクマスに慌てて伸ばそうとした俺の手は、輝きを取り戻した彼の盾で強引に押し戻されてしまう。その彼の背後には、態勢を整え、すっかり立ち直った女神たちが一斉に押し寄せてくるのが見えた。俺の背筋が一気に冷える。
「だ、駄目ですよっ、マクマ――!」
「行け、行くんだ――カラフェン!」
もしもの時には――もしかすると、初めからそう示し合わせていたのかもしれない。名を呼ばれた瞬間、カラフェンは迷うことなく俺とマリーの手を取って、痛いくらいに力を振り絞るとその場から離脱しようとする。それでも俺は叫ばずにはいられなかった。
「マクマスさあああん――!」
最後に俺の目に映ったのは――。
誇らしげな笑みを顔中に浮かべたまま、ゾンビ映画の哀れな犠牲者さながらに、次々と殺到し群がる女神の一団に吞み込まれ、押し倒され消えていったマクマスの雄姿だった。
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