第二十章 ごめんって言ったら許さない

「………………遅い! ありえないんだけど!?」

「ご……ごめん……」


 ようやく俺たちのサークルスペースまで戻ってみると、横出しにしたキャリーカートの上にどっかと胡坐をかき、不機嫌そうにぶんむくれているマリーの姿だけがあった。もう他のサークルの人たちの姿もなく、残り少ない長机と椅子を片付けに来たスタッフたちも、どうしたものか、とちらちらと俺たちの方へ遠目から視線を送っている。


「舞亜さんも織緒さんも、ずっと一緒に待っててくれたのよ? 最後にもう一度、話がしたい、って。なのに……!」


 床に視線を落としていたマリーが顔を上げ、噛み付くように言い放つと、そのスタッフたちまで退散してしまった。この姿のせいか、俺の方も剣幕の凄さに必要以上に怯え、びくっ、と身体が震える。


「ごめんね……」


 やばい。マリーは相当頭にきているらしい。


「あんまりにも遅いし、これ以上付き合わせても悪いなあって思ったから、どうしても、って言う二人を何とか説得して先に帰ってもらったんだから!」

「ごめん……」

「ごめんごめんばっかり! 同じ事言わないで!」

「ホント……ごめんなさい……」


 それでも、それしか出てこない。


「もう!!」


 腹立ちの収まらないマリーは立ち上がり、椅子代わりにしていたカートを持とうともせずにずかずかと歩き出す。慌てて俺はカートのハンドルを取り上げ、引き摺りながらその後を追いかけた。


「……」

「……」


 大きく開かれた会場出口を潜ると、外へと連なる通路にはやはり人の気配は皆無だった。イベント中であれば、買い込んできた獲物を早速読み出す参加者がびっしりベンチに腰かけていたのだが、もう誰もいない。




 こつ。こつ。

 こつ。こつ。




 俺たち二人の足音だけが空しく木霊する。時折、カートのプラスチック製の車輪が、きゅい、きゅい、とイルカの鳴き声に似た音を立てる。


「……」




 俺が一方的に悪いのは分かってるんだけど――。


 他人との付き合いに慣れ、女の子とのやりとりに慣れている奴ならこの局面を打開する方法の一つや二つは知っているんだろう。しかし、俺は謝ること以外に出来ることが見つけられなかった。軽口を叩くのは違うよな……。かと言ってお道化て見せるのも違うだろうし、そもそもそんなこと自分に出来るとも思えない。


 しょんぼりと俯いたまま歩く。




 すると――マリーは、ぴたり、と足を止めた。




「あああああ! やだやだやだ! 何でずっと黙ってるのよ!?」


 振り向きもせず、身体を折るようにして心の奥深くに淀んでいる感情を残らず吐き出すように吼えた。


「今日って、あたしたちの記念すべきイベント初参加で! 大成功だったんでしょ!? 何で……こんな気持ちで……つまんないことで喧嘩して……!」


 言葉に詰まってしまう。俺の方を見ようともしないマリーの細い肩は震えている。もうどうしたらいいのか分からない。


「あ……の……ごめ――」


 恐る恐る手を伸ばし、


「ごめん、って言ったら許さないんだからっ!」


 はっ、と胸を突かれ、手が止まる。




 マリーは――泣いていた。




「酷い……酷いよ、ショージ! こんなのやだ……もう自分でも何だか分からない……! 何であたし、こんなに嫌な気持ちになってるの……? さっきまで超楽しかったのに。何でずっといてくれないの? 馬鹿……馬鹿馬鹿馬鹿っ!!」

「本当に――」


 凍りついたように宙で止まっていた手は自然と動いた。そのまま、泣きじゃくるマリーの細い身体を引き寄せて、きゅっ、と抱き締める。


「本当にごめん。……悪かった。謝る。何度でも」

「ごめんって言ったら許さないって言ったわよ?」


 胸の中でむすっとマリーが呟いたが、


「いいよ、別に」


 苦笑する。


「許してくれなくてもいい。悪いのは俺なんだし」

「じゃ、許さない」

「……や、やっぱ許してくれると嬉しいんだけど」

「やだ」

「……まったく」


 胸元が開いた衣装のせいでちょっぴりひんやり冷たかったが、マリーが目元に溜まった涙を跡形もなく消し去ってしまうまで、そうやって立っていた。


 しばらくするとそれも済んだようだ。


 けれど、様子がおかしい。

 もぞもぞと身を捩っている。


「は……放しなさいよ。ち、ちょっと恥ずかしい」


 ぼそぼそっとマリーに言われてようやっと今の状況に気付き、激しく動揺して慌てて身を引き剥がす。


「あ……! うぇっ! ご、ごめん!」

「謝ってばっかり。ばっかみたい!」


 けれど、ようやくマリーが笑い、釣られて俺もくすりとしてしまった。


「だな」

「……何してたのよ?」

「言ったじゃん。葵さんと会ってたんだ」

「……へーそうですか」


 ん? ちょっとまた雲行きが。


「へー。へー。……そりゃあもう楽しかったんでしょうねー。葵さん綺麗だし? スタイルもいいし? 胸元だって、そりゃあもう実り豊かで――」


 何言ってんだ、こいつ。そっちの趣味もあるのか?


「そ、そういうんじゃないから」

「じゃあ、どういうのだってのよ!?」

「絡むなあ」

「かっ……絡んできたの!?」

「絡むかボケ! 妄想も大概にしとけ、腐女神!」


 呆れてしまう。




 そうだ。

 こいつにも伝えておかないといけないのだ。




「べっ……! べっつに? あんたがどう思ってようが、あたしには全っ然、関係なんて――!」

「聞けってば!」


 声高に意味不明なことを言い出したマリーの言葉を遮るように、もう一度正面からマリーの両肩を掴んだ。


「ふ、ふえっ!?」

「いいから聞けって。……葵さんと会って、話して、俺には分かったんだよ!」

「にゃ……にゃにを……」


 マリーは何故だか妙にそわそわして頬を赤らめたりなんかしているのだが、構わずに続ける。


「今すぐ、お前の部屋に行こう!」

「なっ……!!」

「行きたいんだ、すぐに。……駄目か?」

「だ……駄目じゃないけど……」


 マリーはまともに視線を合わせようともせず、挙動不審なくらいに視線を泳がせている。


「ほ、ほら、あたしの部屋、散らかってるし……」


 いつものことじゃん。


「な……何もないし……。途中で買っていかないと……。ちが! 違うわよ!? ほ、ほら、飲み物とか何とか、ね? ね?」


 確かにミスリル麦茶なら、俺が出掛けにペットボトルに移した分で空になったけども。


「じゅ……準備だって――!」

「いいよ。そのままでいいって!」

「な……っ!!!」


 俺の科白によほどの衝撃を受けたらしいマリーの顔は、真っ赤というよりつつけば弾け飛びそうなほど朱一色に染まっている。


「や……!」

「や?」

「やだ……! やだやだやだ! あたし! 汗臭いもん! 一日、イベントで汗かいちゃったもん!」


 何か、酷い誤解が生じている気がする……。


「シャワー浴びればいいじゃん」

「そ……! そりゃ浴びるわよ!」


 うがああ、と叫んだかと思ったら、


「うぁ……ちが……違う! そういう準備とかじゃなくって……のおおおおお!!」


 ぷしゅー。遂に臨界点に達したマリーは、その場にへなへなと崩れ落ちてしまった。俺は為す術もなくそれを見下ろし、溜息を漏らした。


「お前……何かおかしいぞ。大丈夫か?」

「ううう……」

「葵さんと話して分かったんだ。俺が元の世界に戻る方法って奴がさ。それを話したい、って……だけ……なんだけど……?」




 あれ?




 何で俺、すっげえ睨まれてるんでしょうか?




 そのまま無言で立ち上がったマリーは一声吼えた。


「死ねえええっ! 馬鹿ショージっ!!」


 ずどん!!!

 女の子に腹パンはやめてえええ!!!



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