第二十二章 旅の仲間

「……何か、すっげえ久し振りの気がするなあ」


一足先に《扉》を出た俺は胸いっぱいに空気を吸い込むと、後ろを振り返って言った。




 アメルカニア再び――である。


 あの後、葵さんから勇者を手助けしてくれるという二人の冒険者についての詳しい情報を聞き、俺とマリーは下界へと降り立ったのであった。




「悪いけど、ここからは歩きだからね?」

「知ってる。前もそうだったからさ」


 前回マリッカの使った《扉》の位置と、恐らくそれほど変わらない場所に違いない。目印や現在地を示すものなんてまるでなかったけれど、きっとそうだという妙な確信がある。それでも前より心が明るく感じるのは、マリーが隣にいてくれるからだろう。あの会話の後、マリーの態度が少し余所余所しくなったように感じたが、それもすぐに元通りになっている。


「……街道馬車とかって来るかな? 待つ?」

「それ、俺も思ったからマリッカに聞いてみたんだ。でも、無駄っぽいぜ? 歩くしかない」

「うぇ……面倒臭いんですけど……」


 隣を歩くマリーの姿は、ある意味新鮮だ。


 少なくともジャージじゃなかった。初めて出会った時に身に着けていた青白い光沢を放つロングドレス姿なのだが、今はむしろこっちの方が違和感を覚えて落ち着かない、おかしな話だ。


「……何よ?」

「い、いやいや。その恰好も似合うじゃん、って思ったからさ」

「あ――あったり前でしょ!? めめめ女神様なんだからっ!」

「……何だよ、褒めてるのに」

「うっさい! 前見て歩きなさいよ!」


 ぶすー、とした顔付きのまま、手にした金の錫杖を俺の頬にぐりぐり押し当てて強制的に前を向かせる。痛いっつーの。




 それからしばらくしてようやく城下町・モニゲンに辿り着いたが、巨大な門は固く閉ざされていた。


「ちょっと! これじゃ入れないじゃない……」

「そこの通用門から入れてくれる。前回通りなら」


 愚痴をこぼすマリーを追い立てるようにして進み通用門の前に立った俺は、前回覚えたリズムでノッカーを叩きつけた。




 ここんこんここん。

 ここんこんここん。


 やっぱ、アレだろ。このリズム。




「……誰か?」


 すすっ、と目の位置辺りのスリットが開く。


「えっと――」


 俺は言った。


「以前にもこちらに伺った勇者ショージと言うものです。また王様にお会いしようと思いまして――」


 にこー。

 精一杯笑ってみた。


 しゃこっ!


 が、何故かスリットはかなり乱暴にぴっちり閉じられてしまった。困ってマリーを見ると、無言でぐるりと目を回して呆れている様子である。




 ここんこんここんっ!




 しゃこっ!!


「やかましい! 帰れ!」

「帰れ、じゃねえっつーの! 俺の面目丸潰れじゃねえかよ空気読め! いいから開けろってば!!」

「リア充カップルの男の方の面子を立ててやらんといけない筋合いはないだろうが!」

「嫉妬ですか醜いですね」

「………………待ってろ。殺す」


 しゃがっ!


 ぶっ壊れるんじゃないかと思うイキオイでスリットが閉じ、即座に通用門が開かれた。そこからのっそりと顔を覗かせたのは――前回の門番のお姉さんではなく、また別のかなりマッチョなお姉様だった。


「いい度胸だなゴルァ! ああ!?」

「う……ははは、いい天気ですねー」

「……確かに。お前が死ぬにはな?」

「落ち着きましょうそうしましょう」


 ぽきぽきと指を鳴らして威嚇するお姉様を両手で押し留めようとしていると、後ろに立っていたマリーが余所行きの声で厳かに告げた。


「待ちなさい――」

「んあ?」

「私の名は、女神・マリー=リーズ。この者は勇者・ショージと言います。魔王討伐の命を受け、再び老王にお目通りを願って参りました。通しなさい」

「め、女神……様……!?」


 マリーを女神だと知ったお姉様の反応は予想を超えていた。途端に姿勢を正し、大きな身体を縮こませるようにしてその場に片膝をつく。


「し――失礼致しました! どうぞお通り下さい」

「ありがとう。……では、参りましょうか」


 俺たちが横を通り過ぎる間も、門番のお姉様は微動だにせず、顔を上げてこちらを見ようとする素振りすらない。しゃなり、と優美な所作で進むマリーを慌てて追いかける。そろそろ門番の姿が見えなくなった頃合いでマリーに小声で囁きかけた。


「……おい。一体どういうことなんだよ?」

「……何がよ?」


 もうさっきの口調は止めたらしい。すっかり元のギャルっぽい伝法さだ。


「前回もそうだったけど、女神って知った途端、怯えてるみたいになっちゃうのはどうしてなんだ?」

「……実際、怯えてんのよ」

「?」


 どういうことだ?


「頑丈で、怪我知らずで、その上正体不明の《加護》なんて力まで持ってるんだもん。戦っても勝てやしないし、下手に逆らいでもして、最悪呪われでもしたら堪らない、って思ってるんじゃない?」

「呪うって……」


 おいおいおい。魔物でも悪魔でもなく、女神なんじゃないのか。


「……言ったでしょ?」


 つまらなさそうにマリーは答えた。


「そうやって厄介者扱いされるくらい、今の《ノア=ノワール》は女神だらけになっちゃってる歪んだ世界なの。……いいから早く行くわよ!」


 誰の姿も見かけない閑散とした町並みを進む。前回よりは露骨さは減っていたが、やはり時折あちこちから、ぱたん、ぱたん、と鎧戸の閉じられる音が聴こえてくる。


 次第にマリーの表情は渋く歪められたが、結局何も言わないまま、俺たちは町の中央にそびえ立つモニゲン城壁まで辿り着いた。今度はマリーがそのことを口にする前に身振りで促し、裏手の方にある石扉へと向かった。




 ごごんごんごごん。




「……」


 ノッカーの音が響いた直後にわずかに扉が開いて、門番の目だけが音の主である俺を見る。


「あの、以前にも――」


 と言いかけたところで扉はそのまま大きく開かれ、何となく見覚えのあるような女の子が微笑んでいる。


「勇者・ショージ様、ですよね? 覚えてます!」

「こ、光栄です……!」


 ようやっと勇者・俺を勇者らしく扱ってくれた門番の女性の純粋な笑顔にしみじみ感動していると、


「……あ、そういうんじゃないです。面倒事になる前にお通ししようかと思っただけなので。どうぞ」


 ……はあ。溜息が出てしまった。


 そのまま隣を向いてみたが、もういちいちリアクションするのも嫌になったようで、マリーは無表情のまま一足先に城内に踏み込んだ。俺もそれに続く。


「謁見の間、ってどこよ?」

「こっちだ」


 幸い、俺の記憶はまだ新鮮さを失っていなかった。マリーと入れ替わるように前に進み出ると、石の回廊を進み、長い階段を上がって、目的地までスムーズに辿り着くことが出来た。その奥に置かれた玉座には、見たことのある老人が安っぽいふさふさの白いモールを縁にあしらった赤いマントの山の中に埋もれるように座っていた。


「よく、参られた。勇者・ジ――ショージよ」


 同じ間違いを犯す前に気付いてくれたのは有難い。


 しかし、この老人が変わらずここにいることこそがそもそも間違いでもある。そのまま玉座の前まで近づくと、すっ、と淀みない所作で片膝をついて頭を垂れた。


 俺はその名を口に出す。


「しばらくぶりです、老ナサニエル竜心ドラゴンハート王――」


 それからすぐに視線を上げて、にやり、と秘密を分かち合う者同士にだけ伝わる笑みを投げた。


「まだその名でお呼びした方が良いんですよね?」

「そうとも。良い心がけである、勇者よ」


 老ナサニエル竜心王もまた、ぼうぼうに伸びた白い髭の奥から、にいっ、と笑い返してきた。少なくとも前回よりはまともな話が出来そうで助かる。ただ、展開が急すぎてぽかんとした顔付きをしているマリーを他所に、老王が茶目っ気たっぷりにウインクまでしてきたのには少し驚かされてしまった。


「……こういうの、男の子は好きじゃもんな?」


 老王がこそっと囁き、辛うじて俺の耳にも届いた。


「分かってますね。さすがです」

「うむ。よいよい」


 ぶうぇっへ、と妙な咳払いをしてから、老王は声のトーンをいつも通りに戻して言った。


「再び貴公がこの地を訪れるとは思わなんだ、勇者・ショージよ。……だが、魔王討伐の使命を果たさんとする、その心意気やよし!」


 ここぞとばかりに芝居っ気たっぷりの声で言った。


「儂は昨晩、天界より啓示を得たのじゃ! そして、貴公の旅の仲間となる二人の冒険者を遣わされたのじゃよ――参れ!」


 直前まで気付きもしなかったが、玉座の裏手から左右に一人ずつ二つの影が姿を現し、俺たちの前までゆっくりと歩み出る。そして天蓋から差し込む陽の光が、対照的な二人の姿を等しく照らした。




 まずは一人。




「私こそが《王の右手》、戦士マクマス――」


 向かって左に立つ、藍色の外套に白銀の半甲冑が目にも眩しい勇壮たる青年が口を開いた。


「よろしくね、勇者クン♪ 仲良くして欲しいな」


 そのいかつい体躯に似つかわしい歌うような優しい旋律で告げる。緩くウェーブのかかった肩まである銀髪を掻き上げると今まで隠れていたブルーの瞳が覗き、さらにその下方からは純白の歯が零れた。


「よ、よろしくお願いします」

「……げ」




 ん?




 反射的に隣を向くと、マリーは笑みで取り繕うことも忘れ、何故か苦々しい顔をしている。


「……おい。げ、とは何だよ、げ、とは。失礼な」

「あたし、知ってるのよ。あいつが誰だか」

「………………はい?」


 豹変したマリーの態度を不審に思いつつ視線を戻すと、マクマスは、やれやれ、と首を振っていた。


「無理もないね。何故ならこの私――僕は、元・勇者であり、同時に元・天上神でもあるんだから」




 えええええ!?

 何かド偉い人が遣わされちゃってるぞ!




 でも、こんなに心強いことはない。元・勇者だということはもちろんだったが、その上、元・神だということはつまり、いくつかの《女神の加護》を授かった《スキル所持者》だってことだろうし、過去に魔王を討伐したことのある《経験者》だということにもなる。おまけにまだ《神の御力》も所有しているのかもしれない。そうであれば主人公である俺を余裕で超えるチートキャラの参戦だ。




 ……ん?

 待てよ?




 、ってどういう意味だ?




「ちょ、マリー、解説PLZ」

「あ、あんたねえ……!」


 この恰好してるのよ?とでも言いたげに文句を言いかけたマリーだったが、じろり、と疑いに満ちた半目をマクマスに向けて話し始めた。


「……こいつは敵よ。女神の敵なの。元・天上神とか自分から名乗っちゃってるけど、何てことはない、天界から追放されたのよ、こいつは!」

「酷いなあ。敵だ、なんて……」


 憂いを帯びた瞳が一度閉じ、再び開いた。


 そして――。




「ええと……確か君、女神・マリー=リーズだったよね? スリーサイズは上から……八〇・五八・八三……だったかな?」

「ひっ……!」


 マリーは込み上げる嫌悪感に身を震わせ、それから込み上げる憤怒の感情に身を震わせて叫んだ。


「し、死ねえええっ! さっくり人の超絶機密情報漏らしてくれやがりやがってえええええっ!!」


 えっと……メモメモ、っと。一応忘れぬようにと、俺が脳内HDDに書き付けている間に、マクマスは困ったように眉を顰めて再び口を開いた。


「うーん……そんなに怒ると、可愛いバストもますます可愛くなっちゃうよ? あ、パッド、一枚入れてるんだね? 無理しないで自然なままがいいのに。それと……ああ、訂正しないといけないみたいだね。少しウエストは増えたようだから、六――」

「ぶっ!殺ぉおおおおおおおおおおおおすっ!!」


 マリーが腹の底から絶叫を放ったせいで肝心なところがちっとも聴こえなかったが、残念そうな表情は入念に隠した上で小声で横槍を入れた。


「……おいおいおい。知り合い……だったのか?」

「ち、違うわよっ!?」

「え? だってやけに詳しいみたいじゃん?」

「違うのよ! そうじゃないのよ!!」


 マリーは怒りで震えっ放しの指をマクマスの微笑みに狙いを定めるように突き付けるが、震えの幅が広すぎてもう指揮者のタクトのように見える。


「授けられた《加護》の力か、あいつに与えられた《御力》のせいなのかは分からないんだけどっ、あいつは一目見ただけで言い当てることができるの! 相手のスリーサイズだとか……そ、そのう……長さとか太さとかっ!」




 はっ!




 瞬間、妙に生暖かい視線を感じ、思わず俺は自分の股間のあたりを両手で覆い隠してしまった。一方のマクマスは相変わらずこちらに向けて優しい視線を投げているだけで、何処も見ていないようでもあるし、何処か一点を注視しているようにも見える。


「しかもね……」


 マクマスがそれ以上余計な一言を口走りだしそうにないことにようやく安堵したのか、マリーは、はああ、と盛大な溜息と共に言う。


「あいつには一切悪気がない、ってところがタチの悪いところなの。それどころか、その実、あいつは他人に対してそこまで興味を持てないのよ。ほら見なさいよ。今、あいつが何をしてるか、分かる?」

「えっ」


 マリーがつい今しがた言ったように、俺たちが目の前にいるにも関わらず、マクマスは左手に小型の丸盾を構え、右手で腰に下げた長剣を抜き払って、構えては斬り、斬っては構え、何度も何度も剣舞のような動きを繰り返していた。


「はー。やっぱさすが元・勇者だなー……」


 ちょっと空気読めない子感は否めないが、これはこれ、この先に待ち受ける苛烈な戦いに備え、わずかな時間も惜しんで己が剣技を磨いてるだなんて戦士の鑑である。率直な感想を伝えようと隣を向こうとすると、頬に容赦なく錫杖がめり込んで来て行く手を阻んだ。


 いたたたたた!


「違うってば! 良く見なさいマクマスの動き!」


 いたた……ん?




 しゅばっ!

 がしん!

 ……ちらっ。




 しゅばっ!

 がしん!

 ……ちらっ。




「ん……んんんー?」


 周期的に違和感が。特に端正なマクマスの顔だちの中でも、とりわけ目元のあたりに集中的に。


「いくらショージでも気付いたみたいね……」

「いくら、も、でも、も余計だっつーの!」


 一応、文句は言う。それから一層声を潜めた。


「……で、あいつ一体何してるんだ? あれって、もしかして――」

「そ」


 マリーが科白をひったくる。


「斬って、構えて、斬って、構えて――そのたびごとに剣と盾のどちらかに自分の姿を映してはうっとり見惚れてるのよ。……あいつ、周りには気付かれてないとか思ってるんでしょうけど、超バレバレ。超キモい! マジ無理!」


 その恰好で、超とかマジとか言うな。

 そこでマリーはほんのり顔を赤らめて続ける。


「でも、あれでもマシになった方。いくらかは」

「……と、言うと?」

「勇者だった頃は、女神から《加護》を授かる御礼だーとか言って、片っ端から口説きまくってたってもっぱら噂だった。ってか、要注意人物?」


 うわあ……。確かにイケメンに違いないけど、駄目でしょそれ。

 何だかなあ、とちょっと他人事っぽく苦笑を浮かべていた俺だったが、


「あ、そっか」


 ぽん、と手を打ったマリーは納得したようだった。


「一回神にもなったんだから、今はどっちもイケるってことよね? マク×ショー……アリかも……」

「ねえよっ!!」


 うわあああああ!!

 唐突に他人事じゃ済まなくなったから!


 俺の背後の、主として臀部の中心あたりに、ひゅん!って寒気が走っちゃったから!


 ……ま、今は他人には一切興味がなさそうだし。放っておこう。




 次は、向かって右に立つ純白のローブに身を包んだ男の番だった。


「私は……ええ、今は《王の左手》などと呼ばれておりますね。名は……カラフェン、魔導士です」


 控え目にそう名乗りを挙げたカラフェンはローブのフードを取り去り、憂いを帯びた瞳を細めて微笑んでみせた。物静かな、いかにも優し気で少し翳のある痩身の青年である。


 今度は――大丈夫そうだな。

 と、隣のマリーを見ると、


「……おい。まさか」

「あー……。うん、知ってる」


 マリーの血の気を失ってすっかり蒼褪めた表情は、マクマスを見た時よりもむしろ酷くなっていた。


「解説PLZ」

「博士キャラ扱いはやめてってば」


 それでも渋々ながらもやってくれるところがマリーの良いところである。


「あたしが知っているカラフェンという男は、マクマスと同じく元・勇者で、そして……神になれなかった男よ」

「なれなかったって……失敗したのか? 討伐に」

「そ、それは――」

「では、ありませんよ、勇者・ショージ」


 言い淀む素振りを見せたマリーに代わって、カラフェン本人がゆっくりと続く言葉を繋いだ。


「神々がそれを認めず、私がそれを受け入れた――ただそれだけのことです。私には神になることよりも、もっと望んでいたことがありましたので」

「――!?」


 と言うことは、拒否権はあるってことなのか!?

 俺にとって、その情報は値千金だ。


「おい! 拒否できるなんて聞いてないぞ?」

「お、落ち着きなさいってば!」


 マリーに詰め寄るように小声で問い質すと、マリーは苦い物を噛み潰したような顔で囁き返した。


「……聞いたでしょ? 重要なのはそこじゃなくって、神々が《神成り》を認めなかった、ってところよ。ちゃんとその理由を聞いてみたらどうなの?」

「む」


 確かにそこは気になるな。

 俺は変わらず静かに佇んでいる魔導士に問う。


「何故、神々は認めようとしなかったんです?」

「それは、ですね――」


 ふ、と薄い笑みを浮かべ、カラフェンは答えた。


「きっと、私の悲願がお気に召さなかったのではないでしょうか。さっき申し上げた通り、私には望んでいたこと、どうしても知りたいことがありましたので。……聞きたいですか?」

「それは、まあ……仲間になるんだし?」

「なるほど。では――」


 こほん、と咳払いをして、カラフェンは大きく天に向かって両手を広げた。


「私は、この世のありとあらゆる魔法学を修めた魔導士であると同時に、治癒や蘇生にも長け、各地に伝わる医術も学び修めました。……ですが、それでもなお、私には知りたいことがあったのですよ」


 今度は剣じゃなく、魔法側のチートキャラか!


 凄い。

 凄すぎる。




 ……だけに、否応なしに不安が募ってきた。




「ええと……その、知りたいこと、って何です?」

「ヒト、という生き物について、です!」


 キラキラと目を輝かせて答えるカラフェンの表情は好奇心に満ち、夢と希望に溢れていた。だが、彼の口にした、ヒト、という表現がいやに引っかかる。


「……もうちょっと、聞いてみても?」

「もちろんですよ!」


 カラフェンは興が乗ってきたのか、左手をそっと胸に当て、右手を差し出し歌い上げるように言った。


「ああ! ヒトという生き物の何と素晴らしいことか! その身体には数多の不思議が詰まっているのです! 魂とは、心とは、一体その身体の何処に宿っているのでしょうか? 夢とは、どのような仕組みで見るものなのでしょう? かつての前世の記憶? それとも別次元の自分の姿? 痛みとは、単なる肉体の反射行動? それとも感情なのでしょうか? ……ああ! 知りたい! 知りたいです!」


 もはや恍惚となって歌い上げるカラフェンの姿に、底知れぬ恐怖に似た感情が湧き上がってきた。


「ですので!」


 最後にカラフェンは叫んだ。




「……見てみようとしたのです! 私は! 知ろうとしたのです! 私は! そう、自分の身体で!」




 ………………え?

 ぞくっ、と寒気が走り、俺は震えた。




 その目の前でゆっくりとカラフェンがローブを脱ぎ、その下に隠されていた素肌を晒す。


「切り刻んだのです。自分自身を」

「!?」


 カラフェンの痩せこけた身体には、直視するのも憚られる夥しい縫合跡があった。申し訳ないが、俺は込み上げてきた吐き気を押し戻すので精一杯の有様だった。


「自分を……バラバラに切り刻んだ……?」

「その通りですよ、勇者様」


 そこでカラフェンは悩まし気に眉根を寄せる。


「しかしですね……そこが神々にはお気に召さなかったようなのです。いえ、ね? 私とて、神になぞなるつもりはさらさらなかったもので、かえって好都合だったのですが――」


 きっと真っ青になっているであろう俺の様子をどう間違えたのか、カラフェンは一転、朗らかな微笑みを浮かべてみせた。


「ああ、気になりますよね? ……一番多かった時で、四十八分割までやってみました!」


 うげっ、聞いてねえってば……。


「ただ……あの時は本当に焦りましたね。何せ、バラバラになった身体を縫い合わせるための両手まで興奮のあま――いえ、ちょっとした手違いでバラバラにしてしまったもので、どうしたものかと途方に暮れてしまいましたよ……」


 想像しちゃ駄目。想像しちゃ駄目だ。




 つーか、この人。

 今、興奮のあまり、って言いかけたよね?




「……まあ、人間、死に物狂いになれば必ず何とかできるものです! その時は口と両足を使って、何とか元通りに戻しました! 本当ですよ!?」


 半分ジョークのつもりで《王の左手》カラフェンことマッドな魔術師は、実に楽し気に、あっはっは、とか笑っていたが、俺とマリーはとてもそんな気になれなかった。




 かたや《超絶ナルシスト》の凄腕剣士。

 かたや《人間レゴブロック》のマジックマスター。




 またもや玉座の上でうつらうつらしている老王に向けて、俺は助けを求めるように訴えた。


「ええと……済みません老王! チェンジで!」

「ふがっ……! ん、んあ?」


 良かった、起きた。涎が伝い落ちる顎髭をしごきながら老王は言った。


「……いやいやいや。チェンジは無理じゃよ。もうその者たちくらいしか、この地には冒険者はおらんのじゃから。きっと役には立つじゃろう……多分」

「多分は余計ですってば。余計に不安になる」


 確かに老王が言った通り、他に選択肢はない。それに、そもそも彼ら二人をこの地に遣わしたのは、あの葵さんなのである。それを頼みに信頼するしかなさそうだった。


 俺は咳払いをして言う。


「じゃあ、二人とも……共に魔王を討伐する仲間として、改めてご協力をお願いできますか?」


 少し意外だったけれど、マクマスとカラフェンの二人はその場に片膝をつき、ほぼ同時に迷いのない声で高らかに応じる。


「我ら《王の両手》は忠誠を誓うことをここに約束する。共に魔王を討とう、勇者・ショージよ!」



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