第十九章 終わったのはいいけれど
「結局……ちょっぴり余っちゃったね」
「いやいや。上出来だって。初参加でこの成果ってのは、かなり自慢できるくらいなんだ。喜べよ」
少しだけ残念そうなマリーの科白に、俺は心からの満面の笑顔で応じる。
最終的には、予備を含めて五十三部あったマリーの――いや、まりりー☆先生の描いた初めての同人誌、『抱かれたい神一位!の俺様英雄神は、純情ビッチでした☆』は、たった三部を残し、あとは全て参加者の手元に渡った。
そのうち俺がアドバイスの御礼にとお世話になったサークルの関係者に進呈してきたのが五部なので、何と実に四十五部を頒布することができた訳である。これは無名の一サークルが成し遂げた成果としては、もう快挙と言っても過言ではないだろう。
生々しい話をしておくと、五〇部の印刷にかかったのが一五〇〇〇メガポ、それを一部四〇〇メガポで頒布したから、掛ける純粋に頒布した数の四十五部で一八〇〇〇メガポになる。
ただし、会場までの交通費はゼロだけれど、参加費や小物を購入したりといった諸費用があるので、ちょうどとんとん、というところだった。儲けよう、と考える者にとってはよほどアコギな価格設定をしないととても割に合わないだろうけど、そもそも同人活動なんてこんなもんなのである。
それより何より、マリーの作品に対価を支払おうと考えてくれた人が四十五人もいたのだ、という事実が素直に嬉しかった。マリーの妄想には価値がある、決して、無価値で無意味で、恥ずべきものなんかではない、ということが形となって証明されたのだ。それは金額には換算できない成果だった。
在庫がほとんどないことは撤収作業にもプラスに働き、テーブルクロスや小物を全てしまいこんだ後でも、カートはころころ転がさなくてもいいくらい軽かった。
「さてさて。どうだった、まりりー☆先生? 初めてのイベント参加のご感想は?」
「楽しかった……!」
隣に立つマリーは、俺の剥き出しになった二の腕をきゅっと握り締め、何度も頷いている。
「いろんな人に出会えて、皆に優しくしてもらえて、あたしの本、いいね、面白い、って言ってもらえて……ね? ホント、夢みたいだった……!」
「夢じゃないってば」
マリーに釣られて俺もくすりと笑いを溢した。
「あらあら。何か、初々しいわねえ」
微笑ましいものを見るように目を細め、そろそろ片付けが完了しそうな舞亜さんは優しい声で言った。
「あたしたちも、最初に参加した時はそうだったのよね、きっと。あたしも織緒もがちがちに緊張しちゃってて、やっぱり周りの人たちに励まされたり、助けられたりしちゃったわ。だから今度は、あたしたちがそうしたってだけなのよ」
「舞亜さんたちには凄く感謝してます。本当に」
何しろ、頒布数四十五部を達成できたのは、織緒さんの口添えと、舞亜さんの作った衣装のおかげでもある。あれがなかったら、とてもこんな結果にはなっていなかった。
「そんなことはないわよ!」
舞亜さんは慌てて手を振って見せた。
「きっと私たちがいなくても、まりりー☆ちゃんの本の良さは分かってもらえただろうし。ほら、『SNSで見て来ました!』って言ってた人も大勢いたじゃない? あれ、あまったかちゃんが頑張ったからでしょう? やっぱり、あなたたちの力」
「そんな……」
「そーよ? 最初は、何訳わかんない事してんのさ、って思ってたけど」
いやいや。お前は分かっとけよ、もう。
どちらも撤収の準備はできたものの、コスプレ参加者専用の更衣室に向かった織緒さんはまだしばらく戻ってこれなさそうだった。かなりの人数がコスプレしていたようなので仕方ないのだろう。
そして、俺もまだ帰る訳にはいかなかった。
「あ……あのさ、まりりー☆先生?」
「ん?」
「悪いんだけど、もうしばらくここで待っててもらえないかな? ちょっと――」
身振りで伝え、その場を離れようとする。
「え……? 何処行くのよ?」
「葵さんのところに、さ」
一瞬、マリーは不貞腐れたような表情を浮かべた。
「………………別にいいけど」
「ごめん! すぐ戻るから!」
気の利いた言い訳を思いつかなかったけれど、マリーがそれ以上詮索しようとしなかったので少しほっとしつつ、俺は足早に葵さんたちのサークルスペースへと急ぐ。
閑散とした会場のまばらな人混みをかいくぐるように歩いていくと、葵さんたちのサークル『
「あの……」
長机にでろーんと寝そべり、あまり働いていない様子の見覚えのある黒づくめの少女がいち早く俺の姿に気付き、後ろを振り向きもせず背後の人物に合図を送る。
「おーい。来たデスよー」
「あら……感心ねぇ……」
答えたのは葵さんである。もうさっきまでの派手ないで立ちをやめ、少し地味目に振ったワンピースの上にジャケットを羽織っていた。周囲にいた女神それぞれに一声ずつかけると最後にぼーぱるさんに意味ありげな目配せをしてから、俺に向けてついてくるように無言で促した。
そのまま俺たち二人だけ、すぐそばのシャッターをくぐって会場の外へと出た。布面積のやたら少ない衣装とこれから起こることが予想できないせいもあって、少し肌寒く感じてしまう。最後にもう一度、周囲の様子を確認してから、葵さんは単刀直入にこう切り出した。
「んで……どうして呼び出されたと思う、あまったかちゃん?」
すぐに葵さんはかぶりを振って言い直した。
「いいえ、違うわね……あなたのこと、何て呼んだらいいのかしら――勇者君?」
やっぱりそうか――。
しばらく黙り込んだ後、俺はゆっくりと告げた。
「あたし……いや俺は、天津鷹翔二と言います」
「なるほどね……」
それは、俺がそれまで名乗っていた偽名についてようやく合点がいった、ということなのだろうか。いずれにせよ、葵さんの瞳には、探るような色が確かにあった。
「あの……っ!」
俺は口早に告げた。
「もしも、今回のことで何か罰を受けなきゃいけないんだとしても、マリー――い、いや、まりりー☆は無関係ですから! この恰好だって、まりりー☆をサポートするために仕方なくやったことで……」
葵さんは答えない。反対に、徐々に俺の口調は熱を帯びていった。
「お願いです! 聴いて下さい! 葵さんや他の人たちを騙そうなんて気持ち、全然なかったんです! まりりー☆の願いを、あいつの思いを叶えてやりたくって……本当にそれだけなんですよ! 嘘じゃ、ない……嘘じゃないんです!」
しばらく葵さんは黙っていた。これ以上どう言えばうまく伝わるのだろうと悶々としつつ、続く言葉を必死に探していたのだが、
「……やっぱり面白い子ね、あまったかちゃんは」
「え?」
葵さんの科白の意味がうまく理解できない。結局何も言えずに黙っている俺に向けて、少しだけ口調を和らげた葵さんは笑いかけた。
「だってそうでしょ? もっと見苦しく言い訳してくれたって良かったのに。見逃してくれー、助けて欲しいー、そんな科白、一つも口にしないんだもの。ま、正体がバレたところで死ぬ訳じゃないんだし? だからってのも……いいえ、違うのよね、きっと」
そう葵さんから指摘されるまで俺は、殺されるかもしれない、と本気で信じ込んでいた。何とも間抜けな話である。
考えてもみれば、勇者だと知れたところで――。
「そ」
推測は、そのまま葵さんの口を借りて飛び出した。
「会場にいる大勢の、飢えた女神たちの《餌》になるだけ。ありったけの《加護》を授かるだけよ」
「!?」
「あら、何を驚いているの?」
思わず表情に出してしまっていたらしい。葵さんは再び探るように丸く見開かれた俺の瞳を覗き込んでから、可笑しそうに笑った。
「まりりー☆ちゃんからも聞いたじゃない。女神は勇者の心が読めるのよ。でも……あら、その条件までは聞いてなかったわね?」
そう言い、唐突に俺の手を両手で包み込んだ。
「条件は、接触。こうして勇者に直接触れれば、しばらくの間は心が読める。反対に、そうと望めば、女神の意識も――」
――伝えることができるのよ?
科白の最後は俺の脳内に直接響いてきた。
念話、ってことか。幸いゲーム脳の俺は、さほど驚くことはなかった。
「そういうこと。でも、面倒だからこのまま、ね」
言葉で話そう、ということらしい。
俺はサークルスペースでの葵さんとのフレンドリーすぎる一連のやりとりを思い出し、慎重さを欠いていた行動を悔やんだ。とは言え、自分から葵さんに抱きついた訳でもないのでどうしようもない。いろんな意味で不可抗力だった、としか言えなかった。
「一応、今後のために教えてあげると、相手に対して心を閉ざしている限りは、いくらべたべた触りまくったところでちっとも心なんて読めないわ。だからこれは、あなたがあたしに対して好意を抱いて、心を曝け出してくれた、って証明にもなるのよ」
「なるほど……」
喜んでいいのか悪いのか……複雑な心境である。
「今だってそう」
また、葵さんは笑った。
「こんな状況でもあたしがあなたの心を読めるってことは、つまり、ね?」
「それは………………葵さんですし……」
正直、この会話のゴールがまるで見えていない状態であり、不安がないのかと言われれば嘘になるだろう。甘えとか楽観的な考えではなく、現実問題として葵さんの好意を裏切るような真似をしてしまった訳で、その葵さんから罰を受けるのは仕方ない、と考えていたからでもある。
「ということは、葵さんには俺にやましい気持ちがなかったってことも……分かってもらえたり?」
「それと、騙していたことは……別の話よね?」
「う……」
細くすぼめられた瞳が俺を静かに見つめている。
それは……ごもっともです。
こればかりは言い訳のしようもなかった。ただただ申し訳ない気持ちで黙っていると、
「……ふふ……ふふふ。苛めすぎちゃったわね」
葵さんは急にお腹を抱えて身を捩り、苦しそうに声を殺して笑い始めた。俺はそれを目の当たりにしても、ぽかん、と口を開くことしかできなかった。締まりのない表情のままぼんやり立ち尽くしていると、笑い過ぎてよろけた葵さんがすがりつくようにして俺の腕を、きゅっ、と握り締めた。
「これは違うわよ? もうあなたの心を読もうとか、そういうんじゃないからね――」
義理堅くそんな科白を吐いてから、
「……やっぱり、あまったかちゃんは面白いなあ! しっかたない子ね? もうこのくらいで許してあげるわよ!」
何だか褒められてしまった。
のかな?
つい釣られて、くすり、と笑ってしまった。
「あの……ええと……ありがとうございます」
「いいの、いいの」
目元に溜まった涙を拭う素振りをして葵さんはひらひらと手を振って見せた。
「ぶっちゃけ、あなたが勇者だと明かさない方が、あたしにとっても都合がいいのよ。今の生活を続けるんなら、ってことなんだけど――」
「………………はい?」
分からないことだらけで混乱してしまう。
「えっとね?」
説明してくれるようだ。
「勇者に《加護》を与えたら、女神ポイントがもらえる――そのシステムについては知ってるわね?」
「まりりー☆にもそう聞きましたけど……」
確か、こうだ。
「そして、女神ポイントを一定以上貯めれば、より高位の女神に昇級できる……そのことですよね?」
他にもいろいろと恩恵はあるのだろうが、最大の利点はそこにあると思う
「そこなのよ」
葵さんは即座に肯定した。
「今のポジションを崩されるような事態になってしまったら、あたしにとってはメリットがないもの。これでも意外と打算的な女なのよ、あたし?」
「……はあ」
葵さんを表すのに、狡猾、とか、計算高い、とかいう言葉は、あまりに似つかわしくないようにも思える。ちょっと意外に感じてしまった。
「あの……良く分からないんですけど……」
そして、やけに葵さんの一言が引っかかった。
「俺の聞き間違いじゃなければ、今のポジションを崩される訳にはいかない、って、言いましたよね? 壁サーの代表でジャンル神――女神って以外に、まだ何か隠してるんですか?」
「さあ? ふふふ」
悪戯っぽい瞳に見つめられると、落ち着かない。
「……さてあたしの正体は、一体誰でしょう?」
それに、答えなんて分かる筈もなかった。
弱り果てて俺は首を振る。
「どうせ素直に教えてくれる気はないんでしょ?」
「あたし、《
即答すぎて思考が凍りついた。
思いがけずに大声が出る。
「………………はいぃぃぃ!?」
「ふふふ。驚いてる驚いてる」
「そりゃ、驚くに決まってるでしょう!?」
しきりに俺の頬を、つんつん、と突いてくる葵さんの指を平手で跳ね退け、狼狽もあらわに周囲に人気がないか今更ながらに確認してから声を潜めた。
「冗談も大概にして下さいってば! あれでしょ? 《女神9》って女神の中でも最上位の選ばれた女神たちなんでしょうが!? そんなド偉い女神様が、こんなオタクまみれのイベント会場になんて……え、つーかそれ………………マジで言ってます?」
引き攣った愛想笑いで一応尋ねると、逆にふざけてるんじゃないかと疑いたくなるくらいの糞真面目な顔で葵さんは頷いた。
「超マジ」
「超とか言うなよ、《女神9》!?」
ギャップ、半端ねえ。
「だって、本当のことだもん」
「今ならキャンセル可能ですよ?」
格ゲーならギリギリフレーム内。
「しないわよ」
葵さんはひらひら手を振った。
「あなた、趣味が高じて神話については多少詳しいみたいね? さっき読ませてもらったけれど――」
どうやらその瞬間に思い浮かべている思考以外にも、深層にある記憶や心理だって多少は読めるんだってことなのだろう。
「葵さんことあたしの本当の名前……アオイデーって言うの、って言ったら、もっと驚いてくれる?」
……えええええええええええ!
そりゃ驚くに決まってるじゃないですか!!
――アオイデー。
ギリシャ神話に登場するその名は《古きムーサ》とも呼ばれる《三柱のムーサ》のうちの一人の名だ。ちなみに《ムーサ》とは古ギリシャ語での読み方で、それを英語読みすると《ミューズ》になる。
ただ残念なことに、その知識を俺が得たきっかけは、葵さんが言ったような物書きとしての知識集めの成果などではなくって、何のことはない、巷で人気のスクールアイドルアニメの影響なのであった。ちなみに俺は野々美ちゃん推し。何かええやん。
「どっきり大成功ー! ふふふ」
「ふふふ、じゃないですよ……」
よほど俺のリアクションは期待以上だったのだろう。葵さんは実に楽しそうに笑っている。しかし、こっちはそれどころではなかった。
「でも、何だか納得した部分もなくはないかも」
ちょっと考えて、薄っぺらい知識を掘り起こす。
「だって元々《ミューズ》と言えば、文芸を司る女神、でしたよね? ……あ、でも確かアオイデーと言えば、得意なジャンルは――?」
「ジ、ジャンルって……」
葵さんは残念な子を見るような表情を浮かべた。
し、仕方ないじゃん!
語彙力が足りなくて、他に表現のしようがなかったんだってば!
ん、思い出したぞ。
「……歌、ですよね?」
「歌唱ってことになってるわね。……聴きたい?」
「い――今は止めときます。目立っちゃいますし」
誰が見ているかも分からないのだ。
「じゃあ、それは今度にしましょう」
少しだけ俺の目にも威厳ありげに映るようになった葵さんは何故か満足げに頷いて続けた。
「歌唱を司る女神……でもね? あたしにだって、本当にやりたかったこと、やってみたかったことがあるの。他の誰かが決めたことじゃなくって、あたしが、あたし自身が、やりたくて仕方なかったこと。それがこの同人活動なのよ」
そうか。結局のところ、葵さんもマリーも同じだったのだ。
しかし、また別の、妙な考えも浮かんでしまった。
「ち――ちょっと待って下さい!」
「?」
一瞬躊躇ったが、一気に口に出す。
「葵さんの描いてる漫画の主人公……あれ、アポロンじゃないですか!? しかも、ショタの! それってつまり……!!」
ご存じだろうか。
ギリシャ神話において、あらゆる知的文化の守護神とされる《芸術の神》とは誰か、と尋ねられれば、それはアポロンのことを指す。そして《ミューズ》を主宰する神もまた、当然のようにアポロンである。かのロシアの作曲家・ストラヴィンスキーの書いたバレエ音楽、『ミューズを率いるアポロ』もそれをモチーフにしているのだが――。
「やりたかったこと、やってみたかったことがそれって……」
あわわわわ……。
脳裏には葵さんの描いたあんなイラストやらこんなイラストが蘇ってきて、もう言葉にならなかった。
しかし、
「もう!」
何故か葵さんはご立腹の様子である。
「主・人・公、って言い草は酷いわよ? あたしの中ではヒロインポジなんだけど?」
「論点はそこじゃねえ!?」
駄目だこの腐女神……。
よりにもよって、自分の主を妄想の餌食にしたってことなのか。こんな背徳感まみれでよく女神が務まるものである。俺は溜息と共に言ってやった。
「……ま、それじゃ正体を隠したくもなりますね」
「でしょ?」
まったく。
壁サーの代表でジャンル女神で、その正体は《女神9》の一人で、おまけに《古のムーサ》の三柱を成す一角であり、それに飽き足らずに自らが仕える神をネタにして妄想を拗らせてショタ萌えBL漫画を描いており、さらには、はやみんボイスで歌って喋れるゆるふわ系お姉さんでもあるのである。こんな属性盛り過ぎなキャラ出しちゃったら、バランスブレイカーどころの話ではない。
葵さんが語ったところによれば、会場で俺の正体を明かせば大騒ぎになってイベントが台無しになることは明白だったし、女神たちによる《加護》授け合戦が始まれば彼女たちが所持している女神ポイントも大きく変動してしまうことになる。もしかするとそれによって女神たちの序列も大きく変動してしまうかもしれない。それは避けたい、ということだ。
もちろん日々の行いからも慎ましやかではあるものの一定の女神ポイントが獲得できるらしいのだが、それだけ勇者に《加護》を授ける行為から得られる女神ポイントは絶大なのだ、ということだろう。
でも、俺は何となく気付いてしまっていた。
葵さんが気にしていたのは、自分自身の地位なんかではない、ということに。
下級女神の上には監督役の上級女神がいる。つまり、上級女神の上にはさらにその監督役を務める《女神9》がいる構図になっている筈である。さっき葵さんのサークルの手伝いをしていたのはその上級女神たちだと考えて間違いないだろう。
序列、というくらいなのだから、一度上がれば上がりっ放しという訳にはいかない。誰かが上がれば、そこから降ろされる奴もいる。それは必然だ。だが、自分の趣味のせいで他の誰かを貶めるようなことなどあってはならない、きっと葵さんはそう考えたのだろうと思ったからだ。
それは何となく脳裏に浮かび上がった少し突拍子もない気もする推論だったけれど、もしかするとさっきの念話の影響なのかもしれない。葵さんも言っていたじゃないか。女神側が勇者に伝えようと思えば、その想いは伝わるのだ、と。
やっぱり――。
節度と常識を持ったド変態って見立ては間違ってなかった。
頭に、愛すべき、って付け加えてもいい。
「……ド変態、は酷いわね?」
「はううう! 済みません! 済みません!」
くっそ。まだマイクONだったか!
うっかり漏れ出ていた意識に慌てつつも、俺はずっと疑問に思っていたことを尋ねてみる。
「でも……どうして俺なんかに? そんな秘密を打ち明ける必要なんてなかった筈じゃあ……」
「確実に秘密を守る方法、って知ってる?」
何だろう?
押し黙っていると、葵さんはさらりと言った。
「互いの秘密を共有すること。お互いが相手の秘密を知っていれば、どちらもそう簡単に漏らすことなんてできなくなるでしょう? だ・か・ら・よ」
「保険……って言いたいんですか?」
「そ」
「……まったく」
俺は辛うじて聴こえるか聴こえないかくらいの声で呟きを漏らしていた。
葵さんは、やっぱり狡猾で計算高い人だ。
保険なんてとんでもない。そもそも葵さんが一方的に知り得た俺の秘密なのだから保険なんて必要ないのだ。保険はリスクを最小限に留めるためのものなのであって、俺に自らの秘密を打ち明けること自体がむしろ新たなリスクを生じさせてしまっている。これでは本末転倒だ。
要はこういうことだ――誰にも言わないから、と。
それすらも恩着せがましくする素振りを見せず、優位さを利用することもせずに、立場を対等にしてしまった葵さんは、本当に狡い。
そして――優しい。
「まりりー☆ちゃん、待たせてるんでしょ? そろそろ行った方がいいわ。でも、一つ、聞かせて?」
「はい」
「何故、まりりー☆ちゃんは、あなたに《加護》を授けていないの?」
「それは――」
別に隠すこともないだろう。
「葵さんと同じですよ。あいつには、女神の地位なんてものより自分の妄想の方が大切だってことなんです。そう、言ってました」
「本当に……それだけかしら――今も?」
「……はい?」
どういう意味だ?
「そ。何でもないわ。何でもね」
葵さんには想像がついているようだった。でも、俺にはそれ以上の理由なんて思いつかない。首を傾げるばかりだった。
「俺からも、一つ、聞いてもいいですか?」
微笑を浮かべたまま無言で頷く葵さんに言った。
「あの……俺、元の世界に戻りたいんです。神になんてなりたくない。もちろん、勇者なんてのでもなくって、元通りのどこにでもいる平凡な高校生として、です。俺たち、その方法を探していて……もしかして、葵さん、知ってたりします?」
「どうかしらね……」
それは、答えをはぐらかすというよりは、今まで考えたこともなかった、という素振りだった。胸の前で腕を組むようにして片方の手の甲を顎に添え、しばし考え込んだ後、葵さんは言った。
「普通に考えたら、勇者として召喚された訳なのだし、役目を果たす――つまり魔王を討伐するより他にないと思うわ。けれどそれには絶対条件がある」
「と……言うと?」
「《女神の加護》を授からないこと、よ」
葵さんは確信をもって頷いた。
「でも……難しいんじゃないのかしら? 今までの勇者は皆、その《女神の加護》に幾度となく助けられる形でようやっと魔王を討伐したのだし」
「他に方法がないんだったら、難しくったってやるしかないです。違いますか?」
「そうね。でも……」
葵さんはわずかに口ごもり、それを打ち消すように首を振った。
「いいえ、あなたならできるのかもね。……けれど、期待しちゃ駄目よ? 葵さんはそこまで手は貸せないもの」
「それは分かってます」
これは――俺の問題だ。葵さんのでもなく、マリーのでもなく。
済まなそうに頷き返し、葵さんは俺の手を取った。
「サポートくらいなら……してあげられるかもしれない。何か分かったら、今晩メッセで連絡してあげる。約束はできないけれど――」
「そう言ってくれるだけで嬉しいです。でも、無理はしないで下さいね」
最後に、とびきりのはやみんボイスで言った。
「応援してるわ、勇者君!」
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