第二十四章 女神、襲来

 状況が一変したのは、それからしばらく進んでからのことだ。


「くっそ!」


 走るたび、身に纏う兜と鎧が、がっちゃがっちゃ、と絶え間なくけたたましい音を立てている。


「どうして気付かれたんだよ!? あんなにいたんじゃ、どうしようもないじゃんか!! 何で!?」

「私が思うにですね――」


 努めて冷静な口調で語り始めたのはカラフェンだ。すっかり息が上がっている俺やマリーとは違って、ムカつくくらいに涼しい顔をしている。


「――我々の進行方向に、先回りをしていたのでしょうね。後を追ってきたというよりは」

「そりゃ見たら分かるって!」


 言われるまでもない。

 手ぐすね引いてどころか、俺たちの進む先で、呑気にティーパーティーなんぞを開いていたのだから。結果的には気付かれてしまったものの、一瞬でも先に察知できたのはほんのちょっぴりでも幸運だったと言えよう。おかげで逃げる時間が確保できた。


「だけどね、勇者クン♪――」


 今度はマクマスだ。

 こっちはこっちで、喋りながら器用に剣と盾を駆使して自分の姿を眺めるのに忙しい様子である。


「――こればかりは仕方ないんだよ。さっき君も見たろう? その辺の道具屋ではした金を払えば、魔王の居城が何処にあるか、ご丁寧に書かれている地図が手に入るんだからね」

「そんなの糞ゲーじゃねえかあああああ!」


 あらかじめ通り道は分かっている訳で。

 進行ルートの先のどこかでゆっくり待っていれば、労せず出喰わせるということだ。まるでゲームのタワーディフェンスである。


「お――追っ手は!?」


 残念ながら《勇者シリーズ》装備一式、という名前ばかり大層な足枷に縛られた俺には、振り返ってそれを確かめる余裕がない。


「ひとまず振り切ったみたい」


 代わりに答えたのはマリーだ。こいつがある意味一番元気なのである。

 何故かと言えば、逃げるにも足手まといになりそうだと瞬時に判断した俺におんぶされているからだ。もしも勇者になっていなかったら、さすがに人一人背負ったまま逃走するなんて芸当は俺には出来なかっただろう。マリーが小柄だっていうのもプラスに働いた。しかし、よくよく考えれば俺や元・勇者の二人とは違ってマリーは女神な訳で、《奴ら》に捕まったとしてもリスクは低い筈である。




 そうなのだ。

 俺たちを待ち受けていた《奴ら》の正体――。




 それは、女神だったのだ。




「考えたら、もっともな話よね」

「……何がだよ?」

「一番の敵は、魔物でも魔王ですらもなくって、あたしと同じ、女神だ、ってことがよ」

「ですね……残念ながら」


 カラフェンの口調も苦々し気に聴こえる。


「この世界でただ一人の勇者が魔王討伐の旅路に出た、ともなれば、彼女たちも黙って見守ってくれなぞしないでしょうね。おまけに元・勇者を二人も引き連れているだなんて、まさに好機だと言えます」

「ち、ちょっと待ってくれ!」


 今の話は何か引っかかる。


「元・勇者って……マクマスさんとカラフェンさんのことなんですよね? まさか女神たちは……あなたたちにも《加護》を授けることができるんですか!?」

「ああ、できるとも、勇者クン。残念ながらね」


 言い渋る素振りを見せたカラフェンの代わりに、今度はマクマスが答えてくれた。


「ただ……僕らの場合は、現役の勇者に選ばれた君とは少々事情が異なるんだ。アナフィラキシーショックって言葉、聞いたことあるんじゃないかな?」

「まさか……!」

「そうだよ」


 頷くマクマスの表情は真剣そのものだった。


「勇者の身で一度は《加護》に耐えられても、勇者でなくなった者が二度目以降に同じ《加護》を授かると、体内で生成された抗体が過剰反応を起こすんだ。以前授かった物と全く同じ《加護》でなくたって、少なからず抗体反応は起こってしまうらしい」

「じゃあ、最悪のケース……死ぬこともあるってことですか!?」

「だね」


 即答。


「だね、じゃないですよ!!」


 それを聞いた途端、申し訳ないと思う気持ちより、怒りの感情が先に湧いてしまった。


「何で……そんなに冷静でいられるんですか!」


 思わず口調が荒くなる。


「そもそもあなたたちは、何でこんな割に合わない依頼を引き受けたんですか! 俺だってそれなりに覚悟は決めています! けど! それだって神になっちゃうってだけで、死ぬことなんてきっとないんだろうな、って高を括っていたからですよ! でも、あなたたちは違うんでしょう!?」


 二人にとって、俺の怒りは予想外だったようだった。

 しばし無言で視線を交わした後、ゆっくりと口を開いたのはカラフェンだった。


「……こんなことを言うと、きっとあなたは怒るでしょうね、勇者ショージ」


 マクマスもカラフェンも、同じ微笑みを浮かべたまま、じっと俺を見つめている。


「――あなたに、僕たちと同じ過ちを犯して欲しくなかったからですよ」


 カラフェンは言った。


「僕たちにだって、本当は元の世界に戻りたいという気持ちがあったんです。でも、出来なかった……。《女神の加護》、それだけが理由じゃない。もっと根本的なところ、根っこのところで僕たちは酷い間違いをしてしまったんです。あなたにはそうなって欲しくない。だからなんです」

「え……い、いや、何の話をしてるんです?」


 カラフェンの語る話は曖昧で、抽象的すぎて、まるで要領を得なかった。おかげで自分の中の怒りが徐々に形を保てなくなってしまい、口調にまで心の内の揺らめきが滲み出してしまう。それを目敏く察したマクマスはカラフェンの肩を、ぽん、と叩き、代わりにお気楽な調子で口を開いた。


「それにだよ、勇者クン♪ 僕たちだって、タダ働きをするつもりはないんだ」


 そう切り出すと隣で耳を傾けていたカラフェンがとがめるように片眉を跳ね上げたが、マクマスはそれを目にしても肩を竦めただけだ。マクマスは見事なウインクを一つする。


「君が万事上手くやってくれれば、僕たちだってもう少しマシな生き方ができる。そういうことさ。そういう取引をしたのさ、あの人と、ね」




 あの人、というのは、葵さんのことだろう。

 二人を遣わしたのが葵さん――女神・アオイデーなのであればきっとその筈だ。




 マクマスの真っ正直でストレートな言葉を聞いても少しも嫌な気持ちはしなかった。むしろはじめにカラフェンが語った、善意をオブラートでくるんだような訳の分からない話より何倍もマシである。


「ま、大丈夫、大丈夫。僕ら、強いからね♪」


 そう言って、マクマスは、びしっ、と剣を構える。


「そうやすやすと《女神の加護》を授けられたりはしないから心配しないでくれたまえよ。余裕があれば、君やそこの女神様だって守ってあげられるから。ただし――」


 そこでマクマスは急に笑みを消し、真面目腐った怖い顔付きをして付け加えた。


「――犠牲的精神なんてものは期待しないで欲しい。僕らだって必死だからね。最悪の事態に直面したら、僕らは迷わず自分の身を守る。勇者の君よりも」

「構いませんよ、それで」


 頷いた。

 マリーは何か言いたげにむっつりと顔を顰めていたが、包み隠さず本心を語ってくれたマクマスの言葉に嘘はなかった。だからこそ、素直に受け取れた。


「では改めて。話を戻しましょう。いいですね?」


 他の三人が、俺の言葉に無言で応じる。


「目下の問題は、この先に待ち受けているであろう女神たちを、どうやってやり過ごすか、です」

「話をしてみる……ってのは駄目よね、きっと」

「それは最悪の選択肢だって」


 マリーの提案には即座に首を振った。


「こっちの話がどういうものにせよ、女神たちには聞く必要性なんてないんだからな。葵さんも言ってたけれど、勇者は飢えた女神たちにとってはただの《餌》でしかないんだろ? 経験値をたっぷりドロップしてくれるレアモンスターみたいなもんさ」


 代わってマクマスが左右の稜線を見上げながら気楽そうに言う。


「素直に迂回するしかなさそうだよね♪」

「なんですけど――」


 ロケーションは最悪だ。

 さっき休憩を取った丘から下り切ったこの場所は、左右の切り立った崖に挟まれ、途中に脇道なんてものはなかった。それでも女神たちを避けるため迂回コースを取ろうとすると、かなりの距離を引き返さなければならない。別に時間制限もないのだしそうしたって良かったのだけれど、単純に面倒だ。


「ああ、そうだ!」


 あれがあるじゃないか。

 俺はマリーにそっと耳打ちする。


「この前のあれ、まだあるのか? 女体化する奴」

「ははーん。癖になっちゃった……ってこと?」

「そーそー……って違うわボケ!」


 ノリツッコミしてる場合じゃないんだって。


「あれを使えば、正体がバレずに女神たちの間をすり抜けられるんじゃないか? あんなに大勢の女神がいたイベント会場でも大丈夫だったんだしさ」

「あー」


 我ながら良いアイディアだと思っていたのだが、マリーは気まずそうに顔を背けた。


「あー……えーっと。あれね、あんま使わない方が良いみたいで」

「?」

「元々あれってば、一時的に性別を変えられる薬、ってことじゃなかったのよね」

「……おい」

「なんつーか……徐々に性別を変更するための薬っていうかー。繰り返し使用すると、元の性別にうっかり戻れなくなっちゃうっていうかー」

「うぉぃっ!!」


 なんつーもん飲ませるんだよ!

 喰ってかかりそうな勢いの俺を押し留めるようにマリーは手を突き出してぶんぶん!と何度も振った。


「どどどどのみちっ! もう三人分なんて残ってないもん! その案は却下よ、却下!」

「うーん……」


 あと一回くらいなら行けそうとか思ったけど。手元にないんじゃあ仕方ない。


「こういうのはいかがでしょう?」

「お願いします」


 あとはありとあらゆる魔術を極めるだけの賢さを誇るカラフェンの類稀なる叡知に頼るしかないだろう。最後の希望を託した俺の願いの言葉に促され、カラフェンは細い顎に手を当ててこう進言する。


「私を含めた男三人を、女神・マリー様に運んでもらう、というのはいかがでしょうか。マリー様にはいささか骨の折れる役どころになってしまいますが、ただの荷物に姿を変えてしまえばさすがの女神たちもよもやそれが勇者だとは思いもしないでしょう」

「なるほど」


 さすがである。

 魔法使いでなければ思いつかない発想だ。


「魔法で姿を変えてしまえば! 変化の杖的な?」

「いえいえ! 違いますよ!?」


 そこでカラフェンは嬉々として表情を綻ばせ、両手の指をわきわきとリズミカルに蠢かせて見せた。


「いいですか? まずは一旦、我々の身体をバラバラにしてですね――!」




 ……あー。忘れてた。

 この人がある意味一番頭おかしいんだった。




「はい、ストップ。もう、いいです……」


 三組のピースで立体パズルをやろうって訳である。どう考えたって事故るイメージしか湧いてこなかったし、そもそもマリー一人で男三人分の肉塊を運ぶなんてことは、考えてみれば到底無理な話である。ヘラクレス顔負けのマッチョな体格のマクマス一人分だって運べるかどうかは怪しいだろう。


「じゃあどうすんのよ、馬鹿ショージ……」


 さんざ頭を悩ませてひねくり出した作戦を否定された三人は、期待を込めた眼差しで俺を見つめる。


「つってもなあ……」


 偉そうに駄目出ししたのだから、ここは一つ、皆が思わず膝を打つような気の利いた作戦を思いつきたいところなのだけれど、普段から苛めっ子たちに追っかけられている訳でもないし、かと言ってその逆、ヒーロー的な救出劇なんて見たこともやったこともない俺の頭では何も思い浮かんでこない。




 ……いや、待てよ?


 この世界には、オタクの愛するアニメや漫画やラノベなんて物は存在しないんだったよな?




 ということは、どのオタクでもすぐ思いつくような手垢まみれのベタ展開も、この世界の住人たちにしてみたら新鮮で斬新、ってことじゃないだろうか。


「ちょっと、ショージってば!」

「す、少し、ま、待ってくれ」


 焦り、苛立ち始めたマリーに肩を掴まれ、がくがくと揺さぶられながらも、必死で脱出劇が登場するアニメを脳内で倍速で再生していく。




 真っ先にヒットしたのは、両側にそそり立つ岩壁を崩して、女神たちが呑気にティーパーティーを開いている谷ごと落石で封鎖してしまうことだ。それこそ古くは三国志にだって登場するほど幾多数多の戦記物では常套すぎる戦略だし、『涅槃島』みたいなサバイバルホラーでもこんなシーンはあった筈だ。


 だが、正直この案は気乗りがしなかった。


 いくら追われる身だとは言え、彼女たち女神には何の恨みもないし、そこまで敵対している関係でもない。何よりいくらなんでも可哀想すぎる。怪我でもさせたら寝覚めが悪い。




「……いやいや。これじゃない」

「何がよ?」

「あー。こっちの話。もうちょっと時間をくれ」


 次に思い浮かんだのは――。


「カラフェンさん。たとえばの話ですけど……あなたの魔法で空を飛べたりしますか?」


 こっそり女神たちの頭上を飛んで通過する方法だ。


「空を飛ぶ……? いいえ、それは難しいですね」

「難しいって……できない訳じゃない?」

「出来ますよ。出来はします」


 言いにくそうな表情でカラフェンは続けた。


「正確に言うと、対象を空に向けて吹き飛ばす、ですけれど。受けたダメージの回復と無事着地する方法は各自で何とかしていただければ」

「……じゃ、いいです」


 そーらーを自由にー飛べないやー♪


「僕ならできるけどね♪ 着地と同時にタイミングを合わせて渾身の一撃で相殺すれば大丈夫だよ」

「……それが出来るのはあなたくらいです」


 やってみせようか?と早速腰を浮かせて言い始めたマクマスを身振りだけで黙らせて座らせる。考えてもみれば、空を自由に飛べる魔法なんてものががあるくらいなら、この道中の何処かでとっくに見かけている筈だし、俺たちも《死の山》までひいこら徒歩で行く必要もなかっただろう。


 なら、次だ。


「さっきの話だと、何か別の生き物に姿を変える魔法、ってのは……ないんですよね?」

「ありますが、元に戻せませんよ?」

「――は無しで。……たとえばですけど、俺たちの姿を相手からは見えなくしてしまう、なんて魔法はあります? 《存在消失ハイディング》とか《透明化インビジブル》みたいな?」

「ええ、ありますとも」

「ですよね……って、あるんですか!?」

「もちろんです」


 早く言って欲しい。期待を込めた眼差しでカラフェンに続きをせがむ。


「《存在消失》の魔法についてはあくまで対象者の存在が希薄になる程度ですので、気付かれにくくなる、といった程度の効果です。ですので、一点を注視されるとあまり効果は期待できません」


 じゃあ、今回は駄目か……。

 積極的に追ってこないってだけで、女神たちは俺たちがこっちの方角へ逃げ出したのをしっかりと認識している。当然、再び姿を現すことを予見して俺たちが来るであろう一本道に注意を集めている筈なのでこの手は使えないってことだ。


「《透明化》はどうです?」

「条件があります」

「お願いします」


 こくり、と頷きカラフェンは告げる。


「《透明化》の魔法の効果は、対象者の肉体を透明にしてその背後にある風景を映し出すというものです。しかし実際には、肉体そのものが透けて見える訳ではありません。一部の生物に見られるような、保護色のような物、と考えていただければより正確な表現だと思います」

「なるほど……で、条件って何なんです?」


 問い返すと、カラフェンは意外にもマリーの方を気遣う素振りを見せてから白状した。


「対象者は、まず全裸にならないと――」

「むむむ無理っ!!」


 だよなあ。

 ちょっとそんな予感はしてた。


 保護色ってくらいなんだから、何か身に着けていたら、当然そっちの方には効果は働かないのだろう。もしかして――なんて期待していたのだけれど、肝心なところでアニメ・漫画的なご都合主義は通用しないみたいだ。現実って厳しい。メタい。


「まあまあ。あれだぜ? マリーは別に女神たちの前に姿を見せようが、特に何か危害を加えられるって訳じゃないだろ? 無理にやんなくてもいいよ」

「だね♪ じゃあ早速――」

「ちょちょちょっ! いきなり脱ぎ出さないでってばあああああ!」


 よほど普段より見惚れている自分の姿には自信があるようで、カラフェンの話を聞くや否や躊躇なく鎧や下穿きを脱ぎ始めたマクマスの行動に仰天したマリーが真っ赤になってそれを制止する。


「ににに荷物はどうすんのよ!」


 あー。

 それがあったか……。


「結局それ全部を運ぶのは、残されたあたし一人、ってことなんでしょ!? そんな見るからに重そうな大剣なんて引き摺らないと運べないし、どう考えたって怪しすぎるじゃない!」

「確かに」


 渋々頷く俺。

 が、マリーの主張はそれだけで終わらなかった。


「それにっ! あんたたちの脱ぎたてのほかほかしたぱんつとかあたしに運ばせる気なの!? 嫌よ! 嫌すぎる!!」


 逆の立場なら、むしろご褒美なんだけどなー。


「カラフェンさん、さっきの答え、もう一度確認させてもらってもいいでしょうか。何か別の生き物に姿を変える魔法はあるけど元には戻せない、でしたよね? だったら、同じ生き物へであれば変えられるし戻せるんでしょうか?」

「うーん……」


 カラフェンは脳内の膨大な知識の海の中から、それに近い物を探しているようだった。


 やがて、済まなそうに首を振る。


「やはり、物質を変化させる魔法にはそれなりにリスクがあるんですよ。恐らくご存じの、錬金術、というのもその代表でして。あれも結局、本物の金よりも高くついてしまいますし。ただのまやかし程度で良いのであれば、まだ方法はあるんですが――」




 ……へ?




「あ、あるんですか!?」

「え……ええ。ありますとも」

kwskくわしく!」

「?」


 必要以上に熱意のこもった催促をされて、少し申し訳なさそうにカラフェンは言った。


「幻覚・幻影を見せる魔法がそれです。ただ……あなたのイメージしている物とは少し違うかもしれません。魔法をかけられた者は一定時間幻影を生み出す力を得て、その場にいる者の姿を、別の何かに変わったかのように見せかけることができるのです。もちろん対象を自分にしてもいいんですけど――」


 そのう……私は得意ではなくて――とカラフェンは済まなそうに首を振った。


「行使者は、その間、ずっと幻影のイメージを頭の中で維持しなければならないのですよ。ずっと。ほんの一瞬でもイメージが揺らげば、幻影にも瞬く間にその影響が現れてしまいます。集中力と同時に、精神力も高くなければうまく作用しない魔法なのです。そうそう……マクマスはお上手でしたよね?」

「まあね♪」


 剣と盾を操る手を止め、歯を見せて笑った。


「でも、今回は駄目じゃないかな? 僕が使っても、その場にいる全員が僕に見えるだけだからさ♪ 他の誰かの姿なんて、考えるのも嫌だし、ね」


 全員が?


 マクマスに……?


「そ……」


 俺は咄嗟に閃き、歓喜のあまり絶叫した。


「それだあああああああああああああああああ!」






「……あら? 結局来るみたいよ?」

「じゃあ、ちゃちゃっと授けちゃいますか!」


 手ぐすね引いて身構える女神たちだったが、


「え……?」


 やがて現れたのは――。


「えええええええええええええええええええ!?」


 眩いばかりに真っ白な歯を覗かせて微笑みかける、白銀の半甲冑に身を包んだ勇者の一団だった。


 いや――正確に言った方がいいだろう。


 元・勇者、マクマスの一団が、えっほ♪えっほ♪とスキップを踏むように足取り軽く現れたのだ。


「あれ、元・天上神で元・勇者のあいつじゃ……」


 と、大慌てで隣にいた筈の女神を見ると、


「う――うぇええええええええええええええ!?」

「ん? ……ぎゃああああああああああああ!!」


 互いが互いの姿を見て仰天する羽目に。無理もない――その場にいる誰も彼もが、一人残らずマクマスの姿になってしまっていたのである。


「あ――あんた誰よっ!? さては――!」

「い、いやいやいや! あたしは女神ですって!」


 しかも彼女たち女神は、今回の勇者出没の噂を聴きつけて方々から集まってきただけの言うなれば烏合の衆でもあった。誰一人、見知りの者がいないこの状況では互いを信用することができないし、己を証明する手段も持っていない。


「か、《加護》を授かりなさい!」

「わ、私は女神ですぅ! やめてえええええ!」

「喰らえっ! 《女神の敵》め!!」

「ひ――っ! あっちよ、あっち!」


 見る間に、その場にいた女神を含め総勢二〇余人のマクマスが入り乱れた壮絶な《加護》授け合戦が始まってしまった。俺たち四人もそれとなく授ける真似なんかをしてみたりしていたが、実のところ俺たちには誰が誰なのかはっきりと分かっていた。


 いや……ちょっと違うか。


 少なくとも俺たちは、正真正銘のマクマスが誰なのか、それだけは分かっていたのである。




「んふ♪」


 しゅばっ!

 がしん!

 ……ちらっ。




 お分かりであろうか。




「んふふ♪」


 しゅばっ!

 がしん!

 ……ちらっ。




 周期的に繰り返される独特の癖。何がどうあろうと自分自身の姿に見とれずにはいられない――そう、彼こそがマクマス本人だと俺たちは知っていたのだ。冷静に観察すれば、この大混乱の状況下で剣を抜き払い、盾を構えるような大馬鹿者はマクマス以外にあり得ないのだが、すっかり恐慌状態に陥ってしまった女神たちはそれどころではない。


「もう! 嫌ああああああああああああああ!!」


 とうとう《加護》の誤爆を喰らいまくっていた一人の女神が悲鳴を上げ、混乱の輪から抜け出して脱兎のごとくその場を立ち去ろうとする――その瞬間を俺は見逃さなかった。


 すっと息を吸い、


 びしいっ!!


「奴だ! 奴が勇者だぁ! 逮捕だあああああ!」


 真っ直ぐに指さし、何故かダミ声になって怒鳴り散らした瞬間、女神たちの視線が一点に集中した。やっべ……つい、ノリで『逮捕だあああああ!』とか言っちゃったけど……。




 刹那、時が止まる。




 そして――。




 どどどどどどどどどどどどどどどどどど……!


「う……嘘おおおっ! 違う違う違う違う違う!」


 引き攣った笑みを浮かべた偽マクマスが全力で駆け出すと、それに呼応するように他の偽マクマスがそれを猛追する。その時、出遅れた偽マクマスの一人が俺の方を振り返って慌てた口調で尋ねてきた。


「あ――あたしたちも行く? 行くっ!?」

「うぉうぃ! 行ってどうするんだよっ!」


 間違いない。こいつ、マリーだろ……。


 そのしようもない会話を聴きつけたどうやら本人らしいマクマスが、しゅば!ちらっ!の動きを止めて俺の耳元で歌うように告げた。


「今のうちだね、勇者クン♪ 突破するよ!」

「お願いします!」


 そうして俺たちは女神たちの包囲からまんまと抜け出すことに成功したのであった。




 あ。

 その前に、言っとくべき科白があった。




 去りゆく女神たちを一瞥し、不敵な笑みを口元に浮かべた俺は、そよそよ吹く風にひょろりとした科白を載せて送り出した。


「あーばよーぉ! とっつぁーん!!」


 あー……うん。

 声真似の自己評価はせいぜい三〇点。ま、誰も知らないだろうし、いっか。



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